退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「流行語による戦後史と機能性表示食品のインチキあるいは悪くはないがやはり長すぎる映画」について

2024-05-12 03:16:21 | Weblog
晴れ。今日もおだやか。

小林信彦「現代<死語>ノート」を何度目かの再読。

1956年(昭和三十一年)から1976年(昭和五十一年)までの言葉たち。
「ほんのきのうのこと=only yesterday」として敗戦から1955年(昭和三十年)も。

F・L・アレンによる1920年代を描いた同名の本を知っているかどうかがポイント。
「流行語による戦後史」という視点はもっと評価されるべきか。

著者には「時代観察者の冒険」という作品もあり。
その中の「アダルト伊代ちゃんの暴力性」という文章を思い出したり。

元々は蓮實重彦編集の雑誌「リュミエール」に載ったものだったはず。
繰り返すがこのふたりの対談は出来ないものだろうか。

「英文vs仏文」というのもあるのだけれど。
例えばマルクス兄弟に関する評価の違いを知りたいところ。

マル激を観る。

今回は「機能性表示食品」というインチキについて。
製造する企業が当てにならない「論文」を添えて出しさえすれば認められるもので。

そもそもは「規制緩和」という名の下の「アベノミクス」。
全く非科学的で企業の「売りやすさ」を優先しただけ。

「不足しているかどうかもあいまいな栄養素」が。
「長寿」ゆえに「老後」を心配する層に「ウケて」しまい。

何より「特定のもの多く摂取すること」で「健康」が維持されるわけもなく。
むしろ「過剰摂取」による危険も少なくないことも知らず。

「健康」の基本は「いろんなものを食べること」。
われわれの「認識の単純さ」がもたらすものを忘れずに。

スティーヴン・ソマーズ「ハムナプトラ 失われた砂漠の都」(’99)を再見。

VFX=特殊効果が面白いのはいいとして。
イムホテップ、アーノルド・ヴォスルーの「顔」がいい(南アフリカ共和国出身)。

オコーネル、ブレンダン・フレイザーは「アイルランド系アメリカ人」で。
イヴリン、レイチェル・ワイズは「父方がハンガリーで母方がドイツ」のイギリス人。

今回観直して思ったのは。
「コメディ・リリーフ」のベニーの魅力が「弱い」こと。

そしていつものことだが「長すぎる」。
90分程度にすればもっと面白くなったはずなのに。

なぜそれが出来ないのか。
そのことを本気で考えた方がいいと思うのだが如何。
コメント
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