退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「倫理あるいは圧倒的な貧しさ」について

2016-04-27 03:36:09 | Weblog
晴れ。今日もやや蒸す。

廣野喜幸「サイエンティフィック・リテラシー 科学技術リスクを考える」を読む。

「リスクの定義」が実はさまざまであること。
「1%」という数字そのものは小さくてもその元が1億人なら100万人であること。

「よく知らないこと」や「自分の考え方」によって
リスクが過大評価されたり過小評価されたりするということ。

「わかりやすい正しさ」を求めると間違えやすくなるという「事実」を知ろう。
「宙ぶらりん」を生きることが「まっとう」だと教えてくれる好著。

何事かを判断する上での「前提」がいかに「認知バイアス=偏見」になるか。
どのような意見を持とうとそのことに敏感であることは重要。

深夜にマル激のNコメを観る。

さまざまな理由で調査が十分でないせいために「活断層の空白」が生まれ
それを元に作られた「ハザードマップ」が実は役に立たないこと。

「断層の枝」によって両隣は全壊したものの真ん中の家は無傷ということがある現実も。
われわれがその上で暮らす地盤はかくも「不公平」を生み出すらしい。

その一方。

わが国のマスメディアは政府を「悪者」にしがちだけれど
公式非公式のあれこれに参加できる「情報特権」を失いたくないのでその事実を報道しないこと。

「弾圧」と言うほどのものもないのに「萎縮」するのはそのせい。
それで「ジャーナリスト」などと称するのはちゃんちゃらおかしいだけ。

普通に暮らしたいなら「普通の仕事」をすればいいのに。
「本物の弾圧」に対する覚悟もないのにその種の仕事に就いてはいけないという「当然」。

下世話な話だが今どきのごく普通の働き手と比べれば高給取りなはず。
「『いたずらな正義』を気取って安楽に暮らす」のはいかがなものか。

あらゆる分野で「倫理」が問われているものの
残念ながらわれわれはそれにきちんと答えられるだけの「器量」の持ち主ではなさそうで。

とりあえず「圧倒的な貧しさ」を噛みしめるよりなさそう。
コメント
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