退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「敢えて『今』でないこと」について

2016-04-18 01:59:37 | Weblog
晴れ。日差しが熱い。

昨夜は研修で老舗バーはお休み。

九州の余震は「終わり」が見えない状態。
ついついNHKのニュースをずっと見てしまう。

その一方で「日常」を淡々と。

永竹由幸「歌舞伎とオペラ」を読む。

残念ながら著者は4年前に亡くなっているよう。
いかにもな「江戸っ子ぶり」で披露される「教養」にふむふむ。

この種の「知性」がもっと一般的になれば
わが国の「民度」もマシになるだろうにと思われる内容。

「文化の洗練」のためには「放蕩」が必要なことをあらためて思わせる。
「富の偏在」もそれならOKと言いたいところ。

近藤正高「タモリと戦後ニッポン」を読む。

タモリの祖父が「満州がらみ」だったことを初めて知る。
なるほど唐十郎の芝居のモノマネに「リアリティー」があったのはそのためか。

昭和二十年(1945)生まれだから今年で71になるはず。
最低あと十年は「現役」だと根拠なく思う。

「個人の歴史」にいわゆる「大文字の歴史」を重ねるというパターン。
自分の知識と比べて「そうだったそうだった」と思い返しつつ楽しく読んだ次第。

マルセル・カルネ「北ホテル」(’38)を観る。

「わけありの大人」であるルイ・ジューヴェが「子ども」のアナベラに魅せられるお話。
アルレッティの「ダメ女ぶり」がなかなか。

アンドレ・ブリュノーとジャンヌ・マルカン夫婦の「やさしさ」よ。
当時から「不倫もゲイも当たり前」なのがいかにもなフランス風。

ジャン・コクトー「オルフェ」(’50)を観る。

「死神」マリア・カザレスの妖しさと「俗流詩人」ジャン・マレーの端正の対照。
「運転手」フランソワ・ペリエと「詩人の妻」マリー・デアの純情。

「異界への入り口」としての「鏡」と逆回しの撮影などにふむふむ。
「断念」という形の「愛情」がくっきりと。

いずれの作品もすべてをわかっているはずの者たちが
実はわかっていない存在であることを表した内容だと思っていいのか。

いや敢えてする「破滅の美学」だという方が適切だとしておく。
至極簡単に言うなら「相手の気持ちあるいは幸福を優先すること」。

「現代の常識」から「遠く離れた考え方」が「ロマンチック」であった時代を知ろう。
コメント
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