退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「懐の深さあるいは計り知れない世界」について

2016-04-16 02:36:58 | Weblog
快晴。やや風が吹く。

マーティン・ガードナー
「ガードナーの不思議な最終講義」を読む。

科学・疑似科学・数学・論理学・文学・宗教・政治に関するエッセイ。
興味深いものもあるけれど疑似科学との「お付き合い」の深さに驚く。

「超常現象の研究者」の中には真面目にやっている人々もいるが
どうやら「信じやすい人たち」でもあるらしい。

「バカバカしい」と一蹴しない著者の根気強さに感心した次第。
認めるべきものは認めるという姿勢は今となっては貴重なものか。

それと同時に欧米人たちの「神」に対する「執着」を再確認する。
「八百万の神」が基本であるわれわれには「一神教」のそれが不思議だったり。

もっともこちらにも「無条件の前提」があるのだから
「お互い様」というあたりが穏当かもしれない。

さて。

「熊本地震」は繰り返し起きる大きな余震が特徴で
揺れそのものはどうやら九州全土に広がっている模様。

被災地の人々の神経がもつのかどうかが心配なところ。
「安心して眠れる夜」が一刻も早く来ますように。

一瞬にして日常が非日常に変わる怖ろしさよ。
世界が残酷な裂け目を見せることを知っておこう。

「寿命」という短い時間感覚では計り知れない変動がある。
そのからくりを十全に知ることのできないわれわれは「謙虚」であるよりなく。

いたずらな「意味付け」をする前にその「事実」を。
できればそれを「共通前提」としたい。
コメント
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