退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「誰がために『アルゴリズム』は成る」ということについて

2016-04-19 03:00:46 | Weblog
くもりのち晴れ。パラパラ小雨も。

クリストファー・スタイナー「アルゴリズムが世界を支配する」を読む。

ウォール街に新たな「方法」を持ち込み大金を稼いだのはプログラマー。
その元は数学の歴史でライプニッツ、ガウス、パスカル、ベルヌーイ、ブールなど。

バッハの「エッセンス」を知ったプログラムは素敵な音楽を作り
ビートルズ「a hard day's night」冒頭のギターの謎も解き。

埋もれていた野球選手を見出したり患者の診断をしたりするプログラムも。
いずれもどうやら従来の人間の能力を超えた「正確さ」を持っている模様。

とはいえ2010年5月6日にはアメリカの株式市場で1兆ドルが吹き飛んだ事件もあり。
「人智を超えた世界」でもときどき「恐慌」は起こるらしい。

九州の被災地での物資配給の混乱ぶりを思うと
それを解決するために本書で紹介された「方法」を役立てたいものだと思うことしきり。

余震のせいでボランティアが現地に入るのを自粛している現在
その種のプログラムを書こうという人間はいないのだろうか。

もちろん自分はこうしたことに関する素人ではあるけれど
本書を読んだ限りでは十分に可能なこだと思うのだが如何。

一時期は「給料のよさ」に惹かれてウォール街に集まったプログラマーたちも
やがては自らの仕事に意味を見いだせなくなって別の仕事をし始めたように。

「ビッグデータ」同様
「他人のためになること」に応用していただきたい「技術」ではある。

人が「落ち着いた暮らし」を維持するための貨幣量はたかが知れたもののはず。
いたずらに「数字を増やすゲーム」をし続けるのは「貧しい」のだと言っておく。

もっともその程度のことに気付かないのだとすれば
それはむしろ「当人の頭の中身」を疑わせるわけで。

世の中に「ゲーム」が腐るほどあるのは確か。
そろそろ「本格的なゲーム」を始める時期ではないか。

「与えられた自己満足のみのゲーム」から「自らが作り出す他人のためのゲーム」へ。
おそらくは「賞賛」という「最高の栄誉」が得られるはずだから。
コメント
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