小幡憲仁 議会活動日記

よく考える政治!
20年後の高浜をイメージし、今の政治を考える。

台風23号の被害

2004年10月21日 | 議会活動報告
朝から家の周りの瓦やポリカーボネート板を片付けし、物置を元に戻したりしました。
その後、和田地区内を中心に町内の被害状況を見て回りました。風による影響は、青戸区と安土区周辺に多く発生しております。何れも和田地区内では強風スポットとして知られた地区です。作業小屋や物置などに大きな被害が発生しておりますが、住宅は一部損壊はありますが倒壊した家屋等はなく、直ちに生活が出来ないといった状況は和田地区を見た限りでは無いようです。しかしながら、住宅の一部損壊も数多く発生しており、車両の破損、陸揚げした船舶の転倒、看板類の破損など大きな被害が出ました。
午後からは、役場で議員会が開催されて、高浜町内の被害状況や対応状況について説明を受けました。被害の実績報告も受けましたが、まだ調査段階にあるため報告数は実際の数よりも少ないと思いますが、浸水家屋や、倒壊家屋も発生していました。道路も内浦方面を中心に8箇所の土砂崩れがあり、山中方面は全面通行止めとなっており、高浜からは舞鶴市を経由しないと行けない状況にあります。役場としても懸命の復旧作業に努めている旨の説明がありました。

今回の台風23号は、マスコミ報道にもある通り、高浜町にも大きな被害をもたらしましたが全国的にたいへんな被害が発生しております。災害復旧の予算措置なども気になりますが、それよりも近年の自然災害の多発状態の方がもっと気になります。
災害は忘れた頃にやってくると、昔は気の緩みを戒めていましたが、気が緩んでいる暇がないほどの多発振りです。猛暑に続き、スコールのような豪雨、台風は次から次へ上陸する。日本は熱帯気候に近づいているのでしょうか。

(写真は台風で折れてしまった、高浜町の天然記念物の大銀杏の枝を片付ける氏子総代の方々)

インターネットの使用不可

2004年10月20日 | その他
台風23号の影響でインターネットの接続が出来なくなり、暫く日記の更新が出来ませんでした。アクセスいただいた方には申し訳ございません。
NTTの光ファイバーの断線と基地局の水害が原因とのことです。もともとインターネットはアメリカの軍事用ネットワークから始まったと聞いています。ワールドワイドウエブ(WWW)という世界規模のコンピューターネットワークによって情報がやりとりされています。ウエブとは「クモの巣」という意味で、クモの巣のように張り巡らせたネットワークによって一つの回線が途切れても他の回線を通じて通信できる利点があると理解していたのですが…。

台風23号が上陸し、高浜にも大きな被害が出ているようです。現時点で被害状況は分かりませんが、被害を受けられた方々にはお見舞い申しあげます。
夕方6時過ぎに、高浜発電所から安土方面へ向かいました。途中、三松駅周辺と高浜駅周辺部が相当水に浸かっているのを確認しました。安土区付近の県道は更に水に浸かっており、1台の軽自動車が走行不能となって放置されているのを確認しました。(人影は無い)私の車はジムニーで、多少の悪路でも走破できると思っていますが、それでもそれ以上の走行はやめておきました。
暫く、周辺部を見て回っていましたが、「自宅の瓦が風で落ちている」との電話連絡を受け、家に戻りました。青戸区は物凄い風で危険を感じたのでその後は家の中にいることとしました。
台風が過ぎるまでは東の風、台風が過ぎた後は北西の風が猛烈に吹きました。風の被害としては、屋根瓦が10枚程度とテラスのポリカーボネート板(大判)が3枚飛ばされ、物置と庭木が倒されました。被害は全て東の風で発生しました。
これ程強い風は青戸区に住んで初めての経験です。家の一部に損害が出ましたが、全員無事だったので「良し」とします。

(写真は風で台座からずれた漁船:翌日に撮影)

厚生文教常任委員会視察研修:2日目

2004年10月19日 | 研修報告
視察研修2日目です。今日は「かんでんエルハート」を視察いたしました。
「かんでんエルハート」は、関西電力が大阪市と大阪府とで第3セクター方式で設立した「重度障害者多数雇用事業所」です。ここでは、約90名の知的障害者・身体障害者を雇用し、様々な事業を展開されています。
事業内容としては、ヘルスケア、電話受付サービス、デザイン印刷・製本、データサービス、花の栽培・花壇保守、商品の箱詰め・ラッピング、メールサービスなど多種多様に及び、障害の程度によって最も適した業務にそれぞれ従事されています。

印象的だったのは、とにかく皆さんが明るく活き活きと仕事をされているということです。一生懸命業務に打ち込む姿や、施設の紹介ビデオなどを拝見し非常に感動し、胸に熱いものがこみ上げてきました。
強く感じたことは、ここは、ただ単に障害者に雇用の機会を与えるだけの場ではないということです。れっきとした株式会社であり、確かに健常者と比べると少しハンデがありますので、その部分を補うことは必要でありますが、それ以外では完全に会社のビジネスとして成り立っています。だから、従業員にあのような活気があるのだと思いました。

参与の戸田氏の講演も聞かせていただきました。自らも重度のダウン症の子どもの父親でもある戸田氏の、非常に熱意のこもった講演でした。以下にほんの一部をランダムに紹介します。(但し、私の勝手な解釈が入っております)

日本はまだまだ欧米に比べると障害者を受け入れる社会とはなっていません。理由のひとつに日本はこの60年間戦争を経験しておりませんが、アメリカ・イギリスなどは戦争によって障害者となった傷痍軍人の数が多いこともあって、国が障害者を社会的に受け入れる政策を積極的に進めてきたという背景があります。しかし、日本でも交通戦争という名の戦争で障害者となる方も多いのであり、バリアフリーの社会の実現が求められます。

障害とはいったいどういうことでしょうか。例えば目が見えないことは障害なのでしょうか。生まれつき目が見えない人にとっては、目が見えるということがどんなものかは分かりませんのでこのことだけでは障害とはいえないかもしれません。しかし目がみえないことによって、みんなと同じ生活ができない不自由があるのなら、それは障害となります。
みんなと同じ生活が出来ないというのはどういうことか。私はかなりの近眼ですから、眼鏡がないと非常に不自由を感じます。これもある意味では障害です。しかし眼鏡をすれば普通の生活が出来ますので障害とはなりません。そういう意味で、足が不自由な方も車椅子があれば自由に移動することが出来ますので、程度の差はありますが本質的には同じことと言えます。
ただし、今まで私たちは眼鏡は作ってきましたが、車椅子で自由に移動可能な社会は作ってこなかったので、私は健常者といえますが、車椅子の方は障害者となってしまっているのではないのでしょうか。

たとえば段差を無くす。これは障害者の方のためだけではありません。私の家には段差がありません。おかげで子どもがつまづいてころぶこともありませんし、電気を消しても(段差がある)実家と比べてはるかに気軽に暗闇を移動することができます。
歩道の段差が解消されればベビーカーのお母さんが非常に助かりますし、お年寄りにとってもありがたいことです。電車やエレベーターや信号機などの音声アナウンスは、元々は目の不自由な方のためのものだったかもしれませんが、健常者にとっても大いに役立っています。バリヤフリーというのは全ての人にメリットをもたらし、住みよい環境を提供するのです。(以上、講演内容の紹介)

私にとって、今回の「かんでんエルハート」の視察は非常に大きな意味のあるものでした。
私の乏しい表現力ではこの気持ちは上手く伝えられませんが、私に対して、自分たちが取り組んでいる仕事を一生懸命説明している真摯な眼差しに接して、自分が政治の道に進んだことに喜びを感じるとともに体に気合が入っていくのを感じました。

(写真は、印刷機の仕組みを手話で説明してくれた聴覚障害の従業員の方です。車椅子の女性が手話を同時通訳してくれましたので説明がよく理解できました。写真が1枚しか掲載できないので残念です。)


厚生文教常任委員会視察研修:1日目

2004年10月18日 | 研修報告
議会の厚生文教常任委員会で、大阪方面に1泊2日で視察に行ってまいりました。
1日目は、社会福祉法人「桃林会(とうりんかい)」の特別養護老人ホーム「とりかい白鷺園(大阪府摂津市)」を見学し、その後、桃林会の理事長他と意見交換を行いました。
高浜町では、和田駅南側の高台に特別養護老人ホーム「高浜けいあいの里」が来年6月のオープンを目指して建設が始まっていますが、この特別養護老人ホームの実質的な事業主が「桃林会」であることから、桃林会が大阪で運営する施設を事前に研修しておきたいと思い、田中委員長とも相談して(私は副委員長)、今回の視察先に選定したものです。

とりかい白鷺園は、100床の特別養護老人ホームです。個室、二人部屋、四人部屋が混在する施設で、100名の定員を8ユニットに分けて、1ユニット12~4名で入居されています。最近のユニット形式の管理手法をとられていますが、全て個室というわけではないので完全なユニットケア方式というものではありません。建物は、何度か増築を繰り返しておりますが、上手くレイアウトされていると感じましたし、建物内もきれいに改装されており、職員の態度もキビキビして好感が持てました。

*ユニットケア方式とは、居室は全て個室として約10室程度をひとつのユニットとして入居することになる。リビングスペースやダイニングスペースはこのユニットごとに設置されており、極端な表現をすれば10名定員の特別養護老人ホームがいくつも集まった集合体のような方式です。入居者にとっては家庭的な雰囲気が味わえるが、その分、コストは高くつくのでホテルコストといわれる費用を入居者に負担させることになる。(高浜町の「けいあいの里」はこの方式)

実際今回の視察をするまで私としては、大阪の事業者が高浜で老人ホームを始める訳であり、そして私自身その事業者を全く知らないこともあって、一抹の不安を感じていましたが、理事長とも十分な意見交換もできましたし、そうした不安は一応払拭することができました。(写真は老人ホームの受付カウンター付近)

えひめ町並博2004視察:2日目

2004年10月17日 | 研修報告
視察2日目です。今日は昭和のレトロタウンを再現した大洲市の会場を見学しました。
大洲市では、昔の商店街を再現したレトロな町並みに、特別展示として昭和の懐かしい世界が楽しめる「ポコペン横丁」と題した、駄菓子屋などが並ぶ商店街が展示されています。
私が子どもの頃の懐かしい品々が、所狭しと展示・販売されています。子どもを連れてきて「お父さんが子どもの頃はこんなだった」と教えてやりたいと感じましたし、また、私の母親がこの展示を見ても、きっと私を育てていた頃を思い出し楽しめたと思います。幅広い年代が楽しむことのできる展示です。また、会場の一角では簡単な特設ステージで地元のバンドが生演奏をしていましたし、特設の駄菓子屋なども実に簡単なつくりで、そう費用はかかっていないのですが、それが逆に子どもの頃、決して豊かではなかったですがそれでも楽しかった時代を懐かしく思い出すことができます。とにかくもの凄い人出で、こんなリーズナブルなイベントがあるのかと感心しました。

この他に、福井市出身の石井美千子さんによる「昭和のこどもたち」と題した人形展が開催されていました。これは、昭和の暮らしの中にあった光景を、子どもたちの人形とジオラマで上手く再現し、この作品を展示してあります。作品のひとつひとつをじっくり見て回りましたが、懐かしさでいっぱいになります。以前、福井新聞本社でミニ個展のような展示を見て以来のファンだったので、非常にラッキーでした。おまけに石井さん本人が会場に居られたので、お話を伺うこともできました。福井の橘曙覧記念館(たちばなあけみ:楽しみは・・・で始まる詩で有名で私は以前から橘曙覧のファンでもあります)で、橘曙覧の詩にちなんだ作品を手がけているとお聞ききいたしました。(写真:石井美千子さんと)今度、見に行こうと思います。

愛媛は非常に遠距離でもあり、少しハードな2日間の「えひめ博」視察でしたが、博覧会だけに限らず、非常に多くの得るものがありました。遠路はるばる行った甲斐があったというものです。今回の研修を企画してくれた知人に感謝します。

えひめ町並博2004視察:1日目

2004年10月16日 | 研修報告
えひめ町並博に知人と視察(自費)に行ってまいりました。
えひめ町並博とは、愛媛県の南予地域には懐かしい町並みが残っておりますが、そうした地域(大洲・内子・宇和)を舞台にパビリオンのない旅の博覧会をコンセプトとして開催されています。開催期間は4月29日から10月31日の約6ヶ月間となっています。1日目の今日は、内子会場にやってきました。

愛媛県内子町は、明治の初めに和ロウソクの生産で非常に栄えた町です。和ろうそくは鬢付油などにも使われる木蝋というものを原料として、1本1本手作りで生産されます。今でも少数ですが生産され現地で販売されていました。洋ロウソク(普通、各家庭で使っているロウソクは洋ロウソク)と違って、芯が太くロウソクの液はこの芯に吸収されながら燃えるため、全くロウソクの液が周りにたれてきません。非常に安定した炎に見とれてしまいます。

内子町には白壁造りの伝統的な建築物が多く残っており、文化庁の重要伝統的建造物郡の指定を受けて、この古い町並みの再生をはかっています。そしてこの白壁の町並みを観光資源として、町づくりに活かし、今では四国有数の観光地として活況を呈しております。

えひめ町並博における内子の中心的なイベントが「内子座芸能撰集」と「内子倶楽部」です。
このうち、内子倶楽部のイベントに参加しました。これは、国の重要文化財に指定されている木蝋商・本芳我(ほんはが)家の分家の一つである上芳我邸を舞台に、内子座芸能撰集に参加するアーティストのミニコンサートや懐石弁当を楽しみ、ライトアップされた中庭でカクテルパーティーを楽しむというものです。費用は1名当たり1万円に設定されていました。
今日は、邸宅の2階でバイオリニスト寺井尚子さんのトークセッションを楽しみ、食事の後はライトアップされた中庭で地元のゴスペラチームの唄を聞きながら(写真)地酒を楽しみました。

特別な夜を楽しんだという印象が強く残りました。また、例えばアーティストについてもわざわざこのイベントのために呼んでいるのではなく、翌日に「内子座芸能撰集」のイベントに出演するアーティストを使っていますし、重要文化財である邸宅の内部や庭などを非常に上手く使っており、プロデュースが素晴らしいなと感じました。

アーティストの使い方も合理的でスタッフも必要最小限度で運営されており、あまり経費もかかっていないと思います。(きっと採算もとれているのでは・・・)それでいて、観光振興や内子ブランドのイメージアップにも十分貢献しており、企画ひとつでこうしたイベントができるのだということが理解できました。

広報特別委員会

2004年10月15日 | 議会活動報告
広報特別委員会に出席しました。議会だより第80号の編集会議としては今日で最後になります。
ゲラ刷りの最終校正と、ページレイアウトの修正、写真の配置決めなどを実施しました。あとは私が最終チェックを行い、印刷を開始することになります。
10月22日には各区長さん宅へ定例配布物と一緒に届く予定となっています。

明日から2日間(土・日)は、個人的に愛媛の町並み博の視察に行きますので活動日記の更新が出来ません。また、続けて月・火曜日は議会の厚生文教常任委員会で大阪方面へ視察研修に行きますので、場合によっては(日曜日の夜、時間が無ければ)、数日間日記が更新されないかもしれませんがご容赦願います。


和田新宮神社例祭

2004年10月14日 | その他
今日は和田新宮神社の秋の例大祭です。地元の青戸区の神輿の担ぎ手として参加いたしました。
朝の8時過ぎには青戸区の宿元を出発し、和田地区内を巡行しつつ新宮神社に2時過ぎに入りました。各区の宿元で休憩するたびにお酒や肴の振舞いを受けますので、1日トータルすると相当量の飲酒量になります。そしてその状態のままで4時前には神社を出て、和田浜の海で肩まで海に入って神輿を練ることになりますので、かなりエキサイティングな状況になります。

そして夜は散会ということで、昨夜の宵宮と同じように酒を酌み交わします。この2日間は、毎年のことですが相当な量の酒を飲むことになってしまいます。
おまけに、普段、体を動かしていないので体のあちこちが痛みます。

第126回若狭消防組合議会定例会

2004年10月13日 | 議会活動報告
若狭消防組合議会の定例会に出席しました。
本定例会に提案された議案は、平成15年度若狭消防組合一般会計決算認定と平成16年度一般会計補正予算です。何れも慎重審議の結果、全員賛成で議決いたしました。
今回の議案審議で私が注目したのは、救命救急士についてです。以下に少し紹介いたします。

救命救急士は、平成3年4月に救命救急士法が施行されて誕生した資格ですが、若狭消防組合で救命救急士を養成したのは平成6年度からです。その後、平成8年度に若狭消防署に高規格救急車(救命救急士が乗車して、救命行為を行うことができる器具を装備した救急自動車)が配備され、高浜分署、上中分署にも順次配備されてきました。(大飯、名田庄は今後配備する計画)
救命救急士も平成6年度以降計画的に養成を続け、平成15年度末では12名を養成し今年度に更に2名を養成することになります。

平成15年4月に救命救急士法が改正され、除細動(心停止患者への電気ショック)を医師の指示なしで実施できるようになり、平成16年3月の法改正で(施行は7月)、救命救急士が気管内チューブによる気道確保を実施できるようになりました。

除細動の実施にはメディカルコントロール体制(医師の包括的指示体制)の整備が必要であり、気管内チューブ挿管には一定時間の講習の受講や、気管内挿管を医師の指導のもと実際に30症例以上の経験を積むなどの実績が必要です。
当然、こうしたことには予算が必要であり、今後とも救命救急士の養成等には多くの予算が必要です。しかし、こうした予算というのは、最優先に捻出しなければならない種類の予算であることはいうまでもないことです。

夜、明日の新宮神社例祭の宵宮の席に参加させていただきました。この日記のことや他にも様々な貴重な意見を拝聴しました。

広報特別委員会

2004年10月12日 | 議会活動報告
広報特別委員会(議会だより編集委員会)に出席しました。各議員から提出された原稿について、前回の委員会で読み合わせしたものがゲラ刷りとなって出来上がったので原稿との照合と、再度、文章的に問題ないかをチェックしました。また、先日の委員会に間に合わなかった原稿についても、本日、1回目の読み合わせを実施しました。
丸一日、原稿を読んで文章をチェックしていたので、夕方には疲労困憊で目はショボショボです。
自宅に帰り、久しぶりに「おおたか静流(・・・のファンです。)」のCDを、1時間以上にわたって疲れた目を閉じて聞き入りました。おかげで少し疲れが取れました。

先日、アマゾンで注文していた本「協働社会をつくる条例(自治基本条例・市民参加条例・市民協働支援条例の考え方)」が、自宅に届きました。最近は大抵の本を自宅に居ながらインターネットで簡単に注文出来ます。実に便利な世の中です。

9月定例会の一般質問の中でも、一例としてニセコ町の「まちづくり基本条例」を紹介しましたが、最近では住民自治意識の高まりを受けて、全国各地で自治基本条例や市民参加条例などを制定する動きが広まっています。
この本は、そうした自治体の条例の条文を参考としながら自治基本条例の作成を手助けする参考図書です。そこで、高浜町でもこうしたことが実現できないか模索してみようと思い購入した訳です。
もちろん、自治基本条例をつくることは、単に条例案文を作成することではなく、住民自治を基本としたまちづくりが出来る仕組みをつくり、その仕組みを動かすことであり、これには膨大なエネルギーが必要なことも分かっております。
しかし、だからといって何もしないではなく、何かのきっかけにならないかとあれこれ考えているという次第です。