小幡憲仁 議会活動日記

よく考える政治!
20年後の高浜をイメージし、今の政治を考える。

漁火想(日記その2)

2004年07月31日 | その他
城山公園付近で開催された漁火想を家族で見物しました。
水中花火が大迫力です。櫓龍(やぐらドラゴン)も、ショーアップされていて、見応えがありました。
ところで、入手困難な(?)はずの「櫓龍手ぬぐい」を娘の首に巻いて出かけましたが、誰も気づいてくれませんでした。
いずれも夏らしい熱気を感じるイベントで、非常に良かったのですが、水ロウソクの幽玄な炎との相性はどうかなと、少し感じました。

この日記は町外の読者も多いので、漁火想の様子をお伝えすべくこの記事を追加しました。

(写真は水中花火の様子です。いい写真が撮れたと思っています。)

労働組合定時大会

2004年07月31日 | 活動日記
関西電力労働組合大飯支部の定時大会が大飯町の悠久館で開催され、来賓として出席し挨拶させていただきました。
大飯町長も出席されておられました。町長の挨拶で、大飯町は今まで原子力発電所と共に歩んできた。今後、時代が変遷し世の中が変わろうとも、この共生関係を続けていきたい、との心強い言葉がありました。

私の挨拶要旨は次の通りです。

昨年4月の統一地方選で町政の場に送り出していただいてから早や1年3ヶ月が経過し、5回の定例会を経験しました。当選後間もない頃は分からないことも多く苦労しましたが、自分なりに勉強を重ねて、これまでに一般質問を4回実施し、議会審議でも質問や提言をしております。

議員の仕事は、行政や財政の重要事項について最終決定することと、行政の監視をすることです。そのためには、議員には政策を把握しておくことと政策能力が求められますので日々努力しなければなりません。
これとあわせて大切なことが、議員活動の情報公開と説明責任です。ご支援いただいた方々に、自分の活動を説明していくことは議員の責務だと考えています。
このため、議会報告会の開催や、議会レポートの定期発行、最近ではインターネットを利用した日々の活動報告を続けております。また、あったことをお伝えするだけではなく、自分の考え方なども織り交ぜてお伝えするように努めております。

一方、皆様のご意見を行政に伝えることも大切な仕事です。皆様から頂いたご意見は、その内容に基づいて、一般質問を始めとした、いろいろなチャンネルで必ず提言しております。皆様からのご意見であれば、行政に提言するにしても、一層、使命感も出てまいりますので、ぜひご意見を聞かせていただきたいと思います。
まだまだ力不足ですが、皆様の期待に少しでも応えられるよう、一生懸命がんばっておりますので、今後とも変わらぬご支援をお願いします。

QCサークル

2004年07月30日 | その他
会社(高浜発電所)のQCサークル発表会に参加し、各課代表サークルの活動成果を聞きました。
QCサークル活動とは、同じ職場で働く小グループが、職場の問題を、QC手法という科学的な手法を用いて改善していく活動のことです。この活動のメリットは、改善活動を通じて現場の改善のみならず、職場の一体感や、従業員の経営への参画意識の醸成が図られることです。
トヨタを世界的な企業に育てあげた原動力ともいわれています。

高浜発電所ではこのQCサークル活動を既に20年以上継続しており、発表会も今回で31回目を数えます。
私がQCサークル活動の一番のメリットだと思うのは、QCサークル活動を知っていると問題解決に当たって、論理的に取り組めるようになる点です。
例えば何か問題が発生した時、関係者を集めて再発防止を訓示しても、必ず同じ問題は発生します。訓示では問題の発生原因が除去できないからです。
これがQCでは、まず問題の把握から始めます。問題そのもののメカニズムや、起こった問題の過去の発生状況はどうか、他部門では発生していないのか、増加傾向にあるのかなどを問題の種類別に調べます。
次に、ではなぜそのような問題が発生したのか原因を調べます。なぜそうなったか、なぜそうなったか…を根本原因が分かるまで何度も繰り返します。そして、徹底的に掘り下げて分かった原因に対する対策を考えます。考えた対策は効果やコスト面で評価し、本当に効果のあるものだけをチョイスして実施します。
対策実施後は、再び同じ問題が発生しないか経過を確認します。そして、その効果が将来も継続するようしっかりと歯止めを講じておきます。ここまでやって初めて問題解決となります。まわりくどいようですが、一番の早道です。
QCサークル活動によって、こうした考え方が自然に身に付きます。普段の仕事でも常に論理的に取り組むようになります。

本日の発表会でも、様々な活動成果が発表されました。こうした地道な活動の積み重ねが、原子力発電所の安全安定運転に繋がっていきます。


舞鶴市議会との振興協議会

2004年07月29日 | 議会活動報告
舞鶴市議会との振興協議会が「マーレたかた」で開催され、参加しました。
ご承知の通り、高浜町は福井県にありますが、町民の多くは、古くから舞鶴市の方を向いて生活してきました。例えば私は幼少時代、非常に病弱で、年中入院と通院の繰り返しでしたが、全て舞鶴市内の病院に通っていましたし、小学校時代はそろばん塾に通っていましたが、検定試験は舞鶴商工会議所で行われていましたので、東舞鶴駅から歩いて試験会場に通ったものです。また休日に、父親に連れていってもらうのは、いつも五条通りにあるマージャン屋で、1日中その店でマンガを読んで過ごしていました。
中学校になると当時VANジャケットが流行し、空前のトラッドブームで、私もVANジャケットの服に憧れ、八島通りのドラムというお店へ服を買いに行ったことを覚えています。(今でもトラッド派)

思えば、福井県の西の端の高浜町民である私が、東の方向を初めて意識したのは高校の受験でした。ひょっとすると、私が初めて小浜へ行ったのは若狭高校の受験かもしれません。東舞鶴の地理は良く知っていましたが、若狭高校までの道順は全く知らなかったのです。(そういえば当時、舞鶴工専を受験するか迷っていた)ましてや、県都福井へ行ったのは就職してからですし、(高浜の子供が出かける都会は京都)福井の方言を初めて聞いた時は非常に違和感を覚えました。

これ程、高浜町民は舞鶴市と密接な関係がありました。しかも、高浜を取巻く昨今の市町村合併の状況です。福井県と京都府という枠組みがあって合併などはできませんが、高浜町は舞鶴の方を向かないで、どこを向くのだとの思いもあっての舞鶴市議会との振興協議会です。今後、回を重ねて、より深い結びつきを持って高浜・舞鶴間の諸課題の解決に努力してまいります。

ボランティア

2004年07月28日 | 活動日記
福井豪雨の災害復旧ボランティアに参加しました。私が勤務する関西電力では、豪雨災害発生以降、連日(平日のみ)ボランティアを派遣しており、今日はその一員として参加したものです。
私たちは、今立町の1軒の民家を担当しました。昨日までの多数のボランティアや住民の懸命の復旧作業により、泥を屋外に搬出する作業は概ね終了していました。今日は、泥で汚れてしまった家屋をデッキブラシや雑巾で綺麗に清掃する作業に従事しました。本日十数名で作業した結果、家屋に付着した泥は、ほぼ除去することができました。
しかし、これで普段通り家に住めるようになるのかといえば、それは大きな間違いです。決して大げさではなく、その家の1階部分は骨組みと一部の壁が残っているだけで、他に生活に必要なものは一切何もないのです。
これからサッシ屋、建具屋、畳屋、電気屋、大工、家具屋など、様々な業者に入ってもらわなければ住居としての機能は戻りません。

ところで、作業の合間に、この家のご主人に当日の様子をお聞きしました。
朴訥と話されるので「ああそうでしたか」などと簡単に相槌を打っていましたが、改めて考えると壮絶な内容です。
始め、玄関付近が水に浸かりだしたので、これはまずいなと思っていたら、その数分後に、物凄い量の泥水が玄関付近から家屋内に浸入してきたそうです。一瞬の出来事で、ご主人は、とにかく傍にいた年老いた母親を抱えて、水流に流されないよう柱にしがみつくのが精一杯だったそうです。随分泥水も飲んでしまったが特に腹は痛くならなかった、などと笑いながらおっしゃっていました。
一体、自分の家の中で、溺れそうになって柱にしがみつくなんてことの想像がつくでしょうか。帰ってから、我家ならどこにしがみ付くのかなと、廻りを見渡してしまいました。
柱にしがみついている間に、流木などがご主人の背中に何度もぶつかったそうです。周りで家財道具が、どんどん流されていくのを、なすすべもなく見守るしかなかったそうです。
この浸水が終わって、1階で残ったものは大きな仏壇(非常に立派な仏壇)だけでした。後は、乗用車2台を含め全て流されたそうです。家族が流されなかったことだけが不幸中の幸いです。なにしろ、向かいの家は、ご主人が流されたわけですから。(その後救助された)

福井豪雨は大災害です。最大限の手助けが必要です。

(写真は作業開始前のミーティング風景)

福祉の質

2004年07月27日 | その他
今日、某所でグループホームのスタッフと、短い時間でしたが話す機会を持ちました。互いに少し酔っていましたので、おもしろい話ができました。
グループホームでの現場の話しや、仕事に対する不満、やりがいなど、幅広い話題で盛り上がりました。
老人福祉において、例えば介護保険の上では同じ内容とされる仕事でも、それに従事する人の実力で、サービスを受ける側の満足度は全く違ってきます。しかし、当然、支払われる報酬に違いはありませんし、働く側にとっても実力の違いによって受け取る賃金に差は出ないとのことです。
福祉にとって最も大切なことは、従事する人の質だという記事を、最近読んだばかりだったので興味深い話でした。

7月議員会

2004年07月26日 | 議会活動報告
7月議員会がありました。高浜町議会では、定例議会(3,6,9,12月)や臨時議会(必要の都度)が開催されない月は、議員会を開催します。今日の議員会では特段議論する課題はありませんでしたが、理事者から特別養護老人ホームと市町村合併に関して近況報告がありました。
議員会終了後、高志会のメンバーで当面の課題について意見交換しました。

夕方、所用のため某特別養護老人ホームを訪問しました。
ここでお聞きして初めて知ったのですが、最近の特別養護老人ホームでは、ユニットケアという方式を採っているそうです。
この方式は、利用者の方々が自宅におられた時と同じように生活していただけるよう、グループ分けして小規模化し、職員と利用者が生活を共にするような、家庭的なケアを行おうというものです。
「ユニットケア」とは「小規模ケア」というような意味で、ケアの規模が小さい、ということではなく、ケアの対象の規模が小さいという意味です。今までのやり方では、例えば50人の利用者の方を8人のスタッフでケアしていたとするなら、ユニットケアは10人ずつ5つのグループに、それぞれ2人程度のスタッフが専属する、というような形となります。いろいろなメリットがあるようですが、デメリットも含めて、今後調べてみたいと思います。

 


小浜市長選挙

2004年07月25日 | その他
小浜市長選挙が行われました。結果はご承知の通り、現職の村上利夫氏が新人の杓子明氏を3,643票差で破り再選を果たされました。

今回、杓子明氏の立候補決意により選挙戦となりました。互いが、市民に政策を訴えて市民の判断を仰ぐ、民主主義にとって非常に大切なことだと思います。無投票で首長が選ばれていく市町村が少なくない中で、小浜市民に市政を顧み、市長を自らが選ぶ機会を提供した杓子氏に敬意を表したいと思います。

炎の渚

2004年07月24日 | その他
和田海岸で「炎の渚」イベントが開催され、ロウソクの点火に娘と参加しました。

あの広い和田浜に、約3,000個のキャンドルを並べて点灯し、ロウソクの幽玄な炎で浜を埋め尽くします。この催しは昨年から始めて今年で2年目になりますが、今後も継続して夏の和田浜の風物詩のひとつに育ててほしいと思います。
ロウソクの点灯には観光客も参加して行ったので3,000個のキャンドルも瞬く間に着火できました。
キャンドルを見ながら思いましたが、例えばこの日だけは、打ち上げ花火などは禁止して(線香花火などのみに限定)、周囲の照明も少し照度を落とすなどすると一層風情がでるかもしれません。また、浜茶屋もキャンドルやランプの明かりだけで商売してみるのもおもしろいかもしれません。
床机に蚊取り線香を用意し、風呂上りに浴衣で涼みながらキャンドルをゆっくりと眺められたら最高だな、と考えながら娘と歩いていました。

ロウソクの炎はとても癒しの効果があります。以前、日記にも書いた「町屋と人形さまの町おこし」で有名な村上市も町屋の通りに竹筒にロウソクを灯して路沿いに並べ、同時に和太鼓の演奏などの催しを行い観光客から喜ばれています。町全体での雰囲気づくりは大切です。

*写真は炎の渚の素晴らしさをほとんど伝えていませんので、この写真だけで判断しないで下さい。



Deep Love

2004年07月23日 | 活動日記
大津プリンスホテルで開催された労働組合の定時大会に参加しました。先の参議院選挙で、民主党比例区でトップ当選された小林正夫氏も挨拶に来られていました。
小林氏の挨拶の中で、選挙遊説の移動で淡路島のホテルにチェックインした際に、ホテルのフロントの女性から「小林正夫さんですよね。私の家に小林さんのポスターが貼ってあります。本人に会えてビックリしました」と聞き、感動したと言っておられました。わかる気がしました。

途中から少し空き時間があったので、ホテル内の売店で話題の「DEEP LOVE」(第一部)を買って読みました。この本はご承知の方も多いと思いますが、渋谷の無名インディーズ作家がケータイサイトで発信した連載小説が、若い女性の間で話題になったものです。
読みやすく、内容が衝撃的だったのでホテルのロビーで一気に読んでしまいました。これは物語ですが、現代社会のある一面を正確に描写しているような気がして、非常に考えさせられる内容でした。大ベストセラーになったこともうなずけます。