小幡憲仁 議会活動日記

よく考える政治!
20年後の高浜をイメージし、今の政治を考える。

継続は力なり

2011年01月04日 | コラム
「継続は力なり」…私の好きな言葉です。

大きな成果を上げることは簡単に誰もが出来ることではありません。しかし毎日少しずつでもそれを長く続ければやがて大きな成果となります。

今日、道に落ちているゴミを拾ってあるくことは、やろうと思えば誰でも出来ることですから誇れる程の事でもありませんが、これを毎日30年間続けるとそれは偉業となります。

書道家の相田みつをの言葉に「毎日少しずつ それができねんだなあ」というのがあります。
継続することの難しさ、だからこそ継続することの尊さを、ひと言で見事に言い表した言葉だと思います。

こうした考え方は議員活動でも非常に大切な考え方だと思います。
私のように凡人は、自分の言葉の力で人を動かす、世の中を動かす力はとてもありません。しかし、これこそはと思うことを、それこそ何年間も言い続けると、例え凡庸な言葉でも、それが真実の言葉ならば人はきっと動かされると思います。社会は動くと思います。

より良い社会をつくりたいと考えるならば、くじけずあきらめず、続けることが大切であると思います。

どちらがマシかの民主主義

2009年02月23日 | コラム
夜、ある勉強会の後の雑談の中で、政権交代に関する話しをしました。少し中味を紹介します。

民主党への政権交代は確実で、今の政治情勢を変えるためにはこれも必要なことかもしれないとした上で、民主党に政権を任せるには次の不安があるとの意見がありました。

ひとつは教育について。教育政策に「日の丸・君が代」に反対する勢力の影響力が強くなるのではないか、それが心配。
ふたつは御皇室について。民主党の皇室に対するスタンスに不安がある。御皇室をないがしろにするのではないか、それが心配。
みっつめは国防について。現実離れした平和主義を唱える勢力によって国防が間違った方向に進んでいかないか、それが心配。

この意見に対し、私は以下の意見を述べました。

民主党がそのような政策を行うはずもありませんが、もし行ったら直ちに国民から選挙で「NO」を突きつけられて政権から引きずり下ろされるだけですから、心配はありません。
確かに民主党がそうした面について不安視されるのも理解できないではありません。時々バカみたいなことを発言するのもいますから。
でも、それなら今の自民・公明の連立体制に不安がないのでしょうか。良い意味での自民党らしさが急激に失われていっていると感じている人は決して少なくないと思います。こちらも不安はいっぱいです。
民主主義とは、いろいろな立場の人々の考え方の妥協点を見つけることだと思っています。従って、誰からも評価される政策や、政党などは絶対に存在しません。むしろ不満だらけの政策・政党ばかりだということです。
これを、どっちもどっちだと後ろ向きになるのではなく、どちらが良いかというよりも、どちらがマシかで選んでいくのが民主主義だということだと思っています。

歩く

2008年05月09日 | コラム
地方政治であれ国政であれ、議員の活動の基本は歩くことだといわれます。
議員が(政治活動として)有権者宅を戸別訪問することは議員活動の基本です。
国政をめざすならば何万軒とい訪問活動をするといいますし、市議会議員でも数千軒は訪ね歩くと聞きます。
訪問活動をしていると訪問先によっては必ずしも好意を示していただけるものでもありません。
従って、例えばそぼ降る雨の中を傘を差して訪問活動を続けていて、気分が滅入るような対応のお宅が何軒か続けば止めて帰りたくなります。
しかし、こうした経験は、後で振り返ってみると実に貴重な経験であり良い思い出となります。
議員同士でこの話題で話しをすると、共通の経験から会話が弾みますし仲間意識も出てくるものです。

雨ニモマケズ

2007年01月15日 | コラム
雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
・・・

ご存知の通り宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の最初の部分です。この詩には多くのファンが居ると思います。私もそのひとりです。
みんなに、でくのぼーと呼ばれるこの男のようになりたいと思ったものです。

しかし現実は、雨も風も雪も夏の暑さも苦手ですし、一日に玄米四合と味噌と少しの野菜では、ご飯が多すぎて食べきれませんし、おかずが少なすぎてとても耐えられません。
昨夜から再び発熱があり、朝も熱が引かなかったので大事をとって会社を休みました。丈夫なからだももっておりません。
とても「雨ニモマケズ」の男のようにはいかないなと、そんなことを布団の中で考えていました。




肝油ドロップ

2006年06月08日 | コラム
肝油をご存知ですか。子どもの頃毎日一粒ずつ食べたあの「肝油ドロップ」です。
夏休み前には学校の斡旋で缶入りを購入し、持って帰るやいなや1日か2日で全てたいらげてしまったことを思い出します。

この肝油ドロップには素敵な思い出があります。
この肝油ドロップは今でも保育所のおやつに出るそうです。四女が保育所に通っていた頃、保育所のおやつの話しになりました。そこで四女から肝油ドロップが今でも出されていることを聞きました。
私も肝油ドロップが好きでしたが、四女も大好きだそうです。そこでお父さんが肝油ドロップ好きだった先ほどの夏休みの話をしてやりました。
すると次の日、なんと四女は保育所のおやつの肝油ドロップ(一粒)を食べずに持ち帰って私にプレゼントしてくれたのです。
なんとも素敵なプレゼントでした。その一粒の肝油をかみしめて食べました。

クロオジカ(ストックとフローの話し)

2006年01月20日 | コラム
18、19日に参加した立地議会サミットの基調講演で聴いた内容の一部を紹介します。

20世紀の初頭、米国アリゾナ州のカイバブ高原に4千頭のクロオジカが生息していました。クロオジカは絶好のハンティングの標的です。ハンティングを存分に楽しむために狩猟愛好家はクロオジカを増やすことを考えます。そしてクロオジカの天敵であるピューマとコヨーテを大量に駆除しました。いかにもアメリカ人の考えそうなことです。

天敵駆除から20年、クロオジカは10万頭まで増えました。ところがその後2年間で40%が死滅し、その後も減り続け1万頭で安定したのです。死因は飢餓と病気です。

カイバブ高原が自然のサイクルの中(フロー)で養えるクロオジカの数は結局1万頭だったのです。それが以前は天敵などの原因で4千頭しかいませんでしたので、残り6千頭分は高原の肥沃な土壌などといった形でカイバブ高原にストックされていたのです。
一時的とはいえ、10万頭ものクロオジカを養えたのはこのストックのお陰でした。ストックを使い尽くした後は、フローで養える1万頭まで激減したのです。

今さらいうまでもありませんが、現在の人類の数は地球のフローで養える数を遥かに上回っており、ストックで養っている状況にあるということです。

高浜町の財政にも当てはまる話だなと聴いておりました。

一般質問とは

2005年10月04日 | コラム
佐賀市議会(議員定数34人)では、年間の一般質問者数が109人で全国の市議会の中で第4位だそうです。この9月定例会でも26人が一般質問し、5日間が充てられたそうです。
この市議会では「一般質問を行うのは当然のことで、やらないと議員じゃないような雰囲気さえある」とのことです。
(月間ガバナンス10月号より)

高浜町議会でも近年、一般質問者数は確実に増加しました。私が議員になる前の4年間(定例会16回)の一般質問者数は述べ78人です。議員定数は18人でした。
それが、私が議員になってこの2年半(定例会10回)で既に73人が一般質問しています。しかも議員定数は16人に減少しています。

私は議員になって2回目の定例会で一般質問を休みました。理由は情けないほど単純で、一般質問は毎回はしないものといった相場観が先入観としてあったので休んだのでした。
しかし、その定例会はなんとも物足りない感じがしましたし、罪悪感すら憶えました。それで、その後は相場の事は気にせずに毎回行っています。(他にも毎回する人が居たので気楽だったことは事実)

もちろん、回数を競うものではありませんが、3ヶ月に一度しか開かれない定例会ですから、一回休んだだけでも、約半年間は議員としての最大の権利である一般質問を行わないことになります。
一般質問とは、1時間(最長で)、行政の幹部全員が自分の質問に耳を傾け、答弁を考え、そしてその後の行政運営に少なからず活かされていくというものです。
しかもその様子を、町民が傍聴席やテレビ中継で見ているのです。これを活用しない手はないと思います。


納税制度

2005年05月24日 | コラム
サラリーマンは一般的に給与から天引き(源泉徴収制度)で所得税・地方税の納税を行います。
そして年末調整(家族異動や保険控除などの手続き)手続きを会社を通じて提出し納税額が確定します。この間、全く税務署との接点はありません。
私も20数年間、この方法で納税してきました。ところが、議員になってからは確定申告をする必要が生じましたので、最近では国税庁のHPから確定申告書を作成します。昨年のデータも保存されているので手続きそのものはそう複雑ではなく、あっけないくらいの手間で作成できます。ただ、確定申告をすると自分の1年間の納税額や社会保障費などを再確認することになります。これだけの額を納税しているのかと実感できます。既に段階的な廃止が決まっている所得税の定率減税の恩恵額にも関心が向きます。

年末調整だけで手続き済ませていた頃は、自分の納税額などにはほとんど関心がありませんでした。
政治は、極論すれば集める税金の額と使い道を決めることですから、納税額に関心が無いということは、とりもなおさず使い道にも関心がないということです。つまり政治そのものに関心がないということになるのです。
「今の源泉徴収制度を廃止して、全ての納税者が確定申告をする制度に切り替えるべき」との議論がありますが、本当にその通りだと思います。
もっと税金の使いみちに関心を持ってほしいものです。



議員としてのスタンス

2005年05月07日 | コラム
昨日、ある方から電話を頂きました。私の「議会REPORT」を読んで、わざわざ電話をかけてくださったのです。以前から私の「議会REPORT」を毎号興味深く読んでいただいており、私の議会活動の取り組み姿勢を評価していただき、一度じっくりと町政のことを聞かせて欲しいという内容でした。今まで会話を交わしたことがない方でしたので、私に電話をすることには躊躇もあったと思います。本当にありがとうございました。
また、昨日の日記でも少し紹介しましたが、ある町民の方からは町政に対する真摯なご提言を投書で頂戴しております。高浜町の将来を真剣に考えての提言であり、心から感謝するとともに必ず議会活動に生かしてまいります。

さて、その電話でも少し話題になりましたが、世間では私に反町長派議員というレッテルが貼られているということでした。(電話の方は私のスタンスを正確に理解していただいておりました。)
私自身はどんなレッテルを貼られていようが気にしませんが、少し勘違いされている方が意外に多いことを改めて感じましたので、私の基本的な考え方について少し触れておきます。

私たち議員の議会における主な仕事は、町長が提案してきた議案を審議することです。
私は今まで議案審議において、議案に対して意義があれば意義を唱えてきましたし、もし修正が必要なら修正しますし(但し、まだ修正したことはありません)、必要があれば付帯決議を付し、反対なら反対します。もちろん議案に賛成なら賛成します。(今までほとんどの議案に賛成して来ました。)
町長が提案する議案は全てが完璧で、全く意義を差し挟む余地がないということであれば別ですが、神様でもない限りそんなことはあり得ません。
従って、議会が正常に機能しておれば議論する過程で、時には修正なり否決なりという方向が出てくることは至極当然のことであります。
議案審議で、もしも議案の否決・修正・付帯決議などが一度も無いというのであれば、そんな議会は私に言わせれば議会の存在意義を疑います。
また、議案に対する批判的な意見が出ると途端に目くじらを立てる議員が居ると聞きますが(高浜町議会のことではありません。)、全く批判的な意見が出ない議会というものが、いったいどんな議会なのかをよく考えて欲しいものです。

そもそも、二元代表制の地方議会においては、町長の与党も野党もありません。
従って、私は反町長でもなければ親町長でもありません。町民の代表として議員としての責任を果たしたいだけであり、このことは例え誰が町長の職にあっても変わるものではありません。

少子化

2005年01月02日 | コラム
1月1日の日経の1面は「さあ国も会社も男も女も 少子化に挑む」でした。

記事によると、戦後を起点にすると日本は還暦を迎えましたが、この間で女性が生涯に生む子どもの数「合計特殊出生率」は、4.5人から1.29人となりました。いま頂点の日本の人口は坂を転げるように減り始めます。
少子化と過疎の影響で、この10年間で廃校になった小中高校は二千を超え、廃校になった学校が高齢者の施設として生まれ変わったところもあります。
2030年には、人口減少社会により道路や橋などの社会資本の整備ができなくなることが心配され、更には社会資本を維持することすら困難な時代となる恐れがあります。
一方で、昨年1年間の新生児は110万人余りでしたが、中絶件数が30万件を越しています。特に第三子を身ごもった女性の13%、第4子では30%が中絶を選んでいます。中絶する女性の三分の一が「家計の問題」で、この豊かな日本で経済的な理由で6万件の中絶があるそうです。

この記事を読んで、少子化問題と国・自治体の借金問題とはよく似ているなと感じました。
どちらも次世代に膨大なツケを廻して、20年後30年後に破滅的な状況をもたらすのにも関わらず、現在の政府(国・自治体とも)にそれほど危機感がない点です。
老人の増加で介護が社会問題となると介護保険制度などが整備され、多額の税金も投入されてきました。高浜町でもここ最近の施策の多くは老人対策を念頭においたものです。直面する課題があると対応されるのですが、子どもの数が減っても直ぐに対応しなければならない問題に直面することがありませんので、ほとんど何もしないのです。
財政問題もそうです。今のところ借金さえしておれば、当面は困る人もいないので増税や歳出削減などを口にする人は少ないのです。聞こえてくるのは、あれを作れこれを作れの大合唱です。

しかしこうした記事を読むたびに、こんなことでいいのか心配になってきます。大合唱の人々に、もっと20年後30年後の日本をイマジネイションして欲しいものです。
急速に人口が減っていくこの国で、子どもを増やす努力もしないで、従来の拡大路線のままで社会資本の整備を進めていって、あとは頼んだと、数少ない子どもたちに膨大な借金と維持の必要な社会資本と贅沢三昧しか知らない大量の老人を託していってもいいのか、正月早々暗い気分になりました。