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軌道エレベーター派

伝統ある「軌道エレベーター」の名の復権を目指すサイト(記事、画像の転載は出典を明記してください)

軌道エレベーターが登場するお話 (10) 劇場版 仮面ライダーカブト

2011-12-03 23:25:36 | 軌道エレベーターが登場するお話
劇場版 仮面ライダーカブト
GOD SPEED LOVE
石ノ森章太郎、東映(2006年)


 2006~07年にテレビ放送された「仮面ライダーカブト」の劇場版オリジナル作品。避けて通れない1作です。というのもこの作品、確認できる限り世界初の軌道エレベーターが登場する実写ドラマなのです。TV版も観ないと書けないかも知れないから面倒だな、と思って後回しにしていたんですが、いざ観てみたら色んな意味で楽しめました(ネタバレご注意ください)。

 あらすじ 1999年、隕石が落下して地球環境は激変。さらに隕石の中から地球外生命体「ワーム」が現れ、人類は存亡の危機に立たされる。秘密組織ZECTは「マスクドライダーシステム」を開発してワームに抵抗するが、不満分子がネオZECTを立ち上げ、人間同士でも抗争を続けていた。天道総司=仮面ライダーカブトは、ある目的を秘めて両者に近づく。
 
1. 本作に登場する軌道エレベーター
 ZECTは「天空の梯子」と名付けた計画を遂行しており、隕石の落下で海が蒸発して(その水分はどこへ行った?)人類はとっくに死滅していていいはずの世界で、わずか7年程度で軌道エレベーターを完成させます。主だった構造は次の通り。
 地上基部は日本国内あるいは近辺の模様。ピラーと思われるエレベーターシャフトが中心部にあり、それを取り囲むようにパイプが延びています。ピラーとパイプは、宇宙でステーションにつながっています。ここが末端のような描かれ方をしているのですが、ステーションが画面に映る時は、その上にも細い棒(ただのアンテナか?)が伸びているのが見えるので、中間ステーションかも知れません。
 昇降機は、乗員が立ったままベルトで体を固定して乗り、ズドーン!とものすごい勢いで上昇(動力不明)。ステーションに着く頃にはフラフラになっているという代物で、おいおいそんな危険な乗り物みたいに描くなよう。ステーションは宇宙船みたいな形をしており、先端がミサイルになっています。そんなこんなで、分類すれば第2世代以降ということになりましょうか。
 
 最初だけは一応科学的に検証します。まず地上基部を日本の近くに設けるのは無理がありますが、エドワーズモデルが北緯35度まで設定してますし、まったく不可能ではないかも知れません。赤道を挟んでシンメトリー構造を成している可能性もありますから、技術次第で絶対無理とは言い切れない感があります。
 昇降機の原理は不明。ステーションの高度もわかりませんが、劇中でライダーたちがステーションから転落(!)する場面があるので、少なくとも高度約2万5000kmより下になければいけません。地球の見かけの大きさから判断しても、低軌道域でなければならんのですが、それに反する描写もあるので、正確なところは不明です。ちなみに内部には「重力装置」なるものがありますが原理は不明。どのみち、ほとんどの場面で1G並みの重力があるような描写しかされてません。

 天空の梯子計画は、氷の塊である彗星をこのステーションまで持ってきて、パイプを通じて地上に水を供給し、干上がった海を再生させようというものです。軌道エレベーターを超巨大な水道管にしようというわけですね。いやはやトンデモない発想で、真に受けるのは無粋というものですが、彗星を固定し、液化して状態を保持できる技術があるとすれば、高度によっては水が自然に落ちるし、この計画、力技次第でひょっとしたら可能か? と思わないでもありません(水力発電もできるな!)。
 ただし水のような重いものを、海が戻るほど大量に落ちるに任せていたら、コリオリがピラー全体の角運動量に影響して、軌道エレベーターが倒れてしまうかもしれない。とはいえ、「絶対に無理」とは言い切れないのがコワい。
 まあどれ一つとってもトンデモないですが、軌道エレベーターをストローにしてしまうとはアッパレな。しかもカブトはこのパイプを侵入路として利用し、中を昇って(!)ステーションへ行くという無茶苦茶な真似を2回もやってのけます(しかもエレベーターで昇った連中より早く着く)。デタラメもここまで大胆にやってくれるとかえって痛快! まあ、結局この計画自体がダミーであり、真の目的があるのですが、私ゃこういうの大好きです。本作はこれでよろしい。


2. 軌道エレベーターで闘うライダーたち
 仮面ライダー生誕35周年記念作品の本作は、TVシリーズとは異なる歴史をたどったパラレルワールドのお話。主人公の天道は、天空の梯子計画には何か裏があると疑っています。その秘密をあぶり出そうと、ZECTとネオZECTに自分の腕を売り込み、共食いをさせて計画を前倒しさせ、その過程で色んなライダーと闘います。
 この天道が相当な変人で、おばあちゃんの教訓をやたら披露するのは有名な話。劇場版では、

「おばあちゃんが言っていた…強きを助け、弱きをくじけってな。
 強い者だけが生き残ればいいんだ」


 お前のおばあちゃん鬼畜。
 彼を筆頭に、ナルシストなライダーたちが軌道エレベーターを舞台にじゃんじゃん活躍(?)してくれます。極めつけは劇場版オリジナルキャラの仮面ライダーケタロス。カブトエクステンダー(専用のバイク)で軌道エレベーターの水道管を昇ってきたカブトと、ステーションで格闘したあげくに、2人そろって転落。大気圏に再突入して空力加熱で燃え上がりますが、カブトはエクステンダーを呼び出してまたがり(耐熱フィールドでも付いとんのか!?)、ケタロスを助けようとします。以下は、落下中のカブトとケタロスの対話である!

 (エクステンダーからケタロスに手を伸ばすカブト)
ケタ「何の真似だ?」
カブ「生き延びたかったら・・・放すな」
ケタ「同情など無用、
  俺の情熱の炎は、この熱さにも負けない!


断熱圧縮による空力加熱よりも自分の情熱の方が熱いということは。。。
おお! 相対的に涼しく感じるってわけだな (゜▽゜*) 。。。って、んなわけあるか。結局人間隕石と化して、変な方向から地上基部に落下して、「我が魂は、ZECTと共にあり~」とか叫びながら爆発。迷惑な奴だ。軌道エレベーターから落ちて、燃え尽きずに地上に激突死したなんて、後にも先にもこの人だけでしょう。

 終盤に登場する、これも劇場版のみ登場の仮面ライダーコーカサスは「紫のバラの人」(自然界にそんなバラないぞ)。カブトは仲間の仮面ライダーガタックと共に再びステーションに上がり、ミサイル部に侵入します。クロックアップ(サイボーグ009の加速装置みたいなもの)してるからよくわかんないですが、今度は走って昇ったみたいです。
 コーカサスはミサイルの中でカブトとガタックを待ち伏せしているのですが、2人が到着すると、室内にバラの花びらがヒラヒラ舞っている。素晴らしい! 今の日本人が忘れて久しい、もてなしの心を持っていらっしゃる。

「私のバラに彩りを加えましょう。裏切り者の赤い血と、屈辱の涙を」

 自分のためかい( ̄□ ̄); どいつもこいつもどんだけ自分好きなんだよう。

カブ「お前はそれでいいのか・・・地球をワームに奪われても」
コー「バラが見つめてくれるのは、最も強く、最も美しい者。私はそのために闘うだけです」


ちょっと何言ってるかわかんない。ていうか、この人天道のおばあちゃんの言いつけ実践してるじゃん。とにかくすったもんだ闘った末、カブトがバージョンアップして、宇宙でコーカサスにライダーキックかまします。いやいやすげえな! そして天道の狙いはもう一つあり、それが終盤で明かされて、TVシリーズに近い世界(でも同一じゃない)とのつながりを匂わせる終わり方をしますが、その辺の演出はなかなか感動的です。

3. 米国学会で紹介された劇場版カブト
 実は本作、2008年7月に米マイクロソフト本社の会議場で開かれた"2008 Space Elevator Conference(08'SEC)"で紹介されたのです(写真は08'SECの様子)。
 この年の4月に宇宙エレベーター協会(JSEA)を発足させ、5人が08'SECで研究発表。私もその1人でした。そこで同志のH川さんが、軌道エレベーターの発想を一つのミーム(文化的遺伝子)としてとらえた研究発表を行い、実写映画に初登場した本作を紹介したのです。「バイクでエレベーターを昇っちゃう」なんて言うと会場から笑いが起きていました。

 本作について、軌道エレベーターの扱いがひどいと憤慨?している記述も散見されたのですが、いや、「仮面ライダー」に期待するモノを間違えてるだろ。そりゃツッコミどころ満載なんだけど、本作はそのツッコミも楽しむべき作品でしょう。いくらデタラメでもいいんです、それで面白くなるなら。そして本作は、本作にしかできないことをやってくれました。

 軌道エレベーターをストローとして使う
 軌道エレベーターをバイクで昇り、次は走って昇る
 バイクで大気圏突入
 ステーションから転落死
 あまつさえ宇宙でライダーキック


 このやったもん勝ちな想像力の暴走を見よ! 良くも悪くもこれだけ軌道エレベーターをイジってくれた作品ほかにあるでしょうか? 理屈倒れでお行儀の良い昨今のSF作品は、こういう破壊的な大ボラを吹く気概を失っているんじゃないでしょうか。

 そもそも本作で、軌道エレベーターは単なる話題作りのキワモノとして取り上げられたとは思えないのです。TVシリーズで天道は何かと言うと人差し指を高く突き上げ、「俺はをゆき、てをる男…」と決め台詞を吐いていました(旧姓日下部のくせに)。その背には東京タワーがそびえていたのです。今ならスカイツリーでしょうが、とにかく天と一体化した姿を象徴していた。その延長として、劇場版で軌道エレベーターが出るべくして出てきた。漠然とした勘ですが、本作の脚本家はけっこうSF好きなんじゃないかなあ。
 そして本作は、主人公の心理をちゃんと追えて、しかも、要所々々で大人の鑑賞にも耐える演出もなされている。特撮ヒーローものにしては、アクションが足りないのでは? と感じるんですが、私のような歳くった人間からすれば、冗長さがなくてかえって見やすかったです。ところどころ効果音を消した演出もよろしい。SFとしては反則の部分もありますが、枝葉はともかく、ストーリーの根幹では最低限の筋が通っていますし、終盤には不覚にもグッときてしまったぜ。いい話だ。 

 長々書いてしまいましたが、深く考えずに楽しめます。軌道エレベーターが登場する世界初の実写作品。その栄誉を奪い取った本作を、ぜひご覧ください。

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軌道エレベーターが登場するお話 (9) 果てしなき流れの果に

2011-08-28 22:34:48 | 軌道エレベーターが登場するお話
果てしなき流れの果に
小松左京
(最新版はハルキ文庫 初出は1965年)


 先頃亡くなられた日本文学界の巨人、小松左京氏の名作。いつかは扱わなくてはいけないと思っていた1作です。軌道エレベーターが登場する小説では、これが最初の作品だと思われます。

あらすじ ガラスの中の砂が無限に流れ落ちる砂時計が、白亜紀の地層から発見される。この不思議な砂時計を見せられた大学助手の野々村浩三は、謎を解明すべく出土した遺跡を訪れるが、行動を共にする師や研究者たちが不審な事件に巻き込まれ、野々村自身も行方不明となる。それはこの宇宙の理にかかわる抗争への、入り口に過ぎなかった。

1. 本書に登場する軌道エレベーター
 冒頭で書いたように、1965年に書かれた本書は、軌道エレベーターを描写した小説としては、知りうる限りで最初の作品です。あの『楽園の泉』よりも14年も早く、しかも細部にわたり正しく描写されていて本当に驚かされます。本筋に決定的な役割は果たしませんが、静止軌道エレベーターのお手本とも言えます。

 登場するのは第2世代以降のモデルで、完全な静止軌道型です。時代は23世紀。「超科学研究所」という学術研究機関が所有していて、この研究所のためだけに造られたようです。いつもの通り、地上から説明してまいります。
 スマトラ島・バリサン山脈のケリンチ山(標高3808m)の約3700m付近に地上基部が設けられ、4人乗り(大型のもある)の卵型リニア式昇降機に乗り、耐Gシートに座って「軸(シャフト)」と呼ばれるピラーに沿って上昇します。4基のリニア式ブースターを付けて初期加速をアシストし、高度5万mで(おそらく段階的に)パージします。実によく練られてます!
 超科学研の独占物だけあって乗り心地が一般向けでないらしく、トップスピードは秒速24kmくらいまで達するらしい(人体は大丈夫なんだろうか?)。ちなみにシートは乗った後に背中を地に付ける向きに回転し、昇降機が等速運動に入って、惰性でわずかな間無重量に近い状態になった時点で逆転。今度はブレーキの反動を背中で受け止めるようになっています。スペースシャトルのシートが垂直、水平どちらにも座れるようになっているのを思い出します。
 ピラーは高度約3万6000kmで「定点衛星」と呼ばれる静止軌道ステーションにつながっていて、ここに40分強(!)で到着。定点衛星は直径約200mのドーナツ型で高速自転しており、内部に人工重力を生み出しているようです。登場人物はここで昇降機を下り、シャフトとの速度差を解消して衛星の自転に同期する「中継用檻(ケージ)」を経て、「輪(ホイール)」「タイヤ」などと呼ばれるドーナツ型居住区に向かいます。定点衛星より上は描写がなく、どうなっているか不明ですが、いずれにしろカウンターマスがあるのでしょう。
 定点衛星の周りに複数の「資料衛星」があり、登場人物は定点衛星から宇宙船でこの一つに移動します。資料衛星はデータサーバ兼シミュレータの役割を果たしており、超科学研は5基の資料衛星をリンクさせて多様な思考シミュレーションを行っています。なお、衛星にしろ宇宙船にしろ、ヴァン・アレン帯対策がきっちり説明されています。このほか、

「ヒマラヤで、ロシアの電車にのった」(略)
「(略)"エヴェレスト特急"というやつだな(略)ロケットブースターでやっているはずだ」
「あれは、緯度がだいぶ北だからな(略)アンデスに、新大陸同盟がこしらえた、
 コトパクシ・エレベーターも、初期加速はロケットをつかってたよ」
「これは、全部電磁誘導加速だ」(128~129頁)

 などというやりとりがあり、この地球のこの時代(どういう意味かは読めばわかる)には、ほかにも複数の軌道エレベーターが建造されているのがうかがえます。軌道エレベーターの描写はこの程度で、それ自体が物語全体に大きな影響を及ぼすことはありません。しかしながら、軌道エレベーターの構造や移動の表現などは適切に描写されており(上から目線でごめんなさい)、著者の理解と想像力の深さがうかがえます。これを半世紀近くも前に書いたんですから、本当にすごい! 脱帽の限りです。
 なお余談ですが、ハルキ文庫版の大原まり子氏による巻末解説では「ラグランジュ点に浮かぶ人工衛星までの軌道エレベーター」(434頁)と書かれていますが、これは間違い。地球─月系のL1に重心を持つ軌道エレベーターのアイデアはありますが、それだと地球の自転と同期しないので地上とはつなげられません。本書は「静止軌道に浮かぶ人工衛星─」と書くのが正しいと思われます。無粋ですみません。

2.ストーリーについて
 あらすじで紹介しているのは物語のほんのツカミに過ぎず、本書はタイトルから想像される通り、時間と空間の果てにまで渡る壮大な物語です。時空移動とタイムパラドックス、跳躍航法、熱力学の第二法則、多元宇宙、超能力などなど、様々なSFの要素を取り入れ、地球の歴史を絡めながら、宇宙の営みの裏に隠された秩序や対立が明かされて行きます。著者の創造する一つの宇宙の記述、と言ってもいいかも知れません。
 ネタバレになるのであまり具体的に説明しづらいののですが、このような宇宙の成り立ちが明かされるというテーマの作品は決して珍しいものではなく、本書と並ぶオールタイム人気SFの『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍)や『神狩り』(山田正紀)、『火の鳥』(手塚治虫)なども同種のテイストを持った作品と言えるかも知れません。本書が書かれた日本SFの草分け期に多くの作家が試みた作風であり、近年でも小説『神は沈黙せず』(山本弘)や映画『マトリックス』、アニメ『Steins; Gate』などにこうした趣が見出せます。
 そんな中で本書に私が強く共感するのは、タイムパラドックスをめぐる著者の信念の投影とも思える反骨精神です。時間移動を扱った多くの作品は、タイムパラドックスを禁忌や罪として扱うことが多いのですが、本書では、時に一方的で理不尽な時空の秩序やヒエラルキーに抗おうとする、悲壮な闘いが描かれます。それは、多くの作品にみられる、人間が勝手に決め込んだタブーへの叱咤のように思えます。

 タイムパラドックスものには、たいていお説教臭い奴が「歴史に干渉してはいけない」なんてわかったようなことをのたまいます。「歴史を変えたら私たちの大切な人が生まれてこなくなる」「元の未来に戻れなくなる」といった心配など、確かにそれなりの理由はありますけれども、歴史を変えると何か罰が下されるような、しかし根拠のない信仰が横行している。
 私はこれを疑問に思っていました。誰が決めたんだそんなこと? お前が過去に来た時点ですでに歴史は変わってるんだよ。物理的に言っても、人類の人口はもちろん、宇宙全体の質量も地球の角運動量も重力も、すべてがほーーーんの少し変わってしまっている。もう元には戻せない。ましてやタイムスリップが、何か神がかった高次の精神による企みであれば尚のこと、歴史を変えちゃいかんのなら、その神サマはおのれごときを過去に連れてこんわい。
 人は結局、その時、その場所で自分の信じることをするしかないし、そうすればいいのだ。そしてその覚悟を決めた確信犯の前に、秩序は意味を持たない。

 「だが、それをやれば──」一人が、不安にふるえる声でいった。
 「そこからのちの歴史は、かわってしまうだろう」
 「いいではありませんか!(略)それが現在あるがままの歴史より、
 よりよい、よりスピードアップされたものなら」(398頁)

 本書ではこう言って、人々が逃げ込む「運命」という名の思考停止、あるいはモラルという空虚な多数意見を切って捨てます。それは努力や挑戦から逃避する隠れ蓑に過ぎない。物語は、この宇宙のあらゆる場所や時間を舞台に、時空を司る何かに盲目的に従う者たちと、自らの意志で彼らに抗う人々を描き出します。それは、タイムパラドックスを扱う多くの作家が持つ固定観念への、著者からのアンチテーゼでもあるように思えるのです。

 そしていま一つ印象的なのは、やはり「時」の使い方でしょうか。永い永い苦闘の果てにたどり着く結末は、王道的で心ふるわせます。現実の世界においても時間は演出家であり、裁判官であり、毒にも薬にもなりうる万能薬であり、冷徹な傍観者でもあります。本書は「時」の効能を巧みに使いこした名作です。
 とにかく話があっちこっちへ跳ぶので、SF慣れしていない方には少々読みづらいかも知れません。また「ほかの作品で見たような。。。」なんて設定や場面が多く感じるかも知れませんが、それはむしろ、後々の数多くのSF作品が、本書のような先達の確立していったファクターに負うているからにほかなりません。本書の執筆当時すでに、これだけ多岐にわたる想像力が発揮されていたのだなあ、と改めて嘆息します。

3. 追悼
 「残念ながら日本のSF映画にはロクなものがない」昔友人とこういう話をしていて、私は突然思い出して言いました。
 「一つあるよ、『復活の日』!あれは世界に出せる映画だ」
 小松左京氏の著作で初めて読んだのは、確かこの『復活の日』だったと思います。現代を舞台にしたスケールの大きさと巧みなストーリー展開に脱帽しました。氏への賛辞と功績は無数に語られているので、今さら私が強調するまでもないでしょうが、博覧強記という言葉がこれほど似合う人も珍しかった。科学のみならず、政治経済や国際情勢、歴史など実に広範囲に及ぶ考察の行き届いた作品を残し、映画化された作品も多かった(『さよならジュピター』? それは言うなああああああ!)。
 しかし業績の多さや広さよりも、氏の作品にはいずれも情の機微に富んだ、真摯で血の通ったドラマがあり、心があったということを、私は強調しておきたいです。設定は巧みだけど人物やストーリーが無味乾燥の凡作が多い中、小松左京作品が今も読み返されるのは、それゆえにほかなりません。

 直接お会いしたことはありませんでしたが、宇宙エレベーター協会の活動を通じて、ささやかながらご縁というかご恩がありました。たった8人で協会を設立して間もない頃、今よりずっと世間に相手にされず、軌道エレベーターとは何かを知ってもらおうと四苦八苦していた中で、私たちの活動に理解を示してくださった氏からお言葉をいただきました。これは今でも協会ホームページのトップに掲げてあります。

 人類は「高みに挑む」生物のようだ。あえて困難に立ち向かうことによって、
 「生物としての新しいステップ」を踏み出すのかも知れない。


 1人のファンとしてご逝去を惜しみつつ、心より感謝とご冥福を申し上げます。

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軌道エレベーターが登場するお話 (5)の2 宇宙でいちばん丈夫な糸

2011-05-01 21:34:39 | 軌道エレベーターが登場するお話
宇宙でいちばん丈夫な糸
(「妙なる技の乙女たち」文庫版より)
小川一水(2011年 ポプラ社)


 だいぶ前にこのコーナーで紹介した「妙なる技の乙女たち」が今年2月に文庫化されたのですが、「何か変化あるかな?」と思って本屋でのぞいてみたら、書き下ろしエピソードが1編追加されていました。興味深かったので、5回目の追記として紹介します。

あらすじ 巨大企業CANTECの技術部長アリッサ・ハービンジャーは、軌道エレベーター建造のため、多層カーボンナノチューブの連続紡出を実現させた男を訪ねる。俗世間から離れて隠遁し、商業利用を許諾しない変わり者の彼は、想像以上の難物だった。説得を試みるアリッサだったが…

1. 本作に登場する軌道エレベーターの関連トピック
 本作(ここでは便宜上「宇宙でいちばん丈夫な糸」のみを指し、「妙なる技の乙女たち」における本作以外の全短編を「本編」と区別します)には、軌道エレベーターそれ自体は登場しません。その実現の要となるカーボンナノチューブ(CNT)の技術を巡り、主人公が軌道エレベーターへの応用の道を切り開くお話、と言ったところです。

 本作では、バンブラスキ・エイブラムス・チーズヘッドという美味しそうな名前の男が「遠心環状炉CVD法」(CRCVD法)という合成法を確立し、これが軌道エレベーターの実現に不可欠となります。
 少々説明を加えると、CNTは単層構造のもの(SWNCT)と多層のもの(MWCNT)があります。またCVD法とは「化学気相成長法」と言って、触媒を使ってガスの中でCNTを成長させる合成法です。この技術で産業技術総合研究所などは、特にSWCNTの大量合成で進んでいますが、SWCNTにしろMWCNTにしろ、純度や生産能力でまだまだ限界があるようです。バンブラスキは、このCVD法を発展させた技術でMWCNTの大量生産にこぎつけ、こよらせることもできるのだと推測します。

 軌道エレベーターに関する議論は、素材が完成したという前提の下、展開の仕方や力学的な挙動、運用法などについてのものがほとんどで、素材分野はほかに輪をかけて未成熟です。つまりこの私=軌道エレベーター派のような輩というのは、麺の仕入れ先が決まってもいないのに、出来上がるラーメンがいかに美味いかということをふれ回る、ホラ吹きか山師みたいなものなんですよね、今のところ。
 しかし、そうでないと話が進まないので、素材はいずれ必ず出来るというのが一種の了解事項にさえなっていると言えます。軌道エレベーターを扱った物語においてもそれは然りと言え、素材技術の確立に触れた本作は、比較的珍しい部類かも知れません。

 ちなみに本作のバンブラスキという男、グリゴリー・ペレルマン(ポアンカレ予想を解き、フィールズ賞に選ばれたのに辞退して、引きこもりになっちゃったロシア人数学者)みたいな奴で、頭がチーズどころか鋳物で出来ているような頑固者。CRCVD法の軌道エレベーターへの応用を許さず、その理由さえアリッサに話そうとしません。私だったら「お前がウンと言いさえすれば軌道エレベーターが実現できるんだぞ!」と、半殺しにしてでも世間に引きずり出し、協力させようとするかも知れません。
 これが現実の出来事なら、バンブラスキはただじゃ済まないでしょう。(1)国家権力なり巨大企業なりにハニートラップで籠絡されたり、脅迫されて特許を奪われる (2)拉致されて拷問や薬漬けで廃人のようにされ、言いなりに操られる (3)暗殺されて替え玉にすり替えられる。。。こんなところでしょうか。いずれにしろロクな末路をたどりますまい。半殺しどころか全殺しだぞバンブラスキ君。彼は米国人だから、出来上がった製品も戦略物資扱いされ、ワッセナー協約などで禁輸品として規制されるに違いありません。
 軌道エレベーターにおける素材は、それほど重要なわけで、技術的な命題のクリアだけじゃ済まない大問題になることは避けられますまい。この点については、とにかく技術発展の一日も早い進捗と、技術の平和的な公開・普及を祈るばかりです。まあ彼が頑ななのは、「お前な。。。」とか言いたくなる他愛のないもので、私も同類だから気持ちはわからんでもないんですが。

2. ストーリーについて
 本作は、時系列で言うと本編よりも前の、一番最初に来るお話で、いわば「妙なる技の乙女たち」の"エピソードゼロ"とでも呼ぶべき物語です。CNTの応用により、やがて東南アジアのリンガ島に軌道エレベーターが建造され、本編の舞台となるという、すべてのきっかけとなります。文庫化にあたり、そのようなストーリーを一番最後に添えるというのは憎い演出です。
 以前にも書いたように、主人公はあまり相対的に描かれてはいません。しかし全編通してこれが持ち味とも言え、3年ぶりの執筆でも作品の雰囲気は守られています。相変わらず、自信というか不敵な印象を受けるんですよね。それが不思議と好印象になっています。

 本作は30ページ足らずの短編で、さしてヒネリがあるわけでもないのですが、かつて本編を読んだ私にとっては、嬉しい驚きのある一作でした。というのも主人公のアリッサ、この最終章に至るまでのほかのエピソードに、CANTECのCEOとして登場するのです。
 私は前に本編の感想を書いた時、CEOとして登場したアリッサについて「かつての彼女も、この物語の主人公たちのような生き方をしてきたのかも知れません」と書いたのですが、本当にそういうお話を書いて下さったんですね小川一水先生!(別に私のためじゃあるまいが。。。でも嬉しいなあ)
 心理描写はそれほど深くはない(それは従来通り)けれども、アリッサは私好みのキャラで、しかも軌道派ときた。実に結構。彼女は偏屈なバンブラスキに訴えます。
 「エレベーターという手段を体験した人類は、もう二度と惑星の表面になど張り付いていられなくなる(略)それまで数えられもしなかった無数の世界が、開けるでしょう」(395頁)。後にCEOとなる萌芽とでも言いますか、彼女の気性がこの時代から培われていたのだというのが描かれていていいです。それに、自分の言いたいことを代弁してもらっているような快感があるんですよ。前の感想で彼女のセリフに「もっと言ってやってください」と書いたんですが、もっともっと、どんどん言ってやんなさいアリッサ!

 本編は様々な業界で生きる女性たちのオムニバスストーリーですが、本作におけるアリッサは、ほかのすべての主人公たちが活躍する舞台を創り出し、より多くの彼女を生み出した。その意思や強運も含めた生き方が彼女の妙技といったところでしょうか。以前の気持ちを思い出させてもらったようで、嬉しい1作でありました。

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軌道エレベーターが登場するお話 番外編 (2) イリヤッド -入矢堂見聞録-

2010-08-23 00:40:14 | 軌道エレベーターが登場するお話

イリヤッド -入矢堂見聞録-
原作:東周斎雅楽 作画:魚戸おさむ
(小学館 2002年)


 番外編最後の1作です。本作は考古学がテーマで、軌道エレベーターまったく登場しません、ごめんなさい。イメージ的にちょっとだけ近いというものが出てくるので、それにこじつけて語ろうという魂胆です。

あらすじ 考古学界を追放され、生き甲斐を失って古道具屋を営んでいた入矢修造は、かつての自分の支持者から、プラトンの書に記されたアトランティス文明の探索を依頼される。しかしアトランティスの手がかりを探ろうとする者が、その秘密を隠蔽しようとする組織に次々と抹殺されていく。やがて入矢も命を狙われるが、危険をくぐりぬけながら謎に近づいていく。

1. 本作に登場する軌道エレベーター(もどき)
 本作は、古代文明の謎をサスペンス仕立てで解き明かしていく物語ですが、「柱」が一つのキーワードになっていて、14巻の「夢を見たフクロウ」というエピソードでは、天の果てまで届く柱が登場します。天上にいる神から夢を授かろうと、フクロウが柱に沿って昇っていきますが、いくら昇っても届かず、やがて神に会うことを諦めて命を落とすという寓話が紹介されます。これは作者の創作で、このような昔話とか伝承はないらしいですが、物語の大事なエピソードです。
 今回はこの柱に無理矢理こじつけたわけですが、少々真面目に言うと、古代の神話や昔話、伝承などには、天へ届く柱や樹、糸などが非常に多い。聖書のバベルの塔やヤコブの階段は言うまでもなく、北欧神話のユグドラシル、南米のアウタナ、童話の「ジャックと豆の木」、芥川龍之介の「蜘蛛の糸」などなど。。。人は天へ向かわずにはいられない、という本能的な衝動を持っているように思えてなりません。
 ひとつには、すべての人を見下ろせる高い場所へ行けるということが、権力欲と直結したエゴイズムでもあるのでしょう。いまひとつは、神との邂逅を図ろうとする行為であり、土着の宗教観が色濃く反映されているわけですが、共通しているのは未知への好奇心(「蜘蛛の糸」は地獄から逃げ出したいけだけどね)ですよね。知る喜びというのは、人にとって精神を賦活させる不可欠のエッセンスなのでしょう。

2. 物語とアトランティスの謎について
 本作では、入矢が様々な遺跡や文献を調べたり、研究者から話を聞いたりしてアトランティスの場所を突き止めようとしますが、「山の老人」という古代から存在する秘密結社が邪魔をし、入矢や仲間の命を狙います。「山の老人」は、アトランティス文明について知ることが、あらゆる宗教に根差した根源的なタブーに触れてしまい、私たち人類のよって立つ礎のようなものが崩れてしまうと考えているようです。
 アトランティスがどこにあったのか? 「山の老人」はなぜそれを秘密にしようとするのか? といったお話は、読者を引き込む重要な謎であり、秘密結社が暗躍するあたり、明らかに「ダ・ヴィンチ・コード」の影響を受けていますね。しかし、アーサー王の伝説やマルコ・ポーロの旅行記、秦の始皇帝、果ては日本の昔話など、実に沢山の歴史や伝承を織り込んでいて(中には強引だったり、完全な創作もあるし、んなアホな、という強引な展開もあるんですが)、これらがアトランティスにつながっていくあたりは、ダン・ブラウンのホラよりずっと面白いです。それに、人類最古の文明の所在や、そこに至るまでの過程というのは、学術的にも非常に興味深い。
 
 アトランティスの場所って、実はものすごいたくさん候補があるんですね。日本人にはアトランティスはなじみが薄いかも知れませんが、海外では19世紀にブームになり、たいていは一体何を根拠に? と言いたくなる候補地が、世界中あっちこっちに出てきたんだそうな。かのナチスの前身だったトゥーレ教会(協会)も一種のオカルトマニアの集まりで、アトランティスも探索の対象だったと聞きます。日本では「ムー大陸」の方がメジャーみたいですが、スペースシャトルの名前になるほどですから、欧米人にはかなり親しい伝説のようです。
 私は子どもの頃、知ったかぶりの兄に「アトランティスは地中海にあった。サントリーニ島はその一部だというのが定説なんだゼ」みたいなことを吹きこまれました。本作によればこれも信憑性薄いそうです。プラトンの「ティマイオス」「クリティアス」は、アトランティスはアテナイと戦争したと述べており、理想国家を説く上で、ギリシアの引き立て役として創作された可能性が濃厚という記述を読んだこともあります。これ以外にも様々な文献でアトランティスが示唆されてはいるけれども、本作では比較的お話に都合のいい部分だけを取り上げているようです。結局は、3巻で入矢が諦め気味に語る「アトランティスはなかった……これが定説だ」ということなのかも知れません。

 しかし、仮に、仮にですよ、アトランティスが実在したとして、同心円状の運河がある都市王朝で、地震と洪水で沈んだという文明がどのようなもので、なぜ簡単に沈んじゃうのか? その考察は本作でも色々出てくるんですが、ふと思ったんですよ、「埋立地だったんじゃねーの?」。
 阪神大震災で人工島が液状化現象でグシャグシャになってしまったのを思い出し、そんな想像をしてしまいました。これに近い説は本作でも、入矢たちがヴェネチアを訪れた時に登場しますが、だとすればかなりの灌漑技術を持っていたわけで、やっぱりすごい文明だったのかな? などと、物語を読みながら空想するのはけっこう楽しいです。
 余談ですが、前述の「ムー大陸」の方は、提唱者のチャーチワードの完全なホラだったということで結論が出ています。

 あと、本作で興味深いのは、ネアンデルタール人とクロマニヨン人の関係などについて、人類学的な考察も豊かな点です。ネアンデルタール人は新興勢力に追われて絶滅したのか? 混血や闘争の痕跡が乏しく、遺伝学的にも、同位性が低いというか稀らしいので結論が出ていないわけですが、本作では登場人物たちが、ネアンデルタール人は「種の寿命が終わった」、クロマニヨン人を「我々とは異なる絶滅種」などと、いろいろ説を述べています。
 作者の見解なのか、それとも物語のネタのための創作なのかはわかりませんが、非常に興味深い。我々人類学者(嘘)としては、たとえばヒトがどのように言葉を編み出して行ったのか? 石器や金属器の使用と言葉の使用はどっちが先だったのか? 野性的な生態から、定住や道具の使用、文字や言葉の発明などの段階の間にどのようなプロセスがあったのか? 不思議でなりません。私はそもそも、そのイメージ作りの方向性に何か間違いがあるのではないかとさえ思っているのですが。。。ともあれ、前述の「知る喜び」というものを刺激してくれます。

 本作の物語は日本、欧州、中国などあちこち舞台が移ります。これは憶測ですが、次は中東が予定されていたのが、打ち切りになったのだと思います。その方面の学者が登場するのですが、なんか扱いが中途半端なままでしたし、最後は駆け足でアトランティスの核心に近づいていく感じが否めません。最後の謎解きも、いま一つ曖昧な感じが残るので、本当に打ち切りだったとしたら非常に残念です。

3. 失敗した人々
 そんな、色々ツッコミどころというか矛盾のあるストーリではあるのですが、やはりこのお話も人のドラマが秀逸なんですね。 特に、夢を追うことと、失敗から立ち直るエピソードが多い。

 遺跡の出土物を捏造した疑いをかけられ、考古学界を追われた入矢は、登場当初は「(俺のように)二度と夢など見るな」と、ふてくされて世をすねていましたが、アトランティスの探索を依頼されたことを機に、夢を追う心を刺激され、本来持っていた考古学者としての才知や勇気を発揮するようになります。
 前々回も書いたように、「夢」という言葉を浪費するのは好みません。「夢」とか「理想」というのは麻酔薬のようなもので、何の努力もしてないのに語っただけで何かを成した気にさせてしまうんですよね。本当に夢を追っている人は、その努力を持って夢を語れるから、安易にそんな言葉は使いません。ですが、本作は夢そのものが謎ときのキーワードでもあるので、決して心地の悪いものではないです。かつて勝鹿北星作 浦沢直樹作画「MASTERキートン」(小学館)という作品がありましたが、同じテイストを感じます。特に2巻の「復活のキリスト」という話などは、「キートン」の「屋根の下の巴里」を思い出します。

 もう一つは、失敗した者へのまなざしがいい。人は間違えて失敗して、ようやく人になると言っているかのようです。入矢自身もそうであり、アトランティスを追い求めながら、彼は多くの失敗してトラウマを抱えた人々に出会います。彼はまるで、落ち込んでいた間の負債を払おうとしているかのように軽く言いうんですよね。「失敗しただけだ」
「失敗した…だけ?」事業に失敗して借金を遺し、死んだ父を嫌う少年は、入矢に問います。
「キミのお父さんは人生に目的を持って生きていた(略)たいていの人は目的もないまま死んでいくんだぞ。成功か失敗かはただの結果で、たいした問題じゃない」(6巻)
 そうは言っても本人には大問題であろう。「他人に何がわかる!」とか言われそうですが、入矢が言うとなんか憎めず、そういうものかもな、という気になります。

 そんな入矢ですが、クライマックスへ向かう前に再び挫折しかけます。色んな手がかりを総合した末、彼はアトランティスの場所について自分なりの結論に達しますが、そこで「山の老人」の関係者から、まったく別の場所であることを明かされます。
 困惑した入矢が、第二次大戦中にアトランティスを研究していた、いわば自分の先達である老学者に意見を求めに尋ねると、老学者も「その(略)人物は正しい。アトランティスは(略。言っちゃいかんよね)だ」と告げます。かつてスキャンダルで学界を追われ、学者としての道を断たれた挫折感がよみがえり、すっかり自信をなくす入矢。自分の過去を語り、「立ち直れないほどの挫折でした。アトランティスがなければ、今でも立ち直っていなかったかも」と意気消沈します。
 「君は間違っているよ」老学者に言われて入矢は顔を上げます。もちろん学説のことではありません。「一度人生で大きな失敗を犯した人間は、また失敗しても必ず立ち直れる。そういう気概を学ぶべきじゃないのかね」老学者は入矢を一喝します。
 「何度でも何度でも失敗する勇気が持てなくて、何が人生だ!」(15巻)
 鼓舞された入矢は自説を貫き、証明しようと挑みます。この先迎えるクライマックスは、直接ご覧ください。
 
 かなりセンチ(死語?)な文章になってしまいましたが、やっぱりこの作品好きなんですよ。リアリティに欠けるとしても、そこから得るものが確かにある。そうでなければしょせんは空想にすぎない物語を生みだす意味などないでしょう。アトランティスは本当にあったのか? 人類のタブーとは何か? 入矢たちは夢を果たせるか? 学術的好奇心と、人のドラマの両方を楽しめる逸作です。
 強化月間の遊びのつもりで書いた3回の番外編はこれでおしまいです。ここまで読んで下さり、ありがとうございました。次の更新は軌道エレベーター本来のテーマに戻り、アイデアノートの予定です。

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軌道エレベーターが登場するお話 (8)銀河英雄伝説 (OVA版)

2010-08-18 23:37:01 | 軌道エレベーターが登場するお話
銀河英雄伝説
原作 田中芳樹(徳間書店 1982年)
OVA版(徳間書店 徳間ジャパンコミュニケーションズ らいとすたっふ 1988年)


 原作は言わずと知れた田中芳樹の人気SF小説。間もなく初刊から30年経とうという今も、内容が時代遅れに感じない。つまりそれだけ普遍的なテーマを描いているということでしょう。今月「番外編」で取り上げる予定の3作のうちで唯一、本作にはレッキとした軌道エレベーターが登場します、それも「軌道」で。ただしOVA版のみ。ですので、ここではOVA版に重点を置いて紹介します。今回は決定的なネタバレが沢山ありますので、物語を未見の方はご注意ください。
 ちなみにコミック版の紹介はこちら。

あらすじ 宇宙に広がった人類社会は銀河帝国と自由惑星同盟に二分され、両者は長きにわたる戦争を続けていた。勝敗のつかない一進一退の戦況が慢性化していた中、帝国にラインハルト・フォン・ミューゼル(後にローエングラム)、同盟にヤン・ウェンリーという稀代の戦略家が時を同じくして現れ、歴史が変わっていく。

1. 本作に登場する軌道エレベーター
 帝国と同盟は広大な暗礁宙域で隔てられており、宇宙船は二つの細いトンネル状の回廊を抜けて行き来するほかありません。その一つは「イゼルローン回廊」で、この回廊の途中には帝国軍が建設した要塞が鎮座ましましています。もう一方が「フェザーン回廊」。回廊の中に位置する惑星フェザーンは、宗主権こそ帝国に属するものの、帝国と同盟の間で中継貿易を行って経済的に発展しています(物語前半の状況)。
 原作には登場しませんが、OAV版ではこの惑星フェザーンに、軌道エレベーターが建造されているのです。詳しい設定情報が乏しいので推測を交えますが、地上基部は湾の中の小島のような場所にあり(人工島?)、遠目には白い漏斗状の煙突か長ネギのような、近くで見ると軽く直径数kmはありそうな図太い柱が宇宙へ伸びています。末端には、見たところカウンター質量らしき小惑星のようなものがくっついていて、港や管制ステーションを兼ねているようです。惑星全体を見た時に、この軌道エレベーターも見えるのですが、惑星の大きさに対してデカ過ぎてなんか縮尺がおかしいような気がします。でもこれは単なる記号化でしょう。

 銀英伝の世界では重力制御が実現しているので、宇宙へ出るのに軌道エレベーターは必ずしも必要ないですが、経済効率が異なるのでしょうか? 本体の中を行き来する昇降機は周囲が半透明(映像?)になっていて、銀座のアップルストアのエレベーターみたいな感じで外が見え、なかなか美しい。OVA第2期ではフェザーンを訪れたヤンの養子ユリアンが軌道エレベーターに乗り、上昇しながら、帝国軍の軍艦が外を降下していく様子が見えます。それを見て連れのフェザーン商人が鼻白むあたりを見ると、あえて軌道エレベーターを使うのは環境や人心への配慮もあるのかも知れません。
 ちなみにこのフェザーン、物語中盤で帝国軍に制圧されてしまいます。その際に、帝国軍は真っ先に軌道エレベーターの管制室を掌握するので、かなり重要な役割を担っていることうかがえます。後半では帝都がフェザーンに遷都されることになるのですが、軌道エレベーターは「ここはフェザーンだよ」という説明的背景画として以外には登場しません。

2. OVA版銀英伝の傑作、イゼルローン要塞
 はい、軌道エレベーターについてはここまで。それよりも、銀英伝(のOVA版)でもっともアイデア豊富で美しいのは、何といってもイゼルローン要塞ですぜ、あなた!
 直径約60kmの人工天体で、建造したのは帝国軍ですが、ヤンが無血で奪取し、その後も所有が二転三転します。原作版はスーパーセラミック製のカチカチな球体らしいのですが、OVA版は表面が流体金属で覆われています。遠目にはパチンコ玉みたいですが、軽度の光学的攻撃ははね返し、少々の傷がついても液体だから自然回復する。艦艇が要塞に入港する時は、流体金属層の下から誘導灯がプカと浮いてきて、艦艇は鏡の海に潜るように入港していきます。これが美しい!「浮遊砲台」が表面を自由に泳ぎ回って攻撃し、主砲「トールハンマー」も流体金属を磁場で湾曲させ、凹面鏡にして射程を調節するという凝りようです。

 さらに、「要塞対要塞」のエピソードでは、イゼルローン要塞を奪還するため、帝国軍は同じく流体金属で覆われた(ただし一部は個体の部分が露出している)「ガイエスブルク要塞」に推進装置を取り付けて回廊まで運び、要塞同士差し向かいで闘うのですが、この時の帝国軍の作戦がすごい。
 戦線が膠着した刹那、ガイエスブルクが突然、イゼルローンに衝突しそうな勢いで急接近。同盟軍は「共倒れを覚悟で!?」と驚き、トールハンマーを連射するのですが、トールハンマーの砲台が流体金属層の中に水没し、発射不能になってしまいます。しかも、ガイエスブルク要塞正面の流体金属層が厚みを増していく。
 何事かと言うと、要塞同士の引力で満ち潮が起きたのですな。これにより帝国軍はトールハンマーを封じた上に自軍要塞の防御を強化し、この間に別働隊が回廊を大きく迂回してイゼルローン要塞の背後に周り、流体金属層が薄くなった後背から攻撃をしかけたのでした。重力制御ができるなら接近しなくてもいいんじゃないか? そうでなくても普通は反対側も満ち潮になるんじゃないのか? などとツッコミそうになりますし、そもそも温度差の激しい宇宙空間でこのような粘性を保つ物質があるとは疑わしいですが、その程度のことは十分目をつむれるほど、オリジナリティあふれる設定です。ぜひ観てください(それにしても、ガイエスブルク要塞の残骸はどうなったのだろうか? 全部消滅ということはなかろう) 今回は軌道エレベーターよりこれを書きたくて取り上げたようなもんでして、勝手御免!

3. ストーリーと人物について
 物語については、ファンも多いし解説する必要もないかもしれませんが少々。
 銀英伝で私にとって興味深いのは、同盟側の主人公ヤン・ウェンリーなのですが、一見、彼は戦争ドラマによくいる自然体の賢者タイプに見えます。本作の分析や解説には「銀河英雄伝説研究序説」(三一書房)という良書があり、非常に読み物としても面白い。その中で著者が、真の変人はラインハルトとオーベルシュタイン(ラインハルトの側近の1人)だけと述べています。ですが、私はヤンこそ一番の変人だと思うのです。
 彼は、人格、才能、視野、精神力どれをとってもスケールが大き過ぎ、さらに無欲で偏りや裏表がなく、バランスがとれ過ぎているんですよ。それゆえに、1人の人間にしては有するエネルギーが大きすぎるように思えてならないのです。イゼルローンという辺境にいる一軍人のくせにあまりにも視野が広く、弱い部分をまったく見せず(彼が本気で落ち込んだり、投げやりになったりした場面は親しい人々が死んだ時くらいで、全部他人のためだった)、予測が当たり過ぎる。
 彼にくらべたら、ラインハルトもオーベルシュタインも、色事や娯楽にまったく興味を示さないなど、戦争や政治に長けている分だけ、ほかの方面に相当な欠落があって人間的です。
 過去を描いた外伝でも、ヤンの朴訥さは昔からのもので、上官が敵前逃亡しようが捕虜収容所に左遷されようが泰然自若としていて、「こいつは自分を見失うことがないのか? 寂しくないの?」と言いたくなってしまう。普通ならこういうキャラには魅力を感じない私ですが、本質を射抜いた(でもって妙に洒落の利いた)発言が多く、その視野や戦術・戦略眼に歴史が影響しているのも興味深いです。
(ストーリー知らない人は、数行空けるのでこの先絶対読まないこと!)









 そして、そのヤンは第3期で暗殺され、世を去ります。「『銀河英雄伝説』読本」(徳間書店)によると、これを嘆くファンは多かったらしい。そりゃそうでしょう。私も最初に原作を読んだ時、一瞬呆気にとられてしまいました。OVA第3期リリース後にヤン役の富山敬さんも亡くなったのも象徴的だった。しかし、少し経って咀嚼すると、彼は物語を退場しなければならなかったのだということがわかります。銀英伝は、専制政治と民主主義の相克を描いたドラマでもあるのですから。
 物語の折り返し点でラインハルトは皇帝の座に就き、ローエングラム王朝を開闢。後半ではほぼ全宇宙を征服し、善政を施いて民衆の絶大な支持も得るのですが、それでもなお、ヤンと彼の部下たちは民主共和政治を標榜し、イゼルローン要塞に立てこもって抵抗を続けます。
 この時、ヤンの部下たちは、専制君主に従うことを拒否し、「自分たちのことは自分たちで決める」という信念を貫いている。。。と思い込んでいます。しかし実は、彼等は自主独立を標榜しながら、考えることも、決断することもすべてヤンに任せ、彼を盲信してくっついてきただけでした。この時ヤンは皮肉にも、彼自身が専制君主のような存在、あるいは新興宗教の教祖のような立場になってしまっていた(本人にそのつもりがなくても)。
 ヤンがいなくなって初めて、彼等は自分の頭で考え、ヤン亡き後も帝国に反旗を翻し続けることを、苦悩の末選択します(戦略的には暴挙に近いですが)。ヤンの死は、彼等、とりわけユリアンの独り立ちには不可欠なプロセスだったのでしょう。ヤンは非凡過ぎたために、舞台を降りざるを得なかった。これこそが、彼の変人たる証左ではないかと。

 その後ヤンの後を継いだユリアンの奮闘ぶりは、ここまで読んでくださった方はご存じでしょう。最後は帝国軍の総旗艦に突入して白兵戦をしかけ、ラインハルトに直談判するという危険な賭けに出たユリアンでしたが、相手が銀河帝国の皇帝でも、ひるまず媚びずに毅然と向き合い、伊達と酔狂で民主共和政治の旗を最後まで守り続けました。それはとりもなおさず、ヤンの見識と、よくも悪くもヘンな精神性を享受していたからなのは言うまでもありません。イイ子過ぎるユリアンでしたが、根っこはやはりヤンの一番弟子(ムライ中将談)でした。

 いやー、今回は要塞とヤンの話でものすごい字数を費やしてしまいました。最初に原作を読み、またOVAを観てから相当経っても語れることが沢山あるってことですね。銀英伝は、世代交代を経てもなお新しいファンを獲得し続けています。そして一度(私ゃ何度も読んだけどね)目を通した私たちも、時を経て視点や感性が変化した今でも、たっぷり楽しめると思います。
 ここまで書いたなら番外編じゃなくてもいいかな? と思い始めてますが、とりあえずは番外編のまま続けて、今後の再編の時に改めて決めます。ここまでお読み下さり、ありがとうございました。次回は軌道エレベーターとはまったく関係ないお話の予定です。

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