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軌道エレベーター派

伝統ある「軌道エレベーター」の名の復権を目指すサイト(記事、画像の転載は出典を明記してください)

軌道エレベーターが登場するお話 番外編 (1) 宇宙兄弟

2010-08-15 23:38:23 | 軌道エレベーターが登場するお話
 「軌道エレベーターが登場するお話」、強化月間中ということで少し趣向を変えたものを掲載します。まあぶっちゃけた話、たまには軌道エレベーターに全然関係ない(けど個人的に好きな)物語を扱ってみようという、いわば「つまみ食い集」です。

宇宙兄弟
小山宙哉
(講談社 2008年~)

 (2011年4月9日付記)映画化が決定したそうです。おめでとうございます!
 週刊モーニングで連載中の人気作品。本作のどこに軌道エレベーターが登場するのか? 描かれているんですよ、単行本3巻172頁右上のコマ! 地球から棒のようなものが2本伸びて、中ほどに昇降機らしいものがくっついている。主人公は「そのうち宇宙が近い時代が来て 誰も文句言わなくなるよ」と語っている。これは軌道エレベーターに違いない。ですよね、小山宙哉先生!? ていうかこの絵、SEVGの映像を参考にしていませんか? 間違ってたらごめんなさい。
 。。。すみませんこのひとコマだけです。これにこじつけて取り上げます。

あらすじ 南波六太と日々人の兄弟は、幼い頃、共に宇宙飛行士になることを約束する。時は流れ、六太は勤めていた自動車会社をクビになり、一方日々人は本当に宇宙飛行士になり、日本人初の月面着陸に挑む。引け目を感じる六太だったが、日々人にかつての想いを呼び起され、宇宙飛行士選抜試験に挑戦、遥か先で待つ弟を追い越そうと動き出す。

1. シャトル後の宇宙開発
 本作の宇宙開発計画では、コンステレーション計画の見直しで、扱いが微妙になっている「アレス」が使われているんですね。月着陸船「アルタイル」なんかも登場して、実物より早く活躍しているわけです。想像というより予想と呼ぶべきですが、設定のベースとなっている宇宙開発の技術は非常にリアルです。
 また、宇宙飛行士の選抜過程などは詳しく知りませんが、密室に入ったり、単色のパズルを組み立てたりするなどの課程は「ドキュメント 宇宙飛行士選抜試験」(光文社新書)でも紹介されていますし、しっかりとした取材や作者の理解の深さがうかがえます。
 アポロ計画当時、月のレゴリスが飛行士の目や肺に入ってメチャメチャ痛かったらしいとか、月面の望遠鏡構想(太陽─地球系のL2に打ち上げられるはずだったという「ウェッブ」と、どっちが効率的なのだろうか?)などのエピソードや構想も「ほお~」なんて非常に興味をそそられました。
  
2. 似てない兄弟
 しかしこの作品は、やっぱり物語とキャラが面白い。自分が先に宇宙飛行士になって弟を引っ張っていくことを目指していた六太でしたが、宇宙飛行士になったのは日々人の方。六太はサラリーマンとなり(でもってクビになり)、弟へのコンプレックスを抱えながらすっかり宇宙を諦めてぐずぐず病状態になってました。日々人は、遅れてでも兄が宇宙に来ることを信じて(願って?)いて、そんな六太を何かとアオります。

 「宇宙行くの夢なんだろ 諦めんなよ
  もし諦められるんなら、そんなもん夢じゃねえ」(2巻95頁)
 
 あんまり「夢」と言う言葉を多用したくないのですが、それを捨てたことに負い目やコンプレックスを持つ人には、かなりキツい言葉ですね。うん、あまりにも君は特殊な立場からモノを言ってるよ日々人君。世界で1億人に1人くらいしかいない職業に就いてるんだぞお前は!
 しかし、こういうセリフにギクリとする人は、図星の部分があるからこそ琴線に響くのでしょう。日々人の言わんとしているのは、「本当に今のままでいいのか、自分自身に訊いてみろよ」あるいは「本当にやりたいことなら、出来るまでやれよ」と換言できるのではないでしょうか。

 この兄弟は全然似てなくて、六太はセンシティブで気にしいで、他者への観察力が豊か。おそらくは他人が気になるからでしょう。時々相反するように大胆になりますが、二面性は感じません。一方日々人は、困難な課題を楽々こなして宇宙飛行士になり、世事に無関心でいつも飄々としている人物。。。という芝居をしているように見えます。マスコミの前ではちゃんと道化を演じ切っているだけに、その印象が強い。それぞれ自覚していないだけで、実は現実に対する割り切りがよく、自分と向き合うことが多いのは六太の方ではないか?
 決して物語からそう類推するのではなく、このコーナーは登場人物が本当に存在しているような感じで書くように心がけているので、そんな目で見た時に、日々人は人格や能力の重心がかなり偏っていて、内面の矛盾を未消化の負荷にしたまま隠し持つタイプに見えるんですよね。まあ、兄に対しては虚心になれないのでしょうが。もちろんそんな人格設定はされていないと思います。物語が六太の語りで展開するせいで私にそう見えるだけでしょう。私にはそれが面白かったりするんですが。


3. 作品の空気
 そんなこんなで、妙運珍運に背中を押されつつ、宇宙飛行士を目指すようになる六太なのですが、選考終盤でほかの受験者たちと話が弾みます。宇宙や天文学の話題をおそらくは初めて共有でき、「今まで……こんなこと一度もなかった」と感慨にふける六太。

 「ここにいたんだ 誘ったら喜んでついて来てくれそうな連中が…」(4巻193頁)

 わかる、わかるよ六太! 軌道エレベーターなんてモノを追いかけ続け、どれだけ浮きまくってきたことか。ようやく友人というか同志が増えて、色々語り合えるようになった喜び。やっぱりこの道を捨てずに良かったなあと思うきょうこの頃。宇宙飛行士の選抜なんて世界にはとうてい及びませんが、つい自分たちの経験を重ね合わせてしまいます。もっとも私、軌道派だからその友人たちの中でさらに浮いてるんですけどね。

 ところで本作の空気というかノリについて、読み始めた頃からずーっと「この感覚。。。どこかで。。。」と感じていました。大分読み進めるまで気づかなかったのですが、ある日突然思い出しました。。。「スラムダンク」です。
 六太が何かとふてぶてしい表情で根拠のない自信を見せては、いつも間が悪くてトホホな表情になるところや、同僚の女性宇宙飛行士候補を「せりかさん」と呼んで憧れたり(スラムダンクでは「ハルコさん」だったっけ。なんか印象も似ているような)するあたり、「スラムダンク」の桜木花道を連想せずにはいられません。4巻では六太が「ホワチャー──!!」と、訳あって選抜試験中にブルース・リーのモノマネをするのですが(今回の書影もそのイラストね)、私は真っ先に陵南高校の福田(「ほわちゃあ」とキレて監督をボコボコにする)を思い出しましたし。。。私だけかなあ? まあ、両作を併せ読んでも全然意味ないですね。
 
 何はともあれ、スペースシャトル後の宇宙開発を描いた作品としても興味深い上、ストーリーは掛け値なしに面白いです。今後も見逃せません。 

 当初、この「つまみ食い集」は、軌道エレベーターにほとんど、あるいはまったく関係ない3作品をまとめて扱うつもりだったのですが、つい書き過ぎてしてしまいました。番外編として、今月中にあと1回か2回掲載するつもりです。次回も、軌道エレベーターにはそんなに関係ない作品を扱うつもりですが、なにとぞよろしくお願いいたします。

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軌道エレベーターが登場するお話 (7) 最終定理

2010-04-25 23:38:31 | 軌道エレベーターが登場するお話
最終定理
アーサー・C・クラーク & フレデリック・ポール
(早川書房 2010年)


 軌道エレベーターを世に知らしめた名作「楽園の泉」のアーサー・C・クラーク御大の遺作です。7回目になるこのコーナー、当初は別の作品を扱う予定で、すでに半分読み終えていました。しかし書店で本作を見かけ、興味本位で買ってみると、軌道エレベーターが登場するではありませんか。予想外のことに驚きつつ、ここで取り上げることにしました。

あらすじ スリランカの寺院に生まれたランジット・スーブラマニアンの関心事は信仰ではなく、フェルマーの最終定理の証明だった。彼は既存の証明とは異なるアプローチを追究するが、思わぬ事件に巻き込まる。同じ頃、宇宙の幾多の知的生命体を司る「グランド・ギャラクティス」は、好戦的な地球人が宇宙に進出することを懸念し、これを殲滅するために船団を差し向ける。やがてランジットの行く末と、異星の侵略が交錯していく。ランジットがたどった数奇な人生の物語。

1.本書に登場する軌道エレベーター
 主人公は後半まで直接かかわりを持たないのですが、本作に登場する軌道エレベーター(以下OEV)は次のようなもの。
 世界銀行の融資の下、国連主導で建造するという設定らしく、この作品世界ではOEVのほかにも、各地の紛争に介入したりし、国連がかなりの力を持っているようです。国連を完全に誤解していますが、これは近未来ということで納得しておきましょう。
 建造中は「アルツターノフ・エレベーター」などと呼ばれ、完成するとおおむね「スカイフック」と呼ばれるようになります。この区別の意味はよくわかりません。
 青年時代のランジットが事件に巻き込まれている間に「世界銀行が(略)10億ドル(略)供給を決定した」(128頁)、その後結婚してアメリカに引っ越すと「(OEVが)スリランカの空に向かって、のびはじめたところだ」(179頁)という具合に、彼が歳を重ねていくにつれ、OEVが次第に出来上がっていく様子がちょこまかと書かれています。
 

 OEV自体の構造は1.5世代の静止軌道エレベーター。「ターミナル」と呼ばれる地上基部がスリランカに造られ、ここから、おそらく最低でも20人程度が乗れる「カプセル」(貨物用のものは「ポッド」と表現している。具体的な区別は不明)が、ケーブルを行き来します。平均時速は300kmくらいのようです。軽量の特製ウエアを着て搭乗し、ヴァン・アレン帯を通過する間は3重の壁に囲まれたシェルターに避難します。
 乗り心地の描写はあまりないですが、「旅の最終行程をたどり、窓の外の月がぐんぐん大きくなっていく」というあたりはうらやましいですね。
 このほか、アルツターノフ・エレベーター=スカイフックが実現した後は、これを足掛かりに月面開発も飛躍的に進みます。このほか、地上から資材を持ち上げ、宇宙空間の付帯施設で宇宙船を建造するようになり、低軌道上のデブリを回収し、資源として利用するあたりは、なるほど、面白いと思いました。また、静止軌道ステーションをスタート位置として、ソーラーセイルのボートレースが開かれ、このレースが物語の大きな変節点となります。

 クラーク氏は、本サイトでも紹介した「楽園の泉」をはじめ、「3001年 終局への旅」や「太陽の盾」などにたびたびOEVを描き、本作でも、「一般人が宇宙へいける望みをつなぐためには、アルツターノフのスカイフックが必要」(89頁)といった具合に、登場人物たちの口を通じてその意義を強調しています。「(OEVは)絶対にできるんだ!」という、著者の叫びのようなものを行間から感じずにはいられません。まるで、その実現を見ることができずに世を去ったクラーク氏の、呪詛のようにすら感じるのは私だけでしょうか。

2.物語とフェルマーの最終定理について
 さてこの作品、OEVの描写はスマートで結構なものの、ストーリーやSFとしての面白さは。。。 私は最後まで興味を失わずに読み切れましたが、ほかの人にはいかがなものか???
 そんな本紹介するな、と言われそうですが、宇宙エレベーター協会のサイトならまだしも、ここは私の個人サイトですので、正直な感想をズケズケと書いてしまおうと思います。

 まずはタイトルにもなっている(フェルマーの)最終定理について簡単に説明を。ご存じの方も多いでしょうが、フェルマーの最終定理とは、大雑把に言うと「nが2を超える自然数である場合、X^n+Y^n=Z^n を満たす自然数X、Y、Zは存在しない」というもの。17世紀、フランスの弁護士でアマチュア数学者だったピエール・ド・フェルマーが、本の隅っこに「オレ証明できちゃったぜ。でも長すぎてここには書けないヨ~ン」みたいなことを走り書きし、人騒がせなことに、肝心な証明を示さないまま世を去ったのでした。
 で、本当かどうか解き明かそうと大勢が証明に取り組みましたが、公に認められる証明がなされたのは300年以上後の1994年、プリンストン大のアンドリュー・ワイルズによってでした。
 本作の主人公ランジットは、ワイルズの証明は美しくないと考え、独自のアプローチで証明を試みます(ちなみに、フェルマーの最終定理の証明自体は物語のキーにはなりませんし、彼の証明は具体的に述べられていません)。

 何年か前に読んだフェルマーの最終定理に関する本が大変面白く(本当にノンフィクションなのか、このドラマチックな展開は!)、私はこれにちなんだ本作に強い興味を覚えました。この気持ちがあったので、最後まで読み通せましたが、それがなければ途中で放り出していたかも知れません。
 というのも、物語が陳腐すぎる。一体何を書きたかったのか、読後しばらく経った今でもよくわかりません。心理描写が浅いのは毎度なので仕方ないにしても、SFとしてオリジナリティのある設定もなく、クライマックスの盛り上がりやオチ、ヒネリにも欠けるんですよね。
 グランド・ギャラクティスの存在にしても、「3001年─」の感想でも述べたように、クラーク御大は、私たち人類には認識困難な、超越的な知性を描くのがお好きで、今回もしかり。それゆえに新鮮味がない。

3.笑止な教条主義
 一番鼻につくのは、「私たちは善き存在であれ」と言わんばかりの、中途半端で底の浅い偽善的価値観の押しつけが全編にまかり通っていることで、非常にお説教くさいのです。地球へやってきた異星体にいかに臨むか? この問いが、本作のいわば"最終定理"でもあるのですが、主人公たちは「人にしてもらいたいことを人にしなさい」という考えの持ち主で、これが異星人にまで通じると考えます。
 この思想がどのような結果になるかはお読みください。ですが、善悪や正邪、福祉の観念というものは、心理というコインの裏表、あるいは多面体のサイコロのようなものです。時と場所、条件、文化など、担う人々の主観や伝統などによって容易に違う面を見せる。言い方を変えれば、善は瞬間にしか存在しない。
 そんな常に揺れ動くものを、想像力の豊かさこそが見どころであるSF作品で、こうも薄っぺらに描こうとは、一体どういう了見なのか?

 「グランド・ギャラクティスが悪しき地球人を滅ぼそうとしている。にもかかわらず人類は、愚かにも共食いにふけっている」という構図を描くために、ランジットの視点を通じて混沌とする世界情勢を折々説明するのですが、これもこじつけ臭くて相当な無理がある。
 彼が都合のいい時だけ世界情勢に心を痛めるのがわざとらしく、脈絡もない。彼と妻はブロック化していく世界の行く末に心を痛めるのですが、その割には政治的見識がどうしようもなく浅い(まあ、それが普通ですかね。。。ある意味リアルなのか?)。

 ついには、そのグランド・ギャラクティスに対してまで、隣人愛にもとづく浅薄な価値観を持ち込もうとすることが、超越的存在であるはずの彼らを、我々と同レベルの思考回路を持つ偏狭な存在に貶め、物語の幅を狭めています。
 そして何よりも、そんな思いやりの精神を持ち合えないがゆえに、世界から争いがなくならない。それこそが問題なのに、結局思いやりを発揮すれば解決するなどという本末転倒な思考は、物語のテーゼの破綻ではないか。金ないから困っているのに、「金を払えば解決するよ」と言われているようなものです。つまりランジット、君は実は何の答も出していない。定理を示しておいて証明してないんだよ。そんなとこだけフェルマーの真似すんなよう!

 本作はクラーク氏と「マン・プラス」などで知られるフレデリック・ポール氏の合作ですが、数々の名作をものしてきた大御所が、最初で最後の合作において描いたのがこんな安っぽい帰結だとは、残念でなりません。
 ここまでひどいことを書いたのは初めてで、心苦しいです、でも。。。

 ゴメン! この作品、フォローのしようがないわ ( ̄□ ̄;)

 せめて、「ここまでボロクソに言うとはどんな小説なのだろう?」などと思って読んでみてくれたらめっけもの、というのが精一杯です。前述したように、私は予備的な関心があったので、最後まで意欲を失うことなく読み終えました。ほかの方がどうなのかはわかりません。もし本作の面白さや醍醐味を語れる方がいたら、ぜひ意見交換してみたいものです。
 他人が楽しめないかも知れないものを紹介して、ごめんなさい。

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軌道エレベーターが登場するお話 (6) Z.O.E Dolores, i

2009-07-27 00:00:09 | 軌道エレベーターが登場するお話
Z.O.E Dolores, i(ゾーン・オブ・エンダーズ ドロレス・アイ)
バップ、サンライズ(2001年)

 プレイステーション用ゲーム「ZONE OF THE ENDERS」と同じ舞台設定で描かれたアニメ作品。登場するOEVのエマージェンシー機構が、リアリティのある描かれ方をしています。

あらすじ 軌道エレベーターや惑星間航行が常態化し、火星に植民地が築かれた22世紀の未来。元軍人で運び屋のジェイムズ・リンクスは、ある荷物の運搬を引き受けたために命を狙われる。中身は、意思を持つオービタルフレーム(本作に登場する特殊な人型兵器の名称)「ドロレス」だった。ジェイムズは仲違いしていた子供たちと合流し、追っ手と闘いながら、ドロレスを造った元妻のいる火星へと向かう。

1.本作に登場する軌道エレベーター
 地球の南米に軌道エレベーター(以下OEV)が建造されており、リニア式昇降機が運行しています。基本原理や構造は数ある他作品と大差ありません。物語の前半、ドロレスが敵と交戦して色々壊してしまい、地上基部が洪水に見舞われます。ですが前半のパニックはOEVを印象づけるためのご愛嬌。最後のクライマックスで、このOEVが倒壊の危機に陥り、火星から戻ってきたジェイムズやドロレスが、これを防ごうと活躍します。

 本作で感心するのは、攻撃を受けたOEVの危機回避システムが、かなり妥当に描写されていることです。物理の基礎をふまえた的確なもので、見ていてけっこうシビれました!

 敵のオービタルフレームは、OEV末端部でオモリの役割をする「アンカーステーション」を分断して全体の質量のバランスを狂わせ、倒壊させようと図ります。OEV豆知識でカウンター質量を紹介した時、「カウンター質量はOEVのアキレス腱」と述べたように、うなずける作戦です。
 で、攻撃でアンカーの質量が減ったためOEV全体が落下を始めます。地上では「アイランドステーション」が全体の重みを受けて沈下。この時のOEV管制室の対応がこれまたいい。
 全体の落下を止めるために「アジャスターホイール」という可動式のオモリを、重量の均衡がとれる「バランスポイント」までスライドさせます。必要と思われるフェイルセーフを適切に使っていて、「おお!」と感心しました。ステーション自体をホイールとして使用しないのは、質量があり過ぎて動かせられない、ということで了解しておきましょう。

「第3ホイール崩壊、エレベーターバランス、戻りません」
「軌道エレベーター、落下止まりません!」 

 こういう緊迫したセリフからも、OEVの原理を正しく理解した考察が行き届いているのを感じます。さらに、落下が止まらなければ、OEVが地球の自転方向に向かって地球を鞭打つように倒壊する、とジェイムズの息子レオンが説明します。
 少々脱線して説明しますと、OEVに接触した質量(構造体そのものも含む)が上下に移動する場合、コリオリと同様の力が働くため、このようになると考えられています。
 OEVの構造体は、上へ行くほど大きな運動エネルギーを持っています。約24時間で1周しますから、地上は秒速0.5km、静止軌道部は秒速約3km、本作では全長が約4万7000kmですので、末端部は秒速約4kmで運動しています。つまり、OEVは上へ行くほど、地球の自転スピードより速く動いているのです。
 ですから、上部の運動エネルギーを打ち消さないままOEVが落下なり沈下なりすると、地球の自転を追い越して、全長4万7000kmのOEVが東に倒れることになる。結論として、OEVが倒壊する時は、東向きに地球にぐるぐる巻きつくように倒れると言われています。レオンは、このことを言っているわけです。

 これで完璧、と太鼓判を押せるほど私も自信はありませんが、可能な限り正確に考証しているように見受けられます。エマージェンシーに限って言えば、これほど適切に描写しているアニメ作品はほかにないんじゃないでしょうか。以前このコーナーで紹介した「機動戦士ガンダム00」のOEV倒壊シーンが正しいと思う方は、ぜひ本作をご覧ください。こう言ってはなんですが、こちらを見たら、無秩序に外壁がはがれ落ちてリニアトレインが脱線し、被害を増大させただけの「00」がデタラメにさえ映るのではないでしょうか。

 本作で突っ込みたくなる疑問は、最後の手段として「OEVの下部を必要な分だけ切り離す」ということをしないのはなぜか、という点でした。ほかの手段が効かないなら、この手があります。切り離した分が地上に倒れて被害を招くことは免れませんが、全体が「地球を鞭打つ」よりはましでしょう。
 しかしこの点を除けば、極めて緻密かつ的確で、作り手の丁寧さが伝わるエピソードでした。

 本編では、ドロレスが倒壊を食い止めようと善戦しますが、最後のホイールも攻撃を受けて質量が軽減し、軌道エレベーターの落下は止まりません。ドロレスは自らを犠牲にして、地球を救おうとするのですが。。。結末は直接ご覧ください。
 
2.その他の設定
 同名のゲームやアニメ作品(OVA「Z.O.E 2167 IDOLO」)などと舞台が共通しているだけあって、本作の世界設定は細部まで凝って作られています。人口過剰に陥った地球は、2014年にOEV構想を打ち出し、2027年から建造が始まります。完成は18年後。
 人類はこれを足がかりに本格的に宇宙に進出し、火星の植民地化や木星圏の探査を進めます。ですが、やがて宇宙へ出て行った人々は、辺境にいる人々を意味する「エンダー」と呼ばれて地球の住民に見下され、確執が深まっています。
 また本作では外宇宙で発見された「メタトロン」という鉱物が重要な役割を果たしています。これが空間を圧縮する効果を持っていて、宇宙船の跳躍航法や、「ドロレス」をはじめとするオービタルフレームのボディにも用いら、様々な使い道があるようです。
 古典的なニュートン力学で説明できるOEVが登場する一方で、「空間をねじ曲げる」などという設定が出てくると「うーん」と思わないでもない。。。とはいえ、ネタバレになるので詳細はさけますが、相互矛盾せずに上手な使われ方をしている方だと思います。

 このほかには、ジェイムズを追い続ける男が彼を「ジョン・カーター」(「ターザン」で有名なエドガー・ライス・バロウズの「火星シリーズ」の主人公)と呼んだり、各話のタイトルが名作映画を踏襲していたり、火星の売店で人面岩(NASAが撮影した火星表面の写真に写っていたとされる、人間の顔みたいな岩)のオブジェが売られていたり。。。と、随所で遊びがうかがえます。

3.ストーリーについて
 本作の主人公は、ロボットアニメには珍しい、50歳目前のおじさん。勇気はあるけど一本気で強情な頑固おやじという、21世紀の日本では絶滅危惧種です(声が玄田哲章さんというのが、また実に。。。)。しかしその性格のせいか妻と離婚、2人の子供にも愛想を尽かされます。
 そんな彼がドロレスにかかわったために、子供たちと一緒に追われる羽目に。その危機を家族が一丸となって乗り越えて、絆を新たに築く。そういうお話です。
 ヒューマンドラマとしては、意外性やヒネリのあるキャラクターなどはほとんど出てくることがなく、私のようなスレッカラシには、正直いって物足りなくて冗長でした。人間ドラマの対象年齢は低い一方で、OEVをはじめとするSF設定はかなりハードという印象を受けます。とにかく絵にかいたような(いや、絵なんだけど)性格のキャラばかりで、ストーリー展開もすべて型にハマっていました。
 とはいえ、主人公が初老にさしかかったおじさんですから、ドラマまでシリアスで重いとなったら救いようがない気がしますね。単純だけど憎めないキャラ達だから、おじさん主人公で最後まで乗り切れたのかも知れません。
 20年くらい前の作品を見ているような、古典的ドラマの基本に忠実な温かいお話で、今時こういうのはかえって貴重かも知れませんね。天然な女の子の人格?がプログラミングされているドロレスが、ジェイムズを「おじさま」と慕いつつ色々ボケかましていたのも、ほのぼのした雰囲気に拍車をかけていて脱力モノです。しかしこれを2クール見るのは疲れた。。。

 ともあれ、OEVに関しては、設定や描写は一見の価値ありです。これを見ると、OEVが登場する他作品の描写の過不足が見えてくるような、ある意味今後のSF作品にとって良き物差しとなりうる作品ではないかと思います。クライマックスだけでも、ぜひご覧下さい。

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軌道エレベーターが登場するお話 (5) 妙なる技の乙女たち

2009-06-11 00:03:02 | 軌道エレベーターが登場するお話
妙(たえ)なる技の乙女たち
小川一水(2008年 ポプラ社)


 軌道エレベーターの「地元」の島とその周辺を舞台に、前向きに働く女性たちを主人公にしたオムニバス作品です。彼女たちの姿とともに、地上と宇宙の往復が普遍化した時代を、独自の豊かな構想で描写した意欲作です。

あらすじ 世界初の軌道エレベーターが建造され、あらゆる産業が進出して変貌を遂げた、2050年の東南アジア・リンガ島。この地で働く工業デザイナーの京野歩は、宇宙服のデザインコンペに応募すべく、オリジナル宇宙服の設計に挑む。職場の同僚たちの協力も得て、歩は自信作を完成させるが…流されていた日々から自立する主人公を描いた第一話をはじめ、軌道エレベーターで地上と宇宙がつながった時代を生き抜く女性たちを描いた短編集。

1.この作品に登場する軌道エレベーターと周辺の社会
 本作では、米国の技術者が偶然から「可紡性カーボンナノチューブ」(SCNT)の生産法を確立し、軌道エレベーターの実現につながります。
 これを使って民間企業が建造した「リンガ軌道エレベーター」(LSE)のお膝元が、シンガポール沖のリンガ島です。島の主峰リンガ山(1163m)の山頂部を40mほど削って港が造られ、ここから静止軌道を越えた約4万kmまでエレベーターが伸びています。
 LSEは3本のSCNT製チューブから成り、上りと下りが1本ずつのほか、あと1本は整備線で、おそらくメンテナンス用であり、同時に緊急時の脱出用でもあります。ビルの非常階段のようなものですね。
 ちなみに東京湾アクアラインには、トンネルの車道の下に整備や緊急走行、避難のための通路があるのですが、まさにこれと同じ発想です。軌道エレベーター絡みの質問で、「途中で故障したらどうするのか」とよく聞かれるのですが、懸念される安全性に、完全ではないにしろ一つの回答を与えてくれていますね。「だって、ロケットなんかに乗るのは怖いじゃない」(298頁)といったセリフもあってなかなか憎い。もっと言っちゃって下さい。



 チューブ内を昇降するのは「ケージ」と呼ばれる、全長96mの卵型をしたリニアトレイン。30階層あり、業務スペースを除き、1階層あたり30人弱の乗客を収容できます。
 ケージは気密作業の後出発、3分弱で音速を超え、平均時速は3600km。静止軌道まで約10時間で到達します。「ケージ・アテンダント」がドリンクを運ぶなど、内部のサービスや案内は現代の旅客機そのもので、1日約5000人が利用するそうです。
 チューブは半透明で外が見えるんですよ。「地上の光景がみるみる遠ざかる。轟音も振動もまったくない。どんな飛行機よりも直線的で、どんなロケットよりも優雅な上昇だ」(194頁)「体が浮いたような気がしたのは、(略)上昇したために、重力が弱まっているのだ」(203頁)「いきなり、目もくらむ白光が窓からなだれ込んだ。(略)地球の影(略)から出てしまったのだ。それが日の出として感じられている」(217頁)といった描写は、読んでいて光景が目の前に広がります。
 これだよ、これ! 私が夢見ているのは!! あああっ、乗りたい! 本当にできないかなー!(死ぬ前に。。。)

 LSE以外にもモルジブ軌道エレベーター(MSE)があるほか、東太平洋にも建造中で、LSEで宇宙へ昇ってMSEで戻るといった描写もあり、軌道エレベーターの存在が普遍化・日常化した、それでいて遠い未来でもない、私たちの時代と連続した社会を描いています。

 軌道エレベーターだけでなく、島の様相やこの時代の独特の職業などの発想も多彩に紹介されています。リンガ島は「ヒューストンや、ツールーズのように」(10頁)あらゆる産業が進出し、土地が足りなくなって、周囲にメガフロートが接続されて生活圏が拡大、島の輪郭は放射状に拡張されたそうです。またこの広大なメガフロートは鋼鉄製で、熱伝導率が高いせいで昼夜の温度差により急激な上昇・下降気流を生じさせることがあります。
 このほか、ロボットアームを使って彫刻を造る芸術「アーマート(Arm art)」や、小惑星へ航行する「ロイズ(AsteroidのRoids)」と呼ばれる職業など、独創的でかつ説得力のある設定が緻密になされており、作中に登場しない範囲の設定も行き届いているのだろうと思われます。たとえば潮の干満による、メガフロートと自然の島の高低差の変動をどう解消しているのか、といった疑問も沸くのですが、ちゃんと考えているのかも知れません。
 こうした設定が、さして無理もなく、物語の展開に巧みに織り込まれています。
 
 空へ伸びる軌道エレベーターにわずかに夕日が照り返し、海辺には薄暗くなったメガフロートが広がる南国の島の夕暮れ。。。なんてリンガ島の風景などが目に浮かぶんですよね。これは私の妄想で、文章中にこんなシーンはないのですが、そんなイメージを呼び起します。

2.ストーリーについて
 緻密な構想だけでも一見の価値はありますが、本作はハードSFではなく、未来のリアルな断面を切り取って見せようという意図もないようです。あくまで自分の仕事に打ち込む女性たちの姿が中心に描かれています。
 あらすじで紹介した1話のほかには、メガフロート沿岸で商売をしている水上タクシーの艇長、不動産業者とパートナーの生物学者、保母さん、上述のケージ・アテンダント、アーマートの彫刻家、宇宙食の変革に挑む会社員が、それぞれ主人公に据えられています。私が一番気に入ったのは、軌道エレベーターも宇宙も何の関係もない2話「港のタクシー艇長」でした。ある主人公は奮闘しながら、またある女性はゆるゆると、自分の道を進んでいます。

 もともと本作はJSEA理事の青木教授から教えていただいたもので、教授は「宇宙SF+軌道エレベーター+働きマン(仕事+女性) といった現代風のアレンジ」と述べていました。著者の小川一水氏も自身のブログで「『仕事と女性』をテーマにやってくれと言われて、そのあとに「宇宙」をくっつけて三題話にした」(http://ogawa-issui.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_216e.html)と語っており、的を得た表現だと思います。ちなみに私は深津絵里主演のドラマ「恋ノチカラ」を思い出しました。あれ好きなんだよね。

 欲を言えば、主人公の女性たちをもう少し相対化して、どのような人々の息づかいの中で生きているのかを見たかったな、と感じます。彼女たちは良くも悪くも屹立し、絶対化して描かれていて、どんな環境、社会においてもこういう人物なのであろうと感じさせます。
 軌道エレベーター特需によりある意味特区化し、様々な人種や国籍の人々でごった返しているであろうリンガ島が形づくる社会で、彼女たちは周囲の人々と相互作用したり、他者を鏡にして自分と向き合ったりしているという感じはあまりしませんでした。そのせいか、物語の中で人格的に大きな成長や変貌を遂げるキャラはいません(短編だと無理もない一面もありますが)。周囲と同質、異質な部分の対比と、その変化によって描写されるのが人の輪郭だと思っているので、この点については少し物足りない面もあります。

 さらに展開に相当無理のあるエピソードもあり、読んでいて正直、
「こんな展開ありかよう( ̄□ ̄);」とツッコミたくもなりました(軌道エレベーターとはまったく関係ないことなんですが。。。何を指しているかはお読みいただきたい)。気に入る話とそうでない話が、読者によってかなり異なる1冊でしょう。
 ですが、それでもなおこの作品群に強い好感を抱いています。当初、どうしてなのか自分でもわからなかったのですが、それは各作品に横溢する著者の自信や余裕のようなもののためではないか、と今では思っています。
 外れていたら平謝りするしかありませんが、筆致に臆病さが見えず、いささか挑発的でさえあるような気がしました。そのおかげで、珍しいアイデアを取り入れた小説にありがちな、キワモノネタに便乗しただけの薄っぺらな話になってしまうという事態に陥らずに済んでいるのかも知れません。
 ともあれ、軌道エレベーターを扱った作品で、こんな物語は今までなかった。

 最終話では、着実に宇宙へ生活圏が広がっていく様が描かれており、宇宙開拓の年代記のような印象も感じさせます。ここで軌道エレベーターを建造した企業のCEOの女性が出てくるのですが、かつての彼女も、この物語の主人公たちのような生き方してきたのかも知れません。このエピソードには、私たちの活動もいつかこんな未来につながれば、と思い重ねるところがあり感動的でした。著者をさしおいてこのようなことを言うのも僭越ですが、若い女性の読者がどんな感想を抱くのかを知りたいものです。

 自由で豊かな想像力で描かれた、軌道エレベーターの存在が当たり前の時代に生きる女性たちのお話。こんな作品がどんどん出てきてくれることを望みます。

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軌道エレベーターが登場するお話(4) 3001年 終局への旅ほか

2009-05-25 11:45:18 | 軌道エレベーターが登場するお話
3001年終局への旅
アーサー・C・クラーク/伊藤典夫訳
(2001年 早川書房)

太陽の盾
アーサー・C・クラーク&スティーヴン・バクスター/中村融訳
(2008年 早川書房)


 いずれも、軌道エレベーターを初めて取り上げた本格SF「楽園の泉」のクラーク氏の著作です。「3001年終局への旅」は、有名な「2001年宇宙の旅」のシリーズ4作目であり完結編。初作から実に1000年後の世界が描かれています。「太陽の盾」は、「3001年」と結びつきが深い上、氏の最終作となったため、一緒に取り上げました。今回は軌道エレベーター構想については「3001年」に重点を置き、最後に「太陽の盾」に触れる形でまとめたいと思います。

「3001年 終局への旅」のあらすじ 時は31世紀。1000年前の木星ミッションで、コンピューター「HAL9000」によって宇宙空間に放り投げられ、行方不明になった「ディスカバリー号」の船長代理、フランク・プールが発見される。蘇生した彼は31世紀の驚くべき世界を目にした後、再び木星圏へ向かう。

1.「3001年」の軌道エレベーター
本作には、究極といっていいほど大規模化した軌道エレベーターが登場します。
 具体的な数値が少ないので大まかな姿しかわかりませんが、31世紀の地球には、赤道上に4基の軌道エレベーターが等間隔で建造されています。アフリカ、アジア、アメリカ、パシフィカ(太平洋圏)の4か所に「タワー」があり、4基はオービタルリングで結ばれている上、リング上に膨大な居住空間が設けられているようです。円筒状のタワーも巨大で、何千層もの居住空間や低軌道ステーションのようなものがあり、タワーとリングからなる構造物と、そこに営まれる空間が「スター・シティ」と呼ばれています。
 宇宙船はタワー上部で発着し、人工衛星もこの巨大構造物が機能を代替するために飛んでいません。多くの人々がスター・シティで暮らしています。著者自身による巻末解説によると、これだけの規模であれば、地球上の全人口を収容できるとか。
 ただしここで暮らす人々は低重力に慣れ切ってしまっているため、地上で生活できない人も多いようです。本作の主人公フランク・プールも、スター・シティで蘇生したため、地球には補助器具をつけて短時間だけ降りています。このほか、巨大な公園があったり、低重力を利用したバレエにプールが挑戦したりと、およそ人間社会に必要なものがほとんど備わっているようです。

 宇宙から地球を見ると、均等に4方向へ伸びたタワーとオービタルリングからなるスター・シティは「赤道上空をめぐる幅広の金属バンド」に見えるそうで(126頁)、「機動戦士ガンダム00」によく似た光景の描写があります。「00」が本作を参考にしているのは間違いないでしょう。
 このほか、木星の衛星ガニメデにもエレベーターを建造し、宇宙では貴重な資源である氷を遠心投射によって目的地への軌道に乗せる発想も登場します。1000年先だけあって、本作における軌道エレベーターは、あるべきすべてを備えた極めつけのモデルといえます。

2.ストーリー展開と31世紀の世界 
 前半は、21世紀の人間であるプールの視点を通じ、31世紀の発達した世界を紹介していて、“プールの31世紀ツアー”といった趣です。軌道エレベーター以外の特徴を挙げてみます。
 この時代、慣性制御が実現していて、加減速で苦しむことがありません。また、「ブレインキャップ」という脳に直接働きかけるインターフェイスによって、大量の情報が労せずして習得でき、これが終盤で重要な役割を果たします。政府の政策は、コンピューター内でシミュレーションしてから実行に移すそうです。動物性タンパクは合成で、「死骸を食べる習慣」はないとか(111頁)。こういう表現をされると食欲なくしますね。
 衛星による通信網など、クラーク氏の発想は実現したものが多く、先見性は誰もが認めるところですが、本作は氏の発想のカタログ的要素も持っているようです。

 後半は、シリーズの柱ともいえるモノリスとの関係などに触れていきますが、木星は「2010年宇宙の旅」(映画タイトルは「2010年」)で核融合反応を起こし、「ルシファー」と呼ばれる第二の太陽になりました。この影響により、本作ではその木星=ルシファーの衛星エウロパで生命が進化を遂げています。プールが眠っていた1000年間のこうした変化も見どころですし、やがて人類が神にも等しいモノリスと、それを司る知性に反逆を試みるという展開も意外で楽しめます。

3.「太陽の盾」について
 2037年、太陽の活動が突如変化し、5年後に地球を未曾有の荷電粒子の嵐が襲い、動植物が死滅するという予測がなされる。人類は被害を最小限に抑えるため、宇宙空間に地球と同じ直径の膜を作り、太陽嵐から地球を守る「盾」にする計画に乗り出す──これが「太陽の盾」のあらすじです。
 この作品は「タイム・オデッセイ」というシリーズの2作目にあたり、タイム・オデッセイは、「2001年」~「3001年」の「スペース・オデッセイ」シリーズのエッセンスを受け継いだ、新たなシリーズ作品です。
 軌道エレベーター(作中では「宇宙エレヴェーター」)は建造途中の姿がほんの少し登場するだけで、物語を左右する役割は果たしません。ですのでその説明は省きますが、人類を監視し時に干渉する存在を両シリーズとも「魁種属」(ファースト・ボーン)と呼ぶなど、スペース・オデッセイからタイム・オデッセイへと、構想の系譜がうかがえます。このほか、「2001年」へのオマージュとして、共通のセリフなどの遊びが随所に見られるそうです(あまり気付かなかったのですが)。

4.クラーク作品への不安
 実をいうと私、単独のSF作品としての「2001年」があまり好きではありません。映画は(当時としては)驚くべき映像美を誇る歴史的作品だと思うのですが、結末は「わけわかんない」。他人に説明できる人いるんでしょうか? 「主人公は発狂した」というのが一番まともな解釈だと思うほどです。理解していると称する人がいるなら、それは独りよがりな解釈か、わかったふりをしているだけだと思います。続編(多少設定の違いがあって厳密にはパラレルなのですが)の「2010年」~「3001年」を読んでようやくちょこっとわかるという程度です。
 クラーク氏には、人知を遙かに超える知性の存在を描く作品が多く、ラストがその知性に接触するなりして超自然的なすっ飛んだ体験に飛躍してしまい、わけがわからないまま締めくくるものがいくつかあります。
 その最たるものが「幼年期の終わり」で、読み終えて「またかあ。。。」と落胆しました。「2001年」もそういう作品の一つです。だから今回、「3001年」と「太陽の盾」を読むにあたり、「結局最後は理解の及ばない世界にすっ飛んで終りでは?」という不安がつきまとっていました。
 しかし、それは杞憂に終わりました。両作とも人間の物語に終始した、実に質の高いハードSFであり、読後感に満足を覚える快作でした。一つの作品としてもきちんと完結していて、1作目を読まなくても十分に楽しめます。

 両作でクラーク氏が軌道エレベーターを扱ったことは、軌道エレベーターの建造を人類社会の必然的な帰結として氏が考えていたことの表れだと思います。氏は2008年3月に世を去りましたが、私たちはこれからも、氏が残した作品世界が現実になっていくのを見届けていくのではないでしょうか。

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