再び玄関のガラス戸を開けて 「今日は、 実は町役場で紹介されたXXX番地のお宅を訪ねて来たのですが、 場所が判らなくて 」 そう言いつつ外観写真の掲載されたコピー資料を手渡した。 その家の主の男性は70を過ぎた高齢の顔付きの方だった、 一人暮らしかもしれません。
訪問先を番地で言われても「ピン」と来ない様子。 そりゃーそうかも知れませんね。 普段の付き合いでは屋号や名前で呼び合っているでしょうから。 それで 「 なんだか別荘として使っているお宅の様ですが・・・」と補足説明すると、 「ああ別荘ね」 と即座に理解した様子。
「この上の方だよ」、 「下の道を少し戻ると、 斜め上に入っていく道があるから、 その道に入って行けば直ぐだよ」と教えて下さった。
車で来た道を戻ると、 教えてくれた斜め上方に分岐して行く道が直ぐに現れた。 その細い道に入って行ったのだが、道は更に分岐しており、 付近には古い農家風の建物は目につくが、 町役場で貰った資料の写真にあった赤い屋根の比較的新しそうな建物は目に入ってこない。 とりあえず車の出入りの形跡の少ない方の道に乗り入れて車をそこに駐車。 歩いて探して見る事にしました。 車を駐車した道の前方にはTop写真の様な「なんだかお寺さんの建物か?」と見紛う装飾の窓が見えていました。
そこは傾斜地を削って平坦な土地として造成した場所でした。 お寺さんの建物と見間違えたのは別荘の母屋に隣接して作られた別棟の茶室でした。
母屋の前に立ち、 西に眼をやると東山の稜線の向こうに餓鬼岳から大天井岳への稜線が望め、 有明山の姿もありました。
母屋の裏手の斜面、 そこは平坦地造成に伴って出来た法面なのですが、 福寿草が咲き乱れていました。 屋外に設置された水栓の表面はメッキの光沢がしっかりしていて、 錆びたりくすんだ色になってはいませんでした。 「建物もしっかりした作りの様に見えました。 利便性を無視すれば静かなことこの上無し」の好ましい環境です。
一通りそんな様子を眺めてから、 「近所の人の話でも聞けたら」そう想って、 駐車した車の先に見えている藁葺き屋根をトタンで覆った作りの家に向かって歩きました。 狭い畑の地面にお婆さんが独りしゃがんで草取りをしていました。 「 今日は、 あそこの別荘の事を町役場で紹介してもらって見に来ました 」 そう挨拶すると・・・
「 そうかね、 売りに出してるだかね? 」
「 幾らくらいだね? 」
「 いや値段まで聞いてません、 ただ見に来ただけで 」
「 あんたたち、 何処の人かね? 」
「 東京です 」
「 あそこの家もそっちの方の人で、 時々来ては使ってるだよ 」
「 家も付き合いがあってね 」
「 あそこの敷地の竹藪はすぐに広がってね、
この前来た時も、竹を大分伐っていたよ・・・」
そんな風に話が始まりました。 それからここ広津での暮らしの事を聞かせて貰ったのです。
冬の雪道除雪
コミュニティバスが運行しているメインの道路は町が除雪。
バス停から分岐してこの下に来るための道も町が除雪。
下の道から分岐してここまで来る道は除雪機を持っているお隣さんが、 個人的に除雪している。 その隣人にお願いしてお婆さんの家の除雪も。
積雪量
お婆さんの表現では 「大した事は無い」
お婆さんはお爺さんが亡くなって、独り暮らしになっている。
自動車の運転 出来ない。
そんなお婆さんの日常生活を支えるのは何だろう? と疑問に感じましたが、 クール宅急便のロゴマークを付けた軽自動車の通過を見て、 疑問の半分は解消しましたよ。 昔はスピーカーから演歌を流しながら食料品や日用雑貨を商う車がありましたが、 今は近所に商店などのない山間地域の日常を支えることに宅急便がその一翼を担っているのかもしれません。
そして最後に「一人暮らししているなら大きな家には空いた部屋が沢山あるに違いない」と想像して、 「空いてる部屋を夏の間だけ、 僕みたいな人間に貸して呉れる気は有りませんか?」 と尋ねてみたところ、 それまでの世間話的なのんびりしたお婆さんの口調は一変して、 「 そんな事はしない! 」、 「貸すなんて嫌だ!」 とキッパリ断られました。
まあ、 それを潮時に僕達もしゃがんだ姿勢から立ち上がって車に戻り、 お婆さんはしゃがんだ姿勢のまま草取り作業に復帰しました。
訪問先を番地で言われても「ピン」と来ない様子。 そりゃーそうかも知れませんね。 普段の付き合いでは屋号や名前で呼び合っているでしょうから。 それで 「 なんだか別荘として使っているお宅の様ですが・・・」と補足説明すると、 「ああ別荘ね」 と即座に理解した様子。
「この上の方だよ」、 「下の道を少し戻ると、 斜め上に入っていく道があるから、 その道に入って行けば直ぐだよ」と教えて下さった。
車で来た道を戻ると、 教えてくれた斜め上方に分岐して行く道が直ぐに現れた。 その細い道に入って行ったのだが、道は更に分岐しており、 付近には古い農家風の建物は目につくが、 町役場で貰った資料の写真にあった赤い屋根の比較的新しそうな建物は目に入ってこない。 とりあえず車の出入りの形跡の少ない方の道に乗り入れて車をそこに駐車。 歩いて探して見る事にしました。 車を駐車した道の前方にはTop写真の様な「なんだかお寺さんの建物か?」と見紛う装飾の窓が見えていました。
そこは傾斜地を削って平坦な土地として造成した場所でした。 お寺さんの建物と見間違えたのは別荘の母屋に隣接して作られた別棟の茶室でした。
母屋の前に立ち、 西に眼をやると東山の稜線の向こうに餓鬼岳から大天井岳への稜線が望め、 有明山の姿もありました。
母屋の裏手の斜面、 そこは平坦地造成に伴って出来た法面なのですが、 福寿草が咲き乱れていました。 屋外に設置された水栓の表面はメッキの光沢がしっかりしていて、 錆びたりくすんだ色になってはいませんでした。 「建物もしっかりした作りの様に見えました。 利便性を無視すれば静かなことこの上無し」の好ましい環境です。
一通りそんな様子を眺めてから、 「近所の人の話でも聞けたら」そう想って、 駐車した車の先に見えている藁葺き屋根をトタンで覆った作りの家に向かって歩きました。 狭い畑の地面にお婆さんが独りしゃがんで草取りをしていました。 「 今日は、 あそこの別荘の事を町役場で紹介してもらって見に来ました 」 そう挨拶すると・・・
「 そうかね、 売りに出してるだかね? 」
「 幾らくらいだね? 」
「 いや値段まで聞いてません、 ただ見に来ただけで 」
「 あんたたち、 何処の人かね? 」
「 東京です 」
「 あそこの家もそっちの方の人で、 時々来ては使ってるだよ 」
「 家も付き合いがあってね 」
「 あそこの敷地の竹藪はすぐに広がってね、
この前来た時も、竹を大分伐っていたよ・・・」
そんな風に話が始まりました。 それからここ広津での暮らしの事を聞かせて貰ったのです。
冬の雪道除雪
コミュニティバスが運行しているメインの道路は町が除雪。
バス停から分岐してこの下に来るための道も町が除雪。
下の道から分岐してここまで来る道は除雪機を持っているお隣さんが、 個人的に除雪している。 その隣人にお願いしてお婆さんの家の除雪も。
積雪量
お婆さんの表現では 「大した事は無い」
お婆さんはお爺さんが亡くなって、独り暮らしになっている。
自動車の運転 出来ない。
そんなお婆さんの日常生活を支えるのは何だろう? と疑問に感じましたが、 クール宅急便のロゴマークを付けた軽自動車の通過を見て、 疑問の半分は解消しましたよ。 昔はスピーカーから演歌を流しながら食料品や日用雑貨を商う車がありましたが、 今は近所に商店などのない山間地域の日常を支えることに宅急便がその一翼を担っているのかもしれません。
そして最後に「一人暮らししているなら大きな家には空いた部屋が沢山あるに違いない」と想像して、 「空いてる部屋を夏の間だけ、 僕みたいな人間に貸して呉れる気は有りませんか?」 と尋ねてみたところ、 それまでの世間話的なのんびりしたお婆さんの口調は一変して、 「 そんな事はしない! 」、 「貸すなんて嫌だ!」 とキッパリ断られました。
まあ、 それを潮時に僕達もしゃがんだ姿勢から立ち上がって車に戻り、 お婆さんはしゃがんだ姿勢のまま草取り作業に復帰しました。