脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Compulsory Education

2017-07-25 | Weblog

体力がありあまっている中高生が入会する時、親を通して言うことがある。それはトレーニングをやりすぎるなと言うことである。一つは成長期に体を酷使することはのちに体を故障させる原因となる。特にボクシングはなぐりあいだから、支障が生じやすいスポーツである。そう言うことを組してある程度自重してトレーニングさせている。へとへとになるまで練習させたり、ボクシングで言えばあきらかに敵意むき出しでなぐりかかって行くようなスパーリングを容認したり、けしかけたりするのは大問題だ。子供の将来を考えて故障させないトレーニングは特に教育機関いおいては優先事項だと思ってるが、はっきり言って運動クラブの練習時間を制限させた方が健全、本能の赴くままやりたいようにさせるというのは好ましくない。最近よく格闘技系の人間の暴力的な犯罪が表ざたになっているが、私の意見ではこういう自分のやりたいことだけを一生懸命やる人間はどこか行動が稚拙で自制がきかないと思っている。どこかで自分を自生してそのあまったエネルギーを他にやらなくてはいけない勉強にあてるほうが健全で、そのエネルギーを制御する訓練にもなると思っている。うちのクラブは見学の時にかならず親同伴で来てもらっているが、その時髪を染めたら退会、そして勉強しろと親の前ではっきり言っている(言う必要のない子供のほうが多いが)。

親に養われている子供の義務は勉強することだ。これは国民の三大義務のひとつでもある。中学生にやりたいことを見つけろと言うのは無責任だ。この前子供がなぜ勉強しなくてはならないのかと言ってきたのでこう言った。「国民の三大義務は何だ」現役だから「教育、労働、納税」とすっと出て来たが、そして「その中で君ができることは何だ」と聞くと「教育」と答える。義務教育は英語ではcompulsory educationと言うけど、君たちにはやらなくてはいけない責任がある。compulsory educationと言うのは強制的なと言う意味も含んでいるが、教育は受けなくてはならない義務、即ち責任である。その逃げられない責任をいやいややるのか自発的にやるのか、逃げられない、やらなくてはいけない責任なのだからその壁に対峙して、一生懸命取り組む方が賢い選択だと思うがどう思うか」と言ったのだが、教育は責任だ。その責任があることを自覚させることは親の役割で自分のしたいことをさがせと言う前に責任ありきだと思っている。勉強なんかスポーツの基礎トレと同じように面白いはずはない。はっきり言って中学や高校ぐらいの勉強はスポーツで言えば基本練習の段階だ。スポーツもそうだがその基本練習を積んで行ってある程度フィールドで結果が出せるようになるから面白くなるわけであって、それは勉強も同じことである。外国語が読めたり、ある程度知識が身につけば学ぶことが本当に楽しくなってくる。私の趣味は本を読むこと、趣味と言うのはおもしろいからするのだが、私にとって本を読むことはおもしろいことで、休みの日は暇さえあれば本を読んでいるのだが、旅行に行く時も本を持って行くし、私のカバンには常に5冊以上は本が入っている。これは私の意見であるが、教養をつむことで自分の世界を広げることができる。世界を広げることで人間のつきあう幅を広げることができるし、人間の幅をつくる。おそらくそうなれたら本当の意味で人に影響を与えることができる人間になるのだと思う。私は思う教育は子供の責任だ。それは我々が働き、納税しているのと同じことそれは義務である。その義務を義務だと教えるのが大人であると思う。

 

 

 

 

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