心理学の用語に「social interest」と言う言葉がある。これは家族、地域、職場などの中で自分はその一員なんだと言う感覚を持っている状態で、アドラー心理学ではこの感覚を高めることを重視している。共同体感覚とは他者が興味を持っていることに興味をもっていること。自分は所属グループの一員だと言う感覚を持っている。積極的にその仲間の役にたとうとする。関わる人たちとお互いに尊敬、信頼し合っている。すすんで協力しようとする。などがあげられるが、こういう行為ができるのは自分をよく理解し短所も長所も受容している一人前の大人だからできることだと思うのだが、うちの共同体はこういう共同体を目指して向かっていると言ってもいいだろう。よく上げるうちのトレーナーやマス部隊などがそうである。一見遊んでいるようであるが、しかし隊員は来てくれる女性たちに思いっきり楽しく汗を流してもらおうと一生懸命にやってくれる。時にはもうトレーニングがおわりかけているのに女性が来て「すいませんトレーニングおわりますか?」と聞くと「あっいいですよ」と快く返事してくれるのだが、やはりこういう奉仕的な精神があると言うのは彼ら彼女らが自立した大人だからでこの人たちの肩書がしっかりしているのもうなづけるのだが、マス部隊の人たちは人間としてレベルが高い人たちだと思っている。これは理屈抜きにいえることだが人間として成熟した人は他者のために何かができる協力できるということである。そしてそれは単なる仲間意識ではなくて社会貢献的なもので、そういう感覚がクラブの中にあると言うことはそのクラブが平和的であるとも言えると思う。一方自立できていない集団は仲間意識がつよいが他者への協力が希薄である。自分を目立たせたり優位に立たせるための上下関係やヒエラルキーがそこには存在するのだが、自分の欠点を見ようともせず相手よりも優位に立とうとするような競争的な姿勢は共同体を正しく保っていくためには必要ない。勉強がだめだから社会的実績がないからとスポーツのしょうむない実績や武勇伝で目立とうとするような人間はまさにそうだ。格闘技のクラブによってはこういう目立ちたがり屋ばかりのいるところもあるようだがこういう人間はころもをはがしていくと3流以下だということがわかる。こういう人間がトレーナーとして人を指導することはかなり問題があるだろう。social interestと言うのを実践するためにはそこで中心となる人の質が問題だ。ここでは自分勝手で目立ちたがり屋のアウトローを入会させないと言うのはそいつらがそういうレベルで物事を見れないからでそういう感覚を持っていないからだ。前にも言ったが共同体の中心にそういう人たちを集めるためには言葉の力が必要である。やさしく知的な言葉をつかい、そして何が正しいかと言うことをしっかりとした基準を持って、時にはその基準をもって裁くことも必要であるが、そういう哲学的な思考を持つ必要はあると思っている。私ができることはアウトローなどを入会させないと言うような人選とこいつは邪魔だ悪影響だと感じたらバッサリ切り捨てること、ただそれだけであるが難しいことである。ここには40代以上の人や女性が定着している。40代以上の人で何年も在籍してくれている人は何人もいるのだが、その人たちはもと経験者とかではなくここで健康維持のためにボクシングをはじめた人たちで、そういう人たちが在籍しているということはうちのクラブの実績でもあると思う。