脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

ボクシングクラブ、スポーツにおける礼儀とは

2022-07-03 | Weblog
私の持論では礼儀はあいさつできるとか目上の人間に服従の姿勢を示すことではない。そんなことはヤクザや半グレでもできるし、むしろ彼らの方が徹底している。私の持論では礼儀は余裕と教養だと思う。余裕は人に何かを譲る気持ちであるが、礼儀については、まず礼儀とか言っている人間は正しい日本語を話さないとだめだ。私は日本語をきちんと話せるようになるために2台電子辞書のキーをプレスしすぎてこわしてしまったが、2台つぶしても私の日本語力はこの程度、日本語は本当に難しいと思う。私が思うに礼儀正しい人とは日本語がきちんと話せて、ある程度教養のある人だ。何となく正しいと思う日本語やあいまいな敬語を少ないボキャブラリーと共に使うことは、話す相手や内容によってはぶしつけともとられるし、非常にみっともない。礼儀正しい人とは正しい日本語を話せる、教養を持った人であろう。
運動系の人間はとにかくでかい声であいさつしたり、返事したりすることがいいことだと勘違いしているが、それは非常に下品だと思う。
正しい日本語を使って誰とでも対話できる能力をある程度持った人は、あいさつを声の大きさでいいか悪いかと言う間違った判断はしないし、でかい声でちわーっすとあいさつはしないと思うが、あいさつはパフォーマンスではない。でかい声を出せばいいと言う考えはナンセンスだ。日本語を正しく使うとあいさつにおいても節度をもった表現ができる、そこに品格があらわれると思う。私の持論はジムで大人がどういう日本語を使うかが問題、ある程度教養があって、正しい日本語をつかえばそこに来ている子供や若い人たちも影響をうけて礼儀正しくなると言うのが私の考えである。礼儀とかでかいことを言うならば、やくざや半グレの集団でも徹底できるようなことではなく、むしろ品性を養うことができるような環境づくりや影響を与える方が正しいことではないかと考えている。

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