脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

バイレイシャルはこの時代は有利だ

2013-01-19 | Weblog
だいぶ前に読んだ本「ハーフはなぜ才能を発揮するのか」と言う本の中でバイレイシャルや帰国子女があげる国際人の条件が書かれてあった。
それによると
 自分のアイデンティティが何か、どこにあるのかを獲得していること。
 英語を話すか、それ以外の言葉を二か国語以上話すこと。
 日本以外の国に暮らした経験があり、日本と他国とを相対的な地平で見ることができる。
 様々な国の文化を味わった経験があり、それを知的に吸収することができる。
 現地に行って、言葉を学び、そこで出会った人々と、喜怒哀楽を共有した経験を持つ。
 外国の文化をオープンに受け入れる姿勢がある。その人たちの立場で考える力や創造性に富んでいる。
 どこの国に行っても適応能力が高く、サブカルチャー気質がある。
 自分で考える力がある。
 自分の意見を相手に伝える伝達能力、コミュニケーション能力に長けている。
 自分自身のルーツや文化を理解し、受け入れている。
の10項目である。
自分のアイデンティティが何か、どこにあるのかを獲得しているというのは、帰国子女やバイレイシャルらしい意見であるが、これらはなかなか的を射た意見である。
だいぶ前からグローバル化が進んでいるが、はたしてこの条項に自分たちの親玉たちはいくつあてはまるだろうか?
日ごろは偉そうなことを言っていても、この国際社会と言われている時代に英語や他の言葉が話せないないようではだめだ。さらによその土地に行っていろいろなことを吸収していく経験も必要だと思うが、実際にそこの土地以外出たことがない人間と、よその土地で生活したことがある特に東京や大阪などの大都市で生活したことがあるような人間は考え方に大きな差がでてくると思う。
そしてそれはスポーツにも言えるわけで、同じようなスポーツしかやったことがない、体育会の世界にどっぷり使っているような奴は考え方が非常に狭く、考えられないようなバカなことを、伝統であるとかしつけとか言って押し付けるものだが、それらは決して根拠があるわけではなく、親玉どもの権威づけのためだけに存在するものである。
野球部の坊主とかアマチュアボクシングの素っ裸で計量なんて言うのは、まさにそういう了見の狭い奴らの押し付けだが、こいつらの行為は人権侵害、常識を逸脱している。バカだとしか言いようがない。
たぶんこういうことを当たり前だと思っているような人間は、モノリングアルで外の世界を知らない、すべてのことをボクシングやスポーツに結びつけてしか考えることができないバカだと思っているが、こういう人間が特に指導する側い多いからこそ、自分の物事を考えて判断する力が必要である。
そして自分で考える力というのは、今や日本語だけでは不十分、最低でも二か国語を理解し、他の文化や考え方を吸収能力がなければ、考え方が矮小化されて非常に恣意的な考え方になるのだが、スポーツしかできないそれがすべてだと思っている人間の常識が社会の非常識と言うのは説明しないでもわかることである。

世界と言うのは確実に狭まっている。そしてその世界を狭めていると言うか身近にしているものは言葉であり、特に英語と言うのは共通語でこれが話せないと国際社会では通用しない。
だから自分たちの価値観が支配する小さいところに子供をとじこめて、それがすべてだと言うような指導法は間違っている。
元プロ野球選手の桑田が体罰は指導者の勉強不足だと言っていたが、体罰も閉ざされた狭い世界だから通用することで、それはそういった指導法が間違っていると言うことだけではなく、それ以外にもおかしいと言うことに気付いたら、もっといろいろなことを発言することができるフラット関係を築くことが必要で、そのため親玉中心の家父長主義的な制度は即刻解体する必要はあると思っている。

こういう親玉中心の家父長制の制度は、やくざごっこに等しい遊びで、体育会の行動ややり方に稚拙さを感じるのは、やくざごっこの世界にどっぷりとつかっているからであろう。
こういうやくざごっこの延長が、暴力やいじめ、そしてえげつない犯罪に実際つながっているのだが、もはやここまで行くとこいつらの遊びはもはや遊びとは言えない世の中の害を通り越して犯罪と言えると思うのだが、レイプや体罰などはまさにそう言ったことではないだろうか。

そしてさらにそれはもっと競技者にも自分で考える力を身に着けさせる必要がある。
そういう力が十分にあれば、人権を無視したような指導法も明らかにおかしいと感じるのだろうが、しかしそういう狭い世界にとじこめられると何が正しいのか、理解できない、親玉の言ったことだけがが正しくなり、たとえ親玉がバカで理不尽なことをしようが、それをおかしいと言うことができないのだ。
そうならないためにももっと自分で考えさせる力を身に着ける指導法と環境が必要ではないだろうか。
そういう力を身に着けることで、そういう親玉の理不尽な体罰や、それだけしかできないような小さな世界に対して、こんな世界ではだめだと言うことができると思うのだが、しかし自分で考えると言っても、それは知的に物事を吸収していく能力で、これはただ単にスポーツをがむしゃらにやっているだけでは身につかない。
例えば語学などをおぼえていろいろな国の文化を知り、その国のスポーツを知ると言うこともスキルアップや制度や考え方などを改善していくためには必要であり、そういう能力が身についていないと詐欺師ややくざのような指導者にふりまわされることになるのだが、今あげた国際人の条件と言うのはこれからのスポーツにも必要で、そういうセンスが磨かれなくてはならないと思うが、まずその手始めに外国語を奨励する必要があると思う。

最近頼まれて、韓国語を特別に教えることなったのだが、ここ何年か前から第二外国語が英語の代わりにセンター試験で選択されていて、多くの大学が第二外国語を採用しているそうであるが、韓国語もそのひとつである。
これは帰国子女などにとってはかなり大きなアドヴァンテージであり、こういう制度は日本だけではなく、欧米や中国でも採用されているそうであるが、こういう制度が当たり前になってきている時代に日本語だけしか理解しようとしない、他の文化が理解できないようでは落ちこぼれていくだけだ、保守的で封建的な体質を持った軍団は新しい考え方や文化を受け入れていく能力がない、徳川幕府そのもので、解体しないのが不思議なぐらいだが、たぶんそれは未だに保守的な考え方の人間でかたまっているからだと思う。




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