脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

徹底してアウトローやんちゃですお断り。

2017-07-13 | Weblog

空港とかショッピングセンターの障害者の人のための駐車スペースに時々車を止めるクズを見る。アホそうな顔をした教養スペースのない、得体のしれない生物であるが、うちのクラブにこういう奴らが来たら絶対に入会は拒否。弱い立場の人たちに配慮できないような人間がうちのような女性や子どもが多く在籍しているクラブでまともにそのコモンセンスを守ってかかわっていけるとなど思えないからである。共同体の質と言うのは弱い立場の人たちやマイノリティをどうとらえていくかということと深く関わっていると思う。時にボクシングのような激しいスポーツは力が強いものが大きい顔をするスポーツだが、武勇伝を得意げに語ったりするのはまさにそういう関係がジムの優劣をあらわすからである。競技者が主体で、血気盛んで勢いのある奴がジムの中心になってそいつら中心でジムが動いていると言うのはあきらかに差別、そういう人間しか使えないと言うのは明らかに指導者がアホだからであり、ジムやクラブが公共の場で平等だと言うならば、もっと多様性のあるクラブとして運営させることが正しいクラブの在り方だと考えている。

そしてその上で大事なことは「何が共通の正しさ」であるかということである。うちのクラブはコミュニタリアンであると言っているのはまさにそこが大事だと考えるからだ。しかし共通の正しさと言うのはあいさつしろとか運動系の奴がよく言っている稚拙なルールではなく、自分の権利を無視されたり侵害されることなく、平等であるということで、それはジェンダーや民族など多様性を認め考えた上で、その群れが生き生きと活動できる共通の正しさで、それは基本的には人に対する気づかいや配慮、そして思いやりであると思っている。そしてそれを実現させていくには、その群れにどういう人が集まって来ているかと言うことが重要な課題だ。障害者用の駐車スペースに車をとめるクズは論外であるが、俺、俺、俺と物事を一般化できないそれしかできない体育会系の奴、威嚇するような恰好で武勇伝を語るアウトロー、おそらくこういう奴らがジムの中心になるのはそのジムに哲学がないからだ。うちのクラブはコミュニタリアンだと言っているが、そういう考え方を理解するためにはある程度教育が必要だ。少なくとも私が発信していることを理解するためにはある程度の知識が必要でそういう理解できる人が集まって来ることで群れが健全に保たれ、そういう考え方が生まれてくるのだと信じている。これは私の考え方だがボクシングを通して自信がついたり人間が成長するというのは大きな勘違いだ。人間と言うのは共同体によって成長させられるもので、その共同体を通して世の中全体に世界観が広げられていくというのが理想で、そのためその共同体にはどういう人たちが集まっているかと言うことである。

それしかできない外の世界を知らないような親玉の小学生のようなルールの中で一体何が成長できるのか。親玉もその場では威厳たっぷりにいかにも自信ありげに語っているが、しかし世界を広げて行くとわかるが、この人たちは海外では国内と同じように振舞えないし、インテリ層には何も言えない、小さい世界でしか生きてこなかった知識が乏しい人間と言うのは所詮そんなもの、こういう奴らは子供だましだがいかに自分のことを偉く大きく見せることに長けているからたちがわるい。よく目を凝らして、そういう奴らのまわりに利害関係抜きでどういう人間が集まって来るか見たらいいだろう。類は友を呼ぶと言うような同じような人間ばかり集まって来ているのなら、そういう人間が運営するコミュニティで本当に人として成長なんてできない。大事なのはその集団が知性を持っているかどうかということだ。

 

 

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