脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

とあるバーで

2009-02-13 | Weblog
その日トレーナーのジョージは上機嫌であった。
それはかねてから練習していたスマッシュ気味のフックが、結構実践で使えたからであった。
夜どういうわけかジョージに誘われて、俺とアレンそしてその友人である日系人と飲みに行った。
行った所は忘れもしない韓国バー、アレンの話ではここは日本人がくるとおそろしいぐらいボルそうである。
席につくと店のある女性が日本語で話しかけてきた。
上の名前は忘れたが「知恩」流暢な日本語が話せた。
なぜ日本語が話せるのかと言うと、聞くところによるとお母さんが日本に住んでいたらしく、日本語はお母さんから習ったそうである。
こんなことを言ってはなんだが、バーの女性にしては知的な顔立ちをしている。
一人だけ少し雰囲気が違うのでそれとなく聞いてみると、彼女は学生だそうで、学費を稼ぐためにおばさんの店である期間はこうして働いているそうである。
うそか本当かはわからないが、とある場所で自分のことを見ていたようで、その自分がここに入って来たことに大変驚いている様子であった。
言葉は日本語で交わしたので、2人だけの会話となった。
学校のこと、家族のこと、そして自分の祖国のこと、彼女はBusinessを専攻しているので、将来メインランドの企業に就職したいというようなことを言っていた。
彼女からこういう話を聞いた。
韓国に伝説ののボクサーがいた。
それは金徳九というボクサーである。
話はまるまる全部覚えてはいないが、聞くところによると、彼は貧しい家庭に育ったのだが、ある時ボクシングと出会い、その生活からぬけだそうとがんばる。
彼の試合は壮絶な打ち合いをすることで有名であったそうであるが、彼はそのことによって名声を手にし、世界戦の切符を手に入れたのである。
しかし日ごろのダメージとその世界戦の相手がまずかったのか、壮絶な打ち合いの末、彼は死んでしまったらしい。
その時婚約者のお腹の中には子供がいたそうである。
この試合をきっかけにボクシング協会では、15ラウンドの世界戦の試合を12ラウンドにかえたそうであるが、彼の伝説はアメリカの韓国人たちにひろく語り継がれているそうである。
その話を終えると、おもむろにミネラルウオーターを自分のコップに注ぎ、聞いてきた。「ボクシングおもしろい」。
自分は「うんおもしろいよ」と返したのであるが、その時かなりの沈黙が続いた。なぜ彼女がそこで、この話をし、自分に質問をぶつけたのか不思議であった。
恋人がボクサーなのか、はたまた家族や身内にそういう人がいるのか、不可解さが残る会話であった。
その後彼女とは連絡を取り合い、時々会っていたが、彼女がなぜあんなことを言ったのか聞き出せずにいた。
当時ここではアメリカンドリームという言葉が使われた。
裸一貫で努力してチャンスをつかみビッグになっていく、そういう話はもてはやされた。
映画ロッキーの名セリフで、トレーナーがロッキーに「Rocky, Do you believe america is land of oppurtunity」と言うのがあるが、まさにアメリカにはチャンスがころがっている。そういう夢を多くの人間が求めてここにやってくるのである。
しかしその夢半ばにしてたおれてしまった人間もいる。このボクサーのように。
今考えればそういう現実や生きる不安を、実際そこで移民として生きる知恩は、自分にぶつけたかったんじゃないのかと思っている。
この彼女との出会い以来、自分は夢とか目標ということを安易には語れない。
そんなことよりも、自分にとってはどう生きるかというほうが問題であり、その戦いが本当に自分にとっての幸せや平和をもたらすものでなければ、それがたとえボクシングであろうと無意味なものであると思っている。
帰る時ジョージは完全にへべれけになっていた。
自分はタクシーで帰ると言ったのだが、それでも送ると言うので車に乗ったが、それが間違いだった。
へべれけになったジョージは、それでも上機嫌に話しかけてきたのであるが、その話が自分のフックの話になった時、お前あのフック最高だったと、ハンドルを握っているのに左手をフックを打つようにまわしたのだ。
後は想像通りである。自分たちは激突寸前、この時彼の酔いはすっかりさめた。








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