脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

チェグル イルゴラ 本を読め2

2013-07-02 | Weblog
スタンダードの自分を変える教室について日記で紹介した。
この本は一応自己啓発的な本の部類に入るのだろうが、普通自己啓発の本と言えば成功話などのでかい話で盛り上げその気にさせるのが常とう手段であるが、しかしこの本は脳科学や心理学の見地から書かれており、一応批判を受け入れながらも限界を認めつつ、意志力を高めていくためにはどうしたらいいのかということが書かれている。
この本は日本語版で買ったのだが、しかし日本語版には参考文献がのっていなかったので、英語で購入する予定だが、この本は誘惑が多く、意志力を必要とするダイエットの人の手助けになると思うので、参考文献なども参照にしていろいろと研究したいと考えている。

自己啓発と言えばDカーネギーが有名だ、しかしなぜこういう本が未だに売れているのか理解できない。
向こうではだいぶ昔からDカーネギーの話なんかを引き合いに出したら、無学な人間と思われる。この本は昔々の単なる自己啓発本だが、日本では最近までは結構うれていたようである。

Dカーネギーと言えば、だいぶ昔ある中小企業の社長のおっさんに飲みに誘われたことがある。私はあまり酒の席が好きではないし、飲み屋が嫌いである。さらにこのおっさんが見栄はりでいつもお金を見せびらかしていて下品だと思っていたので、断っていた。
しかし私のことを気に入ってくれているのか、どうしても連れて行きたかったようである。
私はしぶしぶ彼の誘いにうなづいたが、案の情このおっさんはいいところを見せるために子分をひきつれてやってきた。
えげつないなあと思ったのは子分に自分の財布を持たせていることだ、この縦社会の業界ではよくあるらしく、いくら入っているか気になったので支払いの時に見たら、札束がぎっしりとつまっている。何をしたらこんなにお金が入ってくるのかわからないが、どうやらこのおっさんにとってお金はみせびらかすためにあるらしい。
そしてこのおっさんと行った2軒目に行ったスナックで、おっさんが子分に偉くなりたかったら本を読めと説教じみたことを言っていたのだが、その時おっさんがおもむろに出した本が「人を動かす」と言うカーネギーの有名な本、そして私に「先生は読んだやろ、ここには成功するための哲学がかかれている」みたいなことを言ってきた。
すかさず「いいえ、そんなもの今や誰も読まないですよ。他にもっといい本はいっぱいあります。そういう本をすすめるんだったら、もっと難しくて読み応えのある本を読んだ方がいい」と言ったら、おっさんはかなり不服そうでそれ以来私と連絡を取ることはなかった。

この手の人間はよく哲学と言う言葉を口にする。古代ギリシャの考え方もわからない奴が何を言っているんだと思うのだが、スポーツの世界なんかでもボクシング哲学なんて言うことを言う人間もいるが、まさにそうだ。
しかし弁証法的な考え方もできないくせに、ただ成功話のような武勇伝を語っていることが、哲学的な話をしていると勘違いしているが、技術的なトリックを語ったり、単に成功話をして自己啓発的なことを語ることが哲学ではない。こいつらの言っていることは一方的で矛盾したことが多い。
例えばあいさつしろなんていうのも、ただ一方的に言っているだけで、今の時代ならば心に問題を抱えていて人と話しをすることさえこばむ子供もいる。そういう子がただ体を動かしたいだけで来ただけなのにあいさつは基本だなどと言われて強制されることが正しい事なのか、そう言うとできない子はしないでいいと言う奴もいるだろうか、しかし問題はそういう子供がいると言う可能性があるのにそれがルールになっていることである。まあこれは私の考え方もひとつの意見であるが、しかしこういう批判も受け入れつつあいさつをすることが正しいという見解に達すればいいのだが、しかしこういうことが正しいとただ主張する人間はあさはかで、一方的に物事を考える人間が多く、こういう人間が桜の宮のような暴力事件を起こすと考えている。
今やこういうことを語る時も脳科学的に見てとか心理学的な見解をもってそれが、動機付けとなるということを言う時代なのだから、基本と言う言葉を都合よく使わずに、自分たちが学問の基本に立って物事を考えていく必要があると思っているが、哲学すると言うのは物事を一方的に考えるのではなくて、批判などを受け入れつつ、その批判についてじっくりと考えて物の考え方を高めていくことであるが、私の見解では日本のほとんどのスポーツ系クラブは哲学などない、しいて言えば安っぽい自己啓発である。

よく親が自分の子供に自信をつけさせると言って格闘技をさせるが、しかし自信をつけると言って何をさせるのか?このこの本の章に「感染する」と言うテーマがあったが、ケリーマクゴニガルによると、人間の集団はその一番わるいところで感染するらしく、指導者の程度がひくいと感染しかねない、言いたくはないがまさにバカが...自体になりかねない。
単純な奴は世界を目指せとか、オリンピックを目指せ、ここだと四国チャンピオンとかそういうニンジンをぶらさげて練習をさせることで自信がつくと思っているが、しかしそんなことで本当に自信がつくのだろうか??ただその世界で通用することを自信と思っているだけで、そういう錯覚をその群れで起こさせているだけではないかと疑っている。
現にそういうところで偉そうにできても、外の世界では小さくなっている奴が多い、海外に行った時のアスリートの態度などがまさにそうだが、言うべき時に何も言えないのが日本のアスリート界の現実、縦社会と学力不足で議論する能力が養われていないのだ。

何度も言うが若いうちは哲学をしなくてはいけない。
しかし運動系はどちらかと言うと単純なことに応えを求める。そこらじゅうの高校中学のクラブのTシャツに四字熟語がかかれているのを見るが、まさにそれを表しているのだが、前にも書いたリーダーとしての条件なんて言うのもそうだ。
スポーツはバカじゃできないと言うが、こういうところに単純さがでている。
本を読む人にはわかるが、私は本当にいい本と言うのは難解で難しいと信じている。
そしてそのほとんどは弁証法と言うかたちをとって書かれていて、哲学者のサンデルが質疑応答を繰り返すのもそう、真実と言うのは簡単にはたどりつかない、真実は否定や肯定を何度も繰り返してたどり着いていくものだ、だから人の批判を受け入れて、否定と肯定を繰り返して熟考する必要がある。
そういうことを知ると言うか経験するために、本を若いうちに一冊は読んでおく必要があると思うのだが、しかしあさはかな人間はこういう訓練ができていないから単純な答えを求めてしまう。
ただケリーマクゴニガルの場合は弁証法的でもあるが、医学と言ってもいいので見解も実験結果を通してあげられる過程が多いが、しかしこの本も読み応えがある。
日本語の翻訳は丁寧すぎて、少し原本とは解釈が違うことがあるので、英語が読める人は英語で読むことをお勧めするが、この本は1年足らずで17刷も発行されているベストセラーだ、こういう本が日本で多くの人に読まれているのだから、スポーツ指導者もそれにあわせて本を読む必要があると思う。



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