脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

Speechless

2020-05-30 | Weblog
ジムに入る前は体温をチェックします。37度以上はジムでトレーニングできません。
入ったらアルコールで手と指先、靴の裏を消毒してください。またジムではガイドラインを参考に行動してください。

うちの監督は人種的にはヨーロッパ系(UK?)、カナダで育ったケベックだそうだ。英語とフランス語を流暢に話す、そして彼が専門の学術関連の言葉を理解する知的な人物である。実際競技者としてのボクシングの経験がそれほどないので指導はジョージやアレンがおこなっていたが、しかし彼の影響は大きく、彼チームをしっかりと管理してくれたおかげで楽しく、充実した、自分にとって意味のあるボクシングができたと思う。そういうわけだからここで育った人間は卒業後にビジネスで成功をおさめたり、それなりに成功していった人間も少なくはない、そこではボクシングだけではない、我々が生きていく上で必要な哲学とか知恵そして大事なことが学べたと思う、私がボクシングをたかだかボクシングされどボクシングと言うのは彼の影響によるものだ。彼曰くボクシングはジェントルマンがたしなむスポーツだそうだ、そういった時私は「えっ」と思って彼の顔をみたが、理由はホームズが競技していたと言う単純な理由である。そのシャーロックホームズは誰もが知っている探偵小説である。ドラマを見ていたらわかるが、そこで使われる英語は英国社会の上流階級で使われる表現である。表現はソフトで鼻にかかったような話し方をする、わかりやすくいえば少しフランス語チックな話し方、三島由紀夫が話す英語もまさにそれである。

英語は今の時代は話せたほうがいいと言うか、英語だけではなく3か国語が当たり前の時代になってきている。私が思う語学を理解できる一番のアドバンテージは、多面的なものの考え方ができること、そして多くの人と会話できることである。事実言葉をおぼえて違う文化にふれたら考えさせられること、そして改めさせられることも多い。最近ではかなり考え方もかわってきているし、日本人は勤勉でまじめそして誠実であるから評判もよくなってきているが、当時私が目からうろこだったのはボランティアに対する考え方だ。日本ではボランティア=犠牲みたいな感じがあって、そんな何の得にもならないことを誰がやるかなんて思っていたのだが、しかし外国の人はむしろそこから得るものが多いと考えて自発的に参加していく、ボランティアに対してはすごく積極的であることに驚いた。実際私もクリスマスシーズンに病床の人たちのところにプレゼントをもってお見舞いに行くと言うボランティアに参加したことがあるが、うまく表現できないのでこんなことを言って迷うが、何かテンションが違う、友人の医師がERで研修した時に、まわりのテンションがすごく高かったと言っていたが、その感覚に少し近いのだろうか、おそらく彼ら彼女らは責任感をもってここに来ている、人によっては生き生きと活動をしていたのだが、そこがボランティアに参加しました程度の私との大きな違いである。
実際に日本をはなれて違う文化にふれることは考え方の幅をひろげる上では大事なことで、そういった体験が物事を考えたり、判断する時のものさしになるのだ。
先日未だに競技者をもののように扱う、スポーツ指導者についてふれた。聞いててはきけがするのだが、実際顔をたたいたりしたら問題になるので、公にならないところでどなったり、けとばしたりするそうだが、微妙なさじ加減でうまく、競技者をさげずんだり、痛めつけたりする、そういうことをする人間は気が小さいからいいわけをきちんと考えている、少なくともそれぐらいのことでは大問題にならないように、時には相手の家族構成や立場などを考えて行動しているからたちがわるい、むしろ陰湿な分だけ深く傷つくだろうが、こういうことをする世代と言うのはスポ根世代の体育会で育ってきた人が多いと思う。スポ根世代はスポーツにおける人権と言うものがどういうことかと言うことがわかっていない、そういう教育を受けていないのだと思っている。実際にそういう意地悪や暴力的なことをうけてきた人間に、その指導者は英語が話せないだろと聞いたら話せるはずがないと言っていたが、語学に疎いと言うものある程度共通して言えることである。
最近日本でもスポーツのハラスメントが問題になっていて、ガイドラインをつくるとか言っているが、しかし体験としてそれを受けていない人間たちが、換骨奪胎的にガイドラインをまねても機能しない、それは単なる何々するなと言うルールになるだけ、実際にそういうルールだけでははじめにあげた指導者のように、どうにでも人を傷つけたりできる、大事なのはそこに行って競技者がどういう扱いをうけているか、そして人権がどう守られているかと言うことをいいこともわるいことも含めて体験することである。競技者に英語や語学を勉強させると言うことは今の時代には必要なことだ、日本は競技者の人権がきちんと守られるにはまだまだ時間がかかりそうだが、最近はスポーツにおいて語学が重要視されるようになった時代、言葉をおぼえて実際に自分とは違う文化や場所にふれることで、ものの見方がかわり、そういう人間が大きく間違った部分を改革してくれるだろうと思う。

久しぶりの動画は私が好きな韓国人のシンガーだ、シンガーと言ってもコピーであるが、しかしコピーだけど、オリジナルになってきている、チンキーアイに黒髪で長い髪をくくる朝鮮民族スタイルは見ていてかっこいいと思う。英語圏の文化にあこがれて、それらしい格好としぐさでトレーニングしても言葉や文化がわからないそしてさらに自分の文化をしっかりともっていないと、それはサルまねだ、本人たちはかっこいいと思っていても見ていて非常にださい。しかし言葉や文化が理解出来て、かつ自分の文化に誇りを持っていたら、たとえそれがマネであってもオリジナルになるのだ。





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