脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

人間の尊厳 

2018-11-10 | Weblog

Million doller baybeというアカデミー賞を受賞した映画がある。しかしこれはRockyのようなサクセスストーリーではない。物語は一人の低所得層の女性ヒラリースワンク演じるマギーという30歳代の女性が、そこからぬけだすためボクシングに出会いはじめる。しかし30歳という年齢からかなかなか結果を出すことができず、同じジムのフランク(クリントイーストウッド)にトレーナーを頼むが、女には教えんとけんもほろろにことわられる。それでも必死でしがみつき、何とか教えてもらおうとするマギーにフランクも心撃たれ、トレーナーをひきうけ、やがて世界挑戦に挑むのだが、さっきも言ったようにこの話はサクセスストーリではなく話の本筋はここからはじまる。その世界戦に挑戦することになったマギーだが、その世界戦で相手の反則により首を強打してしまい、病院にはこばれる。そしてそこから闘病生活がはじまるのだが、ある日下半身不随でボクシングができないことを知ったマギーは自殺を試みるのである。私はこのシーンですごいなあと思ったのは自殺を試みたしらせを聞いてトレーナーが駆けつけたとき、彼女がさるぐつわのようなものをかまされていて、その理由が何度も舌をかみきろうとするからだというではないか、一度死のうとした人間が何度も何度も舌をかみきろうとするするだろうか、一般的にこの行為は自暴自棄のように見える、しかし私はここにある意味人間の尊厳を守ろうとする一人の姿があるように思える。よく宗教の指導者はいのちの尊さについて高いところから語るが、しかしここにはそれらとは違う命の尊厳、生きることの問いが問いかけられているような気がする。確かに自分の命を絶つことはゆるされることではないし、してはならないことだ、しかし彼女にとってボクシングは命であり、それが自分のすべてであった、そのことを失ってしまえば終わりで、彼女にとって生きることよりもプライドを失うことの方が大きいことである。この映画を見て思ったことは、人間の尊厳とは一体何だろうかということだ。我々は何のために生きているのだろうか?生きがいとかやりがいとか言うけれども、しかし本当にそういうプライドや自分のために何かをすることだけが人間を生かし、豊かにするものかは疑問である。人間は相互関係において生かされている思っている。すなわち相手によって自分は生かされ存在していると言うことが見えなくては本当に生きる意味が見えてこない。すなわち生きる目的とは自分のためにではなく、家族や友人、相手のために何かをすることが自分を生かし幸せにする生き方だと思っている。

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