脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

何をかくそう私はケグジェンイでした ミアネヨ 

2015-06-14 | Weblog

MOBは女性の比率が高い、なぜそこまで高いのかと言うことはよくわからないが、たぶん殺伐とした雰囲気をつくらない、ボクシングを楽しむことに徹底しているからだと思う。日本人はスポーツを修業と思っている奴が多い、とにかく自分をおいこまなくてはやった気がしないというのは日本人気質なのかクラブがうえつけてきた考えなのかはわからないが、英語でplayと言うのは遊びのことなのだから元来のスポーツの解釈は遊びであって楽しむことなのだが、日本人はクラブでそういう価値観をうえつけられてしまうので遊びと言ってもシステムがシステムなだけに理解することは難しい。私がバカだと思っているのは基本とか基礎とか言って子供に地道なことをさせることだ。地道なことをさせること自体はいいことなのだが、しかし問題なのはそれだと競技の楽しさや本当にその競技が自分に向いているのかと言うことがわからない。欧米の小学生は同じスポーツをずっといとつだけしかしないということはない、小さいころから3つ4つはかけもちでする。なぜ3つも4つもできるかと言うのは実戦形式でゲームで参加いていくからで日本のように基本とか言って素振りのようなことをさせることはない、ただ子供のうちは参加してスポーツの楽しさを教えるのが目的だ。MOBでも子供には実戦形式でボクシングをさせる。ここでは未成年の頭をたたいてはいけないので大人に向かってうっていくだけだが、しかしこれが子供にとって遊びになると上達もはやい、現にうまい子がいてトレーナーなどはもっと真剣にやらせたらかなりうまくなりますよと言うが、しかしやるやらないはその子が本当にこれでいいのかということをさらにいろいろなスポーツと比べて決めたらいいと思うわけで、メディカルな問題も含めてボクサー予備軍にする必要はないと思っている。このマスボクシングを子供にさせるというのは発想的にはフィリピンの草健闘的発想であるが、実際実戦形式で人とまじわるとそのスポーツの楽しさがわかる。確かにそういうかたちで競技させると能力差と言うのが明らかにでるが、しかしそこは趣旨をかえればいいことで、ここではボクシングが面白いか面白くないかということが問題であってボクサー予備軍をつくるところではない、個人がそれをどう競技するかということだ。

私が日本のスポーツがきらいなのは競技場の雰囲気だ、親玉が偉そうにして競技者もやっているというよりはやらされている感のほうがつよい、それだけしかできないような奴がいばる雰囲気、縦社会やっていて本当に楽しいのかとさえ思ってしまうのだ。私が競技したところは非常に自由で競技しても楽しかった。前にも言ったが私はある試合のインターバルでかえってくるなりコーナーマットをけったことがある。確か向こうのディフェンステクニックがうまくてパンチがなかなかあたらなかったことのいらだちだと思うのだが、1ラウンド終了のゴングがなってコーナーに戻った時にコーナーマットをけったのだ、普通だったら注意されるところであったがその時審判をつとめてくれた人は目配せをしてダメだと伝えるだけだった、そして試合がおわると私のところに近づいてきてこう言うようなことを言ったと思う「BOW」「えっ何と」思ったら「君の国ではお辞儀があるだろ、君の国は礼儀正しいと聞いている、だから次は気をつけて」それ以来私はかなりポライトな態度で試合に挑んだことは間違いない。たぶんこんなことを日本でやれば大問題だ、この他にも私はセコンドの友人があまりやかましいので「shut your facking mouth」とついでかい声で言ってしまい会場を大爆笑させた経験もある。まあはずかしい話であるが私は問題児だ、しかしにもかかわらず彼は私を罰することなく競技者として尊重してくれた。その私が経験したこのことは今でもこのクラブの会員に接する上で大きな原点となっている。私が学生時代あの国の審判たちは安易に競技者をストップなどととめることなく、自由に競技させてくれたと思っている。それはたぶん彼ら彼女らが競技者を信じていたからであり、こここまでトレーニングしたのだからファウルなどしないという信用があったからだと思っている。

 

 

 

 

 

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