脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

“Boys, be ambitious!”

2016-05-15 | Weblog

前回のブログで日本はこれだけ人口がいるのにあそこまでトレーニングしなければ勝てないのは効率がわるい、それは英語音痴の監督やコーチによるものだと言うことを書いた。根性論と言うのもそうだ戦略や戦術がないからとにかくトレーニング日本流で言うと練習させる、根性論はそれに付随して出てくる考え方である。ただ根性論と言ってもニンジンをぶらさげて監督とかにやらされているだけじゃないかとさえ思う。特に日本のクラブの連帯行動と言うかみんなが同じことをやらないとダメだと言う考え方にはついていけない。例えばトレーニングがしんどいからと休んでもいいと思う。休んだらなんで休むんだと多少非難の目で見られるが、しかし逆に言えば相手が休むとライバルがひとりへる、そう考えたらラッキーなことなのだが、練習は休むなではなくさぼるなと言われているので休むと罪悪感を感じる、そういう環境下でやっていて本当に楽しくできるはずはない。日本の競技場は独特の雰囲気がする。社会主義の国に来たのではないかと言うぐらいの違和感をおぼえるが、競技者そのものがスポーツにおいて自由に楽しむと言うことを知らないからだと思っている。アメリカは本当に自由だ、競技者主体で競技と言うものが行われる。日本では必ず何人か気をつかわなくてはいけない奴がいて、そういう奴が堂々とおいそことか注意しているが、こういう言い方は人権がわかっていない、むこうでは競技者をIT扱いしたら白い目で見られる。そういうことを平気で言う奴がいるから始末におけない、おそらくここでは競技者に礼儀を求めることよりもこういう奴がいる限り監督やコーチにそれを求めたほうがいいだろう。

私が競技したところでは競技者のことを監督やコーチがBOYと呼ぶ。BOYと言っても日本のようにただひよっこ扱いするのではなく、尊敬と愛情の気持ちを持って呼ぶ愛称のようなものだ。事実私もトレーニングではBOYと呼ばれていたが、今でも「OK BOY COME ON BOY」と言っていたジョージの声は鮮明におぼえている。このジョージだが実は彼は偉大なトレーナーだ。前に私がすごく速いパンチをうてると言ったが、これはジョージの特訓のおかげである。悔しい思いをしてジョージにボクシングをならった私だがまずジョージが私にさせたことはただフラダンスのように腰をずっとふりつづける運動だ。私は最初こんなことやって意味があるのかと思っていて、実際彼に聞いたのだが、帰ってきた答えはお前は手でパンチをうっている、今鍛えている部分をつかったらもっともっと速くなるということであった。ほんとかよと口答えしながらもそのトレーニングを続けたが、そして実際やりつづけることでお腹の部分でパンチをうつことができた、これぞまさしく体幹でうつということであるが、実際そううつことでかなり速いパンチがうてた。彼は私のスパーを見てここを鍛えればもっとよくなることを理解していた。そしてたぶん彼が近づいて来たのは偶然ではなく、意図的であった。この東洋から来たケグジェンイのBOYを俺が育ててやろうとそう思ったのだろうと思う。

センチな意見であるが、もし再び生まれてくるようなことがあっても自分はまたジョージと一緒にボクシングのチームを組みたいと思う。あいつだけはぶちのめしてやろうと悔しさでその場に立ち尽していた私に声をかけてきてくれたことからはじまり、そして肝心な試合でまけてしまったことでおわった私の競技人生。しかし私のボクシング人生は本当に豊かであったと思う。

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