毎年クラブ内でのいじめが問題になっている。インターネットで取り上げられる記事はいじめと言うよりもむしろ犯罪であるが、好きなことをやっているのになぜそのようなことがおこるのか理解できない。私は上下関係があることはかならずしもわるくないと思っている。なぜなら年長者をうやまう関係性において敬語をおぼえるし、何かを学ぶ姿勢を学べるからだ。最近見た面白い本がある。ドイツ在住のジャーナリストが書いた「ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか 」と言う本だが、この本によるとドイツではクラブ活動は、自分の自由な時間であり、もし個人がスポーツがしたければ、NPOなどが運営するスポーツクラブに加入するのが一般的であるそうだ。そしてそのスポーツクラブは日本の部活のように同じ学校の限られた年齢層が集まる集団ではなく、そこには子供だけでなく大人までいて一緒にスポーツを楽しむのだが、それは日本のように学校内だけのクラブではなく、社会全体のクラブであり、年齢や立場をこえて、平等に純粋にスポーツをする人間が集まるコミュニティである。
人間関係においても、スポーツクラブはスポーツを共にする仲間として平等である。一方、日本の部活は監督を頂点とする厳しい上下関係、ヒエラルキーがあって、たかだかスポーツをするのに上下関係を意識し、時には服従をしいられるが、はっきり言ってそれは平等とは言えないであろう。また、ドイツではクラブに入ったけれども、自分に合わないと思えば、簡単に別のクラブを探して入りなおすことが可能だ。けれども日本の学校システムではそれがなかなか難しく、そういう閉ざされた世界での厳しい上下関係が、いじめをひきおこす要因であると思っているが、ドイツのように学校社会とスポーツコミュニティが分離している世界ではそういういじめが起きにくく、日本のように多様性をみとめない、閉ざされた世界がいじめを生み出すのではないかと言う、スポーツ集団の構造を問題にした著者の意見は、現在起こっているスポーツ社会のいじめに対して一考に値する意見であると思う。
参考文献「ドイツの学校にはなぜ「部活」がないのか」 高松 平藏 晃洋書房