脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

A Theory of Justice in MOB

2020-03-28 | Weblog
ジムなどいろいろな人たちが集まる場において平等であると言うことはそこに集まってくる人たちの当然の権利であり、ジムは平等でなければならないと思う。そう言うとみんなそうだと言うけれどもじゃあ平等って一体どういうことなんだろう?特にこの問題は我々のような管理者がよく理解していなければならないことだ。私はこういう公共の場において何が平等かと言うことを考える時、まず考えるのはロールズの「無知のベール」だ。「無知のベール」って一体どういうことと思うだろうが特に第一原理について特筆すると、簡単に言えば人間は何もない状態ならば、自分が必ずしも恵まれた状態であるとは考えない、むしろそうではないと考えるのではないかということから、格差の被害者になった場合を考えて社会秩序を選ぶと言うことだが、さらに私流に解釈して、弱者の立場に立って自分の利益ばかり考えないで、まず相手の利益を考えて、そこから自分たちにとって何が一番得なのかと言うことを考えていきましょうと言うことだ。
昔学校での話。給食でカレースープの量が圧倒的に教師の方が生徒よりも多かったらしい。「あっ先生ずるい」と生徒たちは抗議、でも先生は「お前らと胃の大きさが違う」といったらしいが、この先生が言った一言も無知のベールを通して考えれば、その人の必要に応じて分配されると言う意味では平等である。最近の企業も勤続年数に応じて給料があがるというよりも40代から50代の子供が大学受験にかかる時期にたくさんもらえるというシステムにしているような会社もあるらしいが、おそらくこういう考え方も発想は少し違うが無知のベールを通して行きついた平等とも言えるであろう。

ジムに来る目的はダイエット、健康維持、ボクシングの技術を身に着けたいと様々であるが、共通して言えるのはみんながその権利を損なわれることなく楽しくトレーニングすることである。うちのクラブが目指している平等性とはマイノリティーがそこで生き生きと権利を持って堂々とトレーニングできることだ。マイノリティと言うのは格闘技では女性やおっさん、そういう人たちが顧みられて疎外感を感じることなく堂々と楽しくトレーニングできる環境を整えなくてはならないと思っている。
ここで会員の人たちのほとんどが試合に勝つとかジムを強くするとかと言うようなことは求めていない、楽しくトレーニングしたい、ジムの雰囲気をよくしたいと言う人たちがほとんどである。うちのクラブでは自然と出来る人や競技者が女性やおっさんビギナーたちに教えることが当たり前のようになっているが、それはみなさんがそういう目線に立ってくれているからである。うちの競技者はよく教えてくれる、だからここに来るのが楽しいと言ってくれる人もいるが、教える方も競技だけではなく、教えることでまた違った意味でボクシングの楽しさを知ることができるし、技術的なことも向上できる。たかだかボクシングができるからと言って特別感を出すものはいないし、威張るものもいない。お互いが尊重しあうことができるのであるからこそ安心した環境で楽しくトレーニングできるのだ。

MOBのJusticeは弱者の立場に立つと言うこと。試合に出るものやその取り巻き見たいな人間がジムででかい顔をして優先的にトレーニングするような底辺学校の教室のような雰囲気にはしたくない。平等と言ってもそういう力関係のあるところでは女性やおっさん、気の弱い人が遠慮してしまう。私みたいなおばさんがとか遠慮するような姿勢を見せたら、私は「いや堂々とやってください。お望みとあらばリングの上のやつけちらしますよ」と冗談で言うが、私は絶対に立場の弱い人たちが隅っこの方でトレーニングしたり、遠慮したりしてトレーニングするようなクラブにはしたくない。本当に私が理想通りのクラブにしてくれている会員の人たちには心から感謝している。大学の教授でもある私のコーチが言っていた。リングを降りたらジェントルマンであれ、そして教養を積め。でもうちの会員の人たちはリングの中でもジェントルマンだ。



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