脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

未来の選択肢を広げるクラブ

2017-12-10 | Weblog

日本人はきれいな韓国人の女性を見たら整形してるんじゃないかと疑いの目を持つようである。うちのせがれも芸能人はほとんどがそうじゃないのかと言っていたが、確かに韓国は整形大国である。でもそれには理由があって彼ら彼女らのわるい文化がそうさせている。前にも言ったと思うけど韓国には悪口をつくる言葉遊びの文化がある。あまり言いたくはないのだが韓国人は悪口を言うのに非常にたけている。あだななどつけさせてもようこんな絶妙なえげつないしかも的を射たようなあだ名をつけよると思うこともしばしばで、特に顔なんかに特徴があれば容赦なくあだなをつける。おまけに競争社会であるから、そういう現状が人の欠点をあげつらって悪口を言ったりあだ名をつけるのではないかと思っているが、整形はまさにそういう悪い文化から出たものだ。

話はかわるが、昨日国語の林先生が「夢をふくらますのは情報だ。職業体験させることは今まで自分たちが経験してこなかった情報を与えられることで自分たちの視野を広げて未来の選択肢を広げていくことができる」というようなことを言っていた。私がよくブログなどで書いていることもそうである。いろいろな人たちが集まるコミュニティにおいていろいろな人たちと子供や若い人が接することで刺激をうけて自分たちの未来の選択肢を広げていく、そういう役割を持ったコミュニティを目指しているのがうちのクラブだ。

私は指導者の知的レベルで群れの質が決まると思っているが、それは知的レベルが高ければいろいろな人と適応する能力に長けているからであり、知的なレベルでのアドバンテージは人に安心感を与えるからだと思っている。一方そこを問題にしない人間の群れは健全とは言えない非常に小さく固まった集団で、本当に狭い世界で生きていると思う。はっきり言って試験前になっても子供が堂々とクラブに来るようではだめだ。うちではほぼすべてと言っていいぐらいの子が試験前になれば、試験対策として英語のレッスンに来るぐらいであるが、学校の試験などおかまいなしに、トレーニングに来たり、髪をそめた子供が来ると言うのはいささか問題があると思う。世の中スポーツだけをやってたらいいなんていうことはない。もし自分たちの群れが社会人から子供までを対象にしているならば、何らかのかたちでその子供や若い人に刺激を与えて、視野を広げてあげるというのもコミュニティのひとつの役割であると言ってもいいだろう。指導者の考え方がしっかりしていて集まる人たちがしっかりしていたら、おのずとその群れは健全に機能するだろう。学生の時よく食事をありつきに行った韓国人の教会にはそれこそ知的な人たちが結構いた。使う言葉なんかも非常にレベルが高くて、話していて、あまりにも無知な自分がはずかしくてこんなんじゃあだめだ、もっと勉強して自分を磨かなければいけないと刺激をうけたものだ。人間特に若い時代はそういう刺激を与えられなくてはだめだ、本当の意味では成長しないと思っている。生きるたとえがすべてスポーツ、自分の今やっているスポーツの世界が世の中のすべてだなんて、そういう考えしかできないような指導者はだめだ。むしろそうではないということを教えてやるのが大人の役割だと思う。

でもしかしそういう人間たちは、なぜ自分らは考え方が狭いかと言うことがわからない。それは自分たちだけが通用する小さい世界で生きているからだと思う。指導者は語学を学べとか本を読んで勉強性と言うのはその群れが小さく固まるような集団にならないためだ。やんちゃですとかアウトローくさい奴、ちょっと何か足りないような人間ばかりが集まって、その群れを形成するのは決して理想的で健全とは言えないだろう。人間と言うのは往々にして自分と同じレベル以上の相手を同等とみなし、安心感を得るものだ。よく目標を大きくもてとかいう指導者がいるが、しかし人間それぞれ生き方や理想が違うのだからその目標は違うし、可能性はそれだけではない。指導者は目標を大きく持てとか言う前に、もっといろいろなことを学んで自分の世界を広げることが必要だと思う。


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