脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

好きな日本の歌

2017-12-04 | Weblog

「我々のまわりには他者が存在し、我々は他者と何らかの関わり合いをもって存在している。個人としての人間は弱い存在であり、限界があるので、孤立した状態では自分自身の目的を達成することができない。もしも自分一人で生き、自分一人だけの力で問題に対処しようとすれば、死に絶えてしまうだろう。」アルフレッド アドラー

チルソの夏と言う日本映画がある。これは何十年も前の日本と韓国の話。当時はお互いの差別がはげしくいがみ合っていた。それでも下関では日本と韓国が陸上の交流試合を毎年行っていたようで、そこであった日本人女性と韓国人男性の思春期によくある切ない恋物語である。その映画のシーンで好きになった男の子にもっとアプローチするために女子高生が韓国語の勉強をする。がしかしそれを知った親が韓国語なんかおぼえるなとその女子高生たちに勉強を無理やりやめさせる。笑い話だが、私はこの映画の中である演歌歌手が韓国人の男子学生にひかれていく娘に「外人とか関係ないが、でも朝鮮人だけは絶対ゆるさん」と言うセリフを聞いて、本人がわるいわけでもない、ただのセリフとはわかっているが、しかしどうしても彼に好感はもてないのだが、当時の韓国朝鮮人蔑視そして日本人にたいする偏見はえげつなかったと思う。チョン、チョッパリ、イルチェ(日本製)これが私が言われた言葉であるが、こういう環境では自然と自分はひとりだ、だから強くならなくてはいけないと思うのは自然なことである。でも強くなろうとしても思い知らされることことは自分は弱い本当に弱いということである。人間はいくら泣いても叫んでも自分の力ではどうすることもできないことがある。そんなみじめでなさけない涙を流せば人間はいかに無力であるかと言うことがわかるはずだ。でも弱さを認めてそれを受け入れれば見方がかわる。人間は相手によって支えられなくてはいけないし、自分も彼、彼女らの弱さを受け入れて、支えていくという相互関係によって人間は存在しているのだ。人間は一人では生きていくことができない、その相互関係の中で我々は生かされているのだ。そしてその生かされている自分がその相互関係の中で積極的にかかわって生きることで本当の自分の生き方が見えてくる。私は思う人間はひとりでは生きてはいけないし、存在しない。我々は生きているのではなく生かされているのだ。人間は相互関係の中でこそ自分を知り、そして目的を知らされる存在だ、ここに我々が生きる意味と目的があるのではないかと思う。

今日あげた歌は日本語の歌で特に歌詞が好きだ。この歌はいろいろとつらいこともあったが一歩一歩歩んで行ってたどり着いた自分の道を歌っているが、しかし苦難を通してそのたどりついた道はゴールではなく始まりだ。ここから本当の生き方が見えてくるだろう。

 

 


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