脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

SHOW HIM YOUR GIMP

2016-09-08 | Weblog

私が競技者だったころ結構ケグジェンイであった。その頃は競技者どうし火花をちらしていてあいつは絶対にぶちのめしてやると何人かから思われていたようである。で私が競技生活でよくつかった言葉がある。それはたぶん18とs○n of b○○chだろう。普通こう言う言葉は使わないが、しかし米国で自分よりも格の違う相手にあたってくやしい思いをした時に何度この言葉が出て来ただろうか。本当に強い人間は強い、自分が渾身の力を込めてかかって行っても一瞬でのされてしまう。今はポジティブシンキングなんて言って前向きに考えろなんて言うが、しかし本当に実力が違う歯が立たない人間に出会ったらそういうことすら考えることなんて、それぐらいの相手は世の中にゴロゴロと存在する。才能がなければファイティングスピリット(闘志)を養うことだ。やられたらやられるだけファイティングスピリットは間違いなく養われる。闘志なんて言う言葉は古いかもしれないが、しかし才能もない何もない人間にとっては魔法の言葉でこの闘志が勝ることで奇跡の大逆転と言うことも不可能ではないと信じている。

しかし闘志と威嚇は全く違う。闘志はこつこつとトレーニングをつんだ中から生まれるものだ、そしてそれは目的をしっかりと見据えている。しかし威嚇は犬がうーーーっとかいうあれ、威勢はいいがしかし自分よりも大きな壁にぶつかったらキャンと鳴き声をあげてにげていく、たぶんこいつら学習ができないから心や頭を鍛えることができない、できないから人を威嚇するのだと思う。映画ロッキーⅣと言うのがある、ロッキーはかなりシリーズが長く続いていていつまで続くんだとさえ思ってしまうのだが、実は私が好きなのは政治的な意味も含めてこのⅣである。Ⅳはロッキーがクリスマスにロシア(旧ソビエト)で試合をすることになった。当時アメリカとソビエトは敵対関係にあったのだが、ロッキーはあえてそこでトレーニングをすることを申し出るのだが、彼らは歓迎されていない敵対心むき出しの国、しかも彼の邪魔をしようとする国でトレーニングをすることを決意するのである。そのトレーニングのシーンで彼が黙々と雪の中走るシーンがある。厳しい自然の中彼は黙々とただひたすら山の頂上めがけて走るのだが、その黙々と走る姿は感動的で、ただ何も言わずにひたすら勝利を信じて地道で厳しいトレーニングをするこのシーンに内なる強い闘志を感じたことは確かである。こういうファイティングスピリットは石炭についた火のようだ、火がつくのはおそいが、じわーっと熱くなってきてそれはやがて高温の熱で燃え上がる、普通の炎のようにはでにばっと燃えるものではないが、しかしそれはじっくりと長く持続する。私はファイティングスピリットと言うものもそういう質のものでなければならないと信じているが、そういう精神を生み出すためには彼のようなコツコツと地道でしんどいトレーニングをしていくことが必要であると思う。気持ちで負けるなと言うのは自分がどれだけコツコツとトレーニングをつんできたかということを信じることだ、地道のコツコツとへこたれずにゴールを目指して積み上げてきたその思いと努力は大きなエネルギーになる。そのエネルギーがファイティングスピリットだ。



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