脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

mais c'est un roseau pensant.

2016-06-17 | Weblog

個性と言う言葉が乱用されている。特に私が嫌いなのは個性とか言って子供にへんな格好をさせたり髪を染めさせる親だ。私のイメージするところでは髪をど派手に染めて改造車や改造車まがいの車に乗っている。そういう人間が仲間でかたまって飲食店などで我が物顔で騒いでいる、所謂DQNである。事実そういう集団をときどき見かけるがこういう奴らは本当に不快だ、子供に同じような格好をさせるとほぼ高確率で親と同じような人間になる。私はこういう奴らの言う個性は個性ではなく害だと思っているが、こういう奴らに限って髪を染めさせることを個性だと言って憚らないのだが、個性だとか言うのならばまずパスカルのパンセを日本語でいいから読んでみろ、そしてそれを読んで理解してからこういう言葉を使えと思う。

個性と言うのは英語ではuniqueだ。これはあなた特有のと言うことではっきり言ってそれはDQNが自分の都合で個性だと言うようなものとはかなり質が違うと思う。それに対してindividualと言う言葉があるがこれは個人とか固有のと言う意味であるが、DQNの言う個性と言うのはindividualぐらいのものだと思う。髪の色を染めたりかわった格好をするというようなたかだか色が違うぐらいのことは識別であって個性ではない。individual animalでかわった動物と言う意味だが、DQNの言う個性と言うのはこの程度のものだ、個性だか何だか知らないが教師の立場に立ってみろ、決められたルールの中で髪をど派手に染めたような一人だけ目立ったような子供が堂々と授業を受けていたら多少の弊害はあるだろう。何が言いたいかと言うと授業を受ける権利もあるが、授業を行う側にも権利があると言うことである。しかし残念ながらDQNはそういう底辺の立場からは物事を考えることができても、授業を行うと言う側の立場に立って物事を考えることができない。彼ら彼女らの言い分は自分たちのいわゆる底辺からの立場の考えを一方的に時には威嚇して言うだけで、所謂教育とか教師の側からの立場など理解できないのであるから、まともに話し合いなどできるはずはない。パンセを読めと言うのは言いたいことを言うのであるならばせめて教養を身に着けてから話せと言うことだ。パンセと言うのは人間は思考を持っているからすばらしい生き物だと説くがまさに知性とは人間が与えられた特有のものである。PTAとかでも俺は教育のことはわからないけどと言ってべらべらと無知な持論を語るような奴がいるが、私が司会ならわからなければ話さないほうがいいと言うだろうし、わからなければ質問と言うかたちでものを言うほうが公平である。

うちのクラブが安心できるのはだいたい皆さん常識的な見解を持っているところである。髪をど派手に染めて改造車にのっている奴はまともな奴じゃないと言うと、みんながみんなそうじゃないというような稚拙なことは言わない、みなさんだいたい共通した常識を持っている。責任者もある程度教養がないと運営するのにむずかしいクラブだ。だからこそ女性や社会人が安心してトレーニングできるクラブである。

 

 


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