脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

カカオトークをつかう日本人

2016-06-30 | Weblog

この前ヘギョンからメッセージが「遊びに行っていいですか?」「どこに?」「そっちに」「안돼(だめじゃ)」「어째서 안됩니까?(どうしてだめなのですか)」とこういうやりとりが10分以上続いたのであるが、彼女は日本語が非常に堪能である。彼女とは後輩を通して久しぶりに再会したのだが、最近よくメッセージを入れてくる。たぶん私の家族や住んでいるところに興味があるのだろう、日本語が堪能、おまけに美人で面白いので人気者になるだろうが、しかしジムに来て余計なことをべらべらと話されたら私のイメージがわるくなる、だから絶対に連れてはこない。

おとついショッピングモールへ買い物に行った。どこの売り場とは言わないが清算を済ませようとレジに行くと店員が「ポイントつけますと」とカードを紙からはがしてポンと私の目の前においた。ポイントがつくんだったら、それに紙からはがして用意してくれたので「ああハイ」と言うとそこで申込用紙を持って来ていきなり書けと言う。おいおいそんな手間をとらすのだったら普通説明が先だろとあまりにもその店員の態度がぶしつけだったので「いらない」と断ったが、その時私はジャージにサンダルと言ういで立ち、それを見ておばはんはポイントやるよと言うような感じで言ってきた態度がそれだったのだと思う。しかしこういうことは今にはじまったことでもなく前にも同じようなことがあって不快な思いをしたことは事実だ。

前にインターネットの記事で高島屋の店員の態度がわるいと言う内容の記事があったのだが、そこには人によって態度をかえる。カジュアルな服装で行っても相手にしてくれないと言うような意見を取り上げていた。しかし高島屋と言うのは言わずと知れた高級デパート、日本橋の高島屋は天皇の御用達で私は実際朝高島屋を貸し切りにして天皇家がお買い物をしているのを見たことがあるのだが、そういうグレードの高いデパートにカジュアルな服装で行くのはTPOをわきまえていないともとれる。韓国もそうだが外国ではこういうデパートにはあまりラフあスタイルでは行かない、ヨーロッパのルイビトンの店などにラフな格好で行列をつくるなんていうのはTPOをわきまえていない。日本ではお客様は神様だが、しかし外国では物は人を選ぶわけでルイビトンのようなバッグはそれなりの人が持つから様になる、それが格と言えるのだ。このインターネットの記事にもあるように日本と言うのは被害者であろうと言う立場からしか物事を考えることができない国である。教養がとぼしく、やってることはめちゃめちゃでも俺は被害者だと言えば言いたいことが言える国、しかしその一方で人よりも持っている人間やステータスの高い人間には非常に厳しい国である。天皇ご用達の格式のあるデパートに海水浴にでも行くような恰好の人間が、商品を手に取ってわいわいがやがやとされる気持ちにもなってみろと思うのだが、それは学校の教室に金髪で来る子供と同じ、多くの人間は売り手側や教える側から物事を考えることができない、常に被害者意識でしか考えることができない、だからこういう記事が堂々とさも正しいかのように掲載されるのだと思う。悪用されたら困るので詳しくは書かないが、政治家や革命家にとって利用しやすい人間はまさにそういう被害者意識を持った人間だ、人間は共感されることを望むが、しかしそういう考え方しかできない人間は人に利用される。日本には新興宗教が多いのはまさにそれが理由だと理解しているが、日本人は広く深く物事を洞察する能力がとぼしい。正直私は思っているが日本人は外国人に比べて思考の仕方が違うのは哲学ができないからで、最近の企業戦略なんていうのもベースに哲学がなければそれを理解し、実践して行くことは難しいとさえ思える。安倍総理は道徳を強調していたがグローバル的にはそんな国内の小さなルールのこだわるよりも哲学を学んで、例えば人類や倫理をグローバルにとらえていく方が大きなアドバンテージになるであろうと思う。

 


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