脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

メレカリキマカ(メリークリスマス) Ich indem du bist

2010-12-24 | Weblog
クリスマスから暮れにかけて、オリーヴにはたくさんの訪問者が訪れる。
転勤や研修でこちらに来ていて、また出張で来た人、就職してこちらに帰省している人、様々な訪問客があるのだが、彼ら彼女らの活躍した話を聞けることは私にとっての楽しみであり、それはたいへん励まされることである。
先日HIの恩師から連絡をいただいた。日本に来たと時にはここまで足をのばしてくださるのだが、今年は来られないと言うことでわざわざHIから電話をいただいたのだが、電話の様子はいつも新鮮で、いつもこちらの様子を気にかけてくださることがわかる。
話すたびに「また君に会って話がしたいなあ」と言ってくださるのだが、「会いたい」と言われれば、自分の存在価値を認められているようでうれしいものである。

私はいつもこの季節になると、人間の存在がいかに大きいかと言うことがわかるのだが、こうして自分のことをおぼえて下さって声をかけてくれると言うことはたいへんうれしいことで、それは生きていくための大きな糧となるであろう。
今日はクリスマスイヴであるが、基本的に外国ではクリスマスは単にパーティをして騒ぐ日ではない。
日本だと恋人同士があってどこかに行ってプレゼントを渡すと言うような、どちらかというとロマンチックな演出をし、雰囲気だけを楽しむ換骨奪胎的なクリスマスのだが、しかし外国ではこの日は家族がともに集まって食卓を囲み、日ごろの感謝を伝える日で、プレゼントももらうというよりも、どちらかというと相手にあげるという気持ちのほうが強く、彼ら彼女らのプレゼント捜しは1カ月以上前からはじまるらしいが、それはそのプレゼントに深い感謝の意味が込められているからである。

毎年この季節にはたくさんの人がここにあいさつに来てくれるのだが、その彼ら彼女らからいろいろな話を聞けると言うことは私にとってそれらは最大のクリスマスプレゼントであり、特にこの先生の言葉はかけがえのないクリスマスプレゼントである。
勝手な解釈であるが、自分の存在を知らせると言うことも、それはある意味人を励ます力であり、相手に「あなたは私にとって必要な存在だ」ということを伝える感謝のかたちではないだろうか。
私はよく結婚式の寄せ書きで「Ich indem du bist(あなたが存在するゆえに私が存在する)」という言葉をおくるのだが、これはあ互いの存在を忘れないようにということで、その土台が感謝し合うと言うことにあると言うことを伝えたいからだ。

人間思った以上に自分が存在しているということは大きなことである。そして自分では思っている以上に自分の存在を必要としてくれている人がいて、そういう人たちに自分の存在、声を届けることは意味のあることだと思っている。
私は毎年この季節には大阪の母を訪ねるようにしている。正直大阪にはしょっちゅう行っていて、この人が混雑する時に、あえて行くことはあまり気が進まないのだが、しかし私の子供の訪問を待ってくれている人がいると思うと、そうしてまでもいってあげなければと思うのである。
人間が存在すると言うことは大きい、生まれたての何もできないちいさな子供でも、その訪問を待っているおじいさんやおばあさんがいるし、その訪問はどれだけ彼ら彼女らを励ますであろうか。
私は時々子供に大阪に行くのは、君の訪問を待ってくれている人がいるからだと伝えているのだが、向こうに行くのは遊びに行ったり、プレゼントをもらうだけではない、ちゃんと彼には彼の使命があって、彼の存在が人の励みになっているんだと言うことを理解してほしいからである。

「与えられるよりも与えるほうが幸いだ」と言う言葉は日本人にはあまり知られていないが、この言葉は根本的なクリスマスの意味をつかんだ言葉である。
プレゼントをもらったり、パーティで騒ぐのもひとつのクリスマスの迎え方であるが、しかしこういう日だからこそ、誰かに本当に感謝し、その気持ちを伝えることが大事なのかもしれない。







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