脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

いい顔してますか?

2010-12-20 | Weblog
 先日司法関係の友人がこちらに来ていたので、食事をいっしょにした。
自分の意見をはっきりもっている人と会話するということは、たいへん益となることで、話していてもおもしろく、つい話しこんでしまった。
その話の中で心的ストレスと言うことについて話し合ったのだが、我々のように人とかかわる仕事と言うのは、心的ストレスをためやすく、それをどう発散すると言うことが問題である。
何年か前に学校でカウンセラーと称する人たちをたくさん採用したことがある。
目的は不登校やいじめ学級崩壊などの問題をうけて、子供たちのケアにあたるためだが、しかし文部省の対応がにわかであったために、たいした実績をあげることができず終わってしまったのだが、しかし本当に必要なのは教員のケアである。
最近ニュースでクラスの人数を減らして、教員の数を増やすようなことを計画しているそうだが、しかしそれだけでは焼け石に水で、根本的には傷つきつかれている教員を十分にケアすることができなければ意味がないように思えるのだ。
この教員のケアと言うことが大事だと言うのにはそれなりの理由と根拠がある。
まず指導する人間の精神状態がよくなかったら、それはクラス全体に影響を及ぼすだろう。
本当に教室を生き生きとさせたかったらその指導にあたる彼ら彼女らの環境を十分に整えることが必要があるからで、特にその心的ストレスの負担を軽くすることが必要だからだ。

うちのクラブでの話になるのだが、最近ある人の指導のおかげで、さらに全体の雰囲気がかなりよくなってきた。
よくなってきたと言うのは、みんなが明るくなってきたということだが、彼が指導を手伝ってくれるおかげで、全体のモティヴェーションが上がり、クラブ全体が生き生きとしてきたのだ。
しかしよくなってきたといっても、試合に出るだとか、特定の人間を集めて自分のいわゆる仲間をつくって盛り上がるというような程度の低いことではない。
よくDQNとおぼしき人間が、自分たちはこんなに仲がいいんだと肩をくんだり、ふざけ合った様子などを写真にとったりするが、しかし、そういう仲間をつくることは一切せずに、とにかく個人の目的を尊重し、人のためになるように手伝って指導してくれているのだが、学業も仕事も立派に行ってきた彼が、生き生きと献身的に人を指導している姿には脱帽させられるものがあり、見ていて思うのだが、彼の顔は非常に生き生きしている。
本当にスポーツをすることでストレスを発散し、楽しんでいる。そういう姿を見てまわりの人間は影響を受けるのであるが、特に最近では小中学生がいい影響をうけて、顔つきが高尚になってきたと思うのだが、彼が素晴らしい指導ができるのは、彼が一社会人で立派に仕事をこなし、彼自身がそのことでストレスを発散し、楽しむことができるからである。

学校や会社なども、そういう人材をつくるために指導に当たる教師や役員の環境を整え、自らもストレスを十分に発散させる必要がある。最近教員や司法関係の事件が目立つが、しかし肩を持つわけではないが、道理の通らない人間が増えて来ている中で、そういう人間たちを相手にして、あきらかにおかしいという考え方も受け入れていかなくてはならないという現場において、そういう不祥事が起こっても不自然なことではないだろう。
そういう人間をピックアップして、スケープゴートにするのではなく、むしろその起こりうる背景を問題にして、休暇を増やしたり、カウンセラーを置くというような対処も必要ではないかと思っている。
当たり前だが、指導する人がストレスをためていたらいい指導をすることができない、やはりいい指導をするにはテクニックだけの問題ではなく、自分にそのストレスを正しいかたちで発散させることが不可欠である。

これは私の考えであるが、やたらテンションが高く、冗談を言い合うなんて言ってよく笑い、ふざけあい、やたら共通理解が多いグループは稚拙だし、危険だ。社会人の集まりとしては不適切であると考える。
オリーヴの目指すものは中高生の集まりではなく、大人の集団である。



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