脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

私の読書感想文

2010-08-18 | Weblog
「冒険者たち」という本がある。
これは私が子供のころはじめて読破した本であるが、夏休みの読書感想文を書けと言われて時に本屋に行って選んだ本である。
この物語はガンバと言うネズミたちの集団が、ある日助けを求めて島を渡ってきたネズミから、自分たちの仲間たちを助けてやってほしいと言われる。
そして彼らはそのネズミたちを助けるために、実際にその島に行って、そこでその島のネズミたちを苦しめるノロイとそのイタチの集団と戦う物語である。
正直その本が当時の私にとって、かなりぶあつかったので購入するのをためらったが、しかしその当時「冒険」という言葉に、いささかあこがれを抱いていた私は、その本を手にとって購入したのであるが、実際読んでみると時間をわすれてしまうほど夢中に読んでしまったことをおぼえている。
物語は主人公のガンバと言う都会のネズミが、今まで自分の住み慣れた土地をはなれて港に出て行ったことからはじまる。
ガンバたちは港に出て行って、船乗りネズミたちの祭りに参加し、その宴を楽しんでいたが、しかしその祭りが一人の訪問者によって事態は急変する。
その訪問者はある島から来たネズミなのだが、彼は深い傷を負っていて、そのネズミの話によるとノロイといういたちの集団があらわれて、今まで平和だった村が、彼らによって破壊されているので助けてほしいという。
しかしネズミたちはうんとは言わない。
なんせノロイと言えば恐怖の伝説のような存在で、船乗りネズミであればだれだってその恐ろしさは知っているからである。
しかしそこで立ち上がったのがガンバとその一行であるのだが、自分の住みかしか知らず、そこが自分のすべての世界であると勘違いしていた、彼がそこを出て海に向かいそしてさらにその島のネズミたちを助けると言うことは、当時の私にとって十分刺激的であった。
そしてその弱いネズミたちが力を合わせてイタチと戦い、島のネズミを救うというエンディングに単純であるが、子供ながらに感動したことをおぼえている。
この物語のタイトルは「冒険者たち」であるが、冒険とは人間を成長させるための十分なこやしであり、私は人間を成長させるためには不可欠な事柄であると思っている。
昔からかわいい子には旅をさせろと言うが、人間同じところにとどまっていれば成長はない。だから若いうちはどこかに出て行って、何かを学ぶ時間を持つと言うことは貴重なことである。
しかし冒険と言っても何もあぶないことをするのではない。
よくスラム街のようなあぶないところに行って「どこどこに行って来た」なんて武勇伝を語るバカがいるが、そんなもの自慢にならないし、絶対やってはいけない。
だいたいそういうことをするのに限って、ろくすっぽ英語も話せないのが多いのだが、もし本当にそういう言葉もわからない人間が、危険な目に会ったらどうするつもりなのか、危険なことは目に見えている。
これは笑い話であるが、ある男が武勇伝をつくるために、スラム街に行ったらしい。
スラム街と言っても、メインストリートから一本離れただけなのだが、実は外国ではこのメインストリートを外れると危険な場所が多く、しかし彼は「もしあぶなくなったら、もとのストリートに走って戻ればいいや」というような軽い気持でそこに行ったそうだ。
しかしここは外国、日本とはまったく状況が違う、しばらくすると見慣れない観光客風の男にナイフを持った大柄の黒人がナイフを片手に脅して来たそうである。
男はあせった、ただでさえもばかでかい人間なのに、おまけにナイフまで持っている。
そしてその怖がっている男にその黒人は「金をだせ」だか何かはわからないが、脅し文句を言ってきたのだ。
しかしこの男英語がまったく話せない。なんせ高校の英語は赤点だったらしく、黒人が何を言ったかわからないということは、さらに男をあせらせた。
そしてそれでも何とか聞かなくてはいけないと思った男は、そこで思わず「Pardon」と言ってしまったのだ。
この言葉にその大柄の黒人は腹をかかえて笑ったらしい。
こんな状況でこいつは何を思っているんだろうとでも思ったのだろうか。今時「Pardon」なんて言う奴も珍しい。
結局この男の馬鹿さ加減に大柄の男は金をとるどころか、笑い転げて何もできなかったそうだが、この話は一部では有名な話である。
これはあまりに彼のとった行動がバカげていたので、助かったと言う例であるが、しかしこういうバカな武勇伝は冒険とは言わない。
そんなことをすることで、何かを学べるかと言ったら何も学べないわけで、それは単なる刺激にすぎないからだ。
刺激を求めてあぶないところに入っていくのは冒険ではない。
私自身もボクシングクラブに入ってしまったがゆえに、危険なところに試合に行ったこともあるが、しかしこれは必然的なことで、不思議なことにそれが必然であれば、危険は回避される。
この冒険者たちのはじまりは、自分たち以外のところにも世界はあるんだと言うことを確かめに行ったことからはじまるわけであるが、私は冒険とはその自分をかえてくれる何かが起こるんだと言う期待と探究心によっておこるものだと信じている。
さらに英語で冒険はAdventureであるが、それはラテン語のクリスマスのAdventと関連していて、その語源は「待つ」とか「期待する」と言うことである。
私は思うが冒険とは単に刺激を求めることではない。いささか抽象的であるが、何かを期待することが冒険のはじまりだと思っている。
現にこの物語もその冒険はガンバの期待からはじまり、そしてそこから数々の試練があって、そして最終的にイタチを倒して希望を得たのであるが、彼らをここまで突き動かしたのはガンバの新しものに対して、自分を変えてくれる何かが起こるという期待、さらに言うなら希望である。だから彼はその住み慣れた場所をでていったのではないだろうか。
前にも話した中3の女性であるが、夏にホームスティにアメリカに旅立った。
私は行く前に、むこうに行ったら期待していいよ。期待したことが実際現実になるからと言ったのだが、何かを期待することが、人間を成長させる冒険の突破口で、何かを期待し待ち望むことが未だにどこへ行っていいかわからない、手探りですすもうとしている、特に若い人たちの可能性を開いてくれる、何かであると信じているからである。
しかしこの期待と言うのは、ある種のときめきのようなもので、それは若いうちにしか持つことができない特権である。
そのため感じる心を大切にして、若いうちはこの特権を大いに生かして成長してほしい。



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