Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛、第39話“跡を継ぐ者!~後編” 2014年9月29日

2014-09-29 12:38:49 | 日記・エッセイ・コラム

9月28日のベルリン・マラソン男子で、ケニアのデニス・キメット30歳が、ななな~~~んと!2°02′57″と3分台を切り、2時間2分台に突入する世界新記録を打ち立て優勝した!☆32kmからケニアのエマニュエル・ムタイ29歳との一騎打ちになったキメットは、38kmからムタイを振り切り16秒差をつけて圧勝した!昨年のベルリン・マラソンで同じケニアのウィルソン・キプサング32歳が記録した世界記録2°03′23″を26秒も更新した!因みに彼は2013年東京マラソンで2°06′50″のコースレコードで優勝している!ここまでくれば、ケニアに追いつけ追い越せの次元ではない!懸け離れすぎだ!もう勝手にやってもろたらええ!ケニア様様である!日本勢1位はと言えば、極ごく平凡な2°11′25″で10位にゴールした外丸和輝(とまる かずてる、27歳、東農大、トヨタ自動車)であったとさ!・・・

本題に行こう・・・秀吉がお付と廊中を歩いていると、「殿下!」正座して待っていた三成が礼を正して秀吉に話しかけ訊ねた 、『何じゃえ!?』、「黒田殿の隠居をお許しに成らぬのは、何故で御座いますか?当人が隠居したいと言うのであれば、お許しになれば宜しいのではありませぬか?もはや黒田殿の様な軍師が居なくとも、豊臣の天下は揺るぎませぬ!」三成は常に出来る官兵衛を煙たがっていた、秀吉は答えた『わしは時々、官兵衛の知略が恐ろしくなる!関白をも恐れぬ物言いに、憎らしく思う時もある!』、「ならば?」、『三成、これ以上、わしと官兵衛の事に口を出すな!良いな!』と秀吉が三成を厳しく嗜(たしな)めた!三成には返す言葉がなかった!・・・

駿府城では井伊直政が官兵衛の隠居を家康に告げた、まだ若いではないか?何故?榊原康政と本多忠勝が不思議がった、「さあ?殿下の御許しは出なかった様で御座るが!?」、『ふん、官兵衛め!先手を打ちよったわ!』家康が呟いた、先手?『関白に、あらぬ疑いを持たれる前に、隠居を願い出たに相違ない!』、本多忠勝が訊いた「もし黒田官兵衛が隠居をすれば、関白の傍にあって、間違いを正すものが居なくなり、豊臣の屋台骨が揺らぐことにも成りましょう!?」、「当家にとっては、黒田殿に早く隠居して貰いたいものですなあ!?」と榊原が言った、全く持って!あっははは~~~!・・・

秀吉は天下人として絶頂を迎えつつあった!奈良の大仏をしのぐ巨大な大仏を京に造り、その絶大な勢力を誇示していた!出産の日を控える茶々の目の前には、ありとあらゆる御馳走が並べられた!『これがな陸奥のホタテじゃ、そして、これが越後の鮭じゃ!そして、これが若狭の鯖じゃ!さあ、好きなだけ喰うが良い!』、つ~~ん!茶々はキョトンとしていた、『うぬ?如何した?茶々のために用意したのじゃぞ!』、茶々が口を開いた「食べつけぬものを食べて、お腹のこの子に触れば一大事に御座います!」と茶々は秀吉に横目を流して言った、『そうじゃ!その通りじゃ!何をしておる!早く下げぬか!この様な生臭いものを用意しよって!早く下げろ!』秀吉は慌てふためいて侍女たちに下げさせた!やれやれ・・・

今度は茶々が「何やら寒気が!?」とすまし顔で言った、『それはイカン!何か羽織るものを用意いたせ!身体を冷やしてはイカンからのう!お主一人の身体ではないからのう!さささあ、優しくのう!』、茶々の言われるがままに侍女達の手で一枚羽織った、『如何じゃ?少しは温(ぬく)くなったか?』と秀吉は茶々の肩に手を回した、すると茶々が言った「殿下~~、ここは落ち着きませぬ!早よ、淀の城に移りとう御座います!」、『よし、分かった!淀城の普請を急がせる!小一郎を呼べ!』、茶々があくびをしそうになった、『何じゃ?眠くなったか?床の用意を致せよ!』、茶々は眠気顔で秀吉の肩にもたれかかった、『よし、よし、よし、身体を冷やさぬようにな!茶々が眠るまで、わしが着いておるからのお!』秀吉は茶々を撫でていた手を、そっと茶々の手の上に置き握った、茶々は秀吉の目を覗き込み微笑んで秀吉に甘えていた!あほらし・・・

天正17(1588)年の2月、事件が起きた!?三成が廊中を慌ただしく急いでいた、『増田殿!?』、三成を待っていた豊臣の家臣、増田長盛が、三成が部屋に入るなり辺りを覗って障子を閉めた、「これじゃ!今朝、城門にこの落首(らくしゅ、落書きの事)が張られていた!」増田は何枚かの書面を三成に手渡した、そこには“大仏の功徳もあれや 槍かたな くぎかすがいは 子宝恵む??”、増田が説いた「殿下が大仏に金銀を費やしたことを、からかっておるのじゃ!まだある!」、もう一枚渡した、”ささ絶えて 茶々生い茂る内野原 今日はけいせい 香をきそいける??”、三成が説いた『殿下が茶々様に夢中なのを揶揄(やゆ、からかうこと)したか!?』・・・

早速、三成は手を回した、「すでに城門の番人17名を捕え、調べを進めておりまする!」と三成と増田は秀吉に報告した、落首に目を通しながら秀吉が言った『あっはははは~~~!巧(うま)いことを言いよる!この歳で子が出来たことへのあてこすりじゃ!はははははあ~~~!このわしのことは構わんが、茶々の事は許さん!うあ~~~!うあ~~~~~!』秀吉はそれら落首を火鉢の中へ投げいれて燃やし、怒り狂った!・・・「兄じゃの怒りは尋常では御座らぬ!城の門番が責めを負わされ拷問の末、死罪に処せられました!そればかりか、疑わしいと思われた者は手当たり次第!年寄り、女、子供、かくまった者までも容赦なく、その数、100人以上!」と羽柴秀長がおねに知らせた、『何と酷(むご)いことを!殿下はそのようなことをなさる御方ではなかったはず!天からの問罪は人をこんなにまで狂わせるのか!?このままでは豊臣家は・・・!?』とおねは嘆き悲しんだ・・・

中津城で読書に浸っていた官兵衛の処に、光が、おね様からの書状を持ってきた、官兵衛が目を通して言った、『おね様は何と?』、「大坂へ来て欲しいと!落首の一件であろう!」、『殿下を御諫め出来るのは、殿しか居られぬと言うことですか??』と光は不思議そうに尋ねた、・・・官兵衛から返事がなかった、『おね様は長政のお命を救って頂いた黒田の恩人!』、「その恩人の頼みとあらば、行かねばなるまい!」、『はい、されど、おね様から、100人以上が死罪なっておるとのこと、今の秀吉様を御諫(いさ)めして、お聞き届け頂けるのでしょうか?それどころか、無事で居られるかどうか?』光も事の重大さに官兵衛を案じた!「主君を諌めるのは、家臣の務め!」と官兵衛は力強く言って、光の肩をたたいた!・・・ 

早々に官兵衛は、豪華絢爛☆金箔瓦が施された聚楽第に秀吉を訪ねた、後に隠居の身となった官兵衛はこの聚楽第に如水(じょすい)邸を構えた、秀吉が三成を連れて部屋に入って来た、開口一番、秀吉は官兵衛に知らせた「官兵衛、淀城が出来上がった!なかなか良い城じゃ!茶々も大層喜んでおった!あっははは~~~!して、何用じゃ?」、少し間をあけて笑みを浮かべた、「何がおかしい?」、そして官兵衛は始めた『人は子が出来ると、ここまで耄碌(もうろく)すると思いも及びませんでした!』、秀吉に殺気が走った「何じゃと!」立ち上がった、『今、殿下のお子を世の人々は待ち望んでおりましょうか!?』、「お控えなされ!」三成が邪魔をした、官兵衛は三成を指をさして制しながら 続けた『先の落首の件!はなはだ宜しくありません!咎人(とがにん、罪人)が誰か分からぬゆえ、疑わしきものを、まとめて殺すなど、言語道断!』、目を見開いた秀吉が次第に距離を詰めて、官兵衛の周りをクルクル回っていた!・・・

官兵衛は語気を荒げて尚も続けた『殿下はこれまで、人を殺さず!味方に取り込むことで、信長公の死から僅か数年で天下を手になさいました!されど、此度の一件で人々の心が殿下から離れてしまいました!茶々様のお子を、皆が待ち望む世にせねば、豊臣家の先行きが危のう御座る!』、黒田殿無礼で御座るぞ!側近の家臣たちが身構えた!ひるまず官兵衛はつづけた『殿下は既に弱い50を越えて居ります!お世継ぎが長ぜられる頃、すでに殿下はお亡くなりになるやも知れませぬ!その先も豊臣家の天下は長く続きましょうか!?生まれてくるお子のためにも、とくと考えて頂きたい!』官兵衛は秀吉の目を睨みつけた!・・・

黙って聞いていた秀吉が口を開いた「官兵衛!」、ひざまづいて言った「はっはははは~~~!あっはははは~~~!だからこそ、わしは、官兵衛を手放せんのじゃ~~!ははは~~!相分かった!咎人(とがにん)捜しは、もう止めじゃ~~!世の中をぱ~~っと明るくし、このわしの誕生を祝ってもらえるよう、取り計らう!三成!金を集めよ!皆に金を配るんじゃ!このわしの、この誕生の前祝じゃ~~!はははははあ~~~!」秀吉は小躍りして独り喜んだ!官兵衛の顔にも安堵の色が浮かび、周りから殺気が消えていった!「三成、金を集めるんじゃ!金を配るんじゃ!前祝じゃ!」尚も遠くから秀吉の声が聞こえていた、複雑な顔をして三成は部屋を出て行った・・・

部屋中一面には金の大判の山が出来て居た!次々と訪れる大名や公家たちは、三宝に積まれた“天正大判”を有難く頂き、「有難き幸せ!」と連呼した!秀吉は「大儀である!」と応えた、この時、配られたのは金だけでなく、金6000枚!銀2万5000枚だったと言われている、秀吉が言った「官兵衛、隠居など止めて、このわしに仕えよ!」、『殿下、一度口にしたことを引っ込めては、この官兵衛の男が立ちませぬ!何卒!お許しを!』と官兵衛は頭を下げた、「頑固な男じゃのう!う~~!う~~!う~~!」秀吉は考えていた・・・

突然、肘置きを叩いて秀吉は立ち上がり言った、「ならば官兵衛、これは如何じゃ!長政に家督を譲るのは許す、じゃが、隠居は認めぬ!これからは黒田の当主としてではなく、一人の男、黒田官兵衛として、このわしに仕えると言うのは如何じゃ!?」、『分かりました!そう云うことであれば、喜んでお受けいたします!』官兵衛は承諾した!「はははははあ~~~!そうか、官兵衛、はははははあ~~~!」秀吉は官兵衛の肩を何度も叩いて喜んでいた、秀吉は三成に目で合図をした、しかし官兵衛の隠居が無くなり三成の願いは聞き入れられなかった、三成は複雑な心境で軽く秀吉に会釈をして去った・・・

天正17(1589)年5月27日、宇治川と桂川の合流点にある淀の地に建った、自分のお城、淀城にて茶々は秀吉のお世継ぎを無事 出産した!『ほほほほほ~~!はははははあ~~~!あ~~~!可愛いのう!可愛いのう!茶々!よくやった!よくやった!』秀吉は我が子にデレデレだった、茶々も嬉しそうじゃった、「男(おのこ)で御座います!」、『ほうか、男か!ようやく、わしの跡継ぎが出来た!茶々!』、「殿下!」、『茶々、よお、やった!よし、お前を棄(すて、のちの鶴松)と名付けるぞ!』、「棄?棄てとはおかしな名で御座いますなあ?」、『昔からなあ、棄てられた子はよく育つと云う言い伝えがあるんじゃ!』、「お前は棄ですよ!」、『そうじゃ、棄!お~~可愛い!』・・・

無事お生まれになったのは、お世継ぎに御座います!北政所のおねにも知らせが届いた!『そうか!世継ぎか!あ~~良かった!』おねは、茶々に待望の、おのこが生まれたことに胸をなでおろした、『くれぐれも、淀殿を労わっておわげなさい!』、淀城の殿となった茶々は淀殿と呼ばれるようになった、『ようやく豊臣家に後継ぎが!淀殿は何と運の強いお方!直ぐに祝いの品を手配しなさい!』とおねはマグダレナに頼んだ、はい!『いかがした?浮かぬ顔をして?』、マグダレナはおねに近づき言った「確かにお家にとっては、この上なき目出度きこと、されど、これを機に、淀の方様は石田様を使って、益々権勢を欲しいままにするのかと・・・」、『止めなさい!考えすぎじゃ!この様な目出度い時に、何を心配しておる!』、申し訳ございませぬ!『さあ、忙しくなりますよ!祝いの品じゃ!』、はい!・・・

大坂城にて冠・礼服に身を包んだ長政の黒田家家督相続の儀が執り行われた、官兵衛は長政に家督を譲り、長政には秀吉の推挙により、官位が授けられた!その推挙の証書 “黒田長政、従五位の下、甲斐の守(かいのかみ)に推挙する!” を読み上げた、『はっ、豊臣家の御ため、身命を賭(と)して、お仕え致しまする!』と秀吉に誓った、「頼んだぞ!」、はっ!・・・そのあと、長政は福島正則と一緒におねに挨拶に行った、「長政、立って一回りしてみなさい!」、『かか様、子供ではありませぬ!』、おねは強く指図した「長政!さあ!」、長政はおねの前で照れながら一回りして見せた、正則がくすくす笑っておった・・・

「こんなに立派になって!あの松壽が!遂に黒田の当主とは!」、『これもすべて、おかか様と半兵衛様のお蔭!あの時、命をお救い頂いた故に御座います!』、「黒田家当主として、これからも、豊臣家を支えておくれ!」、『それがしには、守るものが二つ御座います、一つは黒田の家、そして、もう一つは大坂のおかか様で御座います!』、正則も感謝を述べた「まるで、おね様、否、北政所様に育てられた者は皆、兄弟も同然!何があっても、北政所様をお守り致しまする!」、「正則、長政、そなたたちの気持ちは、この上なく嬉しい!されど、徒党を組んで争いを持ち込むようなことはしないでおくれ!」、正則が言った「家中で徒党を組んでいるのは我等でなく、三成で御座います!淀殿がお世継ぎをお産みになってからと云うもの、一層大きな顔をして!」・・・

そして、関東・小田原城にも嵐が吹き荒れようとしていた、家康らが北条氏政を小田原城に訪ね、大坂・上洛を迫っていた、「これ以上、殿下の上洛の命をないがしろにされますと、縁者である徳川家と言えども、おかばいすることは叶いませぬ!」、氏政はきっぱり断った!「上洛はせぬ!すれば何かと難癖をつけ、関東の地を奪うに相違ない!」、家康が言った『その様なことは御座りませぬ!』、「わしは関白を信用しておらぬ!」、直政が言った「お怒りを買いますぞ!」、氏政が続けた「この小田原は武田信玄や上杉謙信に囲まれても、落ちなかった城じゃ!攻め来ると云うなら、向かい討つまで!関東育ちの武士たる坂東武者の手並み!存分に見せてくれよう!」、直政が北条の嫡男・氏直に訊いた「若殿はそれで宜しゅう御座いますか?」、「無論!父に従うまで!」、家康は最後に言った『ならば、これ以上言うことは無い!覚悟は出来ておられるようじゃ!』・・・

官兵衛は中津に戻って、善助、太兵衛、九郎右衛門らと縁に出て語り合っていた、「いよいよ、小田原攻めで御座いますか?」、「小田原城は難攻不落の城!大きな戦さとなりましょう!」、「天下統一の仕上げに、とんでもない虎が残りましたなあ!」、『殿下の野心は小田原では終わりそうもない!』、「天下統一が成ったあとは、見えぬ!」、「この先も大殿の隠居は認められそうにもありませぬなあ!」、『お前たちの隠居は、まだまだ先じゃ!これからも戦さはつづく!』、「我等が何処までも大殿にお伴致します!」、誇らしい軍師を殿に持った黒田三銃士だった!・・・

 

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軍師官兵衛、第39話“跡を継ぐ者!~前編” 2014年9月28日

2014-09-28 07:04:44 | 日記・エッセイ・コラム

昨日27日土曜日、11歳までのアンを描いた“赤毛のアン”と、18歳までのアンを描いた”アンの青春”などを翻訳した村岡花子(1968年10月25日、75歳で没)の生涯“花子とアン”が惜しまれて最終回を迎え、大正9(1920)年、2年間のスコットランドでのスコッチ造りの修行を終え、妻を連れて帰ってきた広島・竹原にある造り酒屋の跡継ぎ・亀山正春と、米女優シャーロット・ケイト・フォックス29歳が演じる妻・エリーとの笑いと涙溢れる愛の物語”マッサン(9月29日月曜日スタート)”にバトンタッチされた!・・・

竹原は毛利元就(もとなり)の三男、小早川隆景(1533~1597年)が徳寿丸と呼ばれいた幼少期に過ごした街である、隆景は養父・小早川興景(おきかげ)の元へ養子に出て小早川を継いだ、また竹原市は昔から酒造と製塩業で栄えた“安芸の小京都”と呼ばれる風情のある街でもある、一度行かなきゃ!“マッサン”とは、『正春さん』と名を呼ぶのが難しいので妻のエリーが、たまたま発して命名したニックネームである、小生、マッサンこと亀山正春を演じる男優の顔に見覚えがあった、大河ドラマ“八重の桜”で会津藩出身の陸軍少将・山川大蔵を演じた玉山鉄二(34歳、京都府城陽市出身)だった!楽しみん・・・

正午前には木曽郡、下呂市と高山市にまたがる岐阜と長野県境に君臨する御嶽山(標高3067m、複合成層火山)が7年ぶりに、地下水がマグマによって熱せられ、硫黄の臭い漂う白煙を吹き出し岩石を吹き飛ばす水蒸気爆発を起こした!御嶽神社が要塞の様に鎮座する御嶽剣ヶ峰山頂上付近にいた7人が火山灰に埋もれ意識不明となり、29人が降って来た噴石で重軽傷を負った!まだ30人以上の安否確認がされてないようだ、南側斜面には低温火砕流が3km降(くだ)った、爆発前には頻繁に地震活動も続いていたようだ、火山活動もレベル1からレベル3に上げられ入山規制がかけられている!この時期、御嶽山は紅葉が素晴らしく、御岳登山鉄道のケーブルカーを利用すれば7合目までスイスイ行け、 大勢の観光登山客が訪れるようである!二十歳ごろ小生も行ったことがある下呂温泉もあるしね(^^ゞ・・・

本題に移ろう・・・『たかが12万石とて、わしと劣らぬ器(うつわ)を持っておる!上に立つ器量を持っておる!そうそうたる勇士らが着いておる!わしが12万石しか与えなかったのは、わしが生きている内に、あやつに天下を奪われると思ったからじゃ!』と秀吉が御伽衆(おとぎしゅう)らに話した噂話を、家康が官兵衛に語った、そして続けた「そなたはわしが天下に野心有りと疑っておられるようじゃが、殿下が恐れているのは、わしではない!官兵衛殿、お主じゃ!」・・・

茶々!茶々!茶々!と唱えながら秀吉が、800年の都、京の聚楽第に三成を従えて駈け込んで来た、秀吉の子種を授かった茶々が目出度くご懐妊していた!秀吉は三成に命じて茶々殿のお城“淀城”の普請を急がした!「これで豊臣家は安泰で御座います!」、『安泰じゃ!よおやった!茶々、よおやった!』、茶々は大坂城に出向き、おね改め、北政所にご懐妊の知らせを報告しに上がった、「くれぐれも身体をいたわるのですよ、もはや、そなた一人の身体では無い故!」おねは茶々を気遣った・・・

「分かっております!ここに居るのは殿下のお子!豊臣家の跡継ぎを無事に産んで魅せまする!」茶々は身ごもった腹をそっと押さえて誇らしげに言った!「母の気鬱(きうつ)がお腹の子に触ると聞いております、それ故、これからは、誰に気兼ねすることなく、気ままに過ごすつもりでおります!」チクリと刺して去った・・・「これまで何方(どなた)かに気兼ねしていた御積りでしょうか?」とマグダレナが呆れた!おねも苦笑していた・・・

茶々懐妊の知らせは豊前・中津城の官兵衛のもとにも届いた、だが、むいた柿を持ってきた光が気付いた、『如何されましたか?』、官兵衛は浮かぬ顔をして茶々殿の御懐妊を喜んでいる風には見えなかった?・・・後日、官兵衛は家老と重臣らを集め、『長政、前へ!』、嫡男・長政を前に呼び、長政に家督を譲り、隠居すると切り出した、何ですと!、隠居!?、何故で御座います!?『天下が近づくにつれ、殿下は疑(うたぐ)り深くおなりになった!そして、此度の茶々様のご懐妊!』、「茶々様のご懐妊が殿の御隠居とどのような係わりがあるので御座いますか?」と又兵衛が訪ねた・・・

『守るものが出来ると、人は一層疑り深くなる!今の殿下はここに災い成すものを取り除くためなら、どんなことでもする!わしが次の天下人なぞと云うのは、今のとこ、御伽衆相手のジャレ事であろう!だが、殿下の胸には疑いの種が埋まっておる!それが何時芽吹くかも分からぬ!黒田が生き残るには、わしが隠居し、その疑いの芽を摘み取って置くしかないのだ!それに、お前たちのこともある!』、我等の事?、善助が言った「殿下は、黒田には優れた家臣が揃っておると羨んでおられました!」、九郎右衛門も続いて言った「我等は命を落として殿下をお支えしてきた、しかし、今や殿下の御疑いの元になっていると言うことか?」、「厄介じゃな!」と太兵衛が案じた・・・

長政がかしこまって官兵衛に言った「父上、お待ちください!家督をわたくしに譲るなど、まだ無理で御座います!」、『長政、初陣以来6年、お前は充分場数を踏んで来た!家臣たちも支えてくれる!』、若!御心配いりませぬ!若!若!若き家臣たちも長政に同調した! 『長政!すべては生き残るため!良く考えるがよい!』、はっ!・・・その夜、長政は縁で庭を眺めながら飲んでいた、そこへ糸が肴を持って来た、『糸、聞いたか?』、「おめでとう御座います!」と三つ指を着いた、『まだ決まったわけではない!』、「殿に力がなければ、父上も家督を譲るなどとはおっしゃる訳がありません!」、『力か?わしは先の戦さで家臣を大勢死なせた!その様な男に、父上の代わりが務まるわけがない!』・・・

「その様な弱気で何とします!殿が家督を継ぎ、お家を繁栄させることで、死んでいった者達も報われます!わたくしも頂きます!」糸は盃を弱気な長政に差し出した、長政がその盃に酌をしてやった、「前祝いで御座います!」糸が一気に飲み干して「あ~~美味しい!いっひひひ~~!」嬉しそうに笑った、『分かっておるのか?よいか、お前は黒田家当主の妻になるのだぞ!今まで母上がやっていたことを、せねばならぬのだ!わしが留守の時は、お前が城を守るのだ!それが、どれだけ大変なことか!』、「そんな事、分かっております!何とか成りましょう!」と糸は笑い飛ばした、『何とかなるだと!?肝の太い女子だ!』、「そんなところに惚れたのでは?」、長政は口にした酒を吹きだして咳き込んだ『何を言うか?』、あっははは~~~!糸に励まされる長政だった・・・

同じ頃、官兵衛も光の酌で飲み語らっていた 、「似ておる!」、『何がで御座いますか?』と光が訊いた、「わしが家督を継いだ時と!あの時も小寺家にお世継ぎ生まれ、主君、小寺政職様は疑り深くなった、父上が小寺家を乗っ取るのではないかと!父・職隆は窮した挙句、わしに家督を譲ると言い出した!」、『さぞ驚かれたことでしょう?』、「わしには務まらぬと思っていた、父上は越えがたき高き壁であった!」、『長政にとっても同じ!殿は険しい山なので御座います!道標(みちしるべ)を示してやらねば、長政には登れますまい!』、「自ら道を探さねば本人のためにはならぬ!・・・飲もう!」と言って官兵衛は盃を光に渡して酌をした、『そんなに?酔ってしまいます?』この!この~~!相も変わらず仲睦ましい二人じゃった・・・

早速、官ん兵衛は大坂に上がり、秀吉に隠居決断の次第を報告した、秀吉は驚き、その訳を迫ってきた、『これまで殿下の天下統一の夢を追ってお仕えをしてまいりました、しかし今や、毛利、島津、徳川も殿下に従い、残りは関東の北条を下すのみとなりました!殿下後輩の若い武将も育ち、三成殿始め、お奉行方も殿下をシッカリお支えしております!もはや、それがしの出る幕は御座いませぬ!倅(せがれ)長政ももう21歳、何時家督を継いでもおかしくない歳で御座います!』・・・

秀吉が割って入った「官兵衛よ!お主の心が読めたぞ!御伽衆との話を聞いたな!?はっはははは~~~!あれはジャレ事じゃ!先き走るな!官兵衛、わしはお主の隠居など、絶対に認めんぞ!お主はまだ43ではないか!?九つも年長のこのわしが天下のために働いていると言うのに、お主がこのわしより先に隠居など!断じて許さん!」、『そこを曲げて!お願い致しまする!』と官兵衛は頭を下げた、「曲げん!この秀吉、断じて曲げんぞ!」 ・・・つづく

 

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NHKわくてかアイドル学園でアイドルが放屁! 2014年9月24日

2014-09-24 15:46:11 | 日記・エッセイ・コラム

昨日23日秋分の日は午後から家内と、トライブが好きな、要介護犬となった愛犬サクラを乗せて、お彼岸の中日の墓参りに出かけた、途中、JAふあ~~みんで買い物を済ませ、お供え用の花を買った、小生方の両親の墓地だけだが、墓場に生えた草を抜き、墓石を水で清め、花と線香を手向け手を合わせた!サクラも久しぶりのドライブを楽しんでくれたことだろう?・・・

 

それは昨夜の事だった、夕食後の徘徊から9時前に帰って来て入浴している時だった、小生、風呂場に入ると、何時もの様にNHKラジオをかけた、そして夏場は、ドッサリかけ湯したあと、洗顔、髭剃り、洗髪、ボディー・ウォッシュまで、湯船に入る前にすべてを終えてしまう、そのあと、湯船に浸かると正座の姿勢から後ろに思いっきり反り返り60カウントする、その後、手のひらを思いっきり開き!握る!グッパッ運動を60回こなす!・・・

その後は、湯船にユックリ10分近く浸かる、ふとラジオに集中すると、小生も好きでよく聴いている御馴染!土曜の“シゲゴリwktk(わくてか、少し厳しいがaを付け加えれば“ワクワクテカテカ”となる)ラジオ学園 ”/日曜の“三浦・福田・近江MCのwktkサンデー”が、スペシャルバージョン“wktkアイドル学園(9時5分~11時)”となって放送されていて、盛り上がっていた!確か公開生放送のようであった、秋鹿真人(あきしか まさひと、39歳)NHKアナと、アミューズのものまねアイドル、福田彩乃(あやの、26歳)がMCを務めて番組は進行していた、番組タイトル“アイドル学園”にふさわしいアイドル4人が出演していた!・・・

スマイレージのリーダーである和田彩花(あやか、20歳)、ベイビーレイズのセンターである林真夏(まなつ、19歳)、Tokyo Cheer2 Partyのリーダー代行・原田里佳子21歳、i☆Ris(アイリス)のメンバーである芹沢優(せりざわ ゆう、19歳)の4人だった、MC福田彩乃を含めて、それぞれ5人の個性溢れる見事な自己紹介のあと、本格的なインタビューとトークショーがキャッキャ!キャッキャ!と賑(にぎ)やかに始まった、その直後、ブゥッ!鳴った!尚も途切れずアイドルトークが続いたが、オナラ評論家を自負する小生の耳がシッカリ的確にその音を捕らえた!・・・

福田もその音を捕らえていた、福田は番組を進行させながら、4人に訊いた「さっき、そっちで変な音しなかった?」、4人とも乗ってこなかった、又キャッキャ!キャッキャとトークショーへ戻った、すると又しても同じ音量の同じ音色がブゥッ!と破裂した!今度は、すかさず福田が 4人に訊ねた、今のは何の音?あっ!こっちまで匂ってくるよ!?その時、またもやブゥッ!と同じのが鳴った!福田が思わず、凄い!凄く匂うってくる~~!4人の間でも、“臭さ!”、“臭さ”、“臭っさ~~!”と連鎖して叫び声を発し、会場が大騒ぎになった!・・・

誰も誰がしたとは言わない!その場に居る者なら分かるだろう!?ラジオ聴いてる方は、大騒ぎになった会場の雰囲気は伝わってくるのだが、ラジオなので、誰が?判断しようがない!これがテレビであったら、誰がやったか、一目でわかるのだか!?その場の雰囲気で、女性陣に圧倒されたか?何の因果か、その場に居合わせた唯一の男性、秋鹿アナは、われ関せずとばかり、一言もしゃべらず黙りこくったが、MC福田のすぐ横に居たはずなので、彼は音源ではない!勿論MC福田でないことは明白だ!そうなれば和田か?林か?原田か?はたまた芹沢か?その4人の内の誰かだ!その時4発目のブゥッ!が鳴った!止まりせぇ~~ん!一体全体これって何なんだろう?ありえない、信じられない!・・・

風呂から上がってから、台所に行き、先ほどあったスクープが、相当受けると自信をもって、逐一克明に家内に話していった、すると、帰ってきた言葉が『そんな報告はいらんわ!』、ひるまず、続けようとすると『そんなこと興味ない!やめて!』、それでも諦め切れず行こうとすると一喝『ええ加減にしてよ!うるさい!』と来たもんだ! うら若き女性がデカイ一発をカマスだけでも驚きだが、あのような公の場でよくも、あのようなドデカイ音量で放屁出来たもんだ!それも、ななな~~~んと!4発も!しかしオナラ評論家としては好タイミングで歴史的大舞台に遭遇出来て大満足だった!(*^_^*)・・・

今日は2か月に一度の採血検体検査の日であった、朝からどんより雲が立ち込め、今にも雨が降りそうだった、家内が折り畳み傘を出してくれたが、小生、小雨なら情緒があって 歩く方が良いと傘を断った、医療センターまで、何とか持ってくれた、何時もの様に、採血と採尿を済ますと、アンギオ検査室のある廊下に行き、入念にストレッチをこなした、そこから生活習慣病教室が開かれている学習広場の部屋で栄養士さんと雑談したあと、泌尿器科の待合ホールへ行った、12時前に診察室に呼ばれ、検体検査の結果を主治医から聞くと、PSAの値は前回の0.130から0.177ng/mlまで僅か上がったが、ここに来て凄く安定してきた!0.7ぐらいで落ち着けば万々歳である!次回の予約は11月19日である・・・

会計を済まし、地下階のレストラン&カフェ“bien mall(ビアン モール)”へ急いだ、今日のおすすめメニューはAランチが“豚肉と野菜のあんかけ豆腐”で、Bランチが“白身魚の竜田揚げサルサソース仕立て”だった、小生は何時も和食色の強いものを選ぶ傾向がある、今日もBランチ620円を頂いた!美味いのなんのってありゃあしね~~え!(*´▽`*)じゅるり!帰る頃には雲の切れ目からお日様が顔を出していた!・・・

 

今、夜の9時半ごろだが、外はザ~~!ザ~~!音を立てて大粒の雨が大地を潤す恵みの雨となって降っている!待望の久しぶりの雨だ!しかし、この蒸し暑さは何だ!?半端でない!拭いても拭いても小生の禿げ頭から汗が噴き出し、顔を伝って流れおちる!温帯低気圧に吸い寄せられた南からの熱風が、湿気を大量に運んできたものだろう!堪(たま)らず久しぶりにクーラーの除湿をかけた!・・・ 

 

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軍師官兵衛、第38話“追い込まれる軍師!~後編” 2014年9月22日

2014-09-22 10:37:35 | 日記・エッセイ・コラム

長政が宇都宮の残党狩りを終え城井谷から、異様にガラ~~んと静まり返った中津城へ帰ってきて、妻の糸の名を呼んだ、何度も呼ぶが返答はなかった?すると、奥から、すまし顔の糸が、やっと現われた、正座し三つ指ついて深々と「無事のお戻りおめでとうございます!」と馬鹿丁寧に長政を迎え入れジ~~っと長政の目を見た、『何を観ておる?飯しだ!』と急(せ)かした、すると意外な返事が帰ってきた「支度が出来ておりませぬ!」??「奥の女たちは皆、殿に愛想を着かし、何のお世話もしたくないと申しております!」、『くだらぬ!』・・・

そこへお福、お道、お富ら侍女たち大勢を従えた光が入ってきて『何が下らぬのですか!?』と言って一斉に長政を睨みつけた、「母上??」、光は静々と前に出て糸の横に座って言った『これは城の女たち全ての者の思いです!お鶴殿を牢から出しなさい!!』、立ち上がった長政は呆れた顔で光に近づき答えた「母上、無理を申されますな、鶴を助けたりしたら、殿下の命に背くことに成ります!」、女たちは怯(ひる)むことなく長政の顔を鋭く見続けた、光が口を開いた『助けるのではない!』、??それは鶴を助けるのではなく、逃がすと言うことであった!・・・

その役目を又兵衛が買って出た、その夜、牢の鍵を開けて言った『お鶴殿、出るのだ、案ずるな、お方様が若に掛け合われたのだ、但し、よいか、我等はお主を助けたわけではない!』と言ってから、又兵衛は戸惑うお鶴の側(そば)に旅仕度一式を 置いた、『お方様からだ!』、鶴は疑いの目で又兵衛を観ていた、『どうした?』、鶴が言った「情けは受けぬ!」、又兵衛は鶴を励ますように言った『恥を忍んでも生き残るのだ!死んでは仇は討てぬぞ!お鶴殿、生きよ!何が何でも生きるのだ!生きていさいすれば、光も見えてくる!』、又兵衛の顔を見つめる鶴の目に涙が溢れた、そして旅支度を抱えて牢から出て姿を消していった!又兵衛は鶴の無事を祈った、長政も物陰から鶴を見送った!・・・

天正16(1588)年の5月、肥後の一揆を鎮圧した官兵衛は、中津城に戻って光と二人っきりで雨に煙る中庭を眺めていた、そこへ長政がやって来て「父上」、手を着き胡座を組んで官兵衛に詫びた「此度は父上にお伺いも立てず、それがし一人の考えで事を運びました、申し訳ございません!」、『お鶴を助けたそうだな?』、官兵衛が訊いた、すかさず光が言った『いいえ、お鶴殿は勝手に逃げたのです、助けた訳では御座いませぬ!』、『殿下にはそう伝えておこう!』と言って官兵衛ははけた・・・

長政は安堵して頭を下げた、『父上はおっしゃっていました、もし、あの時、中津に居たら長政と同じことをしていただろうと!』光が長政に教えた、長政は父の愛を知って涙ぐんだ、『此度は辛い戦でした!』と光が呟いた・・・自分の部屋に戻った官兵衛は十字架の置かれた側の床の間の前で項垂れ(うなだれ)ていた、そして生前、半兵衛がくれた軍配を手にして思いにふけっていた、そして、軍配に無向かって、そっと手を合わせた・・・

大坂城では秀吉が満月の庭に出て美酒に酔い観月しながら、何やらおねと団欒の時を過ごしていた、『肥後の2つを分かち与えた、半国は小西行長に』、「もう半国は?」、『加藤清正じゃえい!』、突然おねは立ち上がり「清正に!」と歓喜の声を挙げた、『おねも喜ぶと思った!』、「ありがとうございます!私からもお礼を申し上げます!ああ~~!」、『あやつの忠義に報いてやったんじゃえ!』、「清正、正則、長政は私がこの手で育てた息子たち!その息子たちが立派に出世し、豊臣家のお役に立つことほど、嬉しいことはありませぬ!」・・・

『おねは、わしが三成ばかり可愛がっていると文句ばかり言っとったがのう!?これで、そうではないことが分かったであろう!』、はい!『三成、清正、正則、長政、皆このわしに認めてもらおうと懸命に競い合う!それが豊臣家のためにもなるんじゃ!競い合わせて、力を出すこと、それをわしは信長様より教わった!上手いやり方じゃ!しかも、それが実に面白い!』、「面白い?」、『うん、人は将棋の駒じゃ!それをこのわしが自在に操る!まるで、神の様にな!上様もそれを面白がって居たに違いない!あっははは~~~!はははははあ~~~!』秀吉の笑い声が望月(もちづき)の夜空に木魂(こだま)していた! ・・・

天正16年7月法園寺にて、肥後の一揆の責任をとり、謹慎していた佐々成政に秀吉からの沙汰が三成より言い渡された!”佐々成政、切腹申しつくるものなり!”、「乱を起こした肥後の地侍どもは?」、『同じく切腹申し付けられます!』、「そうか!わし等は秀吉の手のひらの上で、戦っておったのじゃなあ!?」と成政が思い返していた、はははははあ~~~!成政はあほらし成って笑い飛ばした!・・・

同じ頃、官兵衛は大坂城の茶室にきて、秀吉と三成ともに利休の茶を嗜(たしな)んでおった、秀吉が口火を切った『官兵衛、此度は命拾いしたなあ!長政に感謝しないとなあ!』、三成が報告した 「佐々殿が昨日切腹致しました!」、秀吉が言った『佐々殿が居なくなった肥後は二つに分けて、加藤清正と小西行長に与える!何故あやつらを入れたか分かるか?いよいよ、その時が来たと言うことじゃ!』、「明(みん、1368~1644年、モンゴル元朝を倒した中国王朝)で御座います!」と三成が答えた、『先鋒は清正と行長!小早川が大将だ!軍師は、勿論、官兵衛じゃ!信長様が成し得なかった夢を、この秀吉が成し遂げるんじゃ!うははははは~~~!』・・・

官兵衛が声だかに言った『殿下!』、何じゃい!?官兵衛は秀吉に正面切って訴えた『天下泰平は目の前では御座いますが、長い戦乱で民は疲弊しております!何卒、しかと、民の姿を観て頂きとう御座います!』、むっとして秀吉が言った「その様なことは分かっておる!」、『天下を治めたのち、海を渡り明を攻めるのは、・・・』、そこへ三成が「殿下の悲願で御座います!」と割って入ろうとした!『控え居ろう!三成殿!』官兵衛は三成に顔を突き合わせて三成を怒鳴り散らした!『今、わしは殿下に申しあげておる!』、三成も負けずと構えた、『口を挟むな!』と官兵衛はもう一度三成を制した、官兵衛は秀吉に向き直し、睨んで言った『殿下!』官兵衛は土下座した、『何卒!御考え直し下さい!』・・・

秀吉は床を殴打して言った「お主!このわしの夢に鶏知(けち)をつける気か!」、『そうでは御座いませぬ!何卒!』、「これ以上言うと申すな!」と秀吉は手で官兵衛を制止した!それまで黙って聞いていた利休が一言「耳の痛いことを言ってくれるお方が居られる内が華で御座います!」と言って、立てた茶を秀吉にそっと差し出した、秀吉はその茶碗にケチをつけた「利休よ、わしはこの茶碗が嫌いじゃ!」、利休が返した「殿下にも、いずれその良さがお分りになります!」、怒りに燃えた秀吉は足でその茶碗をけっ飛ばそうとした!しかし、ぐっとこらえて 「三成、参る!」、秀吉は茶室を出て行った!・・・

場面は変わり、おねがマグダレナと独りの侍女ともに大坂城の廊中を何処かへ進んでいった、ある回廊に差し掛かったとき、二人の侍女お伴にした茶々に出くわした、互いに道を譲ろうとしなかったが、茶々らが先に折れた、すれ違いざま、両者に殺気が走った!「挨拶もせず、無礼な!」マグダレナが呆れた、おねは、客間に待つ官兵衛に会いに来たのだ、「暑気払いじゃ、召し上がれ」、瓜のようじゃった、官兵衛は美味そうに口にした、「松壽も好きでした、松壽、否、長政は息災ですか?」と官兵衛に訊いた、はっ!「宇都宮の一件には、遠い大坂から気をもんでおりました」、『御心配をかけ申し訳ございませぬ!』、「あの子があんな思い切ったことをやり遂げるとは!」、『黒田のあととりとしての覚悟が出来ているようであります!』・・・

「立派なあととりになってくれれば、私も嬉しい限り!あんな小さかった子供たちが、皆、立派な武将になってゆく!それは良いのじゃが、豊臣家は急に大きくなった、それが不安です、殿下が天下人になられてから、少々人が変わった!」、マグダレナが後ろから付け加えた「お方様もお辛いことが多いので御座います!それは茶々様で御座います!殿下のご執心振りは度が過ぎております!」、「おやめなさい!」おねはマグダレナを諌めたて言った、「三成殿などは茶々様にすり寄ることで権勢を欲しいままに!」、「いい加減にせぬか!」、申しすぎました、申し訳ございません、「信長様がお亡くなりになって、殿下は瞬(またた)く間に天下を御取りになった、家中をまとめる暇(いとま)も無いほど!それ故、家中が割れはせぬかと気がかりでなりませぬ!官兵衛殿!そなたが頼りなのです!」とおねは日ごろの不満を官兵衛にぶちまけた!・・・

その頃、豊前・中津城では家臣らが集まり夜の宴で盛り上がっておった、肥後に向かう加藤清正が立ち寄っていた、長政が酌をしながら清正に言った『25万石の大出世!おめでとう御座います!』、清正が言った「これからは黒田家と加藤家!今まで以上に深く付きおうて行きたいものじゃ!否、そうせねばならぬ!おね様が肩身の狭い思いをされておることは知っておろう?」、『その訳は茶々様で御座いますな!?』長政が察した、「茶々様は所詮小娘!現状は裏で権勢を欲しいままにしておる三成じゃ!あやつは我等を殿下から遠ざけようと躍起になっておる!黒田が豊前の一揆で窮地に追いやられたのも、三成が裏で手を回していたからじゃ!」・・・

床をひと殴りしてから清正は長政に言った 「長政!お前は、わしや正則と同じく、おね様に育てられた豊臣の身内じゃ!これからは我等が共に力を合わせて、豊臣の天下を支えていくのじゃ!」、『無論です!それがしの命はおね様と、亡き半兵衛様にお救い頂いたもの!豊臣家のため、この命、捨てる覚悟は出来ております!』、側で又兵衛が、またカッカとのぼせ挙がり、度を越さぬかと、長政の様子を心配げに観ていた、「よお、ゆうた!」と清正が長政を誇らしげに褒めた!大事なければよいが・・・

一方、駿府城に移った家康は、未だ秀吉に上洛を渋って従おうとしない関東・小田原の北条に上洛を促していた、「書状を出されては?これ以上、上洛を先延ばしにするなら、我が娘を返せと!」と本多忠勝が勧めた、「北条の嫡男に嫁がれた督姫(とくひめ、家康の次女)様で御座いますか?聞き入れると思いませぬが!」と井伊直政が否定した、「殿が北条を説いていることさえ伝われば、聞き入れずとも良いのだ!」榊原康政は上洛に前向きではなかった、「九州が鎮まった今、あの秀吉は必ず北条を討ちに出ます!北条との共倒れだけは避けねばなりませぬ!」と本多が上洛に前向きだった!・・・

薬草をすり潰し漢方薬づくりにはまっておる家康が口を開いた『分かっておる、わしは上洛するぞ!』、「お忙しいことですな、殿、何をしに参られるので?」、「御正室の朝日様(秀吉の異父妹)が、母君・大政所(おおまんどころ)様の病気見舞いに行きたいとお望みです!」と直政が 教えた、「その様なことで、わざわざ上洛で御座いますか?」、家康が言った『康政、そのようなことでケチくさいことを申すな!関白を安心させるのじゃ!それに、逢うてみたい男が居る!』、家康の上洛の目的は?関白殿下のご機嫌伺いをし、会いたい男とは?それは官兵衛だった!・・・

家康は山城の国・京にある秀吉の別邸・聚楽第(じゅらくだい、1587年9月に完成)に秀吉を訪れた、ちなみに、余談だが、この山城の国・京には秀吉が茶々にささげた淀城がある、『徳川殿、我が妹・朝日の我がままに付き添って下さり、かたじけのう御座る!』と秀吉は深く家康に一礼をした 、「もったいなきお言葉、大政所様の御快復お祈りいたしております!」、『かたじけない!』、『堅苦しい挨拶はこれまでにして、どうじゃ!徳川殿、暫くこちらで、ゆるりとして、このわしと伴に鷹狩りにでも参らぬか!?』、「是非、楽しみにしております!」・・・

『あつはははは~~~!楽しみじゃ!楽しみじゃ!』、秀吉はここから真剣な目つきになって言った、『処で、北条殿が、未だ上洛しようとせぬ、なめられたものよのう!このわしを百姓上がりと、侮(あなど)っておるのであろう!』、「北条には我が娘が嫁いで行っております!それがしが説き伏せ、必ずや、上洛させて見せます!」、『近頃、このわしも、歳の所為か、気が短くなってのう!堪忍袋の尾が切れぬうちに、上洛すればいいのだがのう!』、まるで、この二人、狐と狸の馬鹿しあいの態を見せてきた!・・・

そんな頃、利休の茶室に、「わざわざお呼びたてして、申し訳ありません!」、官兵衛が呼ばれていた、『いいえ、して御用向きは?』、「実は黒田様にどうしてもお会いしたいと言うお方が居られましてな!」、障子が開いて「お初にお目にかかる徳川家康で御座る!」と家康が茶室に現れた、『黒田官兵衛に御座る!』、「名高き軍師殿に是非一度お会いしたかった!」、『それがしもお会いしとう御座いました!徳川様、戦さで唯一殿下を破ったお方、御尊顔を拝することが出来、光栄の至りで御座います!』、「小牧・長久手の戦さで御座るか?あの戦さには、官兵衛殿が居らず、着いておったは!ははは~~!わしも、お主の様な軍師が欲しいものじゃ!」・・・

『そう遠くないうちに、戦さのない世が訪れます、さすれば、軍師など無用の長物!』、「大平の世が来ると思うか?」、『はっ!豊臣の天下を奪い取ろうとする者が現れぬ限りは!』、「その様な大それた野心を抱く者など、居らぬであろう!?」はっはははは~~~!二人は互いに笑いあった!家康は利休の立ててくれたあの茶碗を手に取り、一服飲んでから言った「先日こんな噂を耳にした!ある時、殿下が御伽衆(おとぎしゅう)に訊いたそうじゃ!」・・・

・・・このわしが死んだら、次の天下人は誰じゃと?御伽衆に、殿下が「これ!申さんか!」と一人ひとり指名して言わせた、答えが帰ってきた、それは徳川様で御座いましょう!前田利家様で御座います!否、毛利も居りますぞ!上杉も侮(あなど)れませぬ!などと答えが帰ってきた!・・・家康が続けた、「だが、いずれも、殿下は違うとおっしゃる!」・・・肝心な男を一人忘れてはおらぬか!?その男は、このわしが何日も何日も、考えて考え抜いた策を瞬時に思い付く!百万の大群を曳き、英知と知能を持つ男!あっははは~~~!誰じゃ?誰じゃ?誰じゃ?誰じゃ?誰じゃ?・・・家康が当てた、「官兵衛じゃ!次に天下を獲るのは官兵衛に違いない!」、官兵衛は度胆を抜かれた!・・・

 

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軍師官兵衛、第38話”追い込まれる軍師!~前編” 2014年9月21日

2014-09-21 14:17:13 | 日記・エッセイ・コラム

読者の皆さん、ご心配かけました、先日の記事喪失事件の傷心から短期間の静養を経て見事立ち直り、不死鳥・オカナガンは復活してきました!早速gooブログのサポートセンターにメールで消滅原因を問い合わせたが、“非公開にしていたのでは?”とか”下書き設定していたのでは?”とか、極ありふれた真反対の回答しか返ってこなく、その原因は判らずじまいになった!気を取り直して今日から再デビューすることにしました、今後とも宜しくお願い致します!それにしても、あの涼しさは何処へ消えたのだろう?今日は晴れているが風はなく、気温27℃、湿度54%と蒸し暑く、汗が吹き出し、まるで真夏に戻ったようだ!・・・

さて、本題に入る・・・やはり、官兵衛のお伺いを立てず、鎮房とそのお伴を謀殺したは、関白殿下の命(めい)に従い、父・官兵衛に代わって黒田家の生き残る唯一の道を挙行した嫡男・長政独断の仕業であった!同じ頃、官兵衛の肥後本陣にも秀吉の使者、加藤清正と福島正則が官兵衛を訪ね、家老である、善助、太兵衛、九郎右衛門の前で「殿下の命に従い、殿下の逆鱗に触れぬよう、宇都宮を 討つ他ありません!」と官兵衛に迫っていた!・・・

豊前・中津城では、又兵衛が「この様な騙し討ち!豊前での信用が地に落ちた!そればかりか、黒田家末代の汚名となるだろう!」と 長政を攻めたてていた!『黒田家が無くなっては元も子もない!やるしかなかったんだ!』と反論した、「そのこと殿は!?」と又兵衛は尚も攻めた、『父上は知らぬ!だが、それで良いのだ!』、又兵衛は長政の胸の内を察し「泥をかぶる積りか?」と静かに訊いた、長政は黙って下を向いていた・・・

宇都宮謀殺の件を調べるため豊前へ行っていた九郎右衛門が肥後の本陣に戻って官兵衛等に伝えた、「宇都宮一族は若によって、ことごとく成敗されました!」、善助は言った「若は自分の手で決着をつけねばと思い込んだのでは?」、太兵衛が官兵衛に訊ねた「鎮房の嫡男、朝房(ともふさ)は如何なされます?殿下は人質も殺せとの仰せで御座います!」、その場に静寂が走った!・・・

一方、中津城では、今回の事件で人質として捕らわれの身となった宇都宮の娘、鶴姫 の牢屋へ、光とお福が駈け込んで来て謝罪した、『この様なことに成って、相済まぬことを致した!』、「父を騙し討ちにした黒田の詫びなど受けない!殺すなら早く殺すがよい!」、『そなたを殺すようなことはさせぬ!必ずそなたを、ここから助け出します!必ず!』と光は鶴に誓った!・・・

更に長政は宇都宮の本拠地、城井谷に兵を送ることを決めた!「出陣じゃ!」、出て行こうとする長政を呼び止めて光が言った、『お鶴殿は一体如何する積りなのか?まさか斬ろうと言う積りでは?』、「殿下の命に背けば、この黒田家が潰されてしまいます!」と長政が答えた、『殿下は罪なき者をも皆殺しにせよと仰せですか?宇都宮に本領安堵を約束しながら、国替えを命じ、従わねば皆殺しとは、何と無慈悲な!一体これまで黒田家がやって来たことは何だったのですか!?人を生かして使うのが黒田家の心情ではなかったのですか!?』と光が長政を叱咤した、長政には答える言葉がなかった!・・・

肥後本陣では官兵衛が苦渋の決断をして、太兵衛に命じた『朝房(ともふさ)を呼べ!』、はっ!、九郎右衛門も善助も顔をゆがめた、太兵衛が若き宇都宮の嫡男・朝房を官兵衛の前に連れてくると、善助が合図し、部屋を囲む幕が降ろされた、朝房は己の成敗を察したか否か?善助が朝房に言った「心して聞け、お主の父・鎮房は関白殿下の命により、中津にて成敗した!」、朝房は目を見開いて驚いた、すかさず官兵衛が無慈悲にも言った『お主には死んでもらう!腹を斬れ!』、信じられぬ顔で朝房が訊いた「これは誠の事で御座いますか?本領安堵を反故(ほご)にしたのは秀吉ではないか?それなのに我を討つとは、あまりにも理不尽!?貴方は我等を滅ぼす積りだったのか!?」朝房は悔しさに涙した!・・・

朝房は脇差を抜いた、そして泣いた!怒りに燃えて官兵衛を襲おうとした!太兵衛と九郎右衛門が力づくで制した!「殺せ!殺せ~~~!」と大声で喚(わめ)いた !「殺せ!」もう一度吐いた!官兵衛は静かに立ち上がり朝房に近づいた、持っていた杖を倒し、ジッと朝房の顔を見つめた、朝房は脅(おび)えていた、官兵衛は抜いた刀を朝房の喉元から左胸にゆっくり突き刺した、朝房は目を見開いて絶命し、そっと横たえられた、九郎右衛門も善助も、そして官兵衛も余りの無慈悲さに大粒の涙を流していた!・・・

大坂城では憎っくき秀吉が、茶々の御機嫌を取るため、『茶々、これは甘くて美味いんじゃぞ!』、チョコレート・ケーキの様な美味そうな洋菓子をシルバーの皿に入れて茶々に勧めていた、茶々はそれに興味を見せず 振り返った、秀吉は茶々のあとを着いて行った『茶々、何が欲しいんじゃ?何でも申してみよ!茶々のためなら、何でも手に入れるぞ!』、茶々は何も言わず鏡台の前に座った、すると三成が提案した「恐れながら、城は如何で御座いましょう?」、『城?』、「第二の御正室の証として、茶々様に見合う立派な城で御座います!」、『城か、よう申した!茶々、城じゃ!城じゃ!』、「わたくしのお城?」、『そうじゃ!茶々、欲しくはないか?』・・・

「出来ればそこで殿下の御子を産みとう存じます!」と茶々は色目を秀吉に向けた!『このわしの子を産んでくれるか?あははははは~~~!分かった!城の一つや二つ!幾らでも用意してやる!三成、早速、城を用意せよ!申し付けたぞ!城じゃ!城じゃ~~!茶々の城じゃ~~~!あっはははは~~~!』秀吉は有頂天になっていた!茶々もニンマリ笑みを浮かべた!どちらも、いい気なもんだ!そこに伝令が入った、「申し上げます!豊前の黒田長政より知らせが参りました!」、『何と?』、「宇都宮鎮房を討ち取ったと!」、『そうか!そうか!長政はやったか!?はははははあ~~~!長政はこのわしの言うことに逆らったりはせん!』してやったりとウハウハの秀吉の笑い声が止まらなかった!・・・ 

善助が肥後本陣の官兵衛に知らした「宇都宮を討ったことを、殊の外お喜びの御様子!豊前は引き続き黒田に任せるとのお沙汰で御座います!」、それを聞き官兵衛は立ち上がり椅子に怒りをぶちまけた!善助が続けた「豊前での我等の信用は思いのほか保たれました!若のなさったことが幸いしたようです!」、背を向けて打ちひしがれた官兵衛に一礼して善助はその場をはけていった!・・・中津城の牢屋に入ったままの鶴姫は差し入れられた食事に口をつけぬまま、一人座ったまま亡き家族の思い出にふけっていた・・・

福岡県築上郡築上町(ちくじょうちょう)にある、宇都宮氏の菩提寺“天徳寺”の宇都宮鎮房公墓には、鎮房が、父・長房と嫡男・朝房と共に葬られている、領民たちにも慕われた 鎮房の墓は地元、城井谷(きいだに)の人々によって守られてきた、官兵衛が詠んだ“桜狩の短歌”には、『山ふかく 分け入る花の かつ散りて 春の名残りも けふ(今日)の夕暮れ!?』と、宇都宮氏を滅ぼしたことへの後悔が込められていると言われる!また中津城下にある“合元寺”には、城井谷の戦いで寺の壁が血に染まり、そのために、寺の壁は赤く塗り替えられたと云う逸話が伝えられている!戦さのない世を目指す官兵衛と、領地を守ろうとした鎮房、両者の戦いは、戦国の世の厳しさを今に伝えている!・・・後編へつづく

 

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