Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

龍馬伝、最終弾 “龍の魂” 2010年11月28日

2010-11-28 23:10:34 | 日記・エッセイ・コラム

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桂浜に亡き土佐勤皇党の戦士等の御霊が半平太の指南のもと剣術に励んでおった、「前の敵を受け流し!用意!始め!」、ぅおう!「打ちつけ!用意!始め!」、やあ~~!「逆さや!用意!始め!」、やあ~~!そこには饅頭屋の近藤長次郎が饅頭を食いながら見物しちょった、池内蔵太も岡田以蔵も平井収二郎も間崎哲馬も弘瀬健太も望月亀弥太も吉村虎太郎も、土佐藩のために働き、命を散らし千の風になって行った下級浪士等が集まって居ったがじゃ・・・

そこへ、ななな~~んと『皆んな~~!わしじや~~!』龍馬が現れ、龍馬!龍馬!龍馬!と同士達に取り囲まれた、『元気にしちょったかえ!皆んな!』、「これまで!よう!やったねや!」と半平太が龍馬の労をねぎらってくれた、『ありがとう御座います!ありがとう御座います!武市さん!』、「もう直ぐじゃ!もう直ぐじゃ!もう直ぐぜよ!のう!」、『はい!』、お~~!お~~~!「饅頭でも食べてつかわさい!」、『長次郎ではないかい!』、長次郎が一箱ドッサリ饅頭を差し入れ龍馬に言った「よう!やりましたなあ!龍馬さん!」、『ありがとう!』・・・

「龍馬さん!起きてください!」、『はっはははは~~~!』龍馬が夢の中で寝ぼけて笑っていた、それは昼間にうたた寝して観た龍馬の白日夢(はくじつむ)じゃった、誰かがしきりに龍馬を起そうとしていた、「龍馬さん!起きてください!龍馬さん!」、『おっ!陽之助かえ!』龍馬が夢から目覚め現実に戻った、大政奉還ののち、陸奥の計らいで龍馬は酢屋の屯所から身を隠し、河原町通りで醤油屋“近江屋”を営む井口新助の屋敷に居候しちょった、そこへ陽之助と寅之助が酢屋から交互に訪れ、龍馬の監視役と側用人を務めていた・・・

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龍馬の部屋は何やら挿絵入りの図面やら小冊子やらで散らかっていた、「何んですか!これは?」、『あっ!それはのう!陸(おか)蒸気(蒸気機関車)の図じゃ!』、「はあ~~!?」、『その内!陸蒸気が走り出すろう!そうなったら人や物を運ぶがは蒸気船と陸蒸気とどっちが速いか競うようになるがじゃ!それを真剣に考えよったらのう!何時の間にか眠っちょった!はっははは~~!ああ~~!』と欠伸(あくび)をしながら、張り出し窓から外を眺めながら背伸びをした・・・

辺りには祭り太鼓やお囃子が聞こえて来ておった、『祭りかえ!』、「街はよう賑わっていましたよお!」、突然、思い出したように龍馬は言った『そうや!おまんに頼みがあったがじゃ!』、「何んですやろ?」、龍馬は陽之助に床の間の前にずらりと並べた文(ふみ)を指して言った『この文をのう!各藩の重役等に送っちゃって欲しいがじゃ大事な文じゃき早ように頼むぜよ!』、陽之助はその内の一通を開き、目を通して行こうとした「新政府綱領八策!?」、『おお!そうじゃ!ほいたら!頼むき!』と言い残し逃げるようにして龍馬は階段を降りて行った・・・

「あっ!あかん!外へ出たら危ないです!」陽之助は龍馬の後を追った、下の階のお店では女性客と主(あるじ)の新助と女将さんとの会話が聞こえていた「大政奉還や言うけんど!まだまだ物騒(ぶっそう)な世の中やなあ!」、「大政奉還!?」と女将が訊いた、「徳川さんが!まつりごとを天子さんに返しはったんや!」、「これからあと!どないなるかいのう?」と新助も不安じゃた、ブーツを履き終えて龍馬が教えた『これからはのう!もう上も下ものうなってしまうがじゃ!』、ええっ!『これからは!皆んな~~が好きなことを!好きなようにして暮らせる世の中が来るがぜよ!』・・・

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龍馬は陽之助の忠告を振り切って、一人危険が一杯の今日の街に出た、祭りで賑わう縁日の露店巡りを楽しんでいた、『おお!これをくれや!』龍馬は幼い女の子から風車を一つ買った、「おじちゃん!ありがとう!」、10月14日確かに明治天皇への大政奉還は成ったものの、当時、睦仁(むつひと)親王は、1867年1月に何者かによって毒殺され35歳で崩御された孝明天皇のあとを継いで即位された、しかしまだ15歳と幼く政権能力は低く、水戸藩公卿・二条斉敬(なりゆき)が摂政したものの、慶喜は翌年1868年1月3日まで在職している・・・

当然、政情は不安定となり、反幕府勢力を取り締まる祇園・三条など町人・歓楽街を管轄する新撰組と、御所・二条城周辺の官庁街を管轄する“新遊撃隊”(大政奉還後、京都見廻り組みから改名した)が縄張りを越えてうろうろして居った、そんな不穏な動きが京の街に溢れていた、弥太郎が“龍馬は御門を中心とした、新しい政府の整うがを、京に居って見届けようと思うちょったがぜよ”と語りをするが、土佐に居っても見届けられる、小生は大政奉還のあと直ぐに龍馬は京を離れるべきだったと思えて仕方がない・・・

その頃、弥太郎も龍馬の居所(いどころ)を捜しておった、上京してきた弥太郎が土佐藩邸の門を叩いた、『御免!御免!』、やがて、勝手口から藩邸役人が一人出てきた、「誰ぜえ?」、『土佐藩士!岩崎弥太郎に御座います!坂本龍馬はここに居りますろうか?土佐藩の郷士!坂本龍馬に御座います!京に居るながです!海援隊の隊長!坂本じゃ!』、返事もせずに門の中へ戻ろうとするのを捕まえて弥太郎は問うた『日が暮れたら戻んて来るでしょうか?』・・・

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役人が口を開いた「おんし!あんな奴に係わらんほうがええぞ!」弥太郎を突き放して言った「坂本は大殿様をそそのかした曲者(くせもの)じゃ!後藤様を焚き付けるがは!ロクなもんじゃないぜよ!」、『そんなことは分かっちゅう!わしはそれを・・・』、バタん!無情にも扉は閉められてしもうた、『待ちや!待ちや!わしは!ただあ!龍馬がここに居るかと聞きゆうだけぜよ!』、弥太郎が叫べど喚(わめ)けど返答はなかった・・・

近江屋では籐吉が腕によりをかけて作った夕飯を囲み団欒(だんらん)の一時を迎えていた、格子の向こうから龍馬の声がした『そこでわしは!乙女姉やんに訊いたがや!おまんはどっちが目頭で!どっちが目尻じゃと!』、籐吉が答えた「目糞が出る方が目尻!?」、『違う!』、「目糞が目頭から出る?」、『それえ!可笑しいじゃろう!』、エッヘん!と女将が咳払いをして促した、息子の新之助が気を利かせて言った「めしの時に糞の話しをしたらいかん!」、あっははは~~!『これは!すまんちゃ!すまん!すまん!いやぁ!けんど!こん~な野菜は京でしか見たことがないぜよ!』、小芋のような形をした慈姑(くわい)じゃった・・・

「その野菜は今が旬どすさかえ!」女将が教えてくれた、「この野菜は近くの畑で採れるさかえ!よろしおすが!塩や米の値段が一向に下がれへん塩や米の値が下がらんと!醤油の値も上がってしもうて!お客が来やはらへんようになってしもうた!」と主(あるじ)の新助がぼやいた、「何時になったら元の様に落ち着くのどすやろか?」女将も不安を隠せない、『もう直ぐじゃ!もう直ぐじゃき!さあ!食おう!食おう!のう!』、「新之助もよばれや!」・・・

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翌日、旅支度よろしく龍馬が一人、菅笠(すげかさ)を頭にかざし急ぎ足で何処かへ向かっていた、その日、会津藩9代目藩主・松平容保(かたもり)を長官とする京都守護職の傘下にある二つの佐幕派暗殺集団である、新撰組と新遊撃隊の捜査網をかいくぐって、龍馬は京の街を密かに抜け出し、新政府組閣の助言を受けるため、福井藩主・松平春嶽が居城する越前城に向かっていたのである・・・

その頃、旧幕府のもん等は大政奉還を迫った土佐藩、幕府に従おうとせんかった薩摩藩と長州藩への怒りを煮えたぎらせちょった、小生、京の街を嗅ぎ回る、キャラが強い面構(つらがま)えの三人の新遊撃隊士に不気味な刺客の臭いを感じていた、一人は市川亀治郎に似た今井信朗(26歳、江戸本郷湯島生まれの幕臣、直心影流指南)、一人はドラマー中村達也に似た佐々木只三郎(34歳、会津藩士、神道精武流指南)、もう一人はシンガーソングライターのSIONに似た渡邊篤(23歳、京都生まれの剣豪、西岡是心流指南)じゃった・・・

越前城の奥座敷にて、龍馬は良き相談役である春嶽公との会談に臨んでおった、「新政府綱領!これを西郷や木戸に送ったのか?」、『はい!勿論!土佐の容堂公にも!』、「何んて大胆なことを!したんや!」そこには財政再建の賢者と名高い三岡(みつおか)八郎も同席しちょった、『これがあったら!皆んなが同じ方向を向いて!新しい国の形を話し合うことが出来るがです!』・・・

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“右預(あらかじ)め二、三の明眼士と議定し、諸侯会盟の日を待って云々(うんぬん)。〇〇〇自(みずか)ら盟主と為(な)り、此を以(も)って朝廷に奉(たてまつ)り、始めて天下万民に公布云々。強抗非礼公儀に違う者は断然征討す。権門貴族も貸借することなし”と末文に追加加筆された箇所を読んで、春嶽が龍馬に訊いた「この〇〇〇とは何んだ?」、『ここには!皆んな~~の先頭に立って!御門のもとで!まつりごとを取り締まるお方の名前が入るがです!』、「誰じゃ!?」、『それは!わたくしも分からんがです!』・・・

すると龍馬はストストと春嶽が座する上座敷に進み寄り言った『それより!春嶽様!今!大切ながは!米や塩の値を元に戻すことながじゃ!みん~~な!値がもっと!もっと!上がってしまうではないがかと心配しちょります!皆んな~~が安心して暮らせるよう!早よう!新しい政府を創って!仕事を始めてもらわんと!いかんがです!』、「全くお前と云う奴は!そんなことまで!考えて居ったのか!?」、『ははは~~!』・・・

坂本!」、『はあっ!』、「ここへ来て!座って見んか!」、『はあ~~!?』、「ここじゃ!」立ち上がった春嶽は自分が座っていた殿座を指した、『はっ!はあ~~!』龍馬は立ち上がり一礼してから一段高くなった上座敷に上がった、『失礼致します!』と云って殿座に座り込んだ、「どうじゃ!景色が違ごうて見えるじゃろう?」、『そうですのう!けんど!わしは元々土佐の下士の生まれですき!お殿様の席らあ!あっはは!まっこと!居心地が悪いがです!』・・・

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「あっははは~~!まこと!お前は変わりもんじゃ!」、『そうでしょうか?あっはは~!』、「その高い所に座ると!皆んな気持ち良くなって!そこからは降りたくなくなるもんじゃ!」、龍馬は立ってその高床を降りて言った『慶喜公は降りて下さいました!』、「あのお方だからこそ!出来たことじゃ!」、龍馬は更に春嶽に詰め寄って言った『春嶽様!世の中は!もう変わり始めちょりますがです!これから身分の上下ら!のうなって行くですろう!』・・・

「そう!容易には変わらんぞ!」、春嶽は新綱領を拾い上げ、厳しく龍馬に言った「これを読んだものは皆!疑心暗鬼になる!この〇〇〇に誰が入るのかと!」、それまでポリポリ菓子を食べながら聴いていた三国が口を開いた「しかし!親爺(おやじ)!自分がその〇〇〇に成るべきや!と云う者も多いかも知れんしのう!」、『それで!ええがです!』、「何んだと!?」、『〇〇〇に誰が入るがか!誰が相応(ふさわ)しいべきか!皆んな真剣に考え始めますろう!』、「お前は承知の上で!皆を煽(あお)ったと言うのか!?」、『春嶽様!日本人はもう!皆んな~~が!前を向かんとイカンがです!あっははは~~!』・・・

龍馬が言うた通り、長州でも薩摩でも、皆が〇〇〇を巡って!議論し始めたがじゃ、長州にもその新政府綱領八策が届き、「坂本さんからこれが!」三吉が木戸に手渡した、「新政府綱領!?」やはり、ここに目とが留まった「〇〇〇!?」木戸が呟いた・・・京・薩摩藩邸では西郷が「中岡さあ!」と呼びかけ、その新政府綱領を差し出した、「また坂本か!」と大久保がパイプを吹かしながら吐き捨てた、「坂本は!こん〇〇〇に誰を入れようとしとっとじゃ!」と小松が疑った、「徳川か!?」西郷が好い様に解釈した・・・

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大久保がここだとばかりに言った「やっぱり!徳川家は滅ぼさねばならん!」、『大久保様!徳川はもう政権を返上したがです!今さら戦さは無用ですろう!』中岡が釘を刺した、「じゃてん!今でも徳川は日本一の大大名!今でもまだまだ!力を持っちょもんな!」、『ほんじゃけ!龍馬が一刻も早よう!新しい政府の形を創ろうとしゆうがじゃき!』、「おはんは!坂本龍馬によか風(ふう)に転がされちょっとじゃ!」大久保が中岡の顔にパイプの煙を吹きかけた、『何んじゃと!』中岡に怒りを露わにした、「やめんか!」と西郷が一喝した・・・

土佐藩邸で邪険にあしらわれ、不機嫌そうな弥太郎が近江屋の店に入って来て、荒々しく店の者に問うた「坂本龍馬がここに居るろう!?」、二階の部屋では寅之助と陽之助が訪れ、龍馬が一杯やっていた、「龍馬は何処じゃ!おい!」、「そんな人は居りまへん!」、「何じゃと!」、鎮めようと弥太郎の口を籐吉が塞(ふさ)いだ、二階では龍馬が弥太郎の声を聴き弥太郎を迎えに行こうとすると、陽之助が止めた、「龍馬さん!こちらでお待ち下さい!」、「陽之助がここへ入って行くのを見たがや!どきや!」弥太郎が喚(わめ)いてドカドカと上がって行こうとした・・・

「そやさかい!居らへんて!」籐吉が弥太郎を力ずくで捕まえて、投げ飛ばした、「何をするがじゃ!おまん!」、籐吉が今度はブチカマシを食らわそうと身構えた、「何んで!突き飛ばしたがじゃ!わしは!ただ!ここに龍馬が居るかと!」弥太郎は怒鳴(どな)り散らした、「シッ!シッ!騒ぎな!騒ぎな!」陽之助が降りてきて弥太郎を静めようとする、『どういた!弥太郎ではないかい!あっははは~~!』龍馬も降りてきて弥太郎を迎えた・・・

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龍馬は弥太郎を二階へ案内した、二階には階段を上ると奥に向かって六畳の間と六畳の間、そして龍馬が主に居住空間として使う八畳の間の三部屋が連なっていた八畳の間には掛け軸と刀寝かせがある床の間と押入れが備えられていた、畳には火鉢が一つと行燈(あんどん)が一脚置かれていた、外には物干し用の張り出しがあった、龍馬は床の間の前に胡坐(あぐら)をかいて言った『どう云う訳か分からんけんど!後藤様が土佐に戻られてから!わしも土佐藩邸に入られんようになってしもうたがじゃ薩摩藩邸には!今は世話になるわけには!いかんけのう!』・・・

弥太郎は龍馬が居る部屋に入らず、真ん中の六畳の間に突っ立ったまま言った「おまんは大政奉還を成し遂げて!幕府を倒した英雄様じゃろうが!」、『えっ!?』、「薩摩にとっても!長州にとっても!おまんは大恩人ぜよ!」、『そう簡単には行かんちゃ!』と言いながら酒を盛った盃を弥太郎に持って来て渡した、『それより!まさか!弥太郎がここに訪ねて来るとはのう!今日はどういたがぜよ?』、「おまんと会うがは!これが最後じゃき!これから言うことを!よう聴きや!」弥太郎は懐から何やら書かれた紙切れを取り出して、それを畳の上に置いて言った・・・

「わしはミニA銃9000丁を売って!五千二百四十五両を儲けたがじゃ!」、『おお!五千二百四十五両!』、弥太郎は畳みの上の紙切れを指して言った「これが!その手形ぜよ土佐商会とは係わりない!わしが儲けた金じゃ!」、『お~~!おまん!わっははは~~!ほんまのお金持ちになったがかえ!弥太郎!凄いことぜよ!やったのう!あっははは~~!』、「けんどのう!この金は要らんがじゃ!」、『はあっ!?』・・・

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「わしはのう!戦さが起こると見越して!9000丁!仕入れたがじゃ!おまんが言う大政奉還ら有り得んと思うちょった!けんどのう!けんど!もしかしたら!おまんは!おまんは!やってしまうかも知れんと!わしは弱気になった!おまんを信じてしもたがじゃこんな悔しいことがあるかえおまんに儲けさせてもろうた金ら!欲しゅうない!ほら!おまんの金じゃ!」弥太郎はその手形を龍馬に向けて放った、「わしには自信があるやき!坂本龍馬ら!足元にも及ばん男になって見せるがじゃ!」言いたいだけ言って弥太郎は去っていこうとした・・・

黙って聴いていた龍馬が吼(ほ)えた『待ちや!』、弥太郎は階段の手前で立ち止まった、『弥太郎!おまんは!そんなに!わしのことが嫌いか!?』、龍馬に背を向けたまま答えた「おお!大嫌いじゃこの世の誰よりものう!」、『そうかえ!けんど!わしはのう!おまんのことを嫌ろうたことは一遍もないがじゃ!岩崎弥太郎いう男は土佐に居る頃から!わしは死ぬまで友達じゃと!』、「おまんのそう云う処が嫌いながじゃ!」・・・

(弥太郎!もっと素直になれ、本当は龍馬が好きで好きで!おまんが唯一心許せる同士でも有り、恩人であった筈、最も尊敬できる英雄的存在だったじゃないがか、龍馬が更に自由に動けるように経済的支援をして恩返ししたかったじゃないがか!?心から龍馬の身を案じていたがは、おまんじゃなかったがか!?)・・・

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弥太郎は捲(ま)くし立てた「おまんは!おまんの思うまんまに生きて!それが!どう云う訳か!ことごとく!うもう行って!おまんと一緒に居ったら!わしはのう!わしは!自分が何ちゃあ出来ん!こんまい!詰まらん人間に思えたがぜよ!けんどのう!龍馬!人が皆んな~~!自分の様に!新しい世の中を!新しい世の中を!望んじゅうと思うたら!大間違いじゃぞ!口ではどう言うちょったち!いざ扉が開いたら戸惑い!怖気(おじけ)づく者が山のように居るがじゃき!恨みや妬(ねた)みや恐れ保身!その内!怒りの矛先(ほこさき)は!おまんに向くろう!わしは分かる!眩(まぶ)し過ぎる日の光は無性に腹が立つ云うことを知っちゅうきのう!」・・・

龍馬は目を閉じて聴いていた龍馬が応えた『おまんの言う通りかも知れん!わしは!わしは!気が着かんうちに人を傷つけ!人に恨みを買っちゅうかも知れん!』、奥の間に歩み移って背を向けていた弥太郎に、龍馬が近寄り諭(さと)すように投げかけた『世の人は我を何んと(で)も云わば云え!我が成すことは我のみぞ知る!』(名格言である、今年の流行語大賞になってくれ!)、『わしはのう!弥太郎!自分で出来る事をしただけぜよ!おまんもそうじゃ!おまんの思うように!思うように!好きに!好きに!生きたらええ!』・・・

すると、突然、龍馬は弥太郎の手首を掴んだ、強く強く掴んで離さんかった、弥太郎は脅えて云った「止めや!止めや!」、弥太郎は懸命に両手で龍馬の右手をふり解こうとした、『わしのことらあはのう!わしのことらは相手にせんでええ!』更に龍馬は両手で弥太郎の腕を決めにかかった、「止め!痛い!止めや!止めや!」、『おまんはのう!おまんは!この金で世の中と繋がっちゅうじゃぞ!』龍馬は弥太郎を畳みにねじ伏せた、弥太郎が脚をバタつかせて逃げようとする・・・

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弥太郎!おまんは!』、「痛てて!(いてて、いてて、いてて~~お!で~~お!いかん)」、『この金で!日本一の会社を創って!日本人!皆んな~~を!幸せにせんと!いかんじゃき!それはのう!それは!わしには到底!出来ん!これはわしには出来ん!岩崎弥太郎いう男だけが出来る大仕事ぜよ!』、龍馬は弥太郎の腕を離し、背に腕を廻し続けた『わしに!やるべきことがあったように!おまんにも必ず!必ず!やるべき事があるがじゃ!』・・・

龍馬は弥太郎がミニA銃9000丁の商売で儲けた五千二百四十五両の手形を弥太郎の懐に納めてやった、『達者でのう!達者でのう!弥太郎!』、龍馬は弥太郎に頭を下げて別れを告げた、それから後は、弥太郎はよう憶えちょらんかったがじゃ、近江屋を出て、何処を、どう、歩いたか、ただ、どういてか頭の中で、龍馬の“達者でのう!達者でのう!”と云う言葉が繰り返し、響いちょったがぜよ・・・

来る日も来る日もひたすら、龍馬の帰り待ち望み、一人下関の浜辺に来て、月琴(げっきん)を爪弾くお龍を思い浮かべながら、近江屋の八畳の間で、龍馬がお龍に手紙を認(したた)めていた、そこにはミャ~~ミャ~~愛らしく自由に動き回る猫達の他に、近江屋の息子の新之助(7,8歳ぐらいかのう)と近くの本屋の倅(せがれ)の菊屋峯吉(17歳ぐらい)が遊びに来ていた、二人は西洋文明の挿絵が満載された洋書に没頭していた、“お龍!達者で暮らしゆうか?退屈はしちゃあせんかえ?わしは今!自分の役目の最後の仕上げに懸かりゆう!”・・・

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“これが終わったら!もう!わしの出番はないぜよ!そうしたら!わしは!おまんを連れて土佐に帰り!皆んな~~で世界を旅して廻るがじゃ!その前に!おまんもエゲレス語を学ばんといかんのう!実は海援隊の皆んな~~にエゲレス語の辞書を創るように言いゆうがじゃ!わしはのう!お龍!子供等がこの国に生まれてきて!まっこと!良かったと思うような!そう云う日本を創りたいがじゃ!”、ここまで手紙を書き終えると中断して新之助と峯吉の方に気を留めた・・・

新之助!どうぜ!面白いかえ!』、「うん!」、『ほんならのう!これはおまんにやるき!』、「えっ!?」、『峯吉には!オッ!これをやるき!』、「ほんま!?」、『ちっくと難しいかも知れんけんど!頑張って読みや!』、「はい!」、『わしには!さっぱり分からん!あっはは!分からん!』、その洋書本を峯吉に渡して、中断していた手紙の方に戻った・・・

“お龍!おまんに簡単なエゲレス語を教えちゃる!「アイ・ラヴ・ユウ!(I love you)」云う言葉ぜよ!アイわしラヴ好きユウおまん!、「わしは!おまんが好きじゃ!」云う意味ぜよ!よう憶えちょきや!わし等には一番大事な言葉じゃきのう!”、手紙を読みながらお龍はアイ・ラヴ・ユウとリピートしたがや、手紙を書き終えた龍馬は冷気に触れながら物干しに座ってアイ・ラヴ・ユウじゃ!お龍!I love you!と下関で龍馬を待つお龍を偲(しの)んでいた・・・

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広州アジア大会最終日、男・女マラソン 2010年11月27日

2010-11-27 10:48:11 | 日記・エッセイ・コラム

豆腐の盛田屋

今朝、裏庭で柿の収穫を兼ねて庭の剪定をしていると、家内が台所から「マラソンやってる!」と教えてくれた、一段落つけてテレビの前に座った、今日は大会最終日である、気温は19℃と少し高めで曇りなのか、もやなのか、スモッグがかかっているのか、ハッキリしない天候である、ならだかなアップダウンが続く比較的難関なコースらしい・・・

レースは8キロ辺りから嶋原が遅れて行き、トップ集団は中国の周と朱が引っ張る6人に絞られていた、15kmを51′55″で通過する、嶋原がトップから1分遅れになっている、あっ!19キロからユリッペも置いていかれて行く、このレースを物にすればテグの切符を手に出来ると言うのに、先頭集団に二人の日本代表が居なくなり、このレースの興味が削がれて行った、おまけに出場選手がほんの11名ほどでもあるし、午後の男子に期待しよう・・・

午前の女子マラソンの結果は嶋原が5位、加納が7位に終わっている、今回の大会では、陸上日本勢は苦戦を強いられている、そんな中、女子100/200m2冠を征した福島千里(北海道ハイテク)、男子200mで銀を獲得した藤光謙司(セレーナ)、銀に輝いた男子4×400m日本チーム(石塚、藤光、広瀬、金丸)、61m56の日本新を投げ金に輝いた女子やり投げの海老原有希(スズキ浜松)、そして堂々金メダル相応しい83m15を投げた世界の村上幸史(スズキ浜松)らが額面どおりの実力を発揮してくれた印象がある・・・

11月14日加古川ツーデーマーチ2日目に水面ロードで遭った早狩実紀(京都光華AC)は21日の女子3000m障害で10′01″25で銅メダルを獲得していた、あの時、早狩は最終調整をしていたのだろう、これで、きっと彼女はテグ世界陸上の切符は手にするだろう・・・

午後1時5分、男子マラソン22名がスタートした、気温は23℃まで上がっている、湿度は50%で余りタイムは期待できないサバイバルレースとなるだろう、日本の期待は今年のびわ湖マラソン日本人1位(総合2位)の佐藤智之(29歳、旭化成)と、初マラソンとなった同びわ湖マラソンで日本人2位(総合4位)に入り、代表を獲得した北岡幸治(28歳、三重NTN)の2名である、カタールの2名はどちらもケニアから帰化した選手である故、強敵に成るだろう、コース沿道には世界経済の先頭を行こうとするハイテク中国を象徴する多くの大学や科学技術センターなどの広大な敷地を持つ建物が目立っている・・・

最初の5キロを15′20″→次の5キロを15′25″で来ている、15km地点を日本の2名を含む8人のトップ集団が46′12″で通過していく、10~15kmのラップが15′27″であった、20kmを同じ8名の先頭集団がこのラップを15′45″と少しペースを落として1°01′57″で通過した、気温がジリジリ上がり陽炎(かげろう)が立ち込める24.4℃となり夏のマラソンレースとなって来た、カタールの1名と中国の1名が下がっていって、バーレーンの選手が引っ張りるトップ集団が6人に絞られてきた・・・

25km地点をラップ15′34″の1°17′31″位で通過する、26キロ過ぎでカタールのサーレムが歩き始める、28キロ辺りのアップダウンでカタールのシャミが何度か仕掛けるも、なかなか決まらない、佐藤が後ろに置かれていく、しかし下りを利用して追いつき、再度6人の塊となる、30km地点をラップ15′40″位の1°33′18″で通過する、登りになると佐藤が置かれて行く、バーレーンのランナーもズルズル後退して行き集団が4人に絞られてきた・・・

ホワイティシモ

マラソン二度目の北岡が31キロ過ぎでスルスルと飛び出すも、また4人の集団に戻る、32キロの登りでシャミと韓国のチ・ヨンジュンが一気に飛び出す、北岡が離れて行く、どうやらこの二人の優勝争いになりそうである、35km地点を過ぎ先頭の二人と、中国選手と3位争いをする北岡との差が26秒となる、30~35kmのラップが15′13″と上がっている、38キロ手前でチ・ヨンジュウが飛び出し独走態勢になる、チにはまだまだ余裕が有り実に強い・・・

3位争いをしていた北岡が単独3位に上がり、前のシャミに迫る、北岡に銀メダルが見えてきた、チ・ヨンジュンの金メダルは間違いないだろう、40km地点をチが2°04′07″で通過していく、シャミが+1′06″で通過、そして北岡が+1′19で通過する、北岡とシヤミとの差が13秒差に縮まっている、行け!北岡!、最後の直線でチが金を確信して何度もガッツポーズが出る、そして2°11′11″で黄金のゴールを切った!☆・・・

あっ!北岡が2位を行くシャミの直ぐ後ろに迫る、シャミに勢いがない!あっ!北岡が42kmで並ぶ!そしてシャミをかわしていく!シャミには追う足が残っていない!そのまま北岡が2°12′46″でゴールし銀メダルとテグの切符を獲得した!☆ばんざ~~いヽ(^o^)丿この夏並みの炎天下、アップダウンが何度も続く厳しく過酷なサバイバルレースに、佐藤は疲れ果てて7位に終わった・・・

いや~~!それにしても凄かった!ビデオで観たが、先日11月23日(火)勤労感謝の日に開催された、男女が心を一つにして愛を育み、タスキを繫いでいく愛の花咲く☆世界唯一の男女混合☆(う~~ん!ロマンがあるねえ!)国際千葉駅伝は見所満載だった☆1区上野の区間新の1位スタート☆4区で学生選抜の西原が日本選抜の稲富を抜き去り2位に浮上して直もトップのケニアに迫り、抜き去った☆5区早稲田のエース・平賀の快走☆・・・

そしてそしてアンカー田中華絵(立命館大)が粘って2位のケニア(2°08′06″)、3位日本選抜(2°08′12″)を抑えて2°07′52″の大差で大学選抜が初めて駅伝世界一のタイトルを奪ったではないかいな!これで、これからの日本の長距離界は更に世界に躍進していくと観たぜよ☆ばんざ~~いヽ(^o^)丿

H.I.S.クリスマスフェア

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龍馬伝、第25弾 “大政奉還” 2010年11月21日

2010-11-21 22:36:31 | 日記・エッセイ・コラム

慶応三年(1867年)十月、京の街ではお伊勢さんから御札が降りてきたと!何か慶事の前触れじゃと!顔じゅう奇抜な化粧を塗りたくって仮装した群衆が押し寄せ ♪ 今年の世直り!ええじゃないか!日本国の世直り!ええじゃないか!よいじゃないか!ええじゃないか!ええじゃないか!よいじゃないか!ええじゃないか!ええじゃないか!♪ 街を練り歩き狂気乱舞しちょったがじゃ・・・

そんな混乱した京の真っ只中に龍馬は陽之助、寅之助と伴に来て居った、龍馬はその社会現象に驚いて言った『おまん等は何をしゆう!これは!どうなっちゅう!?』、「訊いて来ますけ!」、寅之助は戻って来て龍馬に伝えた「龍馬さん!何じゃ分からん!なにやら空から降って来たそうやけ!」、「世の中の先が見えんようになって!皆んな自棄(やけ)になっとんねや!」と陽之助が言った、『行こう!行くぜ!』・・・

その頃、二条城では徳川幕府も混乱に陥っちょった!「土佐より急用とは!一体何ごとじゃ!?」、象二郎が幕府老中筆頭・板倉勝静(かつきよ、松山藩第7代藩主)の前にかしこまって申した、『山内容堂公より!徳川慶喜公への建白書を預かって参りました!大政奉還の建白書に御座います!』・・・

そして慶喜がそれに目を通した、「政権を御門にお返しせよだと!?」、大政奉還は果たして成るがか!?龍馬は運命の時を向かえちょった!・・・Final Season Ryoma “The Hope(希望)”、“Fighter(闘士)、“Idealist(理想主義者)”、“Peacemaker(調停者)”龍馬伝の最終章もいよいよ華僑に入って行ったがじゃ・・・

二条城では閣僚首脳会議が開かれていた、「いかに上様の盟友と言えども山内容堂は許せん!」と勘定奉行・小栗忠順(ただまさ)が激怒した、「薩長に脅え政権を手離すなど言語道断に御座います!」と老中筆頭・板倉勝静も同様じゃった、その時、若年寄・永井尚志(なおゆき)玄蕃頭(げんばのかみ)が発言した、「しかし容堂公は世の中の流れを読むことに長(た)けて居ります!今!政権に固執(こしつ)すれば!徳川が滅ぶと忠告なされているのでは!?」・・・

「政権を返上したからと言って!徳川が無事だと何故言える!」板倉が永井尚志(三河奥殿藩主)に食いついた、「薩長と戦さをすると申すか!」、「お~~徳川7万石の力を見せ付けてやろう!」同じ四国の松山藩じゃが、板倉はやる気満々じゃった、『黙れ!』慶喜公が立って重役の間を割って外に向かって歩み庭を眺めながら言った『暫らく黙って居れ!』・・・

土佐藩邸に訪ねて来た龍馬が訊いた、『後藤様!大政奉還についての幕府からの回答は!?』、「一つも無い!」と吐き捨てた、『山内容堂公から政権を御門にお返し申せと言われて!幕府の方が大騒動になっちゅうがは本当かえ?何とか!何とか!もう一押し!出来ませんろうか!?』、象二郎が答えた「わしやち!そう思うちゅう!けんど!こっから先は慶喜公がお決めになることぜよ!わしは待つしかないがじゃ!」・・・

その頃、土佐商会では弥太郎が新しい仲間等とミニA銃9000丁の取引を密かに進めちょった、弥太郎は他の上士事務方にわからぬよう、帳簿の照合を装って仲間の机に歩み寄り訊いた『銃の売れ具合はどうぜ?田所さん!』、「上々ぜよ!」、隣の机の高橋も教えた「今、何処の藩も最新式のミニA銃を欲しがりゆう!」、『よっし~~!』弥太郎は大きな手応えを感じていた・・・

引田屋で弥太郎は長崎の豪商等を招き、芸子を二人付けて一席もうけておった、弥太郎は気分を良くして言った『わしの読み通りじゃ!皆ん~~な!戦さの準備を進めゆうぜよ!』、「岩崎さんは戦さになって欲しかとばいねえ!?」、『戦さが起こったら!わしは儲かる!おまんらも!わしに貸したミニA銃9000丁の代金!倍になって戻ってくる!皆ん~~な!万万歳ぜよ~~!はっはははは~~~!』、「ばってん大政奉還とか言う動きがあるかと聞いて居ります!」と乾堂が釘を刺した・・・

「坂本さんが動いとるとでしょう?」とお慶が言った、「坂本さんは山内容堂公に大政奉還の建白書ば書かせたとか!?」乾堂は知っていた、「坂本さんには勝算があるとです!」グラバーも龍馬を信頼していた、「そうそう!坂本さん・・・」お慶を遮って弥太郎が怒鳴った『うるさい!何んぜ!坂本!坂本と!あいつに何が出来るがじゃ!』、「薩長をば結ばせたじゃなかですか!」、『そこまでじゃけ!徳川を動かすら!そんな大それたことが出来るわけないろう!』、「いや!いや!ばってん!坂本様の行動力ば貴方が間近で観て来たはずです!」、「あん人の底知れんところもねえ!」、「Exactly!(正に)」・・・

そう!あの男の行動力は底知れんかったがじゃ!ある日、永井玄蕃頭の公用籠を新撰組が護衛して下城しておった、その通り脇にななな~~と龍馬が土下座して一行を迎えた、『永井玄蕃頭様に聞いて頂きたいことが御座います!』、そこをどけ!無礼者!、『土佐藩士!坂本龍馬に御座います!』、新撰組が刀を抜いて身構える、『土佐の山内容堂公に大政奉還の建白をお願いしたがは!わたくしに御座います!』・・・

土方と沖田が斬りかかる、土方の上段からの一振りをかわし、沖田の腕を征して籠に向けて呼びかけた、『永井様!わしの話を聴いてつかわさい!』、「坂本~~!」、土方が直も斬りかかろうとした、「止めえ~~!」、籠から一喝して永井が出てきて龍馬に問うた「お前が容堂公に建白書を書かせたのか!?」・・・

そして龍馬は永井玄蕃頭(三河奥殿藩主)の私邸に通された、着流しに着替えた永井が現れ「面を上げえ!」と言いながら奥座敷に着席して龍馬に対面した、「話を聴こう!」、『わたくしの師である勝麟太郎先生は永井様の弟子じゃったと伺がっちょります!永井様は神戸村の海軍操練所よりも9年も前に!長崎で海軍伝習所をお創りになられたお方じゃと!』、「続けろ!」、『わたくしが海軍操練所で学んだ中に!大嵐に遭うた時に船長が取るべき行動が御座いました!何よりも優先すべきは!船や積荷ではのうて!船客!船員!の命であると!』、「何が言いたい!」・・・

『徳川幕府と言う船は!異国に狙われ!薩長に攻められようとしゆう今!まさに大嵐の真っ只中!徳川慶喜公の取るべき行動は!徳川家のお人等をお守りすることではないですろうか!』、「大政奉還が船長の役目だと申すか!?」、『永井様!徳川慶喜公のこ決断は!100年後!200年後に!日本の将来の姿を決めるご決断に御座います!どうか!どうか!日本の将来を第一に考えて貰えませんろうか!?』、永井は立ち上がり龍馬に歩み寄って言った「出て行け!」、永井との会談が叶った龍馬は一礼して去った・・・

海援隊本部に弥太郎がやって来た『菜種油にシシャモかえ!こんまい商売しゆうねや!海援隊は!』、「何んしに来たがえ?弥太郎!」主任の惣之丞が訊いた、『龍馬は今!何処へ行っちゅう!?』、「おまん!主任を降ろされて!何んやら内職しゆうらしいのう!?」、『龍馬は何をしゆう!?』、「小曾根さんから聞いたがじゃ!おまんが!あっちこっちの藩に銃を売りゆうと!」、『教えや!』、惣之丞は主任席で扇を煽ぎながら言った「弥太郎!おまんは何んのために商売しゆう!?」、『何!?』、「何んのための金儲けぜ!?」・・・

『決まっちゅろうが!日本一の大金持ちになるためぜよ!それがどういた!』、「こんまいのう!弥太郎!」、『こんまい!?』、「わし等が金儲けするがは!龍馬に思う存分!動いて貰うためやけ!龍馬は今!京に居るがじゃ大政奉還の総仕上げに係りゆう!」、「龍馬さんは必ず!大政奉還を成し遂げるぜよ!」太郎もええこと言うてくるがじゃ、「ほんじゃき!わし等は武器には手を出さんがじゃ!」惣之丞は弥太郎を諭すように言った、「仕事じゃ!皆んな~~~!」、オイオイオイ!気合だ気合だ気合だ~~~!・・・

二条城には、龍馬の熱意が通じたか、永井玄蕃頭が一人、慶喜公に大政奉還を推し勧めた、『容堂公は徳川のことを思うて下さればこそ!建白書を書かれたのではないでしょうか!?』、慶喜は永井に背を向けて聴いておった、『道は一つしか御座いません!大政奉還をせねば!戦さに成ってしまうのです!』、永井は膝を詰めて慶喜に迫った、『上様!ご決断を!』、静かに慶喜は立ちあがり言った「京に居る全ての藩を集めろ!」、いよいよ慶喜の決断の時が迫った・・・

河原街三条、材木商・酢屋から間借りしている海援隊屯所に中岡慎太郎が駆け込んできた、「龍馬!龍馬!明日(あした)!各藩の重役が二条城に集まる!」、『何んじゃと!?』、「恐らく!その時!大政奉還の建白も却下されるがじゃろう!遂に戦さが始まるがぜ!」、薩摩の考えに傾斜していた中岡が龍馬に迫った「龍馬!西郷さんとの約束通り!土佐も兵を挙げや!わしはねや!戦さがしたい訳ではないぜよ!けんどのう!けんどのう!徳川を倒すには!戦さ以外にはないがじゃ!」、龍馬はじ~~と中岡の目の奥を覗き見た、すると中岡は何処かへ消えて行った・・・

突然、龍馬は机の上に積まれた書類書状を掻き分け、明日、二条城に赴く象二郎に宛てて手紙を書き始めた(同じ京に居るのに、今なら携帯で連絡できるのだが)、“後藤様!戦さだけは何とか避けんといけません!明日、徳川慶喜公が大政奉還を拒まれたなら!直んぐに長崎の海援隊を上京させ!慶喜公を斬るがじゃき!上様一人の命で日本が救われるやったら!わたくしは躊躇のう!それを選びますけ!後藤様も!どうか!そのお覚悟で明日の会議に臨んで下さい!”龍馬は最悪の結末に備えたがじゃ・・・

京・薩摩藩邸では小松が庭に出て一通の手紙に目を通していた、「慶喜公は一堂を集めて!何か宣言する気じゃ!大政奉還はせんちゅうごあんか!?」、「そればあ!戦さごあんどなあ!」と西郷が解した、大久保の目が血走った、「薩摩で待っちょう船に出陣命令を出しもんそう!」西郷が動こうとした、その知らせは長州にも届き、下関本陣では慌しく戦さに備えて活気付いていた、間もなく出陣じゃ~~!木戸貫治も出陣の身支度を整え、得意の瞑想にふけっていた・・・

土佐商会の取引も右肩上がりに業績が伸びておった、「鳥取藩はもっと安うしてくれと言うちょります!」、「もう値引きはせん!何んぼ高うても必ず買うき!戦さが近づいちょるきのう!」、弥太郎が事務所の板敷き縁に一人たたずみ、龍馬を賞賛する数々の言葉を思い巡らしていた、“坂本さんには勝算があるのです!”のグラバーの言葉、“龍馬さんは必ず大政奉還を成し遂げるぜよ!”太郎の言葉、“坂本さんが動いとるとでしょう!”お慶の言葉、“ほんじゃき!わし等は武器には手を出さんがじゃ!”惣之丞の言葉を・・・

その時、ぽッ!と弥太郎の脳天に灯が燈った☆そして全職員に叫んだ『皆んな!明日(あした)のうちに!全部の銃を売ってしまうぞ!』、「全部!?」、『何が何んでも!売るがじゃ!ええかえ!全部じゃぞ!』、弥太郎は明日が9000丁全部を売りさばくラストチャンスと観た、何故なら大政奉還の建白を成就させる龍馬の底知れぬ行動力を信じて、それに賭けたがじゃ、銃のいらぬ新しい世の中が訪れると信じて、それに賭けたぜよ・・・

慶応三年(1867年)十月十三日、遂にその日が来たがや!酢屋倉庫裏のオープンスペースに大工職人等が集まり力自慢の籐吉と腕相撲に熱狂しておった、その傍で龍馬等が今日行なわれいようとしている城内での会議の進捗状況とその結末に心捕われていた・・・

二条城二の丸御殿大広間には、在京40藩のこ重役が集められたがぜよ、慶喜公がお成りとなり、一段せり上がった床からひれ伏した重役等を見回し、『面を上げえ!』と命じて着席した、そして慶喜公が口火を切った『土佐藩の山内容堂が大政奉還を建白してきた!政権を御門にお返し奉(たてまつ)り!幕府を終わらせようと趣旨じゃ!皆に問いたい!わしが!これに応じると言えば!皆は何とする!』、「上様!何を申されます!」、『黙れ!』、板倉老中筆頭を征して言った、『わしは皆の意見が聴きたいのじゃ徳川家は大政をお返し奉っても良いと思うか!?』・・・

「上様!恐れながら!この様な重要なお尋ねを我が一存でお答えすることは出来かねます!」、「わたくしも即答出来かねますゆえ国元に帰って協議の上!改めて言上致します!」、「私どもも国元に帰り!相談いたして参ります!」、「手前も国元に帰り!相談して参ります!」、「拙者も帰藩し相談の上で!」、『何!答えられぬと!?』慶喜は想定外の展開に戸惑った・・・

その時、象二郎が満を持し、堰を切った様にもの申した、「上様!上様!わたくしは大政奉還なされる時と存じます!」、すると慶喜が立ち上がった、「今!御門に政(まつりごと)をお返しなされれば!これは正に大英断!」、慶喜が象二郎の元に歩んで行った、「異国からの侵略を防ぎ!薩長との戦さも!薩長との戦さも!防ぐことが出来ましょう!」、慶喜は肩膝付いて象二郎を見下ろした・・・

象二郎は怯(ひる)まず続けた「徳川慶喜公のお名前は日本を救うた英雄として!未来永劫(えいごう)!歴史に刻まれることになりましょう!」、すると慶喜は象二郎の胸倉を掴んだ、象二郎は直も続けた「上様!ご英断を!」、慶喜は象二郎を突き離して言った『もう!良い!』、そして立ち上がって『もう!良い!』と静かに言った、『皆!下がれ!下がれ~~!』、ははあ~~!皆は足早に立ち去って行った、象二郎も深く一礼してから出て行った、誰も居なくなった大広間に慶喜公は床に崩れ落ちた・・・

寅之助が酢屋屯所に息を弾ませて戻って来た、『どういた!?』、「どうなった!?」、寅之助は息を整え龍馬と陽之助に伝えた「慶喜公は会議の途中で人払いされたそうじゃ!」、「人払いされた!?」、「土佐藩邸で聞いたんじゃき!間違いないろう!」、『寅!後藤様は!?』、「後藤様だけは!慶喜公にはっきりと大政奉還を勧められたそうじゃき!」、「そんで!慶喜公は決断されたんか!」、「それは分からん!まだ分からんがじゃ!」、龍馬は象二郎の健闘を讃え、天に全てを託したがぜよ・・・

その夜、酢屋屯所では龍馬による籐吉のための、お勉強会が始まった、二人の前には世界地図が広げられていた、『ええか籐吉!これが世界地図じゃ!』、「これが!?」、『これじゃ!ほんで!これが日本じゃ!』、「これ!?こんなちっちゃい!」、『ああ!ほんでのう!船で陸地が見えん沖に来たら!自分等の居場所は星で調べるがじゃ!』、「星どすか!?」、『寅!六分儀を取ってくれんかい!』、「よう!そんな!のんびりしとられるのう!」寅之助は渋々龍馬に六分儀を手渡した、「まったくや!」陽之助も呆れていた・・・

『何を言いゆう!もう!わし等がやるべきことは全部やったろう!今さらジタバタしたち仕方ないろう!』、『籐吉!』、「はい!」、二人は外へ出て夜空を見上げた、『あの星じゃ!籐吉!あの星で自分等の場所を捜すがじゃ!』、「あれ!?えええ~~!?」、龍馬は籐吉に六分儀を持たした『これじゃ!ここを覗いて!あれを観みいや!』、「あっ!見えます!ほぼ地球の自転軸の定点に君臨する!天の北極の星“ポラリス”を小熊座の上端に籐吉が捉(とら)えた、「星!見えます!ほほほ~~!」・・・

あの星が教えてくれるがじゃ!早よう!船出したいのう!』、「船出!?」、『新しい船で!新しい海にじゃ!』、龍馬は梯子を登り、屋根瓦の上に腰掛けた、『土佐に居る兄上!姉上!ほんで乙女姉やん!』、陽之助も寅之助も外に出てきて輪に加わっていた、お龍!勿論!長崎に居る海援隊の仲間!皆んな!皆ん~~な!一緒にのう!どんな風景が広がっちゅうかのう!まっこと!楽しみぜよ!』龍馬は自分の世界に入っちょった、「あの~~!わても連れて行っておくれやす!」籐吉も仲間じゃった、『ははは~~!勿論!おまんもじゃ!籐吉!』、「まっこと!綺麗な星空ぜよ!」寅之助も陽之助も皆ん~~な嬉しそうじゃった・・・

その夜、龍馬は天窓を開けて、何時までも夜空を眺めながら夜更かししておった、海軍操練所で手作りした粗末な帆船を!自分で描いた帆船の絵を見詰めながら、『懐かしいのう!』、土佐の桂浜に戻り、海を眺めている自分を夢の中に見ながら、やがて深い眠りに吸い込まれていった・・・

翌朝、酢屋屯所に誰かが忍び込んでいた、何やら刀の鞘でとんとんト~ンと、叩く音がしていた、やがて二階にまで上がってきた、そして、また、とんとんト~ンと床を叩いた、とんとんト~~ン!とんとんト~~~ン!与作~~!(じゃなくて)、その者は、寝坊していた龍馬を起そうとしていた、龍馬が眠い目を細めて、鼻くそをほじくりながら見上げると、「よお!」、なんと、そこには勝麟太郎が立っていた、『うおおお~~!勝!勝先生!』、「久しぶりだなあ!坂本!」、『どどどういて!?』、「薩長との戦さは!どうなるんだって!江戸の連中がヤキモキしているからよお!こっそりと京の街まで様子を伺いに来たんだ!そうすると!いきなり昨日(きのう)の騒ぎだ!やれやれだあ!・・・

『あああ~~!まっこと!ご無沙汰しちょりました!先生!お元気そうで!何よりに御座います!』、「元気じゃねえよ!おめい!ほれ!」勝は龍馬の顔に手拭いを投げた、「面(つら)を洗ってこいよ!ええ!話があるんだ!早く面洗って来い!」、『はあ!はい!いや~~!先生!まっこと!お元気そうで!』龍馬は階段を降りて行った、勝も着いて降りてきた、「よお!山内容堂公に建白書を書かせたのは!おめいさんだってなあ!永井玄蕃頭様から話は聞いた!ああ!恐らく!そんなとこだろうと察しは着いていたがよう!」・・・

『先生!徳川幕府の役目は!もう終わったがですけ!』、「気安く言ってくれるんじゃねえよ!おい!今じゃ!おいらとおめえさん!敵同士だぜえ!」、『敵!?』、「冗談だよお!冗談だよ!ああ!」、『冗談!?』、「おまえさんがよう!徳川を残そうと頑張ってくれているってえのは!おいら!よく分かっている!だがよお!幕府を無くすってのは容易なこっちゃねえ!幕府には2万からの人間が居る!上様がもし!大政奉還をご決意なされば!そいつ等のほとんどが役目を失うことに成る!」・・・

水を飲み顔を洗い終え龍馬が言った『先生!一つ言うても!ええでしょうか!?』、「何んでえ!?」、『そんなことらあ!どうでもええことですろう!大政奉還が成ったら!御門を天辺に頂き!あとは上も!下も!のうなるじゃき!役目を失しのうてしもうた2万の人等も!仕事をしたらええ!商人や!職人で!百姓等と同んなじように!自分の食い扶(ぶ)ちは自分で稼いだら!ええがじゃき!そうですろう!先生!』・・・

「あっははは~~!ははは~~!ああああ!言ってくれるねえ!だがよお!おめいえさんの言うことには!筋が一本!ピシッと通っている!だが坂本!一つだけ条件がある!上様が大政奉還をご決意なさると言うことは!凄まじき勇気と覚悟の上でのことである!故に!徳川将軍を敗北の将(しょう)として!ぞんざいに扱うことは!おいらが!決して許さねえ!坂本!薩長を抑えられるかえ!?」、『はい!命に賭けても!』、「うん!」、二人の心が強く通じ合った・・・

そこへ、「坂本さ~~ん!」、「龍馬さ~~ん!」と大声上げて陽之助と寅之助が屯所へ駆け込んできた、少し遅れて籐吉もフラフラで入って来た、勝が「刺客だ!逃げえ!」珍しく先走って外へ飛び出した、『どういた!どうしたがじゃ!?』龍馬が駆け寄り3人を迎えた、陽之助が報告した「慶喜公が大政奉還を!決めましたあ~~!」、寅之助も続いた「籐吉が永井様のお屋敷の人に聞いてきましたけ!のう!籐吉!」、「はい!」籐吉が泣いていた、「遂に!」、「大政奉還や~~~!」・・・

表で勝が呆気に取られておった、龍馬等は達成感満載に浸った、『よう!ご決断された!慶喜公は!慶喜公は!よ~~う!ご決断された!』、「坂本さん!」、「龍馬さん!」、『やったのう!わし等の夢が叶のうたぜよ!』、三人は半泣き状態でスクラム組んで喜びを分かち合った、勝も入って来て祝った「よお!坂本龍馬!なんて野郎だよう!たった一人で!これほどの大仕事をやってのけた!」・・・

『先生~~!』龍馬は勝の肩に手を廻して言った『けんど先生!一人じゃないがです!わし等!皆んな~~で!皆んな~~で!やったことですき!』龍馬は勝の肩を叩いて満面の笑みを投げかけた、そして龍馬は表に出て、朝日に向かって、あの名セリフを叫んだがじゃ、『夜明けじゃ!新しい!新しい!日本の!夜明けぜよ~~~!』う~~ん、恰好いい~~・・・

慶応三年十月十四日、遂に、徳川幕府が終焉(しゅうえん)を迎えたがぜよ、この朗報は長崎の海援隊の仲間にも届いていた、「大政奉還じゃあ~~~!」、あ~~~!あ~~~!、弥太郎はそのビックリニュースを聞いて愕然として居ったがじゃ、『はあ~~ん!負けた!負けた~~!あああ~~ん!また負けじゃあ!』(世間に負けた~~)・・・

京の薩摩組みは肩を落としてお通夜状態であった、けんど中岡だけは龍馬の底知れぬ力に驚嘆して言った『ほんまに!成し遂げるとは!なんちゅう男じゃ!龍馬!』、西郷が横槍を入れ本性をむき出しにした「中岡さあ!坂本どんを生かしちょったとは!間違いごわした!」、大久保も龍馬に対する憎しみを新たにしたようじゃった・・・

“菅原大神”、“忠義恐髄”と大層なスローガン掲げ、見せかけだけの尊皇派・長州組みは怒り心頭に発っして居った、特に伊藤俊輔(しゅんすけ)などは辺りのものを蹴散らし怒りmaxに達していた「一体!誰が!慶喜を誑(たぶら)かしたんじゃ!あ~~!」、根暗の木戸が大政奉還の知らせを丸めて捨てて一言ほざいた「坂本君!」、井上聞多(もんた)も何か不満そうじゃった、気分直しに、もんた・よしのりのDancing All Night を歌ってみんかえ?ざきやま ひろなりのミニバン・ソングの替え歌もどうぜよ?(もとへ!)・・・

二条城では慶喜が放心状態になって落ち込んでおった、『何故?こんなことに!なってしまったのじゃ!?』、「薩長が手を組み!土佐が寝返ったからに御座いましょう!」と小栗が慰めた、板倉が申した「その全てに!係わった者が居ると!聞いて居ります!土佐の下士!坂本龍馬!」、『坂本??龍馬??』誰じゃ、もはや、どうでもよいことじゃ、あへあへ~~、まるで抜け殻になった馬鹿殿状態じゃった・・・

京の街では、今日も相も変わらず、飽きもせんで、ドンちゃん騒ぎの“ええじゃないか!”ブームが蔓延しておった、龍馬が大声で叫んだ『皆んな~~!皆んな~~!徳川様が~~!まつりごと~~を!御門に返上してくれたがじゃ~~~!』、その時、ええじゃないか隊が散らば、辺りは静まり返った、何~~でか?そこに新撰組のご一同様が立っていた、近藤が問うた「何~~!幕府が終わっただと!?」、新撰組と龍馬等三人とがにらみ合い、「坂本!」新撰組が刀を抜いて身構え、前ににじり寄った、陽之助も寅之助も刀を抜き、一触即発の応戦状態に入った・・・

待ちねえ!」そこに現れたは勝麟太郎だった、(よっ!日本一!)、勝はスタスタ近藤の前に進み出て、いなせな啖呵(たんか)をまくし立てた「よう!よう!よう!お前さん等!おいらの面(つら)!知っているかえ!おいらの面を知ってるかって言ってるんだ!よお!幕臣!勝麟太郎安房守(あわのかみ)である!おめえ達がやろうとしていることは!上様のご決断を蔑(ないがし)ろにすることである!分かっているのかえ!坂本龍馬を斬ることは!おいらが許さねえ!」・・・

『勝先生!』、龍馬が近藤の前に歩み寄り言った『近藤さん!もう人斬りは止めにせんかえ!これから日本は大きゅう変わるがじゃき!わし等と一緒に!新しい日本を創らんかえ!?』、「新しい日本だ!?」単細胞なのか?それとも彼自身のポリシーがあるのか?近藤は龍馬に一歩も歩み寄ることなく、背を向け離れて行った、土方も沖田も新撰組は皆、足早に去って行った、『近藤さ~~ん!』龍馬の呼びかけが哀れに聞こえた・・・

静まり中から、一人の音頭で“ええじゃないか!”のコールが沸き起こってきた、そして次第に膨らみ、瞬く内に全体に広がり、お囃子が入り、踊りが入って、小道具の飾り物が振られ、いつもの“ええじゃないか!隊”のドンちゃん騒ぎとなって行った、♪ よいじゃないか!ええじゃないか!ええじゃないか!♪ ・・・やれやれ、『先生!』、「何んでえ!」、『大政奉還はわしの夢でした!戦さをせんと!世の中を変える大仕事じゃ!確かに大政奉還は成ったじゃき!けんど!それだけでは人々の暮らしは変わらん!これからじゃ!全ては!これからじゃき!』・・・

勝が龍馬に餞(はなむけ)の言葉を贈った「馬鹿野郎!よお!そんなことは分かり切ってるこったよおおめいえさんは!おいらの幕府をぶっ壊した!いい奴だよう!700年続いた侍の世の中を終わらしたんだこれからが!いよいよ!おめえさんの勝負のしどころよ!だって坂本!おめえさん一体これから何するんだい!なあ坂本!」、『はあっ!』、「また遭おうぜ!」、『はい!』、「はははは~~~!」、龍馬等は去っていく勝の背中に感謝して頭を深く頭を下げた、“ええじゃないか”の狂喜乱舞が何故か寂しくこだましていた・・・

小曾根邸に弥太郎が小判がぎっしり詰まった木箱を持って、借りていたミニA銃9000丁の代金を支払いに来ていた、乾堂が感心して弥太郎に言った「よう!繰り貫けましたなあ!大政奉還の知らせの来る前に!」、お慶が言った「やっぱい!坂本様をば信じたっとですねえ岩崎さんは!」、その通りじゃった、弥太郎は龍馬を信じてしもうだがじゃ、弥太郎は無性に龍馬に会いたい衝動に駆られて叫んだ『待っちょれよ!待っちょれ!龍馬!』・・・

その後、暫らく酢屋屯所に篭り、龍馬は何かに取り付かれた様に何やら書状に筆を走らしていた、観るに見かねて、陽之助と寅之助が龍馬に声をかけた、「早よう!京を出ましょう!坂本さん!」、「もう大政奉還は成ったがじゃき!」、龍馬は狂ったように没頭していた、どうやら、新政府綱領八策のようだった、「早よう!逃げらなあかん!」、「坂本さん!」、『はあ!そんなことは分かっちゅうわしには!まだ!やらんといかんことが!あるがじゃ!』、この頃から龍馬は孤立無援に陥り、暗号めいた手記にはまって行った、龍馬暗殺まで!あと一月やったがじゃ・・・

“全て記事を最期まで書き上げアップを終了しましたが、バナー貼り付けの途中で、あっ!何んらかの原因で記事が何処かへ消えてしまっていた、永らく愛読ありがとう御座いました”と一度はブログさえも諦めかけたが、龍馬の不屈の精神力に励まされて、小生は蘇った、そして再度、執念を持って書き起こして行き、“大政奉還”の記事を最後まで書き上げたがじゃ~~、念のためにこの記事はファイルに保存しておこう、次回はいよいよ最終回“龍の魂”!なんと75分間(;゜□゜)ガーン!長期戦と成る、心して懸からねば・・・

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第21回加古川ツーデーマーチ2日目 2010年11月14日

2010-11-18 14:31:07 | 日記・エッセイ・コラム

今日も早朝からど~~んより曇っている、昨日受付し参加賞などの入ったビニール袋を受取った折、地図つきチェックポイント・オフィシャルブックだけを取り出してウエストバッグに入れたが、今回から始まった“歴史のまちの加古川を歩く”セルフサービス用のスタンプブックが付録されていることに気が付いてなかった、今日はそれもウエストバッグに入れて、スタンプを押していくように用意した、今年の2日間の総参加者は40/35/25/20/10km全コースを合わせて9009人となり、昨年より210名増えているそうである・・・

2day001  2day002 今年から2日目の最長コースが35kmになり、909人が加古川市の西北部の風光明媚な紅葉の野山が広がるのコースに出て行きます、今日の小生のゼッケンに掲げたキャッチコピーは“播州路の秋を満喫、ゆっくりと!” で~~す(*^_^*)

2day003  2day004 加古川マラソンのスタート・ゴール地点が防災センター下にある加古川河川敷“水面ロード”へ加古川南高校の横を通って向かっていま~す・・・

2day005  2day006  2day007 水面ロードに降り、北上して行きます、対岸には八十(やそ)の神の使者達が降臨した岩山四山がひろがる、その一つに日本武尊が幼少の頃、駆けまわていた升田山も見えてます、第1河川敷チェックポイントでヘルシア・ウォーターがボトルごと給水されました、テント前をあの女子3000m障害の早狩実紀(みのり、37歳、京都光華AC)がランパン一丁のハイスピード走で駆け抜けて行った・・・

広州へは切りきりまで行かない積りだな、彼女をこの水面ロードで時々見かけます、京都生まれ京都育ち、京都に拠点を置く彼女が都道府県対抗に兵庫県代表で出たりするのは、何ん~でか?フラメンコ!ホレッ!加古川に在住してどっか近くの陸上部の顧問でもしているのかな?加古川東高校のトラックで走っている噂もある、加古川に住んでも京都なら通える、彼女が顔をしかめて走る映像を観るたびジャズシンガーの綾戸知絵とかぶり愛着を覚えま~す・・・

2day009 2day010  我が家から1.5キロ、スタート地点から3キロ離れた地点にある水管橋です、これから水管橋を渡って右岸に出ます、普段のジョギングの際はこの水管橋わきの階段を降りて水面ロードに出て北へ向かっていきます・・・

2day012 2day015 2day017 サイクリングロードを歩いて行きます、前方に清掃センターと工業用水の水がめ“権現ダム”が見えてきました、そして堰堤下のチェックポイントに到着です、100円のうどんを頂きました、うめえのなんのって・・・

2day019 2day020 2day023 堰堤まで登ってきて、ダム周辺を半周して、田園風景が広がる志方地区へ抜けて行きます・・・

2day025 2day026 2day027 志方の城山(しろやま、正式名:中道子山、271m )には811年に創建された無量寺院があったが、山頂に室町時代赤松城が築かれた際、その城山の麓にある安楽寺に阿弥陀世来像を移したと言われている、ここから更に西進し登って行くと志方八幡神社へ達する、ここでの楽しみは、スイーツ好きの小生には堪らん!なんと!うめえうめえ餅入りぜんざいの無料配給で~す!ここでも御代りを頂いてしまいました、そこから魔の下り坂を降りて行きま~す・・・

2day029 2day030 2day031 713年大藤山(おおふじさん)に開山された浄土宗・長楽寺のチェックポイントにやって来たがや、ここには重要文化財・地蔵菩薩半跏像が安置されてます、その麓には野球場があって、小生が在籍していたシスメックス野球部時代に何回か加古川リーグ戦の試合をここでプレーしています、ここから南下していくと前方に加古川市立総合体育館と加古川運動公園陸上競技場が見えてきました・・・

2day032 2day033 2day036 2day035 2day037 嫁方の親戚が眠る常樂寺です、もともとは1578年に神吉頼定の居城として建てられた神吉城を通り過ぎ→東播工業高校→最期のチェックポイントのある広大な敷地を擁するウエルネスパークに到着しました、 左手に見えるアラベスク・ホールで小生、嫌と言うほど合唱演奏の一員として歌ってきたがじゃき、他に温水プール、ジム、図書館などの施設が整う市民の憩いの場として賑わっています、ここに来て薄日が射して来た・・・

2day038 2day039 2day040 升田が村挙げて展示する案山子(かかし)街道を通り、幼少の頃の遊び場とした日本武尊のお膝元、益田(ますた)山をバックに建立された益気(ますけ)神社の前を通り過ぎ行くと、やがて加古川右岸の道路に上がって行きます、そこから直ぐ河川敷・水面ロードへ降りて行きま~す・・・

2day041 2day042 2day044 JR山陽本線の架線と大川橋をくぐって行くと加古川右岸ロードに上がって行きます、大川橋を渡って加古川市街地へ進んで行きます、小生、大川橋を渡ると直ぐの処にある歴史チェックポイント・春日神社に首を突っ込んでみました、そこの境内に“赤壁さん”の愛称で知られる赤い壁の丸亀神社のコーナーがあり、博打のもつれで殺された主人の敵を討ったといわれる猫の話が有名で映画化もされたそうです、その猫の像を飾ってありますよ・・・

2day045 2day046 2day048 2day049 今では寂れた寺家町商店街から駅前に抜け、南下して行くと、ゴールのある10階建て市役所の新庁舎が見えてきました、やれやれ、もう直ぐツーデーマーチの終演だ~~い!ヽ(^。^)ノ・・・ 

 

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龍馬伝、第24弾 “土佐の大勝負” 2010年11月14日

2010-11-14 23:33:38 | 日記・エッセイ・コラム

慶応三年九月、龍馬が蒸気船“震天丸”に積んで、長崎から運んできたミニA銃1000丁が高知城に運び込まれた、龍馬が目指すは血を流さずに徳川を政権の座から引き摺り下ろす!そのためには、土佐の大殿様、山内容堂公を動かさんといかんかったがぜよ!・・・

座敷に積まれたミニA銃1000丁の箱詰めの山を見て、容堂公は象二郎に言った「何じゃ!これは!?」、『はあっ!最新式のミニA銃1000丁に御座います!』、『大殿様!薩長は今にも幕府に背(そ)向けようとしよります!戦さになったら!日本中が内乱となりましょう!』、象二郎は銃を1丁手に取り容堂に訴えた『この武器が必要ながです!』、容堂が象二郎に訊いた「後藤!その武器は!どっちを向いて使う気や!?」、『恐れながら!徳川将軍家のご意向は!もはや無く!人臣は幕府から離れ!新しい世を望んじょります!』・・・

すると容堂は無言で背を向け、その場から立ち去ろうとする、『大殿様!』象二郎は先回りして容堂の前に正座して必死に容堂公を呼びとめようとする、『大殿様!大殿様!お待ち下さいませ大殿様にお目通りさせたい者が居ります!坂本龍馬と言う男で御座います!』、しかし容堂は無言のまま離れようとする、『この1000丁の銃を持ってきた男に御座います!』、龍馬がもって来たと聞いて一旦立ち止まったが!容堂公は立ち去って行った、『大殿様!大殿様!』、象二郎の容堂を呼ぶ声が虚しく聞こえていた・・・

別室に待機していた龍馬のところへ象二郎が入ってきて言った「今日は諦めや!坂本!」、『後藤様!?』、「大殿様の不撓(ふとう、心がかたくなな様)体質は動かせんがじゃ!」、『薩長はもう待ってくれんがです!』、「分かっちゅう!」、『何としてでも!何としてでも!大殿様にお会い出来るよう取り計ろうて!つかわさい!』、「分かっちゅう!分かっちゅう!」、この様にして、龍馬はその日のお目通りを残念したがじゃ!・・・

坂本家ではオナゴ達が忙しそうに炊事に熱中していた、表に誰かが訪ねてきた『誰か居りませんろうか!?』、乙女が叫んだ「お客さんじゃ!千野さん!おら!春猪(はるい)!手伝どうて!」、誰からも返事が無かったので仕方なく乙女は玄関へ向かった、『龍馬が戻って来たぜよ!』、「えっ!?」そこに立っていたのは!なななんと龍馬じゃった、「まあ~~!龍馬かえ!」、『乙女姉やん!ただ今!戻って参りました!』、「キャ~~!龍馬じゃ!」、『達者にしとったかえ!?』、「ほんに龍馬じゃ!」乙女はぬか床まみれの手で龍馬の顔をこね回した『止めや!臭い!臭いねや!』・・・

そこへ春猪が三好清次郎を婿に迎え、二人の間に生まれた長女・鶴井(3歳ぐらい)が千野に連れられて出て来た、龍馬は思わず駆け寄りホッペに両手を当てて言った『オッ!おまんは鶴井じゃのう!手紙で知っちゅうぞ!春猪によう似ちゅう!』、権平も出て来た『兄上!ご無沙汰しちょりました!』、そこに次女・兎美(とみ)を抱いて、AKB48の前田敦子が、元へ!春猪もやって来た『おお~~!春猪!春猪が子を抱いちゅう!』、何とも賑やかな坂本家の龍馬との再会じゃった・・・

そして龍馬は仏壇の前に座り、手を合わせ、2年前、死に目に会えんかった継母・伊與(北代家の長女)の死を惜しんだ、権平が言った「坂本家には後妻で来たけんど!幸せな一生じゃったと母・伊與は言うてくれたじゃき!」、乙女も懐かしんで言った「“龍馬さんには母親らしいことは何じゃあ出来んかった!”と言うて、おまんのことだけは最後まで心配してくれちょったけんどのう!」、『家には帰りもせんと!勝手なことばかり!しちょったわしを!どうか許してつかわさい!』、「お母上やて分かっちゅう!龍馬の志しはのう!」、『うん!うん!』・・・

『皆んな~~に!こんど土佐に戻って来る時には!お龍を!必ず!会わすますけ!』、龍馬は改まって権平に伝えた『兄上!実は!此度(こたび)わしは!大殿様にお願いをするために!土佐に戻って来たがやき!』、「はあ!?」、「何を!寝言を言いゆう!?」、「おまんが大殿様に会えるわけがないろう!?」乙女も驚いた、『後藤象二郎様がお取り計らい下さるそうじゃ!』・・・

「後藤様!?」、『うん!』、「藩のご参政と知り合いながか?龍馬さん!」千野が訊いた、『知り合い言うか!同士言うかのう!』、「同士!?」、春猪も訊いて来た「龍馬おじちゃん!もしかして大出世したがか!?」、「大出世?」、『あ~~!否!否!違う!違うき!そう言うわけではないがやき!どう話したらええかのう!?』龍馬は返答に困った、その時、表で「御免つかわさい!」と女性の声がした、久しぶり登場のお喜勢じゃった、そこには長崎に単身赴任中の弥太郎の岩崎家家族の面々がやって来ていた・・・

その夜、 坂本家・岩崎家、両家の宴会が手拍子叩いて!“よさこい”唄って!浮かれて踊って!大いに盛り上がった、♪ 土佐の高知の!はりまや橋で坊さん!かんざし買うを見た!よさこい!夜さり来い!御畳瀬(みませ)見せましょ!浦戸をあけて!月の名所は桂浜!よさこい!夜さり来い!言うたちいかんちゃ!おらんくの池にゃ!潮吹く魚が泳ぎよる!よさこい!夜さり来い!♪ 、踊り踊るは弥次郎の独演会じゃった・・・

弥太郎のおかあ・美和が龍馬に酌をしながら訊ねた「長崎で弥太郎はシッカリ藩のお役に立っちゅうですろうか?」、『ははは~~!勿論じゃ!あいつが土佐商会を引っ張ちょりますけ!』、「そうかえ?でも図に乗っちょらあせんやろか?弥太郎は!仕事が出来るかあ言うて!人様を見下すことをしたら!私が許さん!」、『そりゃ!たまには威張ることがあるかも知れんけんど!根は優しい男じゃき!』・・・

けんどのう!坂本さん!」と酩酊した弥太郎のおとう・弥次郎が絡んできた、『はあっ!?』、「わしゃ!弥太郎がそんなもんでは終わるとは思うちゃあせんぜよ!」、「そんなことは何んぜ!」美和が止めに入る、「侍が商売をするがは!ええ!けんど!それが商人と同じでは!いかんがやき!」弥次郎はすっかり出来上がり!ふらつきお膳につまずいた!「おとうやん!」皆が支えて弥次郎を起した「やかましい!自分が日本を支えると言う気概(きがい:強い意志)を持たんと!侍ではないでのう!」また躓(つまず)きひっくり返った、「おとやん!」息子の弥之助が必死で止めようとする・・・

『ええちゃ!ええちゃ!』龍馬が弥次郎の両肩に手を置いて言った『弥次郎さんの息子は自分いうもんをシッカリ持っちゅう!弥太郎には弥太郎だけの生き方があるがじゃき!』、「それは褒め言葉かえ!?」、『勿論ですき!』、「当たり前じゃき!」美和も嬉しそうじゃった、弥次郎も微笑んで言った「ほんなら!ええ!」、はははは~~~!皆んな~に笑いが起こって、弥次郎がまた踊りだした、龍馬も皆んな~も釣られて踊りだした・・・

龍馬が言うた通りに!弥太郎は己の道で成功すると決意しちょったがや!その夜も弥太郎は土佐商会の職場に一人居残って仕事に励んじょった、そこへ二人の上士がやって来て弥太郎に言った「まだ仕事をしゆうがか?」、『今日の取引に誤りがなかったか!見直しちょりました!』慌てた様子で認(したた)めていた帳簿や書類を風呂敷に包んで言った『何か!何か!お忘れ物ですろうか?高橋様の机にも!盛田様の机にも!何じゃあ残って居りません!』・・・

「その帳簿を見せてみいや!」と高橋が弥太郎に促した、盛田も風呂敷の書類も奪うように受取り、二人はそれらに目を通していった、「これは土佐商会の仕事ではないのう!」、「おぬし!何をしゆう?」、弥太郎はそれらをかき集め彼等から回収した、『わしは自分の商売をしゆう!藩の金を使うわけではないですき!』その場を離れながら『何じゃあ!悪いことでは!ないですろう!』と二人に浴びせた・・・

おんしを責める積りはないぜよ!わし等!おんしが土佐商会の主任を降ろされた事も!残念に思うちゅう!」、「同じ様に思うちゅうもんは!実は他にも居るがじゃ!」、「今!世の中は大きゅう変わろうとしゆう!これからは刀よりも!ソロバンが役に立つ時代になるろう!その仕事!わし等にも手伝わせてくれんかえ!」、「よろしゅう!お願いします!岩崎さん!」と上士が下士に頭を下げたがじゃ・・・

その頃、土佐では、象二郎のもと、藩の行く末について、喧々囂々(けんけんごうごう)の議論が始まっちょったがじゃ、「エゲレスから最新の武器弾薬を手に入れゆう薩長に、わし等が勝てる見込みは無いろう!」、「薩長を倒してまで!徳川を守る大義は無いがぜよ!」、「徳川の世は終わりが見えちゅう!」、「今はむしろ!薩長に味方すべきじゃ!」、未だに容堂公を動かせぬ苛立(いらだ)ちに駆られて思わず『喧(やかま)しい!』と怒鳴ってしまった・・・

龍馬が土佐に戻んて来たいう噂(うわさ)は一晩で城下に広がったがじゃ、龍馬は4人の竹馬の友がきと桂浜に来ちょった、「久しぶりじゃのう!龍馬!」、『まっことじゃ!皆んな達者にしちょったかえ?』、お~!お~!「龍馬!龍馬!最新の銃1000丁をお城に献上した言うがは!ほんまかえ!?」、「龍馬は徳川!と薩長!どっちと闘う積りぜよ!?」、少し間を空けて龍馬が答えた『徳川じゃ!』、オウ~~!「遂にながじゃ!遂に幕府を倒す日が着たかえ!?」、オウ~~!「いよいよじゃ!」・・・

そこへ上士の一行がやって来て「おい!」と龍馬等を呼びとめた、「坂本龍馬いうがは!どこに居るぜ!?」、『何ぜ!おまん等!』龍馬が前に出た、上士等は次々龍馬に罵声を浴びせた、「おぬし!下士の分際(ぶんざい)で大殿様に意見する気かえ?」、「後藤様をたぶらかして何を企んじゅう?」、「土佐藩を戦さに巻き込む気かえ?」、すると下士等も反論した「徳川と薩長が戦さを始めたら!土佐やて当然加わりますろう!」、「日和見は通用せんぜよ!」、おまん等は黙っとけ!何じゃと!黙っとかんかえ!上士と下士がいがみ合った・・・

止めや!』龍馬が刀を腰から外し、砂浜に正座した、「それでええがじゃ!」上士の嘲る声がした、「おまん等もじゃ!」、「膝間付かんかえ!」、その時、『はははは~~~!』龍馬が高笑った、「何んぜ!」、『下士が上士に膝間付く!土佐では!ま~~だ!こればあ!馬鹿馬鹿しいことをしゆうかえ!』、何じゃと!何じゃと!上士等が龍馬に詰め寄った、龍馬は立ち上がり素早く上士の一人の逆手を取った!・・・

わしが持ってきた!あの銃はのう!』、「離さんかえ!」、『こうして!』、「離さんか!」、『皆んな~~が!仲よう!手をつなぐための銃ぜよ!』、「離しや!」、龍馬はその上士の逆手を解いてやった、「ぜえ!いぬき!」、「この振る舞いは決して!許さんぜよ!」と吐き捨てて上士どもは去って行った・・・

高知城内では象二郎が容堂公の御成りを待っていた、「何やら城中が騒がしいようじゃのう!」と容堂が御付けと供に現われた、『大殿様!土佐藩も!もはや時代の流れに逆らうことは出来んがです!坂本龍馬に会うて下さいませ!』、「どういて!わしが!あの男に会わんといかんがじゃ!?」、『今の!今の!この!この世の中の流れを創ったがは!坂本龍馬で御座います!憎み合う薩長を結び付け!土佐と薩摩の盟約を取り持ったがは!あの男ながです!』・・・

おぬし!どういて!それを黙っちょった!」、暫らくの沈黙のあと象二郎が一気に口を開いた『妬(ねた)ましかったがです!妬ましかったがです!下士の分際で叔父上・吉田東洋様に認められ!脱藩もんでありながら!次々と!次々と!大事を成し遂げていく坂本が!妬ましかったがです!』、『大殿様!坂本龍馬に会うて下さいませ!お願い申し上げます!』、この時が遂に容堂が折れた瞬間じゃった・・・

龍馬が容堂公とのお目通りを許され登城(とじょう)して来た、象二郎が奥座敷で、龍馬が庭で土下座して、容堂公の登場を待った、やがて容堂が現われ、龍馬を見て言った「面(おもて)を上げや!」、『はあ~!』、「久しぶりじゃのう!坂本!」、『五年ほど前!勝麟太郎先生の書生をやっていたとき!一度お目にかかって以来に御座います!』、「おんし!土佐の脱藩じゃ言うことを隠して!わしに白々しい口を利いちょっのう!」・・・

龍馬が訴えた『大殿様!お願いが有ります!徳川慶喜公に政権の返上をお奨めする!大政奉還の建白書を書いて貰いませんろうか!?』、「それは直訴かえ!?」、『はい!』、「直訴いうがは!受け入れられんかった時には!腹を斬らんといかんがじゃ!」、『大殿様が!ジャレごとだと!思いになられたら!わしは!ここで腹を斬るがです!』、「ふふふ~~!あっははは~~!おんし!自分のジャレ事で上官に騒ぎを起したのを忘れたかえ!?」と言いながら奥の間の席に納まった、そして言った「吉田東洋を斬ったと大嘘をついたながは!?」・・・

『あれは武市さんを助けたかったがです武市さんは武士の鏡です!』、「あれに切腹を命じたがは!このわしじゃおんしの仲間達を殺して行ったのもわしじゃ!わしが憎うはないか?坂本!」、『憎いがです下士が上士に虐(しいた)げられちゅう!この土佐の有様が憎いがです!けんど!は私くしに教えてくれました!憎しみからは何んちゃあ!生まれんと!人を憎んでも!どうにもならんがです!憎むべきは!260年以上!続いて来た!この国の古い仕組みじゃき!』龍馬は立ち上がり座敷へ上がっていった、「無礼者!」と御付きが龍馬を止(と)めた・・・

(や)めや!」象二郎が御付きに命じると、龍馬から離れた、「申し訳御座いません!」象二郎が正座して容堂公に謝った、龍馬は座敷に立って続けた『大殿様!幕府も!藩も!もう!いらんがですこの国は新しゅう生まれ変わらんとイカン!それが!それが!大政奉還ながです!』、「将軍も!大名も!消えてしまうと言うがか?」と容堂が訊いた、『はい!武士という身分も!恐らく!のうなってしまうがです!』、何!黙れ!何を言うがか!と御付から罵声が龍馬に飛んだ・・・

「おんし!自分が!どればあ恐ろしいことば言いよるか!分かっちゅうがか!?」、『世の中が変わる言うことは!突き詰めて考えたら!今!わしが言うた様なことになるでしょう!』すると龍馬は膝間付き言った『この国は武士が力で治めるのではのうて!志しのある者が議論を尽くして!治めていく国になるべきではないですろうか!?』、龍馬は脇差しを前に差し出し、懐から巻物の書簡を出して容堂に迫った、建白書の土台となった“船中八策”じゃった『ここに!新しい日本の形が書かれちょります!』それを脇差に添えて言った『どうか!大殿様のご決断を!お待ちいたします!』・・・

すると容堂が立ち上がった、「大殿様!ご決断を!ご決断を!」象二郎も脇差を差し出し容堂公に迫った、容堂は立ったまま龍馬に言った「答えや!坂本!武士も大名ものうなってしもうた世の中に!何が残るか?何が残るがじゃ!?」、龍馬は明確に答えた『日本人です異国と堂々と渡り合う!日本人が残るがです!』、沈黙のあと容堂は柔らかく言った「刀をしまいや!」、そして「しまえ!」きつく言った、はあ~~!二人は脇差を腰に戻すと容堂ははけていった、それは直訴が通り!容堂公が建白書立案を承諾してくれた瞬間だった、龍馬と象二郎の目から熱いものが流れていた・・・

坂本家に戻った龍馬は遅い夕食を頬張っていた『うん!美味い!やっぱり坂本家の飯が一番じゃけ!』、「そうかえ!美味しいかえ!」乙女が横に就き、春猪がお茶を注いでいた、隣の部屋でサボテンの世話をしていた権平が言った「そりゃそうじゃ!龍馬が生まれた家じゃきのう!」、「御代りは?龍馬さん!」千野が進めた、『うん!頼むき!』、『けんど!兄上!この家も何やら静かになったねや!』、「そりゃ皆んな歳を取ったげじゃ!」と乙女が言う、「わしも父上が亡くなるまで!あと五年ぜよ!もう長ごうないのう!」・・・

『何を言われますろうか!兄上!兄上はまだ何ちゃあモウロクしちゃあせんですき!』、「けんど!わしが死んだら!この家は誰が守るがじゃ!?」、「そうじゃき!何時も言うろう!この家は私が守るぞね!」と龍馬を心配させまいと乙女が言った、権平が隣の部屋から来て言った「龍馬!坂本家の家督を継いでくれんかえ!?」、「お前さん!」、「そんな!龍馬を停める様なことを言うたちいかんぞね!」乙女が権平を牽制した、「分かっちゅう!分かっちゅうけんど!」権平も辛かった・・・

『待って貰えませんろうか!?』龍馬は権平の前に正座し直して言った『もうちょっとですき!もうちょっとで!わしの大仕事が終わりますき!その時が来たら!わしは必ず!必ず!この家に戻って来ますき!』、えっ!?ほんま!?、「ほんまかえ!?龍馬!」権平も嬉しかった、千野も「戻んて来るがかえ!?」、『はい!ほんまじゃき!もうちっくと!待ってつかわさい!』龍馬は権平に頭を下げた・・・その夜、月明りに照らされた縁側で龍馬が一人酒を呑みながら、やがてやって来る大政奉還の実現に思い巡らしていた・・・

その夜の同じ頃、城内では容堂公が酒を嗜(たしな)めながら象二郎に呟いた「わしが大政奉還の建白書を出して!慶喜様の怒りをこうてしもうたら!この山内家は御取り潰しになるかも知れん!」、『大殿様がお覚悟を持って建白されるならば!それに異を唱える家臣等は!この土佐には一人も居りません!』、容堂は盃を象二郎に差出し、その覚悟の誠意を示した、象二郎はその盃を有難く受けた、容堂はそこへ並々と酒を注いだ、象二郎はそれを一気に呑み干し、容堂公に返杯した、象二郎はその返盃にひょうたん徳利から並々注いだ、それを手にしながら容堂が力強く宣言した「武士の世を!終わらせるかえ!」そしてその返盃に口をつけた・・・

その夜遅くまで一人机に向かい建白書を創案し書き記していく容堂公の姿があった、“ 誠惶誠恐(せいこう、せいきょう:真心から恐れかしこまり)、謹(つつし)んで健言仕り候(けんげん、つかまつり、そうろう:もの申させて頂きます)。天下憂世(てんかゆうせい:天下の世を憂いる)の士(し:さむらい)、口を鎖(ショウ:ひらく)して言はざるに馴(な)れ候は誠(まこと)可懼(カク:恐れるべき)の時に候。・・・・・・

王政復古の業(ギョウ/わざ)を建てざるべからざるの大機会と奉(たてまつ)り存(あ)り候。猶又(なおまた)別紙御細覧被仰付度(こうむりあおぐたびにつけ)、懇々(こんこん:眞に)情難黙止(難しい情勢をほって置く)泣血流悌(ルイケツ、リュウテイ:血の泪を流す)の至(いたる)に不堪(堪えがたき)候。  慶応三丁(十支のひのと)卯(十二支のうさぎ)年九月   松平(有力外様大名に与えられた名誉姓)容堂 ”・・・

容堂公によって一気に書き上げられた建白書が“三宝(さんぽう)”に載せられていた、高々一藩を治めるに過ぎん山内容堂公が、徳川将軍に大政奉還を建白する言うがは、途方も無い決意をした末のことじゃったがじゃ、翌日、象二郎と龍馬が容堂公の前にひれ伏していた、龍馬が心から感謝して言った『まっこと!まっこと!ありがとう御座います!』、容堂はこうまで言ってくれた、「おんしが持って来た鉄砲1000丁!土佐藩が9000両で買い上げちゃる!(大儲けじゃ!確か弥太郎から手切れ金として譲り受けたものである!)」・・・

「けんど!わしは!それを徳川様に向ける気は無い!あくまでも!この土佐を守るためだけの武器じゃ!」、『有難き幸せに御座います!』、すると容堂は龍馬の横に胡坐(あぐら)をかいて言った、「坂本!」、『はあっ!』、「おんし!わしが!これを書くと信じちょったのう!?どういてじゃ?」、『それは大殿様が武市半平太の牢に来られたと聞いたとき!』龍馬は容堂に向き直って続けた・・・

大殿様は!大殿様は!今のそのお姿のように!武市さんと同じ地べたに座られ!“おまんは!ええ家来じゃったと!武市はわしの家臣じゃき!とご自分の脇差を差し出された!”と武市さんから聞いたからに御座います!武市さん!武市さんは!泪を流して喜んじょりました!』、そして容堂公は嬉しそうな顔をして、その場を去っていった、『ありがとう御座います!』、「ありがとう御座いました!」、龍馬と象二郎は深く頭を下げて容堂を見送った・・・

そして龍馬は三宝の上の建白書を手に拝して一礼した、『後藤様!まっこと!ありがとう御座いました!』、象二郎も感極まっていた、「坂本!」、『はあっ!』、象二郎はその場に立ち上がり龍馬に手を差し出した、『後藤様!』、そして龍馬も立ち上がり手を差し伸べ、二人は固く同士を誓う握手を交わした、二人の顔には大事をやり遂げた満足感に満ちていた・・・

翌日、これ以上、晴れ渡った紺碧の空は無いだろうと思われるほどに澄み切った秋の日じゃった、きっと好いロケ日を選らんのだろう、龍馬は一人桂浜に来て、波打ち際の小舟に座り、未来に目を向けていた、そこへ「龍馬!」乙女がやって来た、『姉やん!ははは~~!』、『わしは明日!京へ発(た)つがじゃ!いよいよじゃ!いよいよ正念場ぜよ!』龍馬は背筋を伸ばした、久しぶりに帰郷し坂本家の家族にも再会し、1週間に渡る最後の日であった・・・

龍馬!命だけは大事しいや!決して死んではいかんぞね!」、『姉やん!?』、「おまんの廻りには!なんだか敵ばかりに思えて!わたしは心配で堪らんぞね!」、『何にを言いゆう!何んを言いゆうがじゃ!姉やん!?』、龍馬は乙女の両肩に手を置いて言った『大殿様はのう!わしの願いを聞いて下さったがじゃぞ!後藤様やち!今やわしの味方じゃ!』、「そうやけんど!」、『姉やん!わしはのう!この大仕事を成し遂げたら!蒸気船に乗って!お龍を連れて!この土佐に戻って来るぜよ!』、「えっ!」・・・

『いつか姉やんに約束したろう!わしは一家!皆んな~~を連れて!世界を観て廻ると!憶えちゃせんかえ!?』、「勿論!憶えちゅう!清国!インド!」、龍馬は小枝を拾って砂浜に世界の地図を描き出した、『そうじゃ!アフリカ!これがヨーロッパじゃ!』、乙女も小枝を拾った「アメリカ!」、『もっとデッカイぜよ!アメリカは!』、はははは~~~!『わしはのう!姉やん等に広い広い世界を見せてやるき!』、「ありがとう!ありがとう!龍馬!」、『出立(しゅったつ)は来年の春じゃ!それまで楽しみに待っちょり!』、「うん!」、『うん!楽しみじゃ!』、ははは~~!「まっこと!まっこと!楽しみじゃ!」、『そうじゃのう!早よう春が来んかのう!』・・・

すると乙女が小枝で龍馬のケツを「エイ~~!」と打った、ははは~~!『何をするがぜ!姉やん!』、「龍馬!久しぶりに!どうぜよ!」と乙女が身構えた、『やるかえ!』、「えいっ!」、乙女が龍馬の小枝を払うと真っ二つに飛んだ、『なんちゅう力じゃ!』、「はははは~~~!龍馬の負けじゃあ!」、乙女は直も龍馬に攻撃をかけ龍馬の足を払った、龍馬が飛び跳ねそれをかわした、たあ~~~!二人は幼子に帰って何時までも無邪気にじゃれ合っていた、エイ!エイ!あっはははは~~~!・・・これが龍馬にとって最期の帰郷となることは二人には知る由もなかった、龍馬に残された時はもう40日しか無かったぜよ!・・・

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