Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

世界体操男子団体戦で日本が37年ぶりに金☆ 2015年10月29日

2015-10-29 13:49:23 | 日記・エッセイ・コラム

あっ!今朝6時のニュースのとっぱしで、世界体操男子団体決勝で270.818点を挙げ、日本が金メダルを獲得し、リオ五輪前哨戦を制したとのビッグニュースが飛び込んで来た~~!イギリス・グラスゴーで行われている体操・世界選手権男子団体6種目(床、あん馬、吊り輪、跳馬、平行棒、鉄棒の各種目を3人ずつ演技し合計得点で競う)決勝で、日本の6人、内村航平、田中佑輔、加藤凌平、白井健三、萱和磨(かや かずま)が高難度の技を次々と決め、2位イギリスに0.466点の僅差をつけ、1978年のストラスブール(ドイツ国境を隔てるフランス北東部)大会以来、37年ぶり!2004年アテネ五輪以来11年ぶりの男子団体優勝の快挙を果たした!7連覇を狙っていた中国は3位に甘んじた!10月31日(土)の男子個人総合決勝での日本陣の健闘に期待したい!・・・

ここ加古川は先日27日火曜日の夜に、待望のまとまった雨がやっと降った!その日は青女センターでの加古川混声合唱団のセッションの日だった、夜9時過ぎ、全てが終わって外へ出てみると、何と!ザザぶりの雨が大地を叩いていたではないか!久方の気持ちの良い恵の雨を、身体いっぱいに浴びながらジョグして帰った、雨らしい雨は、その晩のつかの間だけのことであった、明くる朝からは、また晴れた、一晩だけの雨を挟んで、雨なしの日が1か月間近くも続いている、そんな秋晴れ日のつづく今日も、我 、庭に出て、ほぼ一日中、樹々の剪定に明け暮れた、今日も野良猫の真理子が裏庭に現れて食べて遊んで、何処かへ消えて行った、何処で寝ているんだろうか?うちでちゃんと飼ってあげたいが、あの猫嫌いの鬼婆が『うん』と言わん!・・・

先程までソフトバングがヤクルトに3勝1敗で王手をかけた日本シリーズ5回戦を観ていた、抑えのサファテが最後のバッター、雄平を空振り三振に討ち取った!ソフトバンクがヤクルトを5-0で寄せ付けず4勝目を挙げアッサリ日本一を決めた!ヤクルトの1勝は神宮での3回戦で、山田哲人(てつと、23歳、大阪・履正社高)の、1回裏1号2ラン、3回裏2号、ロ、5回裏3号2ランの三発が効いた1勝のみだった!ソフトバンクは本当に強かった!強すぎて、敵なしの王者の風格が漂う!何故?オリックスは、あないな強打者 ・イ デホ33歳を手放したんだろう?何故?広島は41セーブを挙げた素晴らしい抑えサファテ34歳を手放したんだろうか?何故?阪神は11勝を挙げ先発ローテーション投手なるスタンリッジ37歳を手放したのか?・・・

名電高を出て、西武、ダイエー、巨人、横浜を渡り歩いた現役29年間、プロ野球左腕投手として通算224勝あげた工藤公康52歳だが、監督就任1年目にして日本一の快挙を達成した☆左肋骨骨折のため日本シリーズの戦列から離れた打の大黒柱・内川聖一(33歳、大分工高、横浜)はさぞ悔しかっただろう!でも彼はリーグ戦を通して、そしてCSでも、リーダーとしての役割を十分果たした!兎に角、おめでとう!ソフトバンク!(*^_^*)・・・

 

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維新・花燃ゆ、第43話“萩の乱に誓う!~後編” 2015年10月26日

2015-10-26 22:52:02 | 日記・エッセイ・コラム

今日は朝9時から家内を乗せて医療センターに出向いた、家内の半年ごとにある、人工膝関節移植手術後の経過定期検診の日だった、今日のレントゲン検査室は大勢の患者で大混雑していた、アンギオ室前のストレッチを終えて、栄養学習広場の部屋で、11時半まで、たっぷりと糖尿病に関するDVDを丸ごと観終わっても、まだ家内の診察が終わっていなかった、会計を済まし病院を出たのが12時過ぎだった、帰りに家内は回転ずしスシローへ誘ってくれ、赤だしと、すし13皿も、おまけに苺バフェまで喰わしてくれた!何とも、何とも!うめえのなんのって!殿様気分を堪能させてもらって、余は満足じゃった!(*^_^*)ジュルリ、その後、買い物にイトーヨーカ堂まで付き合わされたが・・・

萩の実家の縁には陽炎(かげろう)が揺らいでいた、小太郎の位牌の前に、傷心の滝、民治、亀、美和、そして小太郎の遺髪を持った久米次郎が静かに正座していた、民治が言った『わたしは公務で山城に行くよう命じられた、居ったら、何が何でも引き留めただろう!』、兄上!、亀「お恨(うら)みします!叔父上さえ、あの時、小太郎の東京行きをお許しして下さっとったら!そうで御座いましょう!小太郎は巻き込まれず、死なずに済みました!」、民治『亀、よさんか!叔父上も分かって居られる、だから!・・』、美和「叔父上が、どうかされたんですか?」、滝『文之進さまは、お腹を召されました!』、えっ!?、滝『小太郎達が死んだとき、直ぐの事でした!』・・・

滝は位牌の前の手紙を美和に渡して言った『これを残こされて!』、”わしは武士として、如何生きるべきかを、何時も考えていた、武士とは、生まれるものではない、創られるものである!武士とは、信念を貫く者の事!前原殿は民のためのまつりごとを成そうとした真(まこと)の武士であった!本当はその民の声に、わたしが立ち上がるべきだった!最後まで武士として生きるべきだった!わしは止めることはせん!信念は貫かられねばならぬ!じゃが、若い命、懸けさせて良いのか?”、叔父上!、滝『すでに、その時には、覚悟されとったんでしょう!やから、自ら命を絶とうと・・!』、いつも明るい母・滝が泣き沈む、美和は「母上!」と背中をさすり労(いた)わった・・・

悲しみに包まれた萩の家は静まり返っていた、我が子・小太郎を失った亀は、何も手に着かず、土間に座ったままだった、台所仕事は美和に任された、亀が美和に言った「すいません、ですが、な~~んも、する気が起こりません!」、せわ~~ない、お任せください!、美和はしおれた花を新しく変えて叔父上の事を想った、そこへ久米次郎が来て、何処へ出かけようとした、久米次郎!、「わたしは東京へ帰ります!仲間たちと戦えず、一人残されるとは、これから失意の内に生きていくことに成りましょう!」、美和「いいえ!違います!貴方は皆の分まで!」、「きれいごとは、もう、ええんです!わたしは、志しを立てる道が、ことごとく潰されていく!それなら、もう何も考えずに、生きていくだけです!」と言い残し久米次郎は東京へ発った!・・・

小太郎の位牌と共に囲炉裏を囲んだ夕飯時でも、皆、食欲もなく黙りこくっていた、美和「母上、さあ、食べんと!」、民治『美和が作ってくれたんじゃ、頂こう!』、亀も食べ始めた・・・その頃、天皇への直訴を目指した前原は、島根で捕えられ、萩の牢獄につながられていた!・・・そして、数日後、前原の斬首決定の知らせが東京の明治政府のもとに届いた、東京を訪れていた楫取が木戸に言った『せめて、その前に、前原の思いだけでも聴きに、萩に行ってやれんか?民のための、まつりごとをと、訴え続けたその思いを、政府として、聴いてやって貰いたいんじゃ!』・・・

木戸『分かりました、行きましょう、じゃが、今、日本を取り巻く世界の状況は、激しく動いている!まずは、何としても、不平等条約を改正せねば、西洋諸国から日本を守ることは出来ません!そのために、国の仕組みを大きく変えねば成りません!つまり、武士の世を、終わらせることです!武士の特権を剥奪し、市民平等にする!その為に士族にとっては、厳しい政策を取らざるを得んかった!』、楫取『昔から、お前は、力に訴えるんではなく、話し合いによる解決を、誰よりも望んで居った!諸隊の反乱を鎮圧した時も、そして今回も、悩み抜いた末の事じゃろうと、わたしは思て居る!』、木戸『楫取さん、政府の土台を、今こそ揺るがんもんにせねばならんのです!でなければ、この国は、新しい国家として、生まれかわることは出来ん!こうするのが、一番なんです!それが、維新を生き残った者の務め!』、楫取『誰かが背負わねばならん役目なんじゃ!分かっとる!』、この後、前原は、斬首された!・・・

何処かから、維新のために戦い亡くなっていった松下村塾の仲間たちの “えい、えい!お~~~!えい、えい!お~~~!”の雄叫びが木霊(こだま)していた、そんな中、美和は寅兄の遺影の前で、萩に別れを告げ群馬へ戻ろうとしていた、そこへ滝が来て言った『寿の調子が、ようないんでしょう!早う帰ってあげんと、こっちの事は、心配せんで!何とかやっていけます、寿を頼みます!』、「はい、分かりました!」・・・

その頃、群馬では、誰も居ない県令屋敷の中で、寿が一人、病床に伏せていた、そこへ『ごめんなんし!阿久沢の妻で御座います!』おせいさんがやって来た、寿『どうぞ、お上がり下さい!』、起き上がろうとする寿を見て『あらまあ!奥様、お一人でしたか?すみません、お邪魔しますよ!』、せいさんが寿を助け起こしてくれた、『お手伝いさんは?如何なさいました?近頃、お見かけしませんが?』、『妹の美和はもう帰ってくると思います!』、ふ~~ん、何方へ?、ちょっと、実家の萩へ!、『ああ~~、そうで御座いましたか!あっ、わたくしが代わりに、お手伝いさんに!さあ、何でも、いいつけなんしねえ!』自分の羽織を脱いで寿の背中にかけてやった!・・・

その帰りすがら、せいは独りごとを言った『病気のお姉さまを放って置いて、何しに萩へ?』、帰宅すると、相も変わらず、店には大勢の御客で大盛況だった、その奥の帳場の前には権蔵が居たので、せいが声をかけた『あら、旦那さま、県庁のお仕事の方は?』、権蔵『それよか、生糸の相場が気になってさ!こんところ、相場が大荒れだ!』、せい『何で?何かあったんかいね?県令様の地元で?』、手際よく仕事をこなしながら権蔵は応えた『士族の反乱だろう!今、あっちこっちで起こっている!けど、政府軍が圧勝よ!こんで、いよいよ武士の時代は終わるってことだ!』、せい『へ~~、ほんとに、世の中、変わりそうだね!』、『ああ、これからは商売人の世の中だ、儲けねえとな!』、はい!・・・

萩の家では、亀が滝に話しかけていた「美和さん、そろそろ、向こうにお着きに成る頃ですかね?」、滝『とうとう、最期まで、あの子に泣き言の一つも言わせんで、送り出してしもうた!』、「はい、美和さんのお蔭て、わたしは涙に明け暮れることが出来ました!やから、もう、流す涙も、のうなりました!」、『わたしもです、美和が傍に居ってくれたお蔭で!やけど、誰があの子の悲しみを受け止めてくれるんやろ?』・・・その頃、悲しみに暮れた美和を乗せた馬車クーペは前橋に入っていた、そして木枯し吹く屋敷に着いた、美和の帰りを待っていた楫取が出迎えた、楫取の姿を観て、美和の募る思いが押し寄せてきた、楫取が声をかけた『お前にも、また辛い思いをさせてしもうた!すまん!』、楫取は美和に頭を下げた、「兄上!、もう誰も死なんで欲しいわ!やのに、また如何して、大事な人達ばっかり!」美和の胸に、堪えて来た熱いものが込み上げてきて、堰を切ったように溢れ出た❕泣きじゃくる美和を、楫取はそっと抱き、支えてやった・・・

 

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維新・花燃ゆ、第43話“萩の乱に誓う!~前編” 2015年10月25日

2015-10-25 19:24:55 | 日記・エッセイ・コラム

今日、加古川にも木枯らし一号が吹いていた、群馬の木枯らしに比べればチョロイ、チョロイ・・・明治九年(1876)、美和が群馬にやって来て、初めて逢ったのが阿久沢せいであった、今日も、阿久沢商会を訪ね、その生糸製糸場で、せいから色々教わっていた、繭から細い糸を引いて1本の糸に仕上げて巻き取っていく“糸紡ぎ”の工程を見学させてもらっていた、県令の妻・寿のお手伝いに来たと云う事で、美和は、せいからは“お手伝いさん”と呼ばれていた、竹で編んだザルの上に桑の葉を敷き詰めたなかで蚕を育て、その蚕が繭を作ってれる、繭を作ってくれるその白い虫を、せいは“お蚕さま”と呼んでいた、せいはその中の一匹を指の上に乗せて美和に見せた、キャッ!美和は脅えて居った!・・・

どうやら美和は虫嫌いで、お蚕さまは苦手のようじゃった!女工さんの中には母親と一緒に働いているお菊と云う筋の良いおんなの子もいた、美和がまだ子供ではないかと驚くと、群馬では女は10歳になると、立派な働き手に成るようだ・・・そこへ、やくざ風の2,3人の男どもが入り込んできて言った「おい、ここに、とめと云う女はいるかい?」、せい『なんです、人の家へ勝手に入り込んで!』、亭主がバクチで借金した銭を獲りに来たんで!、とめが言った「借りた銭はけえしたはずだよ!」、はあ、利息がまだだんべえ!、利息?そんなこと言わなかったじゃねえか!、この証文に書いてあるがな!この通り、これにハンついたんは、女房のおめえだろ?・・・

せいが割って入った『難しい言葉が読めねえって知っての仕業だね!』、何のことだよ?、せい『気に入らねえねえ!』、なんだと!、「またねえか!」外から兄貴分風の男が怒鳴った「阿久沢様の奥様だえ、すいませんね、血の気が多くて!」、せい『もうちょっと、ちゃんと、仕付けておいておくれ!兎に角、今日は帰っておくれ!』とせいはその男に銭を幾らか握らせた、へえ、ですが、また伺いますんで!、せい『塩、持って来ておくれ!』、はい!、お菊「おかちゃん!」、お菊をそっと抱いてせいはトメに言った『大丈夫だがね、わたしがチャンと話しつけといてあげるから!』、せいさん、何時も、すみません!、本当におせいさんが居てくれてよかったよ!、せいは塩を表に蒔いた、せいさんは何かあったときには、何時も助けてくれるからね!お菊は安心して仕事に精を出していた・・・

その夜、お茶を入れながら、おせいさんのお蔭て、今日は事なきを得ました、美和は今日の出来事を楫取と寿に話した、寿『ですが、そう云う語りまがいの事が、堂々と行われているとしたら、何とかせんと!』、楫取『ああ、早速、警察とも図って取り締まらせよう、じゃが、問題は・・・』、美和「はい、トメさんが文書が分かれば、起こらんかったと云う事です!トメさんのとうになる娘さんも、一人前に糸引きをしとって!」、楫取『まだまだ、女の子に協力など無用じゃと思われとるんじゃろ、この群馬だけの話ではないが!』、寿『長州でもそうでした、全ての子供たちが読み書きの手ほどき受けていた訳ではなかった!』、『まずは、小学校で学ばせねばならんなあ!』、『ですが、大人たちが子供たちを働き手と思うとっては!』、美和「母親たちに、もっと読み書き覚えてもらうのは如何でしょう?」、母親に?、「ええ、そうすれば、毎日の暮らしの中で、自分の世界が広がるのが分かってもらえます、子供達にも勉強させたいと思うはずです!」、

寿『ええ考えですね!』、楫取『じゃが、何処で母親に勉強を?』、美和「何処でも出来ます、寅兄は大が炉(だいがろ、ふいご)を踏みながら、勉強しとりました!」、寿が痛そうに左腕を抑え乍ら言った『わたくしも手伝いたいのですが、この処、また身体のほうが!』、寿姉!、大丈夫か、寿?、ええ、今日は先に休ませて貰ってもいいですか?、ああ、楫取が寿の身体を労わって、寝床へ連れて行った・・・楫取が書斎で書き物をしているところへ、お茶を運んできた美和が言った「今夜も遅うまでお仕事ですか?」、寿は?、もう眠って居ります!、そうか、「姉上の病、ええ療法は無いんですか?」、『中風は難しい病気じゃ、東京でもええ医者を探してもろうとるんじゃが、寿には、これまで苦労の賭け通しじゃった!』、兄上、『これからは出来るだけ側に居ってやる積りじゃ!』、「はい、姉上には、それが、どねえなお薬より効くと思います!」・・・ 

その頃、萩の実家には民治の長男・吉田小太郎が来ていた、そこへ叔父の玉木文之進が入って来て、いきなり小太郎に訊いた『おお、小太郎!前原殿は今、何処で、何をしとる?あれ以来、何も事を起こさんとは?』、そう言えば、“新政府は、我等の声を聴こうとはせん!こうなれば、この命かけ天子様に直訴奉(たてまつ)るのみ!”と前原は粋がっていたのだが?、それが・・、小太郎が答えようとしたが民治がそれを征して言った『ああ、それより、ちいとご相談が、あのう、小太郎を東京で学問させたいと思うとりまして!』、東京にじゃと?、はい!、『戯(たわ)け!許さん!』と文之進は喚(わめ)き散らして出て行った!・・・

一方、前橋の阿久沢商会の店先は相も変わらず賑わっていた、せい『あっ、ここんとこ、生糸が高値で売れているようだね!』、はい、皆、大儲け出来そうです!と大番頭が張り切っていた、頼みますよ、旦那さんはご公務でお忙しんだからね!、はい!・・・女工さんの集まって昼弁当を食べるお昼の休憩時を見計らって、生糸製糸場にやって来た美和が、“読み書き”の臨時講師を買って出た「皆さん、あのう、字を覚えてみませんか?」、字を?、「はい、もっと読み書き出来たら、きっと暮らしに役立つこともあります、ほれ、これに習うて書けば、直ぐに覚えられますから!」とお手本本を見せた、そうゆんは、わたしたちにはねえ!、「えっ、そげなこと言わんと、ちちちっとずつでも!」、昼飯を終えた女工たちは、さっさと逃げるようにして散って行った!・・・

そこへ、おせいさんやって来て言った『幾ら、おいでになっても、構わないけど、勝手なことは、止めとくれ!字の方をやることあっても、わたしが居るから、大丈夫だがね!』、美和の手習い本を開きながら、せいは続けた『それに、勉強する暇があるなら、すこ~~しでも、稼いでもらった方が良いってもんだ!み~~んな、楽な暮らしをしている訳じゃないんだ!お手伝いさんみたいに!』、さあ、み~~んな、今日も沢山、糸を引いとくれ!、へいっ!・・・

木枯し吹くなか、お屋敷に帰った美和が、寿のためにお茶を入れながら、ぼつっと言った「お手伝いさんみたいにか!」、今日は体調が良いのか、寿は起きて着物の手入れをしていた、お手伝いさん?、「はい、おせいさん、わたしの事を、お手伝いさんと呼ぶんですよ!」、寿『じぁあ、楽しみやねえ、何時、名を呼んでくれるんやか?』、寿ねえ!、「そやけど、我が家は、有難かったなあって、改めて思います!女のわたしたちにも、勉強させてくれましたから!」、『そうやねえ、今になって、塾のことを、よお思い出します!学びたい!と皆さん、目を輝かして居ました!』、「姉上、塾に居らした前原さんの事なんですが・・」、『旦那さまも、前原さまの事は、ひどく気にされとって、政府や国元に様子を聞いとるそうです!』、その頃、前原一誠は政府の要職を歴任したあと、萩に戻っていた、前原は政府の近代化政策に不満を抱く士族たちの中心的存在になって居た!・・・

やはり、そうですか?、『また長州の者達が、戦さをするようなことがあっては!・・久米次郎を東京に出してやってよかった!』、寿は、群馬に来る前、次男・久米次郎にかけた楫取の言葉と、それに応えた久米次郎の言葉を思い出していた、“政府に対する不満も有ろうが、今のお前には世を見通す力が、まだまだ足りん!” 、“では、わたくしを東京に行かせて下さいませ!”、寿『自分勝手な事を言うてるのは分かっています、ですが、今、久米次郎が萩に居ったらと思うと・・小太郎も東京に来たがっとると聞きましたが?』、「はい、でも叔父上が許さんようです、吉田家の跡取りを外に出すわけにはイカンと!それに、叔父上は前原さん達のお味方をしとる様で!何も無ければ、良いんですが!」・・・

そこへ、御免下さい!、外で誰やらが訪ねて来た、出てみると郵便配達人が、美和宛の封書を届けてくれた、直ぐ開いてみると、前原一誠からの文だった、“美和殿、まこと申し訳なき儀に候”それだけの文面だった!?・・・萩の藩校・明倫館では、美和の不安が的中していた、前原 『今こそ我々は、もう一つの維新を起こす!』、おおおお~~~!、明治九年(1876)十月二十八日、前原は300名余りの士族を率いて挙兵!十日のうちに政府軍に鎮圧された世に云う“萩の乱”である!これは同年10月24日に起きた熊本の神風連の乱と、10月7日に起きた福岡・秋月の乱に呼応して決起された士族の反乱であった!・・美和と寿は、東京に行ったはずの久米次郎は果たして東京に居るのか?まさか、東京に行くと見せかけて、この反乱軍に加勢したのでは?そんな疑いが渦巻き、寿は『お願い!』美和に頼んだ、はい!・・・

その頃、県庁の楫取のもとへも、東京の木戸から、至急の知らせ“マエバライッセイ ハギニテ ハンラン シキュウ チンアツイタス ショゾンナリ”が届けられていた!東京の明治政府では、木戸孝允と伊藤博文が話し合っていた、木戸『何としても、この反乱を止めさせるんじゃ、政府には向かう者達を一掃する!』、伊藤『ですが、長州の者達は、かつて一緒に戦うた仲間じゃ!』、木戸『奴らは、もはや逆賊じゃ!』・・・美和が県庁に駆け込み、焦る楫取のもとに走り寄った「兄上!萩で前原さんが!」、『知って居る!木戸から知らせが在った!』、では?、『もう反乱は起こっている!政府が鎮圧に動き始めた!わたしは今から萩へ行く!』、「わたしは、東京へ!久米次郎を引き留めんと!」・・・

美和は阿久沢商会の馬車クーペで東京へ向かった、美和は前原が萩の実家で語ってくれた言葉を思い出していた、“あなたの言う通り、力では何も解決せんのかもしれん、もう一度、わたしを信じ集まってくれたもん達と、よう話します!” 、「前原さん、如何して?」、その頃、前原達は萩では、銃を構える政府軍と激突していた、しかし、鎮圧軍の圧倒的な兵力を前に、劣勢を強いられ、多くの犠牲者を出していた!前原率いる殉国軍の中には民治の長男・吉田小太郎も善戦していた!・・白装束をまとったその母・亀が小太郎の武運を祈って井戸の聖水を浴びていた!「小太郎!無事で居ておくれ!どうか、無事で生きて!」、それを滝が裏戸から、そっと見守っていた!直ぐ近くで銃声と砲弾が炸裂していた!家の中では、文之進が寅次郎の遺影と位牌の前に座り拝(おが)んでいた!・・・

同じ頃、前橋では楫取が旅の仕度が出来、萩に向かおうとしていた、それを止めようと妻の寿が必死になって居た、寿『今の旦那様は群馬の県令です、それに今行けば、どねな災難に巻き込まれるか!』、楫取『じゃが、行かねばならん!』、『お願いです、木戸様この様な事が在るかも知れんとお考えに成り、旦那様を関わらせんために、群馬の県令に任じたんだと、わたしは思うとります!』、楫取『例え、そうだとしても、あの者達の思いを分かっているのは、このわたしじゃ!わたしが行かねば!』、寿は折れなかった『いいえ!行かせる訳には参りません!それに、もう起こってしもたんです!止めることは出来ません!』、だが楫取は寿を振り払って出て行こうとした、旦那様!成りません!遂に寿は足から崩れ倒れ込んだ、『寿!』楫取は気を失った寿に駆け寄り名前を呼び続けた!寿!寿!・・・

一方、東京の久米次郎の下宿に着いた美和は、身支度した久米次郎を萩に行かせまい、通せん坊して睨みつけていた、「どいてください!」、美和「いいえ!久米次郎、行ってはいけません!」、「わたしは前原様や小太郎達、仲間たちと戦いたいんです!」、美和「今、行っても遅いんです!」、如何云う事ですか?、「すでに政府軍が反乱を抑えているはずです!」、久米次郎「だとしたら、直の事、行かねば! 小太郎達を見捨てることは出来ません!」、いけません!美和は久米次郎を捕まえた、わたしを卑怯者にしたいんですか?自分の意思も貫けん、愚かな男にしたいんですか!今、行かなければ、わたしは、この先、生きて行けません!、美和「分かりました、わたしも行きます!自分の目で、確かめて観んさい!」・・・

そして、数日後の事、寿の看病のため群馬に残った楫取のもとへ、内務省の高官となっていた品川弥二郎が訪れた、「無事、反乱は鎮圧しました!」、楫取『たった、数日でか?』、最初から力の差は明らかでした!、『前原はどうなった?』、首謀者の前原は、まだ捕まらず、今、全力で、その行方を追って居ります!、『前原!』、品川「楫取さん!わたしは松下村塾の仲間に生かされて来たと思うとります!やから、死んでいった者達の分も、世のために、尽してきた積りです!やのに、わたしは前原さんのために何もしてやれんのですが!」と品川は涙ぐんで居た・・・

 

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今日のメタボ教室、ラジオ体操に参加す! 2015年10月24日

2015-10-24 15:20:41 | 日記・エッセイ・コラム

ここ加古川には20日間も未だに雨が降らず晴れ続きだ、今日の最高気温は22℃と低い日照りだが、湿度が78%と蒸し暑い、兎に角、毎日の水やりが欠かせない、まだまだ蚊が飛び交う中、小生、一週間前から庭に出てはコツコツと庭の手入れにかかっている、昨日は昼から半日、ばっさ、ばっさ!と庭木の剪定や部分伐採を心行くまで楽しんだ!その間、野良ネコの真理子がやって来て、小生がトレーに入れてやるドライフードを食べた後も姿を消さず、小生の作業に付き合ってくれる様に、脚立の周辺で留まり、作業が終了するまでずっと、チョコチョコ楽しそうに庭中を動き廻って遊んでいた!夕食分のドライフードをあげて真理子とは分かれ、入浴のため家の中に入った!・・・

今週の健康課主催メタボ教室は加古川西公民館で今朝9時半から体力測定が始まる“ラジオ体操”だった、10時に加古川市社会教育・スポーツ振興課から送られてきた指導員3名が紹介された、そしてラジオ体操第一・実技の指導が始まった、僅か3分間のラジオ体操と云えど侮(あなど)ってはりませんぞ、マニュアル通りきちんとリズムよく、身体のキレも良く、心肺呼吸をしっかりメリハリを着けて行えば、何と!400以上もの筋肉・骨格筋をバランス良く使う運動となりますぞ!そして立派な有酸素運動、筋トレ、ストレッチ、バランス運動となり、血行促進と代謝力アップにつながる!究極は5kmの速歩きとほぼ同じ30キロカロリーが消費出来ちゃうのである!・・・

  

最期に、時間の関係上、ラジオ体操第一だけを録音したラジオ音楽に合わせてキリッと終わりまで通した、そのあと、スポーツ振興係員から、11月3日(火曜日、文化の日)、加古川市西部の西神吉町にある加古川運動公園陸上競技場と直ぐ向かいにある市立総合体育館で開催される第3回加古川市民スポーツカーニバルの案内が配られた、そこでも現役NHKラジオ体操講師、西川佳克先生と松下亜美先生を東京から招いて第一だけでなく第二も合わせたラジオ体操講習会が行われる、また、2008北京オリンピック5000m(予選敗退)と2009ベルリン世界陸上5000m(決勝進出)女子代表を果たし、今年限りで現役引退を表明した地元小野市出身の小林佑梨子(27歳、須磨学園、豊田自動織機)選手を招いてランニング教室(サブトラック)も開かれるよ!行かなくっちゃ・・・

 

西公民館の直ぐ北に位置する加古川西市民病院の本館正面エントランス側に差し掛かると、何やら、消防車や救急車が停まり、大勢の親子ずれで賑わっていた?入り口に目をやると“ウエスタン・カーニバル”の垂れ幕が目についた、もし、ロック・フェスティバルか?まさか!吸い込まれるように、1階ロビーへ入って行くと、そこには、ゆるキャラの“光姫”と“はばタン”が、押し掛けた大勢の人々の中に混じって子供たちの相手をしていた、ロビーには所狭しと色んなブースが並ぶ、大きなお祭り会場になって居た!・・・

   

そうです、第4回病院まつり”ウエスタン・カーニバル ~新病院への架け橋 ~” が始まったばかりであった、プロクラムを見ると、クラウンまさみのバルンアートや、山田スタジアムの漫談も組まれていた、一番奥に設置されたステージでは、近くの宝殿保育園園児による合唱と合奏が進行中だった!暫く、ブースを廻り、よだれの出そうな焼き立てパンのコーナーやスライム作りなどの催し物を見学してからジョグして帰路に就いた・・・

  

 

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維新・花燃ゆ、第42話“世界に賭ける糸!~後編” 2015年10月20日む

2015-10-20 10:24:04 | 日記・エッセイ・コラム

ここ加古川は2週間以上秋晴れ続きで、一向に雨が降りそうにない!大地は群馬の様にカラッカラに乾上がり干ばつ状態にある、一日も早い恵みの大雨が待ち遠しい!・・・それはさて置き、花燃ゆに移ろう・・地元上州群馬の養蚕業に情熱を燃やし、アメリカにその販路を広げんと大志を抱く兄・星野長太郎と弟・新井領一郎兄弟に巡り会えた頃、楫取が、県庁に届いた滝からの手紙を持って帰宅し、それを美和に渡して言った『敏三郎が臥(ふ)せってるそうじゃ!近頃、芳(かんば)しゅうないと!』、敏が!?、『帰ってやれ!』・・・

滝らの看病も虚しく、敏三郎の容態は日に日に悪化していた、心配そうに民治とその長男・吉田小太郎が見守っていた、亀が井戸端で水を汲んでいると、そこへ美和が心配顔して、群馬から飛んで萩に戻って来た、美和さん!、敏は!?、亀にはかける言葉なかった、美和は敏が横たわる病床へ急いだ、「!どねえした!何処か痛む?」、滝『風邪をこじらしてしもうて、熱が下がらんで!』、何でもっと早う知らせてくれんかったんです!?、民治『敏が知らせるなと!今、姉上たちも大変じゃろうかと!』、敏!・・・

暫く美和が敏の両手を握っていると敏が目覚めて手話で話し始めた、えっ!敏、なん?、”俺もこの世に生まれて、何かの役に立ったんかな?”、うん、もちろん!、“もっと、やりたいことがあった!”、うん、うん、分かっとる!、「敏は学校を作りたいんやろ?敏のような子供たちのために!これから、み~~んなで、つくろう!やから、早う元気にならんとな!」、美和とは二つ年下の杉敏三郎は満足げな笑みを浮かべて眠るようにして、明治9年(1876)、享年32歳の若さで帰らぬ人となった、そして熊本遊学の際、難病治療の熱い信仰のあった加藤清正公の浄池廟を詣でて、15歳離れた弟・杉敏三郎の聴覚障害ために祈ってくれた、また本好きの敏のために多くの本を買い与えてくれた亡き寅次郎兄さんこと吉田松陰のもとへ旅立っていった!・・・

縁に座り込み、放心状態の母・滝に、美和がお茶と饅頭を差し出した「母上、な~~んか、召し上がらんと!」、敏の形見の鈴を見詰め乍ら滝が言った『もう、ええんよ、はっ、敏も居らんくなってしもうた、親不孝な子やね!この母より先に逝くなんて!』、美和「いっつも、わたしは敏の面倒を見に行けんと思うとりました、耳が聞こえんけ守ろうと!そうやなかった、本当は、わたしが敏に励まされとったんです!せわ~~ないと!いっつも笑顔で、あたしだけやない、敏は、家族みんなの事を、開いた手を前に伸ばしてせわ~~ないと!」、母・滝は余りの悲しみに押し潰されそうになった、美和はそっと、滝の背中に身を寄せ、肩を叩きながら母を励ました!・・・

美和が群馬へ戻って行く朝、滝は寅次郎の脇差を美和に差し出して言った『敏三郎が大事しとった寅次郎の脇差です、これ持って、あんた、帰りなさい!』、えっ!、『心配せんでもええ!あの子は母の傍でいっつも、励ましてくれとります!』と敏がいつも右手首に着けていた鈴をカラ!カラ!カラ!と鳴らしてくれた、「母上!」・・・前橋へ戻った美和は楫取と寿の前に正座して「これは姉上にと!」寅次郎の脇差を寿に差し出した、その時、楫取が朗報を伝えた『二条大窪に用水路が引かれることが決まった!』、えっ!、『敏三郎が書いた図面を基に、工事が行われるそうじゃ!』、はっ、良かったね、敏!、寿が泣いていた・・・

そして、県庁では、楫取は前橋のドン・阿久沢権蔵を含む参事を招集して議会を開いていた、楫取『新井領一郎君のアメリカ行きは、群馬県の産業振興に大いに利するものであります、ここは一つ、県として支援をしたいと考えます!皆の賛同を得てこそ県政が成り立ちます、ご賛同いただけますか!?』、アメリカで会社を創ったところで、欧米の商人に潰されて終わりですよ!、楫取『だからこそ支援が必要なんです!』、県のカネで個人を支援すると云うのは如何なもんでっしゃろ?、他に優先する事業が在るのではないですか?、阿久沢が割って入った『う~~ん!今日は、まあ、これっくれえにさらされては如何ですか?県令殿!』、と審議は進まなかった・・・

官邸屋敷には阿久沢せいの使いが来て、敏三郎への御霊前が届けられていた・・・阿久沢商会の前は戦場のごときに騒然と賑わい商売の最前線と化していた!最新の横浜からの相場情報を基に、権蔵が『売りは控えて一日置いとくように!』と助言しながら、長蛇の列の投資家から委託証拠金(投資金)を募り、先物商品取引仲介業の真っ最中だった!ほとんどの投資家からは「何時もありがとうごぜえます!」と感謝されていた、どうやら商いは絶好調の様だった、そこへ訪ねて来た楫取に気づいた『県令殿!』と声をかけた、楫取『活気が在りますね!』、権蔵『相場は刻々と動くんです、いち早く動きを掴んだもんが勝ちです!で何か御用でも?』、真剣なまなざしで楫取が言った『頼みが在る!貴方の力を是非とも借りたい!』と権蔵に一礼した、権蔵は浮かぬ顔して考え込んだ??・・・

阿久沢商会の飛脚運送業を取り仕切っているせいが、ひと仕事終えて居間に戻ってみると、苦虫を喰らったような渋い顔をした夫の権蔵に出くわした、如何なさったんですか?、せいが注いでくれた水を飲みながら権蔵が言った『えっ、あれだ!』・・すぐ隣の帳場に座っている楫取を観て、せいが言った『あら、良い男!』、何言ってんだ!新しい県令殿だ!、楫取に初対面のせいが口を押えた、権蔵『新井と云う男が、アメリカに直(じか)に生糸を売るため、その渡航費用を県で工面しようってんだが、そんなことのためにカネ出すわけにはいかねえ!』、せい『へえ~~~、アメリカへ!直にですか?ふ~~ん』・・・

風呂敷包みを抱えた美和が香典の包みに書かれていた住所“下上州前橋神明街八番”を頼りに阿久沢商会を探し出してやって来た、そこには狸の置物が置かれていて何処か見覚えが在った、あっ、男が “この狸おやじ!”と喚(わめ)き、肥え壺の汚水を馬車クーペにぶっかけて行った処だ!荷方が忙しく動き回る職場の中へ美和は入って行った、美和がその奥の帳場に来ていた楫取を見かけ「兄上!如何なさったんですか?」と声をかけた、『お前こそ、どげんしてん!』、「阿久沢様から敏三郎へお香典を頂いたんで、そのお返しに!」、そこへ権蔵が降りてきて訊ねた『うん、このめえ、お会いしたお人じゃな、県令閣下とお知り合いかえ?』、「妹の美和で御座います!この度は弟、敏三郎のお香典を頂き、ありがとうございます!」、『なら、妹さん、丁度良かったい!県令殿を連れて帰って頂きたい!県令殿に店に居座られちゃ、商売あがったりなんです!』・・・

楫取『それは済まん事じゃが、納得頂くまで、帰る積りは在りません!渡航費の件、あなたからも皆を説得して頂きたい!お聞き届け頂けるまで、ここは動かん!どうかお願いします!』、美和「そう云う事でしたら、わたくしからも、お願い致します!何卒、お力をお貸しください!本気でアメリカ行きを決意されてる方なんです!必ず、群馬の将来のために役に立つはずです!日本のためにも、どうか、お願い致します!」、困り果てた権蔵が言った『いっくら頼まれましても、わたしなどの力で、如何なるもんでも!』、いいえ!、はあ?、「先日、こうおっしゃいました!何か困ったことが在ったら、何時でも力に成ると!」、そんなこと、言ったっけかな!?、美和は財布の中から阿久沢商会/阿久沢権蔵の名刺を出した、それを突き付け、権蔵を睨みつけて言った「わたくしの生まれた長州では、男に二言は在りません!」、否、それはね・・・

あら、あら、あら~~!そこへ、権蔵の助け舟となるはずの妻のせいがお茶を持って来て言った『失礼しますよ、お茶でも、どうぞ、あら、そいじゃ、上州男の面目に賭けても、力になって差し上げなくっちゃ!ねえ、旦那様!』、権蔵はせいの顔を覗き観て何も言えなかった、せい『それに、こうして県令様が、頼まれているんですよ!勧業課長としても、お助けするのが筋じゃねんですか!?』と言って再び権蔵の顔を覗き観た、権蔵は脅えるようにして口を開いた『むむむ、それはそうだか・・・』、せい『あっ!すいません!まっ!妻の立場で、差し出がましいことを!旦那様こそ、うちの大黒柱で御座いますに、だからこそ、店の玄関先にも、旦那様によっく似た狸を置いてるんで御座います!』、よく似ていたもので、美和が、ふふ!思わず噴き出した、すると店の者達も釣られて一斉に噴き出してしもうた!・・・

せいが権蔵を促す様にして顔を覗いた、権蔵は観念して言った『ももも、もう分かった!もう言うない!県令殿、今回は特別、協力致しましょう!』、楫取『感謝いたす!』、「ありがとう御座います!」、二人は深く頭を下げ、権蔵に、否、せいに感謝奉(たてまつ)った!美和にとって、せいは二度も助けられた恩人となった!これこそが、いわゆる、上州名物“赤城おろしのからっ風”と並んで有名な、妻の権力が夫より強い上州名物“かかあ天下”である!権蔵は二人を見送りながら言った『まずは、奴(やっこ)さんのお手並み拝見と行くべいか!』、せいは大きくうなずいて言った『はい、旦那様の事だから、ただでは、のまねんでしょう?』、うん、ふふふふふ・・・

翌日、楫取は早速、県議会の審議に賭けた、『皆、異論はないでしょうか?』、はい!、うん!阿久沢も賛成して、全会一致で可決した!こうして渡米費用の算段も付き、新井領一郎の出発の日は明治九年(1876)三月十日と決まった!楫取は星野・新井兄弟を屋敷に招いた、そこで寿は、美和から預かった敏の形見、寅次郎の脇差を新井領一郎の前に差しだして言った『これは、わたし達の兄の形見の品です、兄の魂が宿って居ります、これを持って、一緒に海を越え、アメリカに兄を連れて行ってあげて下さい!』、美和「先日亡くなった弟・敏三郎も、それを望んどるはずです!」、はい!、 新井はその脇差を手に取り挙げて、しげしげ観て言った「必ず、成功して見せます!」、楫取『頼むぞ!』、楫取は県令として、官営・富岡製糸場と星野の水沼製糸所を後押しして、群馬産業発展の礎を築いた!「こうして、わたしたちも、新しい人生に向かって行きます!」と美和は夫・久坂と寅兄の魂に誓った!・・・

 

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