Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛、第37話“城井谷の悲劇!~後編” 2014年9月15日

2014-09-15 10:22:11 | 日記・エッセイ・コラム

まず、あの向こうっ気の強い宇都宮の娘、鶴姫が、黒田家の侍女として仕えるために馬ヶ岳城の光姫の間に参上した、光殿と黒田家の侍女たちの居る前に三つ指を着き「鶴で御座います」と挨拶した、光が鶴に優しく声をかけた『鶴殿、慣れ親しんだ地を離れての暮らし、心細いでしょうが、私は勿論、ここに居るお福やお道が何なりと相談に乗ります、私達を身内と思って・・・』、光の言葉が終わらぬうちに鶴が言った「私はここの人質!命を捨てる覚悟で参りました!その様な甘い考えは持っていません!」、『今日はお疲れでしょう、ゆるりと安まれよう、お道、ご案内して差し上げなさい!』と光は笑顔で言った、お道らが鶴を部屋へ案内していった、鶴が去った後、お福が一言不満を述べた「何でしょう?あの口の利き方は!」・・・

12月の雪の降る日、利休が秀吉、恵瓊と三成にお茶を振舞っていた、その縁に出て秀吉が雪を眺めながら、もの思いにふけっていた、「豊前の一揆がようやく鎮まりました!」と恵瓊が秀吉に声をかけた、秀吉が訊いた『肥後は如何なっておる?』、「未だ従わぬ者も居りますが、峠は越えたようで御座います!」、三成が口を開いた「肥後の一揆は佐々成政殿が検地を強行した事が始まり!幾ら峠を越えたからと言って、このまま佐々殿に肥後を任せてもよいものでしょうか?」、『成政は戦さは巧(うま)いが、国を治める器ではない!今後如何するかは、いずれ沙汰する!それにしても、官兵衛ならもっと容易(たやす)く豊前を治めると思ったが!?』と秀吉が不満を漏らした・・・

そこで利休が言った「事の起こりは、殿下が宇都宮に本領安堵を約束なさった故に御座います!」、『それを巧く治めるのが国司と云うものじゃ!』、茶室に胡座を組み恵瓊に訊いた『宇都宮はどうなった?』、「官兵衛殿と和睦いたしました!」、『和睦じゃと!?』、「はい、宇都宮が黒田家の家臣となりました!」、『はははははあ~~~!このわしの命に逆らった男を、官兵衛が召し抱えたと言うのか?はははははあ~~~!これ程、愉快な話は無い!』 周りが緊迫した、秀吉が美味そうに茶を飲み干した・・・

天正16年(1588年)、水上交通を重視する官兵衛が、周防灘(すおうなだ、豊前海)を望む山国川の河口郡に、なんと、新たな居城となる豊前・中津城を築いた!その春、黒田家一族は中津城に入った、黒田の家臣達が奥の間に集められ官兵衛から功労評価によって役職が命じられた、『黒田兵庫之助、今までよおやった!お前は宇佐郡の高森城・城代だ、頼むぞ!』、「はっ、ありがたき幸せ、身命をかけて励みまする!」、『栗山善助!井上九郎右衛門!母里太兵衛 !その方等3名には家老職を命ずる!』、はっ!『宇都宮朝房(ともふさ)、如何じゃ、少しは慣れたか?』、「はっ、皆様のお教えのお蔭で!」、『色々あったなあ、今や宇都宮は我等の仲間、しかと励め!』、「有難きお言葉、今後とも直一層御奉公に励みまする!」、長政が浮かぬ顔をして聞いていた・・・

侍女たちがお福の指示のもと、城内の片付けに追われていた、その時、新米のお鶴が食器を落として割った!「気をつけなさい!」、お福の雷が落ちた、欠片を集めていると、お道がそっとやってきて、「私も来たばかりの頃、卒中、お皿を割り、よく叱られました!怖いお福様に!」とお鶴を励ました、「お道!聞こえてますよ!」とお福の声がした、私も叱られました!私もです!私もです!私もです!ほとんどの侍女がお福の雷に触れていた、お鶴とお道は顔を見つめながらクスクス和やかに笑っていた!お福も陰で明るく微笑んでいた、仲間愛がある良い光景だ!離れたところから眺めていた光と糸が言った『私たちも励みましょう!』・・・

大平城の城代・宇都宮鎮房には城井谷・寒田の屋敷が与えられていた、「もう直ぐ田植えの時期で御座いますなあ!」、『うん、今年もこの城井谷で春を迎えようとは、今となっては黒田のお蔭かもしれぬ!』と満開の桜の花を愛(め)でながら鎮房が呟いた、「はい、若やお鶴様も息災(そくさい)と聞きます!」、縁には咲き落ちた桜の花が 散りばめられて風に吹かれていた・・・

大坂城の茶室で利休がおねに茶を立てながら訊ねた、「北政所様、殿下御誕生の秘密を御存知ですかな?公家衆から噂を聞きました!殿下は高貴なお生まれであるとか?」、『うっ?高貴な?、あの男が?尾張・中村の百姓の子ですよ?誰がそんな根も葉もないジャレ事を?』、利休は公家衆から聞いた噂を思い返していた・・・『祖父は元々萩野中納言と申すお方であったが、罪に問われて尾張に流されたそうじゃ!』、お~~~!左様で御座りましたか?『うん、わらわららは、それが縁で若い頃、3年ほど宮中に仕えたそうじゃ、そして郷(さと)に戻って、ほどなくして、子が生まれ、どう云うことか、分かるかのう?その生まれた子が、このわしじゃ!』、なるほどのう?ほいで、殿下の御父上さんと云うお方は?『ハッキリしたことは分からぬが、やんごとないお方であろうと!?』、ほっほほほ~~~!・・・

『あっはははは~~~!馬鹿馬鹿しい!あれが萩野中納言と云う顔に見えますか?どう見ても、尾張の山猿で御座います!』とおねは呆れた、利休が真面目に言った「馬鹿馬鹿しいと笑っておられるのは、お方様ぐらい!公家衆は大真面目に聴いております!もはや、殿下の御言葉には誰も異を唱えることはありませぬ!」、何故かおねは、そのことが心に引っかかり、心配になって来た!?・・・

その頃、肥後の一揆の責任を問われ、謹慎していた佐々成政が中津城に官兵衛を訪れた、何用か?『佐々殿、急に如何なされた?』、「一別以来じゃのう、官兵衛殿!大坂に向かう途中に立ち寄ったのじゃ!」、『大坂?』、「石田三成があること、ないこと!殿下に吹き込んでおる!このままでは、わしは切腹させられる!それ故、直に殿下に申し開きを致す所存だ!」、『それは、返って殿下の御怒りを買います!お止めになった方が良い!』、「座して待つより、万に一つの望みに懸ける方が良い!此度は御助勢、かたじけない!わしの不手際が元で、豊前でも一揆が起きたこと!申し訳なかった!わっはっは~~!なに、殿下は必ず聞き届けて下さる!わしとあの方とは30年来の仲じゃ!あっははは~~~!」、成政は肥後の援軍の謝礼と、己の不手際を詫びて大坂へ向かった!・・・

だが成政の行く手には、三成が尼崎・法園寺に先回りして不穏な動きが待っていた、「殿下はお怒りで御座います!未だ肥後が片付かんのに、命(めい)に背いて勝手に、やって来たことがけしからん!このまま、この当地で謹慎せよとの仰せで御座います!」、『謹慎!?殿下にお取次ぎ願いたい!直に会わせてくれ!』、「殿下は逢わぬと仰せで御座います!」、『それは真か!?お主が勝手にそう言っているだけではないのか!?』、「佐々殿は信長公亡きあと、二度に渡って殿下に抗(あがら)いました!されど、戦さ上手ゆえ許され、肥後まで賜ったのですぞ!国を保てなかったこと、許し難し!追って沙汰すると、殿下は仰せで御座います!」、『おのれ!猿め!鼻っからこうなることを分かっていたのであろう!?鼻からわしを許す気など無かったのだ!』、「口を慎まれよ!」、あ~~~!終わったと悟り成政は断末魔を挙げた!・・・

秀吉に呼ばれた三成に一通の書状が手渡された、『これを官兵衛に送れ!』、それに目を通した三成が言った「これでよろしいので?」、『うん』、「かしこまりました!」、それは宇都宮鎮房への暗殺命令だった!・・・その頃、官兵衛は未だに収まらぬ一揆を鎮圧するため、肥後に出陣していた!そこで秀吉の鎮房暗殺命令に目を通した!『何と宇都宮を討ち!朝房(ともふさ)等人質を殺せと!』と官兵衛は秀吉に対する怒りに震えた!“殿下の命に背いた者を許しては示しが付かぬ!”と善助が後半の部分を読んだ!「和議を結んだ宇都宮を討っては、豊前での我等の信用が地に落ちまする!」と太兵衛が吐いた!「しかし殿下の命(めい)!」九郎右衛門も釈然としなかった!『殿下に御考え直し頂くしかあるまい!』 と官兵衛が覚悟した!・・・

殿~~!そこへ伝令の朝房(もとふさ)が来て伝えた、『如何した、朝房?』、「東に陣を構えていた敵が逃げ去りました!お味方!優勢に御座います!」、『大儀である!』、朝房がはけると善助が言った「今、動いてはなりませぬ!佐々様も勝手に離れた故、謹慎を申し付けられました!それがしが、殿の代わりに大坂へ行って参ります!」、官兵衛も承知して『頼むぞ!』と善助を大坂へ送った!・・・

だが秀吉の考えは変わらなかった!『宇都宮は許さん!成敗致せ!』、だが善助は秀吉に喰らいついた「恐れながら殿下!宇都宮は殿下の御意向に従っております!何卒御考え直しを!」、『余は以前から官兵衛が羨ましかった、官兵衛は良い家臣たちを持っておる!善助、太兵衛、九郎右衛門、黒田の宝はその家臣達じゃ!』、秀吉は善助の左頬にそっと手を添えて 続けた、『官兵衛がいつまでも意地を張っておると、その家臣たちが路頭に迷うことになる!官兵衛にそう伝えよ!』と言い捨てて奥に消えていった、「殿下!今一度!」と善助が追おとしたが、無情にも障子が閉じられた!・・・

肥後の討伐に向かう福島正則と加藤清正が中津城を訪れ、神妙な顔で胡座を組んで誰ぞやを待っていた、そこへ長政が現れ『清正様、正則様、わざわざ豊前まで、よおお越しくださいました!』と挨拶した、二人は長浜で幼い松寿丸こと長政に剣術を指南してくれた仲だった、「心配で立ち寄った!」、『心配とは何だ?』、「知らんのか?」、「殿下が宇都宮を討てと命じられた!」、『それは真で御座いますか?』、「されどお主の父御(ててご)が拒んでおられる!」、「殿下は地侍を抑えられぬ国司をお許しにはならぬ!肥後の佐々成政殿が如何なったか知っておるか?」、『ええ、謹慎中と・・・』、「あの方はもう終わりだ!近いうちに所領を召し上げられるであろう!お命さえも!」、「このままでは黒田も佐々殿の二の舞になるぞ!」・・・

大坂より肥後に戻ってきた善助が全てを官兵衛に伝えた、『そうか!大儀であった!』と官兵衛が苦渋(くじゅう)に顔をゆがめた、「申し訳ございませぬ!」と善助が詫びた、「如何なされます?」と九郎右衛門が官兵衛に訊いた、その夜、官兵衛は夜遅くまで考えに考え抜いた、黒田が生き残る道はただ一つ!であると官兵衛は決断した!・・・その後日、長政の部屋に「若、お呼びでしょうか?」と黒田一成(かずしげ)が訪ねた、弱弱しく長政が伝えた「一成、宇都宮に出仕(しゅっし)を命じよ!」、はっ!・・・

それから間もなくして、10人ほどの家臣らとともに宇都宮鎮房が登城してきた、「お伴の方々はこちらでお待ちください!」、「さあ、こちらで御座います」鎮房一人が奥へ通されていった、庭を挟んで向かいの部屋には長政が観ていた、その長政の部屋へ鎮房が通された「お久しゅう御座います、黒田様が中津に移られたと言うに、これまで参上できなかった御無礼をお許しください!」と鎮房が遜(へりくだ)った、『はあ、本日は大儀であった!』、「殿は一揆討伐のため、肥後に居られるそうで?」、『ああ、朝房も一緒だ!』、「左様で御座いますか!」、暫し長政の言葉が途切れた、「如何なされた?顔色が優れませぬな?」、『否、大事ない、鎮房、今日はお主と飲み交わしたいと思ってのう!腹を割って話そうぞ!さあ、酒を持て!』、はっ!・・・

鎮房はただならぬ空気を察していた、三宝に盃と肴(さかな)が載せられてきた 、長政が先に口をつけて飲み干した、『さあ、鎮房、遠慮はいらぬ!』、長政がその盃を差し出した、「頂戴いたします!」、家臣が並々と酒を注いでいった、遂には溢れ出していった!はっ!御免!その家臣が布を取り出しふき取った、鎮房はその滴り落ちる盃を口へ運んだ、『毒など入っておらん!』長政の顔を凝視して鎮房は一気に飲み干した、『いい飲みっぷりじゃ!のお、太郎兵衛!』長政が不気味に笑った、『さあ!肴を!肴を召し上がられよ!』・・・

その瞬間、3人の家臣たちが立ち上がり、隠したる刀で斬りかかった!「己、謀ったな!卑怯者!」、『鎮房!』背後から殺人鬼・長政が一刀両断のもとに鎮房を切り裂いた!『関白殿下の命により、成敗いたす!』長政が止めを刺した!鎮房は「黒田~~!」と唸(うな)って絶命した!『宇都宮の郎党をすべて切り捨てよ!』長政は正しく殺人鬼と成り果てた!はああ~~!その不穏を察して、向かいの部屋で待機していたお伴の者達が剣を抜いた!しかし多勢に無勢!鎮房のお伴の家臣たちも暗殺されていった!この発端は長政の不祥事が招いたことと故、果たして、これが官兵衛が考えに考え抜き、関白殿下に従い、長政に命令した黒田の生き残る唯一の道だったのか!?知ってか知らずか、官兵衛は一人たたずみ肥後の本陣から遠く離れた豊前の方角を眺めていた!・・・

 

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