Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛、第36話“試練の新天地!~前編” 2014年9月7日

2014-09-07 13:59:47 | 日記・エッセイ・コラム

今朝の6時のNHKラジオニュースで、ニューヨークのUSTAナショナル・テニスセンターからビッグニュースが流れた!それを聴いて、驚嘆し、安堵し、感動した!1セットを6-4で獲ったが、2セット目を1-6で落とした、しかし3セット目のタイブレークを7-6で勝ち獲った!4セット目を6-3でまた獲って、気温35℃の炎天下の中、セット・アカウント3-1で勝った!誰が誰に!?信じられない!?一瞬耳を疑ったが、ななな~~~ん!島根の誇り!否、日本人の誇り!あの我等が錦織圭(24歳、178cm)が、テニス全米オープン男子準決勝で世界ランキング1位、188cmの巨人、ナバク・ジョコビッチ(27歳、セルビア)をエア・ケイを駆使して破っていたのだ!やった~~!試合後、『ここまで、よく準備が出来ていた!圭は素晴らしいプレーヤーに成長した!』とジョコビッチが讃えた!・・・

ベスト8でも良い、ベスト4でも満足!だと思っていた日本人にとって、世界4大大会(全豪オープン、全仏オープン、ウインブルドン、全米オープン)の一つ全米オープン決勝進出と云う、とてつもな世紀に渡る大偉業!信じられない快挙を、錦織がやり遂げてくれた!!13歳から親元を離れ高校まで、フロリダにある全寮制のニック・ボロテリー・テニスアカデミー(NBTA)で陰湿ないじめに耐えて卒業し大きく成長した!つい最近右親指の腫物の除去手術を受けたばかりだと言うのに、大きなプレッシャーもあっただろうに!それらを錦織は乗り越えた!「何時でも、ラッキーが来る!そう思え!」と励ます母・恵理さんがスタンドで見守る中、この試合、錦織は常に集中力を絶やさず、ネガティブ思考を排除し、冷静さを保って闘い抜いた!・・・

そこには、あどけない面影は微塵も残っていなかった!心技体とも鍛えられ一人で強敵に立ち向かっていく強靭な錦織が居た!グランドスラムの頂点にまで乗り越えるもう一つの山がある!世界ランク3位のロジャー・フェデラー(33歳、スイス)を3セットストレートで下した198cmの大巨人、マリン・チェリッチ(25歳、クロアチア)だ!だが、これまでの対戦成績は5勝2敗と、錦織の方が優れ、世界ランクでも16位と格下である!チェリッチとの運命的な全米OP決勝戦が、9月9日(火)朝6時から始まる!ここまで来れば、どちらが勝ってもよいが、錦織よ!賞金総額3千4百万USドル!3億4千万近く!の賞金総額も夢でない!準優勝賞金でも1億1500万円だ!彼には、それプラス、スポンサーのユニクロから1億円が出る!計2億1500万だ!イカン!小生の様な貧乏人は直ぐ金に目がくらんでしまうが!錦織ともなれば、それ位は合点承知之助だろう!(^^ゞ・・・

 さあ、本題の軍師官兵衛に入ろう・・・九州平定後、突如秀吉はキリスタンの弾圧を始めた!秀吉から目の前に邪法だと、天正15(1587)年6月19日書の“バテレン追放令”を突き付けられた官兵衛は秀吉を責めた、『この様な御触れを出せば、敵対するものが出てまいります!ようやく九州平定が成ったと言うに、また戦さを始める御積りか!?秀吉様の天下とは!』、秀吉が割って入って言った「抗(あらが)うものあれば、滅ぼすのみ!官兵衛!それ以上申すな!」、『殿下、キリスタンを禁じては、全ての信徒が殿下と戦うことに成りかねますぞ!』、「お主もわしと戦うと申すか?お主だけは敵に回したくない!各々の信心ならば許す!」・・・

 キリスタン弾圧の噂に博多の街では動揺が広がっていた!静かにデウスに祈る右近と、そのそばに座る利休とは対象的に、肥後・宇土城主のキリスタン大名・小西行長がイライラしながら黒田官兵衛を待っていた、やがて官兵衛が現れ、デウスに身をささげて殿下に刃向う右近を殿下が許されぬと告げた、デウスを信じるだけなら問題はないと聞き、「何と有難きことか!」と行長は十字を切って安堵した、しかし右近は違った、「デウスの御教えを広めてはならぬとされて、如何にして迷える民を救えるのです?」と言い放った!・・・

そして「殿下を説きに参ります!」と言って出掛けようとした、「デウスに命をささげる御積りか?本人一人が信心のために命をささげれば満足で御座ろうが、残されたキリスタンは一層の苦しみを受けることに成りますぞ!これ以上殿下の怒りに火をつけてはなりませぬ!」と行長に咎められたが、「では、又しても己を偽れと申されるか?」と右近はどなり返して続けた、「かつて私は心ならずも自らを偽り、信長様に従った、二度と再び同じ過ちを繰り返すことは無い!」、右近は官兵衛に向き直ってて言った、「私は全てを捨てる!」と・・・

その決意を文面に改め秀吉に送った、それを読んだ秀吉が狂った「右近の虚(うつ)けめ!このわしより、デウスとやらを選びよった!右近を速やかに追放致せ!他のキリスタン大名はどうだ?」と三成に訊いた、「御安心くだされ、殿下に背く気配は御座いませぬ!」、「この秀吉の上に立つ者など、在ってはならぬ!それを存分に知らしめるのじゃ!」秀吉の目が座っておった、「御意(ぎょい)に!」と三成が答えた!・・・

九州平定後、筑前博多の筥崎(はこざき)に屋敷を構え滞在していた頃、官兵衛は”太閤町割り”と世に云う博多復興プランの策定に取り掛かろうとしていた、そこに善助がやって来て、各地での南蛮寺の取り壊しが始まっていることを官兵衛に伝えた!官兵衛は顔を曇らせ言った『善助、豊前6郡を殿下より与えられ、国替えになる!』、「誠で御座いますか?」、『お前たちには苦労を掛けることに成る!』、「とんでもない、皆も喜びましょう!早速、伝えて参りましょう!」と喜び勇んでその場を離れた、酒を酌み交わしている長政、太兵衛、九郎右衛門、又兵衛の処に行き、そのことを知らした!・・・

早速その話題で花が咲いた、『豊前6郡と言えばどれくらいの石高になる?』と長政が聞いて来た、「およそ12,3万石じゃ!」と九郎右衛門が即答した、山崎の3倍位であった、「12,3万石では少なすぎる!殿の働きであればもっとくだされても良いはずじゃ!」と言う太兵衛の意見もあった、「ほれ、太兵衛、もっと飲め!」と善助が注いだ、早速、善助が山崎にこのことを伝え、豊前入国の仕度をすることとなった!「これで山崎とは縁が切れるのか?」、皆は少しノスタルジックな気持ちになってしんみり山崎を慕った・・・

そんな頃、官兵衛は一人、秀吉によって城井谷(きいだに)城主の地位から追い出されたが、官兵衛に頼ってきている宇都宮鎮房(しげふさ)が言った「豊臣に味方致せば、本領安堵は間違いござらぬか?」、そして秀吉が言った「宇都宮には国替えを命じ、別の領地を与える!」の言葉を思い返していた!やがて右近は官兵衛と行長に別れを告げて行長の宇土城を離れ、博多に住む知る辺(しるべ、知り合い)を頼って旅立とうとしていた、利休が右近にはなむけの茶を庭に用意された屋外茶室で振舞った、一度は壊れてしまったが見事に修復された茶碗に、右近の再起を願って利休が茶をたててくれた!「何よりの選別で御座いました!」と深く感謝した!その後も、右近はキリスタンとして生き抜き、その信仰故に日本を追放されルソン島マニラで63年の生涯を終えた!・・・つづく

 

 

 

 

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