Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

維新・花燃ゆ、第48話“富岡製糸場の危機!~前編” 2015年11月30日

2015-11-30 14:11:42 | 日記・エッセイ・コラム

明治14年(1881)2月、群馬県令屋敷に戻って来た姉・寿の位牌に花を飾り、ロウソクを灯して、美和は手を合わせていた、美和は心の中で寿に語り掛けた“姉上、わたし達が願うた母親たちの学びの場が出来ました、毎日、色んな人たちが、読み書きやソロバンの勉強に来てくれます、皆んな、生きる力を身に着けようとしとるんです!”、『御盛況だねえ!』と声をかけ、おせいさんが御重に食べ物を一杯詰めて持って来てくれていた、『まあ、休み時に成ると、内のおんな達は、皆、ここへ、すっ飛んで来るだからね!』、トメが持っている本を観て訊いた『それ何んだい?』、源氏物語ですよ!昔に、こんだら色恋の話があったなんてさあ!、面白いかい?、ああ、絶世の美男子が出てくるだよ!、次はわたしに貸しとくれよ!、次はわたしだよ!おんな達の識字(しきじ、読み書き能力、literacy)はシッカリ芽生えていた!・・・

ある者は、自分の育てた野菜を美和に提供して月謝代わりにした、せい『そう、そう、おカネが無いんなら、皆が出来ることで、お月謝を払う!そうしなきゃ、勉強も身に着くもんじゃ無いからねえ!』、美和「はい、おせいさんの言う通りです、皆さんもそれでお願いしますと!うちでは、それが、ただ一つの決まりです!」、美和さ~~ん!と塾生が呼んで質問した、“まるで、ここは、おんな達の松下村塾の様です!”・・・その頃、群馬県庁に、アメリカに滞在する新井領一郎から手紙が届いたと、兄・星野長太郎が、楫取にその手紙を手渡した、星野『取引した群馬の生糸に、リチャードソンが大層満足し、また新たに注文していと!』、そうか!楫取も、工藤も中原も大いに喜んだ!・・・

『県令殿、お宜しいですかな?』そこへ阿久沢権蔵と鈴木栄太郎が加わった、何か?、阿久沢『座繰器(ざくりき、揚げ返し器、巻き戻し器)組合に、まだ入っていない養蚕農家の者が、自分たちも、へえりてえと、申し出て居るんですが!』、楫取『勿論、歓迎です!皆で力合わせて、群馬の生糸を世界一の生糸にしようではないですか!?』、阿久沢『大いに結構!やっぱり、目指すんは世界一ですなあ!』、そのあと、課長室へ戻る阿久沢が鈴木に訊いた『何か、いいてえことでも?』、いいえ!、明らかに阿久沢も同様、鈴木の風向きが変わっていた、阿久沢は鈴木に言った『時代を読むのも、政治家だ!』・・・

蝉が鳴くその年の夏 、アイスクリン作りの実技をしている学びの場に、ごめんください!と三人の若い乙女達が訪ねて来た、見学ですか?、ここの学び場の噂を聞いて来たんです!そいで、わたし達も一緒に学ばせて頂けんかと思うて!、ここでは、勉強の他に、料理・洋菓子作りも教えてくれはるって!、美和「大歓迎です!けど、あなた達は?」、富岡製糸場の女工で御座います!、富岡の!じゃあ、毎日あの工場で生糸作りを?、はい!大分の中津から参りましたスエと申します!、うちは、彦根から来たマサで御座います!、わたしは、盛岡から来たテイでがす!、美和「皆さん、色んな処から来てるんですねえ!さあさあ、どうぞ!」、こらあ、何ですか?、アイスクリームです、西洋の氷菓子です!、卵黄の色に染まって美味そうじゃった!、初めて見ました!、どんな味するやろう?、どうぞ、食べてみて!、う~~ん、うめえのなんのって、ありゃあしねえ!、わたしは、最初に食べたときは、たまげたよ!、美和「色々教えて下さる方が居るんです、元は長州の御姫様でした!」、へえ~~~!・・・

その頃、噂の毛利安子も、東京の毛利邸宅でアイスクリンを食していた、うん、ほんに美味いのう、アイスクリームは!次は美和に何を教えようかのう?と言いながら安子は“ストロベリジャミ”と“マダレーム(マドレーヌ)”のレシピを眺めていた・・・県令屋敷では楫取が寿の位牌に手を合わせて居った、その隣の部屋で、美和が着物をたたんでいた「安子様も色々力に成って下さって、これからは、暮らしに役立つ料理や裁縫などの実技を取り入れようと!」、楫取『それはええかも知れんなあ!』、「はい、やけど、富岡の女工さん、まだ14,5になったばかりなのに、親元を離れて働くん道を、感心です!」、『富岡の女工さん等には、大きな役目があるんじゃ!ここで最新の生糸作りを学び、それぞれ地元に帰った後、それを広めていかにゃならん!』、はい、早う、一人前の女工さんに成るんが夢やと云うとりました!そんために、ちいとでも、学びの場が役に立てば良いんですが!・・・

そうじゃなあ !、何か?、楫取『否、ちいと気になることが在ってなあ、政府が国営の産業を民間に払い下げ始めたんじゃ!』、美和「えっ、では、まさか、その中に富岡製糸場も?」、『まだ、正式に何も言ってきて居らん、何もなければいいんじゃが!』・・・東京の明治政府では赤字続きの国営産業を、民間に払い下げ、財政の再建を計っていた、「品川のガラス工場など、幾つかの物件で、すでに引き受けを希望する者が名乗りを挙げてきています!」、農商務卿・西郷従道(つぐみち、隆盛の弟)が訊いた『富岡製糸場は?如何だい?』、規模が大き過ぎる!、まだ何処からも!、如何します?このままでは、赤字だけが膨らむことに!・・・

その頃、萩の杉家では、美和の兄である民治(みんじ)が近所の子供たちを集めて、松下村塾を再開していた、『いいか、心を込め、一つ一つの字を、シッカリと書くんじゃ!』、はい!はい!はい!、ええか!、だが、油断も隙もあったもんじゃない!民治の目をすかさず盗んでは、墨を障子に塗りたくったり、落書きしたり、悪ふざけをしたりで民治の手も及ばなかった!『こら!こら!ちいとは真面目に勉強せんか!座れ!もう、ここら近所の子供は気ままでイカン!』民治は相当手こずって居った、亀「あっははは、旦那さまも手を焼いてるようです!」、滝『やけど、よお、また始める気に成ってくれました!』、「寿さんも、そうでした、松下村塾を絶やしちゃいけんと!近所の子供たちに教えておいででしたから!」、“松下村塾はわたしが守ります!痒序(ようじょ)・・学校を設け、為して、以て、これを教う!”、滝『その思いは、美和も同じ、やから、群馬の地に学びの場を!』、亀「この御本、お役に立つとええですねえ!」、『家族の思いは,イッツでも一つにつながっとるんです、そう思えば、さみしゅうない!』と二人は梱(こおり)に本を詰め、美和へ送る荷づくりをしていた・・・

おんな達の学びの場に船津伝次平が講師に招かれ、飯炊きの料理教室を開いていた『まず、湯が沸騰したら、杓子(しゃくし)で縦と横に2,3回かき混ぜて、また蓋をする、火は、初めは強く、ガラガラ音がすりゃあ、火を弱く、しゃあ、しゃあ!音がすりゃあ、火を消す!今までは、一升の米を炊くんに、三十分ほどかかっていたが、この方法だら、十八、十九分で済む!』、何と何と !、そこへ楫取と工藤がやって来て、凄いですねえ!と驚いた、こんなに集まってるなんて!、船津『ええか、経済的な効果もある!仮に、一日150匁(もんめ、3.75グラム)薪を減らすとすりゃあ、5文(もん、1文は寛永通宝1枚)ほどだ、じゃあ、一年なら?一圓八十二銭の節約になる!』、あ~~~!、工藤「生活の実技が学べることも、人気の一つの様です!」、それは、ええかもしれんなあ!・・・

その夜の夕飯時、船津の炊飯講義の成果が出た、楫取は思わず美味い!叫んだ『こねえに、おいしゅうなるとは!』、美和「うう、本当に美味しい!実技の勉強はおうちの方にも好評の様です!」、『考えて居ったんじゃが、女の子たちの就学率は、まだまだじゃ、あの学び場の様に、生活に役立つ実技も学べる学校を創れば、親達も喜んで通わしてくれるんじゃないかと!』、それは?、『女児のための学校を創るんじゃ!』、「女の子たちの学校や何て!それこそ夢のようです!」、『では、力を貸してくれるか?』、はい!・・・早速、楫取は“女児学校設立ノ儀案”を県議に提出した『公立の女児学校をこの群馬に創りたい!読み書きの勉強だけでなく、生活のための実技も学べる初めての学校を!』、すかさず阿久沢が発言した『賛成です!代々この地のおんな達は、群馬の生糸を伝え、発展させてきた功労者である!その女達を養育する学校が出来るんは、大いに喜ばしいことではないか!』、県議のあとで鈴木が権蔵に言った「これも時代の流れですか?」、その通り!・・・

美和が学び場に“修身説約一”なる物を持ち込んでいた、恐らく寅次郎の愛読書だろう、そこへ、何時もの様に、おせいさんが一束の花を持って来てくれた『女の子たちの学校が出来るんだってねえ!皆んな、楽しみにしているよ、娘を通わしたいてね!』、美和「早速、県にも問い合わせが来とるようです、ほんと、良かったです!」、『実現したんは、美和さんが母親たちの、この学びの場を創ったからだいね!』、「否、そねえな、わたしはただ、皆さんが勉強するお手伝いをしとるだけですから!」、美和は修身説約などの本を包んだ風呂敷包みを用意して出かけようとしていた、せい『あれ、お出かけかい?』、今から県庁へ、兄から女児学校の教科内容をまとめて、提案する様にと言われて、実技として、ここで教えとる料理、裁縫や野菜の育て方などを取り入れた授業内容にしたいと!」、『本当に美和さんのこと、頼りにしてるんだいね!』、「否、姉と最後に約束したんです!」、約束?、「一つは、おんな達の学びの場を創ること、もう一つは、どねな事があっても、兄を傍でシッカリ支えること!」、せいは花を活けながら呟いた『駄目なんかねえ?お似合いだと思うんだけどねえ!』・・・

県庁を訪ねて来た美和を中原復亮が勧業課執務室に通した「県令殿、美和さまが来られました!」、『ちいと待っとってくれるか?』、そこへ庶務課の職員が来て、職員の諸手当の件でやって来て、書類の御目通しを楫取に願った、『分かった、あとで見て置くから!』、また職員が来て、安中(あんなか)方面への視察の件の確認を頼んだ、また別の職員が、女児学校建設の概算が出たとやって来た、何時ものこと乍ら、楫取は多忙な執務をこなしていた!この日はまだましの方だと、中原が美和に言った、これでですか?、中原「はい、その合間に、草鞋履きで村々に出かけ、子供たちを学校に行かせてほしいと、頼んで廻っていらっしゃるんですから!」・・・職員会議が終わり楫取はやっと美和と対面し、美和がまとめて持ってきた女児学校の教科・授業内容に目を通し、分からぬ処は美和に尋ね聞いていた、それを阿久沢が執務室から眺めていた・・・

その夜、権蔵は夕食後の一杯をやりながら洋間でくつろいていた、おせいさんが熱々のおつまみを運んできた、権蔵『あの二人も、熱々でお似合いじゃないかい!』、県令様と美和さんのことですか?、『ああ、馬車の両輪みたいなもんさ!俺とおめえみたいに!』、あっははは!、『俺たちも二人して、ここまで、やってきたんだ!どっちが欠けても、無理だっただんべ!まあ俺はお前の手のひらの上で、転がされていただけかもしんねえけどな!』、まあ、良く言いますよほほ、分かってて転がされているくせに!、わっははは、さあ、さあ、権蔵が、せいの大盃にナミナミと酒を注いでやった、グビグビとやって、せいが言った『思うんですけどね、あの二人、ご夫婦になったら如何ですかね?』、何を馬鹿なことを!、どうしてです?、『どうしてって、お亡くなりになった県令殿の奥様は、美和さんの姉上だろう?』、『そのお姉さまが、それを願っているような気がするんですよ!あの約束は、そう云う意味なんじゃないかとねえ!?』せいは美和が話してくれたことを思い出していた、“姉と最後に約束したんです、どねなことがあっても、兄を傍で、シッカリと支えること!”・・・

一方、県令屋敷では楫取が机にかじりついて、女児学校設立の件案を煮詰めていた、それを傍で美和が眺めながら言った「遅うまでかかりそうなんですか?」、ああ、美和は楫取のために夜食として握り飯を作り始めた、ひと段落就いた楫取は、そっと引き出しから寿の最期の手紙を取り出して読み返した、“わたしが死んだあとは、美和を妻に迎えて下さい!”・・・翌朝は公休日の様だった、美和が寿の位牌に手を合わせたあと、何やら縫物を始めていた、そこへやって来た楫取に美和が言った「あっ、兄上、今日はゆっくりお過ごしください、ちいと、働き過ぎですから!」、もう、慣れて居る!、「いいえ、あねえに、せねばならぬ事があるとは!お仕事をまじかに見て、その大変さが、よう分かりました!」、『わたしのことより、お前のことじゃ、話があるんじゃ!』・・・

丁度その時、表の方から「御免下さい!」と声が掛かった?は~~い!美和が出た、ななな~~~んと!そこには、高校生ぐらいだろうか?成長した辰路の子、秀次郎が立っていた!「母上!お久しぶりです!」と頭を下げた、「えっ、秀次郎?」美和の亡き夫・久坂玄瑞と芸妓・辰路との間に生まれた秀次郎であった!・・・正座して秀次郎は楫取と対面した、お茶を注ぎ乍ら美和が言った「何時も手紙をありがとう!」、楫取『京都の学校で学んでいると聞くが!』、はい!、「子供の頃は、やんちゃで、みんなを困らせとったのに!」、一次、萩の杉家に預かった頃、竹刀を持って秀次郎の教育者を買って出た美和の叔父・玉木文之進を馬鹿にして困らして居ったあの秀次郎である、美和「こねえに立派になって!」・・・

秀次郎「母上がいっつも、仕送りをして下さり、学校のことなど相談に乗って下さったお蔭で、こうして勉強を続けて居られます!また楫取様からお手紙を頂きましたので、ご挨拶に参りました!」、楫取『久米次郎には楫取家を継がせることにした、秀次郎は正式に久坂家の跡継ぎじゃ!』、有り難う御座います!秀次郎は、楫取に深く頭を下げて礼を言った、「父・久坂の家を継げ、こんなうれしいことは在りません!」・・美和「そねな他人行儀な事は止めて!それで秀次郎は今、どねな勉強を?将来は何んをしたいと思うとるんですか?」、秀次郎は言った「わたしは医者に成りたいと思うてます!」、そうですか!お医者さんに!、『久坂家は元々、藩医を務めとったからな!あいつも喜ぶじゃろ!』、はい!・・・さあ、急いで夕飯食って、加古川混声のセッションに出掛けねば!・・後編へつづく

 

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3年ぶりに柴山カニぐるめツアーが再開される! 2015年11月29日

2015-11-29 19:35:24 | 日記・エッセイ・コラム

先日、加古川ニッケパークタウンに行くと、ニッケレポス・センターブラザには、nikkerepos 11th Anniversary Christmas Saleの飾りつけがスッカリ出来上がっていた!いよいよ今年も、年末間近となった・・・

小生、昨日、長野市ビッグハットで行われたフィギュアスケート・グランプリシリーズ最終戦“NHK杯”男子フリーのテレビ中継に酔いしれた!あの完璧な着氷、完璧な滑りを魅せた羽生結弦(ゆづる、20歳、東北高、早大eスクール在学、ANA)の異次元的演技“陰陽師安倍清明”に魅了された!何と、羽生はパトリック・チャンが持つ最高得点295.27を超える300点越えを果たして、前人未踏の322.40(ショートプログラム106.33+216.07)を獲得した!☆そして、グラブプリ・ファイナルinバルセロナ(12月11~13日)に、村上大介(24歳、陽進堂)と宇野昌磨(しょうま、17歳、中京大付属中京高)と共に参加して、三連覇に挑戦することとなった!・・・

女子では、ショート・プログラムを首位69.53で終えた宮原知子(さとこ、17歳、大阪・関大高)が、フリーで133.58の演技でまとめ、これまた女子トップの203.11で初優勝を果たした!そしてNHK杯3位(SP62.50/FP120.49/182.99)の浅田真央と共に、GPファイナルinバルセロナへの初挑戦のチャンスを掴んだ!・・・もう一つのビッグニュースが伝えられた、昨日の八王子ロングディスタンス男子10000m決勝で、村山謙太(駒沢大、旭化成)の双子の弟・村山紘太(22歳、宮城・明成高、城西大、旭化成)が27′29″69と云う日本新記録を14年ぶりに樹立した☆これは2001年に高岡寿成(としなり、45歳、京都・洛南高、龍谷大、カネボウ)の日本記録27′35″09を5秒40も更新する大記録となった!・・・

此度の柴山カニぐるめツアーは今年1月31日に亡くなった愛犬サクラが要介護犬に成って以来、3年ぶりの再開となった、今回のカニぐるめツァーは、亡き長男の追悼ドライブにもなった、今朝8時半に、次男が運転するスズキ・ジムニー・クーペに小生と家内が乗り込んで加古川を出発した、紅葉遅れる播但道を北上し、コウノトリ但馬空港越えして、佐津へ抜け、178号線をひた走り山陰海岸の松葉ガニ荷揚げ漁港・柴山にある民宿カニの宿“ひさや”に10時50分頃到着した、エビ・イカ刺身、カニさしみから、しゃぶしゃぶ、蒸し蟹、カニ鍋、カニ雑炊、柿・リンゴのデザート、珈琲まで、カニ料理のフルコースを堪能し、満腹になった!・・・

         

“ひさや”をあとにして、但馬漁り火(いさりび)ラインから山陰ジオパークロードを西へ西へ鳥取に向かった、余部、新温泉町、浜坂町、七釜温泉、栃谷トンネル、居組トンネル、七坂トンネルを抜け、陸上(くがみ)橋を渡ると、そこには、亡き長男がサーフィンのホームグランドにしていた東浜海岸が広がっていた、この海岸に来るのは二度目であった、前回7月終わりの海は浪一つなく、凪(な)いでいたが、今日の東浜にはサーフィンには最高の高い波が、波しぶきをあげながら押し寄せていた!加古川から持っていった花束を岩場に献花して長男の御霊に手を合わせた(祈り)・・・

              

東浜に別れを告げ、そこから更に西へ進んで、来年の五月に散骨を直接会って、お願いするため賀露の港にある渡船屋さんへ向かって行った、浦富海岸から長男が気分の悪さを感じて、自らかかった岩美病院のある岩美を抜け、白兎(はくと)海岸、砂丘海岸、鳥取砂丘、こどもの国、砂丘トンネルを抜け、搬送されたが帰らぬ人となった鳥取中央病院を見ながら千代川を渡った、そこを41号線沿いに西に進み賀露大橋を渡ると、賀露の漁港が観光・商業センターと共に広がっていた、そこでカニのお土産を買ってから、紹介された渡船屋さんに電話した、一文字灯台近くの事業所を捜しあて訪ねた、そこから直ぐ目の前の一文字波止場に渡船が3席ほど係留されていた、5月から9月までは海は穏やかで散骨に適している様である、5月のゴールデン・ウィーク明けの日曜日正午12時から14時を目途に決めて、後日、渡船屋さんに指定日を連絡することを約束して、帰路に着いた・・・

                        

鳥取市街はノロノロと長蛇の交通停滞が続いた、そんな中、やっと鳥取自動車道に辿り着き、一路、中国縦貫道の佐用インターへ向かった、そこから播但道の福崎インターへ進み、播但道を姫路・加古川バイパスまで南下して行った、加古川の町に帰ったのが夜の帳がとっぷりと降りた7時前になっていた・・・ラグビーブームは男性だけのものではなかった、香港大会で優勝し、今日、秩父宮ラグビー場で行われた日本大会決勝でも、サクラ・セブンズはカザフスタンを14-7で破り優勝を果たした!そしてリオ五輪女子7人制ラグビーの五輪切符を勝ち取った!・・・花燃ゆ第48話“富岡製糸場の危機!”の前編と後編は、明日以降にお届けすることにしよう、悪しからず!(-_-)zzz・・・

 

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認知症早期診断に欠かせない画像検査☆ 2015年11月25日

2015-11-25 15:37:54 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、今にも雨が降りそうな、どんより曇った暗い空のもと、2か月毎のPSA経過観察のため、加古川医療センターへ詣でた、今日の採血室は取り分けより密に混んでいた!小生の順番を待つ間、直ぐ目の前の放射線検査受付(Radiological Inspection Reception)横の掲示板に引き付けられた、そして、そこに張られた“認知症早期診断に役立つ画像検査”のお知らせに目が行った、小生には幸い、まだ認知症の兆候はないものの、最近、物忘れがひどく成り、つまらん勘違いするなど認知能力も落ちて来たような気がする!誰でも、早かれ遅かれ、その日がやって来る!他人ごとではない・・・

認知症には三つのタイプが在る、前頭葉を中心に全体がが侵される“脳血管性認知症”/頭頂葉下部の海馬(かいば)、頭頂葉内側の楔前部(せつぜんぶ)、頭頂葉後部の帯状回後部(たいじょうかいこうぶ)に広がる“アルツハイマー病”/パーキンソン病に特徴的な“レビー小体”が大脳皮質に多数現われ、神経細胞を侵す“レビー小体型認知症”の三つであり、異常が現れる“脳の部位”が異なっている、この三つのタイプの認知症に侵された脳の部位に、CT/MRI/SPECT/PET、4つの画像検査を取り入れることによって、三つの認知症のタイプをより正確に診断すること事が出来るのである!例えば、アルツハイマー病の臨床診断のみで、診断できる確率が約65%だったのが、画像検査を加えると、診断確率データーが約84%に上がったと云う!凄い・・・

では、四つの画像検査を一つ一つ見てみよう、X線で脳の輪切り断層画像を撮影するCT(Computed Tomography、シーティ)検査では、脳の萎縮や脳梗塞など、脳の形態を調べることによって、脳血管障害や脳腫瘍を診断できる!/透過能力の高いガンマ(γ)線を検出し、脳の血流を調べるSPECT(Single Photon Emission Computed Tomography、スペクト)検査では、楔前部(せつぜんぶ)や帯状開口部(たいじょうかいこうぶ)などの血流の低下が分かり、早期のアルツハイマー病の診断に役立つ!また、eZIS(easy Z- score Imaging System、脳血流SPECTの画像変化統計解析手法、イージス)を使えば、早期段階からの軽度認知障害の頭頂葉血流低下の段階的変化の様子が手に取るように分かる!・・・ 

磁気を当て脳の断層画像撮影するMRI(〈nuclear〉Magnetic Resonance Imaging、〈原子核〉磁気共鳴画像、エムアールアイ)検査では、アルツハイマー病による脳の萎縮や、頭頂葉下部の海馬(かいぱ)の萎縮などの細かい形態を確認できる!/その他、ガンマ線の照射で、ポジトロン陽電子を検出して脳の糖代謝の能力を調べることが出来るPET(Positron Emission Tomography、ポジトロン陽電子放射断層画像撮影、ペット)検査がある、今の処、PET検査によるアルツハイマー病診療に対しては、健康保険の適用がされないようである?何でだろう?何でだろう?ななな何でだろう?・・・

採血を終え、診察ファイルをDカウンターに提出してから、何時ものアンギオ室前で窓越しに見える風景を眺めながらストレッチを済ませた、時間を見計らって診察室の前に行って順番を待った、やがて小生の診察番号が表示され主治医から、今日のPSA数値を聞くと、前回9月30日の0.973から、何と、0.902ng/mlに下がっていた!やれやれ、これでPSAの値も落ち着くだろうと、小生は願っている、主治医もそう診断してくれた!・・・

  

あっ、これまでなら自分の診察番号が掲示されてから、列に並んでお会計を済ましていたが、カウンターを挟んで、ピッカピカ、ブランニューの診療費支払機2台が備え着けられてあった!診察券のコードを読まして、窓に提示された金額を機械に挿入すれば簡単に会計を済ますことが出来た!今日のビアン・モール外来食堂のおすすめメニューの定食620円は、Aランチが“メンチカツと野菜コロッケ”で、Bランチが“鮭のソテークリームソース”だった、魚好きの小生はBランチを頂いた!う~~ん、うめえのなんのって!(*^_^*)じゅるり・・・2時半頃にジョグして帰宅したが、雨は何とか降らずにもった!夕方頃から降り始めていた・・・

   

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維新・花燃ゆ、第47話“姉妹の約束!~後編” 2015年11月23日

2015-11-23 19:51:46 | 日記・エッセイ・コラム

群馬の水沼製糸所では、揚げ返し場(糸の巻き戻し場)が急ぎ増やされ、アメリカへ送る生糸の生産に追われていた、楫取はあちこちの製糸工場(こうば)から生糸を掻き集めようとしていた、楫取『群馬の、日本の未来が掛かっとるんです!お願いします!』、東京から群馬に帰って来た美和も、生糸の出荷作業で大忙しだった!せい『やってるねえ!まだまだ、人出が足りないんじゃないかい?』、はい!、『そうだと思って、みんな連れて来たよお!』、阿久沢商会の女将さん連中の軍団だった、せい『じゃ、始めるよ!』、はい!、よしやるべえ!、県庁からも大勢の職員を工藤が、助っ人にと連れてきてくれた、有り難う御座います!すべて、選りすぐりの綺麗な生糸ばっかりが集められていた!・・・

県庁では皆にのけ者にされた権蔵も駆けつけてきて出荷作業の様子を眺めていた、おせいさんが旦那に気が付いて声をかけた『こんなとこで何を?』、権蔵『勝手にやらゃあ良い、わしは知らねえ!』、せい『おやおや~~、旦那様が一番に乗っかると思っていましたに!』、何に?、『これこそ、飛びっきりの大博打(ばくち)ではありませんか!』、大博打?、『はい!群馬の未来をかけた!』、権蔵は急にニヤニヤし始めた・・・外回りしてきた楫取と中原に星野が「如何でしたか?」と訊いた、楫取『何軒か卸してもらうことになった!じゃが、まだ足りん!』、中原「もう納期を遅らしてもらうしか!」、星野『それは出来ません、約束を守れないことに成ってしまう!』、じゃが、もう、如何することも!、そこへ積み荷満載のデッカイ荷車を、相撲取りのような大男が引っ張ってやって来た、権蔵も一緒で、阿久沢商会の法被(はっぴ)を着た従業員たちだった!・・・

権蔵が貯め込んだ隠し在庫の生糸か?阿久沢が楫取に言った『これをお使いください!』、これは?、阿久沢『知り合いの製糸工場で作った生糸です!品質も折り紙付きです!わたしは、目の前で儲けが見える博打(ばくち)が好みですが、県令殿は直ぐには観えねえ大博打がお好きなようだいな!そうと分かりゃ、わたしもお手伝い致します!宜しいですか?』、楫取『はい!勿論です!』、二人の大物が意気投合した!、それを観て、おせいさんが美和に言った『狸おやじには違いありませんけど!』、ふふふ!、『あれで、なかなかイイ男なんですよ!うちの亭主も!』、ねえ~~!、そして、大量の生糸が、横濱へと送り出された!、いってらっしゃい!皆んな、嬉しそうにその積み荷を見送った、星野『横濱からは船便!あとは、ニューヨークに無事と届くのを待つだけです!』、ああ!・・・

美和が楫取に声をかけた「兄上!その間に東京へ!」、うん?、「姉上の病状が心配なんです!」、『じゃが、まだ、ここを離れるわけには!直輸出が巧く行くか大事な時、それに囚人たちの事もある!観て回ってやらねば!』、「では、そのお役目、わたしに、やらしてつかわさい!代わりに、ちゃんと見て回ります!何かあったら、直ぐに報告もします!やから、どうか・・」、権蔵とおせいさんが、楫取と美和の話を聞いて居た、権蔵『美和さんの言う通り!ここは行かれた方が良いかと!』、せい『そうですよ!わたし達も美和さんと一緒に、あとのことは、ちゃんと、面倒見て置きますから!』、うんだ!うんだ!星野も、工藤も、中原も、周りの者達も賛成した、楫取は折れた『では、頼みます!』そして楫取は寿に会うため、東京へ行くこととなった・・・

翌日から美和たちは手分けして囚人たちの見回りに当たった、まず美和は、囚人たちの繭の選り分けや、養蚕作業を見廻った、ナツが来て言った「内の亭主より、よっぽど頼りになるがね!」、そうですか!、「それに、鹿児島のおっかさんに手紙を書いたって!わたしを観て、思い出したっつうがね!」、きっと、喜んでいますねえ!その御母上も!、やがて、“おんな達の学びの場”の開校準備が整う日がやって来た、『来たよ~~~!陣中見舞いだ!』おせいさんが旨そうな柿の切り実を沢山持って来てくれた!美味しそうだねえ!、せいが美和に感心した『けど、何にもない処から、よ~~く、ここまでやったいねえ!』、美和「萩の実家にも、こねな学びの場があったんです!」、うん!、「母親たちに、こねな場所を創りたい!それが姉とわたしの夢!」、せいが訊いた『それで、奥様の方のお具合は如何だい?何か知らせてきてた?』、それが・・、『余り良くないんかい?』、「萩から兄の長男夫婦が駆けつけて来とるそうです!」・・・

美和が、おせいさんに話したように長男・小田村篤太郎(とくたろう)と、その嫁・多賀子が、楫取と共に東京の楫取家に、見るからに衰弱した寿を見舞っていた、楫取が『寿!』と声をかけた 、か細い声を振り絞って寿が言った『こうして、旦那様や、息子たちが居てくれて・・』、母上!、母上!、『多賀子さん、篤太郎の事、宜しくお願いしますね!』、はい!とうなずいた、『久米次郎、・・』、「わたしのことは心配いりません!父上がちゃんと考えてくれました!」、楫取『久米次郎には、楫取家を継がせる積りじゃ!』、寿『良かった!はあっ・・これでもう、思い残すことは、ありません!』、寿が身を起こそうとした、楫取が抱き起してやった、『旦那様・・』、何じゃ!、『旦那様と夫婦に成り、二人の息子にも、恵まれ、わたしは、本当に、幸せでした!』そして大きく息を吸って、眠るように楫取の腕の中で、寿は静かに息を引き取った、寿!、母上!、母上!・・・

群馬の前橋では、美和が、空き家だった借家が、学びの場に蘇って、美和はその庭の樹に“明治十四年学びの場”と書かれた木の札を架けた、美和は東京の寿姉に語り掛けた「やっと、出来ました、約束の学びの場です!早う、見に来てくれんと!」、すると、風と共に『美和!』と呼ぶ寿の声が流れてきた??美和は辺りを見渡して「寿姉?」と呼んだ、寿がまた言うた『思うた通り、おやりなさい??』風が激しくなり、静まった、その時、中原がやって来て、電報を美和に手渡した「奥様が!」、えっ??、寿姉の死を知った美和はその場から動こうとせず、何時までも独り、寿への思いに沈んでいた、おせいさんが梅の花を手桶に入れて持ってきた、せいは拝むように深く頭を下げた、『奥様の事、伺いました、何と申し上げて良いか・・』、美和「この学校が出来るのを、楽しみにしていたんです、やのに・・」、せいは美和の横に腰かけて言った『きっと、見守って下さいますよ!』せいは梅の枝を美和に持たせた『美和さんや、ここで学ぶおんな達をね!』美和は梅乃花を抱いて泣きつづけていた、おせいさんが美和の背中に優しく手を添えてやっていた・・・

東京の楫取家には椿のような?薔薇のような美しい淡い紅の花?が活けてあった、その傍で、楫取が独り、座っていた、久米次郎が来て、手記の様なものを「母からこれを預かって居ります!」と言って、楫取に手渡した、「自分が亡くなった後、父上に渡すようにと!」、そこには“ 旦那さま 寿 ” と書かれていた、久米次郎は部屋を出て行った・・・楫取は独りそれを開いて、群馬へ帰るクーペ馬車の中で読んだ“わたしが死んだあとは、美和を妻に迎えて下さい!”・・・その頃、美和はおんなの学びの場で、授業に打ち込んでいた、生徒がどんどん増えていった、『花開く、百花(ひゃっか)の蝶となり、実もまた食ふべし皮もまた効用有り!』・・・

花燃ゆ紀行・・・群馬・前橋市内を流れる利根川の畔(ほとり)には、楫取の呼びかけにより建設された迎賓館“臨江閣”が建っている、この臨江閣の近くに在る“楽水園”と云う屋敷を楫取が借り受け、寿と美和と暮らしていた、寿は人心が荒いと言われるこの地で、少しでも楫取を助けようとして、仏教の教えを説く説教所(現、正覚山・清光寺)を創り、群馬県人の心の安定に一役買って出た、しかし中風と云う病(やまい)に倒れ、東京での治療も甲斐無く、明治14年1月30日、寿は43歳の若さで亡くなり、亡きがらは東京・港区の墓地に眠っている、楫取の手紙には、“臨終まで着用候衣類、これを洗い候は誠に惜(お)しく、とかく涙の種にござ候”と愛する妻を失った深い悲しみが綴られている!激動の時代に奔走する夫を支え続けた寿だが、その寿の死は、美和の人生にも、大きな変化をもたらすことに成るのであった!・・・ 

 

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維新・花燃ゆ、第47話“姉妹の約束!~前編” 2015年11月22日

2015-11-22 14:23:00 | 日記・エッセイ・コラム

昨日21日、3位決定戦を最後まで観ていた、7回裏に秋山翔吾がライトへ2ラン放った時点で、点差が10となり、侍ジャパンは、寄せ集めのメキシコを全く寄せ付けずに、1-11×でサヨウナラ・コールド勝ちした!そして“WBSC(World Baseball Softball Confederation、世界野球ソフトボール連盟 )Premium 12” で銅メダルを獲得した!思い出したくもない19日の韓国とのセミ・ファイナルでの悪夢の敗北の悔しさは晴らすことないが、それなりの賞金40万ドル(4800万円)は入ったのでは!?金メダルなら100万ドル(1億2000万円)だったのだが!是非、格上の第4回WBC(World Baseball Classic)2017で世界一を奪還して貰いたい!または4年後、2020東京五輪の選考大会になるであろう2019WBSC Premium12で金メダルを目指せば良いさ!今大会の金メダリストは8-0でアメリカに完勝した韓国だった!・・・

8時35分、大阪ダブル選挙は大阪維新の会が圧勝したようだ!大阪府知事は松井一郎氏が他を圧倒して早々70%開票時でも再選確実となった、また大阪市市長も開票前の出口調査だけで大阪維新の吉村洋文氏が他を大きく引き離して当選を確実にした!さすが大阪維新だ、それを望んで大阪維新を何年も支持してきた小生も、大慶至極に思い、心から祝福したい!この勢いで大阪維新の支持者が全国に広がり、野党第一党となって自民党の暴走を止められるの中心的存在となって欲しい、そして“身を切る改革!実のある改革!”の精神を持って、非正規のない雇用と、日本国民がゆとりを持って物が買える消費需要の力を伸ばし、物が売れる経済を地方から活性化し、低迷する不景気から脱出する流れを呼び込んで貰いたい!大阪維新の会!ばんざ~~~い!ヽ(^。^)ノ・・・

花燃ゆを始めよう・・・美和は空き家を借りて、おんな達の学びの場を創ろうとしていた、一方、楫取は工藤長次郎と中原復亮と共に、養蚕・製糸業の場に鹿児島・熊本から引き取られた囚人たちの仕事ぶりを見て回っていた、器械式製糸場“水沼製糸所”を営む星野長太郎も、新たな働き手を得て喜んでいた、農家の養蚕共同組合結成も、揚げ返し場設置の普及も進んでいた、人と人との絆が深まり明るい未来が見えて来た・・・“母の気持ちが分かるなら、今すぐ、県令屋敷を出て行ってほしい!”と久米次郎が書いて来た手紙の事で、美和は、学び場づくりを手伝いに来た、おせいさんに相談に乗って貰っていた、おせい『そんな手紙が息子さんから?』、美和「そのことで一度、東京に行こうかと思うとるんです!」、おせい『お姉さんに、如何思ってるんか、会ってちゃんと聞いて来たほうが!』、はい、やけど折角ここに、学び場を創ろうと云う時やのに!、『ううん、何言うさ、あとは、ちゃんとしとくから!』・・・

そこへ、トメとキクも掃除の手伝いにやって来た、ありがとう、トメさん、キクちゃん!、「よし、やんべい!」、頼んだよ!、『皆んな、楽しみにしてんだ、この学校が出来るんを!』、はい!・・・その夜の夕飯時、美和が楫取に話した「兄上が待たれようとしとった事が、ひとつ、ひとつ、形に成って来たんですね!」、ああ!、「そねな時に、申し上げ難(にく)いんですが、一つお願いが!」、何じゃ?、「姉上のお見舞いに行きたいんです!」、寿の?、「東京に療養に行かれてから、まだ一度も訪ねて居らんので、気になっとって!」、『わたしも見舞いに行ってやりたいと思うとったところじゃ!寿も喜ぶじゃろ、行ってやるといい!それと、久米次郎の様子も、見てきてくれんか!あいつも司法省で働き始めて如何しとるか?』、はい!・・・

そして、美和は東京の楫取邸にやって来た、御免下さい!、はい!女中が迎えた、何方さまで?、寿の妹の美和です、姉に会いに!、そこへ久米次郎が帰宅した「何をしに来られたのです?帰って下さい!どれだけ母を苦しめる積りですか!」、そねな!、相変わらず美和に対しては冷たかった、中から寿が久米次郎を呼んだ、美和が来とるんですか?・・・病床で寿が言った『まさか、見舞いに来たと云うんではありませんよね!わたしは、群馬を発つとき、美和には、旦那様の事をお願いしたはずです!』、そうなんですが!、では、どうして?、久米次郎「わたしが送った手紙のことなんでしょう?」、手紙?、「あの家から出て行ってほしいと書いたんです!」、寿『如何してその様な事を?』、「当然です!父上のお側に居られるべきは、母上です!この人ではありません!この人が居るから、母上はもう要らんのかもしれないなどと、おっしゃるのです!」、姉上!、寿『久米次郎、美和と二人にしてくれんかね!』・・・

女中が美和にお茶を差し出して退席し、寿が言った『久米次郎が言うたことは、本当の事です、この身が情けなかったんです!旦那様のお側でお世話をしたいのに、動けんこの身!それで、ふと口をついて出てしもたんです!』、姉上!、『やけど、羨(うらや)む気持ちが無いと云えば嘘になります、旦那様は、わたしには、それは、それはお優しくしてくださいます、手紙もよう、送ってくださって、身体の事も、いっつも、気にかけてくれて、やけど、心配のことや辛いお気持ちは、打ち明けてはくださらない!美和、貴女には違います、妻のわたしに、話せんことも、美和には話せるんです!旦那様がお仕事で、どれだけご苦労なさっとるか、そのお心の内を少しでも、分かってくれとる人が側に居ることは、本当に有り難いと思うて居るんです!やから、妬(や)けるぐらい感謝しとるんです!』、「姉上!兄上は寿姉のことを、誰よりも大事に思うて居ります、それは、側に居るわたしが、一番よう分かって居ります!」、ありがとう!、渡り廊下越しに、それを久米次郎が眺めていた・・・

中庭の見える縁で、美和は寿姉の御髪(おぐし)を解いてやった、寿『直ぐに戻って貰いたいんやけど!』、美和「折角、来たんです、姉上のお世話もさせてつかわさい!」、『あ~~、今日は気分がええ、こねな時は、萩の事など、よう思い出します、あの松下村塾の事も!』、「寅兄に教えてもらいたいと、塾生の人達が毎日、大勢やって来て、お蔭で毎日毎日、どれだけ、握り飯をこしらえた事か!」、『美和は今、その寅兄様の志しを引き継いで、群馬に学びの場を創ろうとしとるんですね?』、「はい、まずは母親たちの学校を創る積りです!」、『子供を育てるんが母親、まず、母親が学ぶことこそが大事と、寅兄様もよう言うとりましたな!』、「姉上も病気が治ったら、是非、手伝うて下さい!」、『勿論です!わたしたち姉妹で、母親たちの松下村塾を創りましょう!』、はい!、『今まで、わたしの生き甲斐は、妻として母として勤めることでした、やけど、これで、もう一つ見つかりました!』、姉上!・・・

その頃、群馬では揚げ返し場の建設が着々と軌道に乗っていた、そこへ、ていへんだ!ていへんだ!飛び込みの伝令係・工藤が 駆けてきて生糸の価格の暴落を伝えた、そんな時、楫取が決まって云う『なぬ~~?』、その頃、世界は大不況(1873~1896年)に見舞われ諸外国の物価は低落した、横濱の商館でもしかり!、I can't sell any less!I make no profit!(これ以上安くはうれません、これでは利益が出ません!)と日本商社は出た、すると横浜商館はこう出た、If don't make it any cheaper,guarantee no one ever buy it!(もっと安くなければ、世界では売れない!)、そのために、日本の輸出の頼みである生糸“Maebashi Silk”の相場も下がっていたのである!星野が言った「早急に対策を取らねば!」、楫取『生糸は今や、日本最大の輸出品!このままでは、群馬だけではない、日本の経済そのものが危機的な状況に陥る!』、中原「何とか、手立ては無いんですか?」・・・

楫取が星野に訊いた『渡米した新井君は如何してる?』、星野『弟は今、ニューヨークで日本副領事の紹介状を持って、生糸商人を訪ね歩いているんです!』・・・アメリカ合衆国の新井領一郎は、有力な生糸商人、リチャードソンと交渉をしていた、Gunma Silke is the finest quality in the world. But if not this quantity ,can't check quality.(群馬の生糸の品質は世界一です、これだけの量では、品質を判断できない!)、Are you not (to)make it enough to weave a cloth?I like to see that staff!(布を織るに十分な生糸を目にしてみたい!)、新井『Certainly!however you prefer!(はい、お好きなだけ)』・・・ 

そして、新井から“至急、見本となる生糸を送ってほしい!”との電報が楫取に届いた、早速、星野が自社で作った自慢の生糸を楫取に提供した、楫取『君の生糸に懸けよう!』、そこへ阿久沢権蔵がやって来て言った『わたしも拝見できますかな?』、阿久沢は星野の生糸の感触を両手で確かめてから言った『間違いねえですな、良い糸だ!では早速、横濱までの馬車をわたしの方で手配いたしましょう!』、頼みます!、『何としても、この契約を取り付けねえと!』・・・『さあ、どんどん馬車へ積み込め!』阿久沢商会から大量の生糸が横浜へ出荷されて行った、せい『旦那様が県令様を手伝うなんてねえ?』、権蔵『奴さんのやることなら、賛同できねえこともあるが、これは別だ!金儲けの臭いがする!さあ、急げ!』、へい!へい!、やれやれ!・・・

ニューヨークに届いた星野の生糸を、リチャードソンが新井の前で綿密にチェックしていた、そして新井に握手の手を差し伸べた、リチャードソンはこの生糸を観て、その品質の良さに、ガッテン!取引したいと申し出て、契約がまとまった!ところが、“前橋 上九百枚、ナレ七百六十枚”、その契約価格よりも、市場の生糸の値が高騰し始めたので有る!阿久沢さん、随分、生糸に高値が付いてますな!、番頭「何でも、ヨーロッパでの生産が減って、日本の生糸が、どんどん買われ始めてるらしいですよ!」、権蔵『ここまで値が吊り上がるとはなあ!?売れ!どんどん売りまくれ!』そこへ、阿久沢様!阿久沢様!、もう一人の飛び込み伝令役・鈴木栄太郎が駆け込んで来た「県令殿が、待ったを掛けました!」、何だと!・・・

阿久沢は県庁の楫取に殴り込みをかけた『どういう事ですかな?売りを待てとは!ここで売りまくりゃあ、今までの損失も回収されます!』、楫取『だが、リチャードソンとの契約が在ります!新井君の会社を通して、大量の注文が来ているんです!』、『ですが、その値が問題です!今の市場より格段に安い!』、契約で決めた金額です!、『そんな契約なんど、後回しにして、今、売った方が良いと申し上げているんです!』、楫取『そんな事をすれば、信用を失います!』、何を、馬鹿なことを!今、その儲けが手に入れば、どんだけ、この群馬が潤うか!、改まって楫取は阿久沢に説いた『我々は10年後!20年後!否、100年後の事を考えねばならんのです!リチャードソンとの取引が成功すれば、直輸出が盛んになるでしょう!そうすれば、この群馬の、否、日本の未来が開けるでしょう!』、星野が発言した『わたしも県令殿に賛同いたします!』、わたしもです!、わたしもです!、わたしもです!、わたしも!、我々も!、わたし等もです!、孤立した権蔵には返す言葉が無かった・・・

その頃、美和が東京の毛利家を訪ね安子に会っていた、『こうして会うのも、久しぶりじゃのう!』、はい、お元気そうで、何よりでございます、安子様!、『美和ものう、だが、群馬は大変じゃろう?』、いいえ、住めば都で御座います!、『美和が逞(たくま)しいのは分かって居る!』、そこへ「美和!」と言ってイケメンが入って来た、「興丸様??」守役として世話をした美和にあんなに懐(なつ)いてくれていた興丸であった!?あっ、今は元昭(もとあきら)様でした!こねえに、おおきゅうになられて!、安子『今は学習院に通って居る!』、さようで御座いますか!、美和は元昭が手にしているものに目が行き訊いた「それは??」、あっ、ラケットじゃ、今からテニスをするのにな!、テニス?、『西洋の羽根突きのようなものじゃ!ゆくゆくはテニスを日本に広めたいのじゃと!』、『美和も後で観に来ればよい!』、はい!、元昭はテニスコートへ出て行った・・・

「元昭様も夢を見付けられたんですね!」、『毛利家の跡取りにだけにとは、世も変わったものじゃ!』・・座り直して二人のおしゃべりがつづいた『美和、わたしは慈善事業を始めた!』、事前事業?、『何か人の役に立ちたいと思うてのう、孤児たちの養育所や、暮らしの立ちゆかぬ人たちの支援じゃ!』、安子様!、『美和を見ていると、わたしも何かせねばと焦るのじゃ!毛利家の奥方として、のんびり暮らせるのに、美和に出遭うたお蔭で散々じゃ!』、全くお変わりありませんね!、『えっ、それは褒めて居るのか?』、勿論で御座います!、あっははは!・・・

そして、群馬では、リチャードソンからの大量注文が入り、生産が追い付かない状況となって居た、慌ただしい出荷の現場に中原が星野を訪ねて来た「星野さん、如何ですか?出荷までに間に合いそうですか?」、無理だ!注文の数が多すぎる!・・・「県令殿、このままでは納期に間に合いません!」と工藤が楫取に知らせた、楫取『初めての取引だ、何としても期日までに間に合わせなければ、今後の信用に係わる!揚げ返し場の数を増やし、少しでも多く仕上げられるようにするしかない!急ぎ取り掛かってくれ!』・・・

後日、寿のもとに楫取からの手紙が届いていた、寿『美和が居らんで、大丈夫かと書いて送ったんです、そしたら、こねなことが起こっとるとの返事が!帰ってくれとは書いて居りませんが、そのお気持ちは分かります、美和、直ぐ戻ってやってつかわさい!』、やけど!、『わたしは大丈夫!美和がお世話をしてくれたお蔭で、胸の痛みも和らぎました、ありがとう!』、姉上!、寿は右手を差し出した、それを美和が握りしめた、『どねな事があっても、旦那様をしっかりと支えてあげて下さいね!そして、おんなの学びの場を創ることも、約束です!』、はい!、二人の姉妹は何時までも手を握り合い、微笑みあって別れを惜しんだ・・・部屋を出たところに、久米次郎が美和を待っていた、美和の顔が強張(こわば)っていた、「戻るんですね?」と久米次郎が声をかけた、「それが母の願いなら、もう何も言いません!」、美和「久米次郎、わたしは戻ります!」・・・後編へ

 

 

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