10日前だっただろうか?小生が登録している加古川市社会福祉協議会ボランティア・センターから電話があり、あるボランティア活動の予約をしていた、午前9時半開始で12時頃に終わる予定の“知的障害者・託児ボランティア活動”に参加してきた、その日2階の大ホールで、10時から12時まで“加古川手をつなぐ育成会の総会”が開催され、その総会の間、役員の父兄から知的障害の子供たちを託児室に預かり13人ほどのボランティアが面倒を見ると言うボランティア活動だった!・・・
その朝、早く家を出て福祉会館には9時少し過ぎに到着し2階へ上がった、ロビーは役員たちと子供たちで混雑していた、受付テーブルで登録を済ませた、だだっ広い畳の大広間が託児所として設けられていた、もうすでに一人のボランティアと二人の利用者が入って居た、すぐ横に大ホールがあって、そこに入ってみると、誰もいなくシ~~~と静まり返り総会の開始を待っていた、小生は、童謡が30曲ほど入力された絵本を聴いていた一人の女の子の横に座った!・・・
そのお母さんがやってきて、この子は興奮すると人を噛んだり、首を激しく振るのでポンポンと肩を叩くと止めると教えてくれた、そのままほっておくと首の頸椎を痛めるとのことだった、その通りにしてみると首を振るのをやめてくれた、ここに託児される子供たちは障害度が中度以上の子供たちが多かった、その子はカナちゃんと言って東播磨支援学校に所属する、なんと身長170cm近くはある大柄な17歳の女の子だった、よく見ると目を細めるところなど今シーズンも6セーブを挙げ好調のレッドソックスの上原浩治にそっくりだった!昔は養護学校なり養護学級と言っていたが、今は支援学校なり支援学級に統一されていた!・・・
やがて総会が始まる10時が迫ってきて、父兄たちは大ホールの中へ消えていった、託児室には20人ほどの利用者と13人のボランティアが揃った、子供の中には押し入れの中にこもりゲームをする子、大声を出して走り出す子、大声で歌いだす子、広間の中を常にうろうろする子供、勝手に部屋を出ていこうとする子供が居て、障害の種類もまちまちだった、しかし暴力をふるう子供は誰一人もいなかった、ボランティアは全員愛情をイッパイ注いで接していた!誰一人として叱りはしなかった!・・・
やがて受付テーブルにいた役員さんが入ってきて、好きなこと、こだわり、トイレでの介助、嫌いなこと、苦手なこと、何かして欲しいとき、したい時の援助の求め方、パニックの様子・原因・その係わり方、などなど利用者の特徴をプロファイルされた“サポート・カード”が配られた、また託児終了後、今日の託児を振り返って、担当ボランティアから、子供の様子などを依頼者の親に提出する提出用サポート・カードが配られた、同時に社協からお茶1本150ml、可愛いクッキーの詰め合わせの袋と金一封500円がボランティアに配られた!ありがたや・・・
11時過ぎからアスペルガー症候群の社会人と老人認知症教育にボランティアで携わっている一人の男性ボランティア69歳が、パソコンを持ち込んできて、アメリカ人、ロバート・マンチ原作“かしの木の子守歌(Love You Forever)”の翻訳本の読み聞かせをやってくれた!小児科医であり俳人である細谷亮太が日本語の文に起こし、伊勢英子が絵に表わし岩崎書店から出版されベストセラーになった名作である!恐らく利用者の耳には届かなかったが、ボランティア全員の心に届きジ~~~んと胸打った!・・・
『I love you!いつまでも私が生きている限り大事な大事な私の赤ちゃん、
I love you!いつまでも僕が生きている限り、あなたは僕の大切なお母さん、
I love you!いつまでも私が生きている限り、あなたは私の大切なお父さん、
I love you!私が生きていく限り、あなたは素敵な素敵な赤ちゃん、
I love you!私が生きている限り、ず~~っと私の宝物!』
と小生流に訳してみた、愛(いつく)しんで育てた子供も、やがて家を出て親になる、庭に立つ1本のかしの樹の葉っぱが、カサカサ音を立てて子守歌を奏でつづけ、世代を超えて永遠につづく親子の愛情を見守っていく!・・・
総会が長引いて1時少し前まで延長された、カナちゃんは無意識のうちに小生に向けて片尻挙げてブッ!とクッサイ屁を2発噛ましてくれたが、終始良い子にしていた、すべてが終わってお開きになったのが1時を大分過ぎていた、今日は総会だったが、役員会は月に1回あるようである!お呼びがかかれば、いつでも来たい!その日頂いた500円硬貨はJR加古川駅まえで高校生中心で行われていた“あしなが育英会奨学金”の募金箱に入り、何倍にもなって役立つことだろう!・・・
昨日の巨人戦に原監督は11年間広島でプレーしてきた大竹の寛(かん、30歳、浦賀学院高)べいを先発にぶっつけてきた!こんな日がいつか来るだろと覚悟してきたが、大竹とはやりたくない!広島ファンなら誰しも望んでいなかったろう、原監督に願いたい!今季1シーズンだけは、大竹を広島戦に先発させるのは、これで最後にしてくれ!大竹は6回途中で4失点したところで降板したが3勝目を挙げた、試合は大味な展開になり広島が5-11で敗れた!・・・
しかし今日は復調したマエケンが先発して0-0で迎えた11回裏に菊池を3塁に、丸を1塁において、エルドレットがレフトスタンド上段に3ランをぶち込んで3-0で巨人に劇的なサヨウナラ勝ちを果たした☆ミコライオから継いだ一岡竜司に移籍後初勝利が着いた☆この広島の1勝はこの先広島の行くへを左右する価値ある1勝だった ! 4月29日火曜日から広島は甲子園に乗り込んで阪神との3連戦を戦う!2勝1敗でいい、ファイトいっぱ~~~つ!・・・
軍師官兵衛第17話“見捨てられた城”の通り、絶対的権力者・織田信長に見捨てられた上月城は5万の毛利軍に囲まれて1578年(天正6年)に援軍が来ぬまま兵糧が尽き果て尼子勝久は、山中鹿乃介は落ちた、秀吉と村重の1万の軍は本陣をすぐ隣の高倉山城に構えたが多勢に無勢、官兵衛も必死に救出軍を出すも成らず、万策尽き上月城を毛利から助けることは出来なかった!尼子再興の夢は消え伏せた、秀吉軍は赤倉山を退去し、本陣を書写山円教寺に移すこととなった!信長は上月城のみならず播磨での信用も捨てた!村重は『所詮播磨は使い捨てか!?』と吐き捨てた!・・・
そこで信長の冷淡な仕打ちに心くじけそうになった官兵衛に半兵衛が助言した、『鹿之介を救えなかったことを恥じているのであろう、苦しんでいるのは秀吉も信長とて同じだ、上月における上様のご決断は正しかった!最良の策を考え実行する、そのため嫌われ、憎まれ、命を落とすことがあっても、それこそが軍師と言うもの!情におぼれ泣き事を言っているだけでは鹿之介殿も浮かばれまい!今大事なのは毛利の大軍を食い止めること!織田への裏切りが、これ以上広がらぬようにするためにも、今やれることをする!それが軍師としてのお主の使命でござる!』と官兵衛を諭(さと)した!・・・
「道理は分かっております、軍師として時には非情さが必要だということも!されど、わたくしは、私なりのやり方でやるべきことはやります!鹿之介殿や勝久様の死を無駄にしないためにも!」と官兵衛は答えた、・・・官兵衛は善助、九郎右衛門、そして太兵衛に密書を渡し、毛利軍の背後をかき乱す作戦に出た!此度の凋落(策戦)には我等の命運がかかっておる!敵地に踏み込むのだ!心してかかれ!“戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり!(孫子)”の策ですな?「凡(およ)そ兵戦の場は屍(しかばね)を止(とど)むるの地!死を必(ひっ)すれば即ち生き、生を幸いとすれば即ち死す!(呉子・治兵第三)」・・・
織田信忠の軍勢が神吉城を落とした、このまま志方城も攻め落とし織田の力を播磨中に見せつけるのじゃ!家老たちが集まり、ここの軍議で突然、村重が西の丸を落とした折、神吉城主・頼定の叔父の東大を逃がしたと非難された!ますます村重は信長一族に強い不信感を抱き始めていた!村重は降伏を一切認めぬ信長の非情さを憎んでいた!尼子勝久は自刃し、鹿之介は毛利に降伏したものの殺害され、光の兄、志方の櫛橋左京進も毛利に裏切られ自ら命を絶った!18話“裏切る理由”でどう展開していくであろうか?・・・
昨日26日と27日に渡って紀三井寺陸上競技場で開催された陸上・日本選抜和歌山大会で十種競技(100m/400m/110mH/1500mのトラック4種目、走り幅跳/走り高跳/棒高跳の跳躍3種目、砲丸投/円盤投/槍投の投擲3種目)で日本新記録が出た☆身長196cm体重92kgのあの大男、右代啓祐(うしろ けいすけ、27歳、国士舘大、スズキ浜松AC)が自分が持つ日本記録を70点上回る8143点の日本記録を樹立した☆右代は日本で唯一世界大会B標準8000点台を持つデカスロン・アスリートで有名だ!・・・
しかし世界の壁は厚く、日本では右代は無敵だが、ロンドン五輪代表では7842点の20位に終わった、世界のトップと対等に戦うには8千の後半を越えなければ戦えない!紀三井寺スタジアムは小生にとっても懐かしい、400、800、1500、5000mなどのトラック種目が主だったがマスターズをやっていた頃、何回か行ったことがある、また五種競技(砲丸投げ、円盤投げ、200m、1500m、やり投げ)の真似事にも参加したことがあったっけ!(^^ゞ・・・