昨晩いつものように0時少し前に寝床についた、大量の血痕を残して消えた香川・坂出の祖母と幼い孫娘との謎の失踪事件に決着が着きそうだ、どうやら祖母の今年4月にガンで病死した妹の夫・義弟(61才)が3人を惨殺して車で運び出し山中に埋めたらしい・・・生前妹に保証人になってもらい200万円という多額の借金をしていたその祖母とその義弟の間に深い怨恨が芽生えていたらしい・・・それにしても何故そんな大金200万円が必要だったのか??疑問に残る、その点が今後の捜査の鍵になるのではと小生は見ている・・・
リュウマチで脚の悪い家内は1年ほど前から寝床だと寝起きが大変だということで居間に開閉式のベッドを置き寝るようになった、サクラはこのところ家内と一緒に寝ていたが今夜は久し振りに2階に上がってきて大きな顔をしてドテッと小生にもたれかかるように寝ている、いつものようにNHKニュースも終わり眠りつこうとしていたら耳に馴染みのいい沖縄なまりが入ってきた・・・
NHKスペシャル“にっぽんの家族の肖像・石垣島”再放送に吸い込まれて行った、小生沖縄ものには弱いというか凄く敏感に反応する、ここにも本土の捨て石となってあの痛ましい沖縄戦の犠牲を受けた家族がいた、戦後米軍が沖縄に進駐して来て以来強制的に多くの“うちなんちゅ”が土地を米軍基地建設のため奪われ住み慣れた沖縄を去りジャングルの島・石垣島に入植して行った、入植当時過酷な開拓労働を課せられ必死に荒地を耕してマラリアなどの疫病や台風などの厳しい環境にもめげず63(150人)戸ほどの“明石村”の住民達がお互いに支えあって“ゆいまーる”に生き抜いた50年の年月が過ぎた・・・
開拓時代マラリアで夫を亡くしたが“開拓の母”アキおばぁは当時中学校1年だった長男、富夫さん(現在62歳)をはじめとして4人の子供達を立派に育て上げた、富夫さんは自らの人生を捨て3人の弟と妹をサトウキビ畑に出て働き家族を支えた、その富夫さんには不二家のペコ子ちゃんに似た夏川りみをベッピンにしたようなめんこいめんこい娘の尚子さん(25歳ぐらいかな)がいて石垣の町のある沖縄民芸料理店で働いていた、店で三線(さんしん)と沖縄民謡の音頭で明るくおどる尚子さんは輝いていた、尚子さんの踊りは惚れ惚れするぐらい素晴らしかった・・・な~~んでか、彼女の踊りは父親・富夫師匠じきじきに伝授されたものだった(^^♪
子供の頃はただ怖い存在にしかなかったアキおばぁだったが、尚子さんは土地を愛しゆいまーるを口癖にして僻地・明石村に何故こんなに??執着し貧しい生活から離れようとしないアキおばぁと父親の富夫さんの生き様に引かれて行った・・・
尚子さんは折があれば明石村に戻り草むしりや農作物の収穫や直売所のお手伝い自ら進んでした、そして自分自身でアキおばぁと父親の生活を体験して明石村を身近に捉えるようになって行った・・・やがて尚子さんは勤めていた店を止め富夫さんから小さな土地をもらいうけ、農作物を育てることに生きがいを見出していった・・・明石村の担い手になろうと決意した尚子さんの気持ちを知ったアキおばぁ『おまえ、はよ結婚せんね』、尚子『結婚のことはまだ考えておらん』・・・アキおばぁの目には涙が溢れていた、尚子さんの目にも・・・
8月26日石垣島全島の亡くなった御霊を鎮魂するエイサー祭りが今年もやってきた、沖縄本島のエイサー祭りにも劣らぬ盛大なものである、尚子さんもその踊りの輪の中にいた・・・小生憧れのあの“手踊り”だった☆☆実に美しい・・・まっこと女神の・・・天女の舞であった☆☆☆あっ、アキおばぁもカチャーシャーを踊りだした☆☆実に年季の入った匠の踊りである☆☆
来年1月のアキおばぁの85歳の誕生日(トゥシビー)に“ゆいまーるの宴”が持たれる、沖縄から内地からも20人の孫ひ孫を含む親族全員が開拓の村“明石村”に一同に集まり井上家の礎(いしずえ)を築いてきたアキおばぁの50年の半生が祝福される・・・井上家の人々と過疎の明石村に託した尚子さんの夢に豊かなる繁栄があらんことを・・・(祈り)
さぁ、今夜は青女センターで久し振りのエイサーの練習がある忘れないように行かなければ・・・