Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

ゆいま~る(共に生きる)の村 2007年11月28日

2007-11-28 14:33:27 | 日記・エッセイ・コラム

昨晩いつものように0時少し前に寝床についた、大量の血痕を残して消えた香川・坂出の祖母と幼い孫娘との謎の失踪事件に決着が着きそうだ、どうやら祖母の今年4月にガンで病死した妹の夫・義弟(61才)が3人を惨殺して車で運び出し山中に埋めたらしい・・・生前妹に保証人になってもらい200万円という多額の借金をしていたその祖母とその義弟の間に深い怨恨が芽生えていたらしい・・・それにしても何故そんな大金200万円が必要だったのか??疑問に残る、その点が今後の捜査の鍵になるのではと小生は見ている・・・

リュウマチで脚の悪い家内は1年ほど前から寝床だと寝起きが大変だということで居間に開閉式のベッドを置き寝るようになった、サクラはこのところ家内と一緒に寝ていたが今夜は久し振りに2階に上がってきて大きな顔をしてドテッと小生にもたれかかるように寝ている、いつものようにNHKニュースも終わり眠りつこうとしていたら耳に馴染みのいい沖縄なまりが入ってきた・・・

NHKスペシャル“にっぽんの家族の肖像・石垣島”再放送に吸い込まれて行った、小生沖縄ものには弱いというか凄く敏感に反応する、ここにも本土の捨て石となってあの痛ましい沖縄戦の犠牲を受けた家族がいた、戦後米軍が沖縄に進駐して来て以来強制的に多くの“うちなんちゅ”が土地を米軍基地建設のため奪われ住み慣れた沖縄を去りジャングルの島・石垣島に入植して行った、入植当時過酷な開拓労働を課せられ必死に荒地を耕してマラリアなどの疫病や台風などの厳しい環境にもめげず63(150人)戸ほどの“明石村”の住民達がお互いに支えあって“ゆいまーる”に生き抜いた50年の年月が過ぎた・・・

開拓時代マラリアで夫を亡くしたが“開拓の母”アキおばぁは当時中学校1年だった長男、富夫さん(現在62歳)をはじめとして4人の子供達を立派に育て上げた、富夫さんは自らの人生を捨て3人の弟と妹をサトウキビ畑に出て働き家族を支えた、その富夫さんには不二家のペコ子ちゃんに似た夏川りみをベッピンにしたようなめんこいめんこい娘の尚子さん(25歳ぐらいかな)がいて石垣の町のある沖縄民芸料理店で働いていた、店で三線(さんしん)と沖縄民謡の音頭で明るくおどる尚子さんは輝いていた、尚子さんの踊りは惚れ惚れするぐらい素晴らしかった・・・な~~んでか、彼女の踊りは父親・富夫師匠じきじきに伝授されたものだった(^^♪

子供の頃はただ怖い存在にしかなかったアキおばぁだったが、尚子さんは土地を愛しゆいまーるを口癖にして僻地・明石村に何故こんなに??執着し貧しい生活から離れようとしないアキおばぁと父親の富夫さんの生き様に引かれて行った・・・

尚子さんは折があれば明石村に戻り草むしりや農作物の収穫や直売所のお手伝い自ら進んでした、そして自分自身でアキおばぁと父親の生活を体験して明石村を身近に捉えるようになって行った・・・やがて尚子さんは勤めていた店を止め富夫さんから小さな土地をもらいうけ、農作物を育てることに生きがいを見出していった・・・明石村の担い手になろうと決意した尚子さんの気持ちを知ったアキおばぁ『おまえ、はよ結婚せんね』、尚子『結婚のことはまだ考えておらん』・・・アキおばぁの目には涙が溢れていた、尚子さんの目にも・・・

8月26日石垣島全島の亡くなった御霊を鎮魂するエイサー祭りが今年もやってきた、沖縄本島のエイサー祭りにも劣らぬ盛大なものである、尚子さんもその踊りの輪の中にいた・・・小生憧れのあの“手踊り”だった☆☆実に美しい・・・まっこと女神の・・・天女の舞であった☆☆☆あっ、アキおばぁもカチャーシャーを踊りだした☆☆実に年季の入った匠の踊りである☆☆

来年1月のアキおばぁの85歳の誕生日(トゥシビー)に“ゆいまーるの宴”が持たれる、沖縄から内地からも20人の孫ひ孫を含む親族全員が開拓の村“明石村”に一同に集まり井上家の礎(いしずえ)を築いてきたアキおばぁの50年の半生が祝福される・・・井上家の人々と過疎の明石村に託した尚子さんの夢に豊かなる繁栄があらんことを・・・(祈り)

さぁ、今夜は青女センターで久し振りのエイサーの練習がある忘れないように行かなければ・・・

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タマホーム・スポーツスペシャル2007国際千葉駅伝 2007年11月23日

2007-11-24 19:19:56 | 日記・エッセイ・コラム

昨年までこの駅伝大会は男女別々にやっていて男子は生中継でされ、午前の女子の部は男子の部が終わってから録画で流されていた、今回からは、ななな~~んと、奇数区間(1区、3区、5区)を走る“アダム”と偶数区間(2区、4区、6区)を走る“イブ”が愛のタスキリレーで繫いでいく“世界初!!史上初!!『男女混合駅伝』”のにっくきまで心厚い企画の大会となった☆☆このかたちでもいい、男女別々でも良い、日本で生まれた『駅伝』が一刻も早く世界に認められ、世界陸上なりオリンピックの競技種目になることを小生は祈らずにはいられない(^^♪

秋晴れの下午後1時7分スタートした、日本学生選抜と千葉選抜を含めて15チーム1区(5.0km)のアダム達がトラックを2周して千葉県総合スポーツセンター陸上競技場を優勝候補ケニアのマサイ(21歳ケニア2005年5000/10000mジュニアチャンピオン)と日本チーム・上野裕一郎(中央大、大學駅伝のエース、2007出雲駅伝1区区間新を出す)を先頭にしてキロ2′44″のハイペースで公道へ飛び出して行った・・・

3キロ辺りからマサシが前に抜け出し2007パンアメリカン5000mを13′25″60の大会新で制したアメリカのモーランと上野が並走する先頭争いとなった・・・13′22″のマサシのあと上野は2位30秒遅れで2区(5.0km)福士加代子(25歳ワコール)に渡す、そのあとアメリカ→ロシア→オーストラリア→千葉選抜→日本学生選抜・・・とつづく、小生 福士は名古屋で密かに北京を狙っているのではとにらんでいる、エチオピアでマスターしたキック中心の“つま先走法”から膝に優しいかかと着地体重移動マラソン走法に変えてケニアのチェベトをグングン追って行く・・・

見る見るうちに差は詰まり4秒差まで・・・残り200mでは1位ケニアに3秒差に迫りそのまま3区(10.0km)ベテラン野口憲司(32歳、四国電力、2007仙台国際ハーフ3位)に繫ぐ、福士は区間賞に及ばずイギリスのリードが15′24″で取った・・・

ロシアのルイバコフ(22歳)に野口は迫られ並ばれるが2人の厳しい2位争いが続いて行った、4キロ辺り1位ケニアのシゲイ(23歳)は2位との差を29秒に広げていく、ロシアが野口を離し・・・2位で、アメリカのボウスが区間賞28′31″を取って野口をかわし3位で・・・そして日本の野口は4位で4区(5.0km)スーパー女子高ランナー絹川めぐみ(16歳仙台育英、10000mジュニア記録保持者)に繫いでいった・・・千葉選抜が注目の第1回東京マラソン優勝者、新谷(にいや)仁美(19歳、岡山興譲館高校→豊田自動織機)にタスキが渡り期待がかかる・・・

先頭の白バイも男女混合でレースを先導していく、美浜大橋を渡り幕張新都心へ入って行く、2キロ付近で絹川は安定した走りでアメリカ、ロシアを追い抜き2位に上がりケニアを追う、小生も参加したHerbalife国際イベント“ワールドチーム・スクール&コンベンション2004”の会場“幕張メッセ”最寄駅、京葉線 海浜幕張駅をUターンする頃先頭ケニアのクルイの走りが狂ったか5キロ17分台のペースに落ちた、中継所まであと600m絹川は42秒差に迫った!!

クルイがケニア10000mチャンピオンのビレチに渡したあと36秒差で絹川は16′03″の区間賞で5区(10.0km)早稲田のエース、竹澤健介(5000/10000m日本学生記録保持者)にタスキを託した、日本チーム監督渡邊康幸が「これなら行けるでしょう☆☆」と頼もしくインタビューに答えていた、3位でアメリカがつづく・・・この国際千葉駅伝は竹澤父子とも憧れた大先輩・瀬古利彦のラストランの舞台だった、その瀬古の解説のもとレースは幕張ベイタウンから千葉市街に向かって進んで行く・・・

渡邊監督から最初の5キロは突っ込んで、後は粘って行け!!の指示があったらしい、竹澤はその指示どおり最初の2キロを5′30″でカバーした、先頭から120m差まで縮まる☆☆まるでマラソン前半の落ち着いた滑るような走りであった☆☆♪ヘッドラ~~イト、テ~~ルライト、旅は~まだ終わらない♪プロジェクトX!!・・・チームを4位から2位に押し上げた絹川はインタビューに答えて曰く『ロマンスを求めて走ったがロンリーだった』・・・??天然か??竹澤王子と呼び竹澤に熱いエールを贈っていた・・・

4.2キロで20秒88m差に縮めていく・・・6.3キロで14秒差・・・7.7キロで7秒差・・・う~~~んあの地獄陸橋のアップダウンに入りなかなかその差が縮まらない・・・あと500m5秒差・・・ファイナルスパーク☆☆!!もちろん区間ベスト28′49″の好走☆☆4秒差で最終区6区(7.195km)日本では無二の第1戦で活躍する最強ママさんランナー・赤羽有紀子(28歳、城西大→ホクレン、2001ユニバシアード北京大会10000m3位)に全てをゆだねて愛のタスキが渡った☆☆

700mで同じ世界のママさんランナー、キャサリン・ヌデレバ(35歳、2007大阪世界陸上マラソン金メダリスト)に並ぶ、あっ~~~と!!赤羽がヌデレバを離しにかかる、ヌデレバ必死につこうとするがその差は広がっていく・・・60秒遅れの処でアメリカとロシアの3位争いが繰り広げられていた・・・仙台女子駅伝で仏教大を2位に押し上げた日本学生選抜の木崎良子(京都府立宮津高校出身)が上がってきた・・・3.4キロで赤羽はヌデレバを20秒差にひらいた☆☆ロシアがアメリカを大きく離して高低差が続く坂を登りヌデレバを追って行く・・・

赤羽は5キロを15′57″で通過し、5.5キロ付近最後の登りを快調に駆け上がっていく☆☆昨日11月22日は“いいふうふ”の日であった、赤羽は昨年1年3ヶ月前長女優苗(ゆうな)ちゃんを出産した、赤羽は子供がいても世界を目指せるランナーでいたい!!北京五輪10000mの代表の席を狙っていると意欲満々である☆☆あんたは偉い☆小生も脱帽である!!・・・6キロ地点その時ビデオカメラを手にして沿道を並走するホクレンコーチの夫、修平さんをテレビカメラが捕らえた!!☆☆・・・美しい夫婦愛を目の当たりにしてうるうるしたのは小生だけだっただろうか・・・競技場はすぐそこに近づいてきた☆☆

6年ぶりの国際千葉駅伝での勝利が益々濃厚になってきた、もう間違いない☆☆ウインニングロードを走りぬけ余裕の1位で競技場内に帰ってきた☆☆フィールド内にはチームメイト達と一緒に修平さんに抱かれた優苗ちゃんが待っていた、福士が嬉しそうにあの愛くるしい大口笑いで優苗ちゃんに話しかけていた・・・赤羽は最後のホームストレートを笑顔でスパートして2位ケニアに1分10秒差をつけてゴールテープを区間賞22′39″、総合タイム2°05′56″の見事なタイムで切った☆☆☆ヽ(^。^)ノばんざ~~い

ママ赤羽は直ぐ修平さんに抱かれる優苗ちゃんのもとに駆け寄り優苗ちゃんを抱きかかえ勝利のキスを何度も贈っていた、その顔はもはやアスリートのものではなく優しい母親の顔に戻っていた、赤羽に抜かれ2位でゴールしたママさんヌデレバも赤羽と優苗ちゃんに近づきお祝いの言葉と優苗ちゃんに握手して満面の笑みを投げかけた☆☆なんて微笑ましい光景なんだろう☆☆なぜか天海祐希の顔がかぶさってくる赤羽有紀子はこの駅伝の美味しいところを全部手中にしたといっても過言ではない☆☆赤羽ファミリーに祝福あれ(祈り)

木崎良子が5位でゴールし学生選抜が健闘した・・・

サァ、いい時間になった、これから仕事だ、今日は加古川プラサホテルで加古川西高第12期生の同窓会が開かれているが・・・いけなくてごめん、何十年も御無沙汰していて出席したかったが・・・家内に『同窓会なんぞにいってなにがおもいしろいん、そんなとこへ行くような人はある程度地位も名誉もある人しかいかへんもんや!!』ととがめられて、ついつい返事も書きそびれて・・・気がついた頃にははがきは無惨にも捨てられていてなかった!!今回はとうとう出さずに終わってしまった・・・(~_~;)

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ミシュランガイド東京2008 2007年11月22日

2007-11-22 13:48:54 | 日記・エッセイ・コラム

今朝の加古川はしばれた!!12月中旬の冷え込みだったらしい!!思わずユニクロフリース冬物をあわてて引っ張り出してサクラの散歩に出かけた気温8℃で冷たい風が吹いていた、最高気温も12℃までしか上がらないらしい(*_*)

この金曜日仕事帰りの車中のNHKラジオからパリ・ヨーロッパ総局特派員がフランスのタイヤメーカーであるミシュランがアジア初2008ミシュランガイド東京バージョンを発刊したと伝えていた、小生のロードランナーにもミシュランのタイヤを着けている故ミシュランの名前は以前から知っていたがなんでミシュラン??グルメガイドブックを100年前に創刊して以来何故ミシュランが世界にグルメ情報を発信しているのか不思議に思っていた(・_・)??

この度その謎が解けた、ミシュランガイドとは我が家にも送られてくる日本の月刊ガイドブック“JAF(日本自動車連盟)Mate”のようなものだと・・・世界各地のグルメ料理やグルメの宿、グルメの料理店などのグルメ情報を中心にして遠出してドラブを楽しむドライバーのためにドラブ観光情報を流して大いにタイヤの消耗を促し自社のタイヤの売り上げ向上を狙ったものであったらしい・・・

今日22日に発売開始される“ミシュランガイド東京2008”の発刊に当たり3人の欧州人と2人の日本人が密かに東京23区のグルメ店を調査に当たってきたとのことである、世界的に最も権威のあるこのグルメガイドによれば東京は世界稀に見る美食の街であると絶賛している、今回栄えある8つのグルメ店(3軒の洋食店と5軒の日本料理店)に東京初の三ツ星(アステリスク*)の添えられた☆☆☆56軒が二ツ星店☆☆に117件が一ツ星店☆に選ばれらしい・・・28人の三ツ星シェフや料理長達の名も掲載されているとか・・・

三ツ星店は現在、グルメ発祥の街パリでもこれまで10軒しかない、ニューヨークでは3軒しか・・・ロンドンに至っては1軒しかないとのことであるので東京の8軒がこの度一挙に選ばれたことは大いに価値あることである・・・

洋食店は銀座のフランス料理“レストラン・ロオジエ”、白金台の“レストラン・カンテサンス”と恵比寿の“ジョエル・ロブション”の3店である、三ツ星日本料理店は次ぎの5店になっている・・・1)日本橋の『濱田家』、2)元麻布の『かんだ』、3)銀座『小十』、4)銀座『すきやばし次郎』、5)銀座『鮨 水谷』だとか・・・小生の耳には全く馴染みのない名前ばかりだ、船場吉兆なら聞いたことがあるが(^^ゞ

三ツ星に輝くことは特に美味であるのは当然であるが、どんなに遠くてもどんなに辺ぴなところにあろうともどんなに遠回りしてもその店だけに食べに行く価値がある店である・・・

小生一言叫びたい、

『そんなとこ関係ねぇ!!そんなとこ関係ねぇ!!回転寿司でオッパピ~~~♪♪』

それにしても昨夜の男子サッカーUnder22北京五輪アジア予選C組最終予戦最終戦サウジアラビアを東京国立競技場で迎えて0― 0で引き分け、3勝1敗2引き分け11ポイントを獲得し北京出場を決めた☆☆1996年のアトランタ、2000年のシドニー、2004年のアテネに続き4大会連続オリンピック進出となる☆☆A組からはオーストラリアがB組からは韓国が北京で戦うことになる・・・試合後ファン、サポーターに挨拶した反町監督が炭酸飲料の祝福を浴びていたがさぞ寒かっただろう(+o+)ブルブル

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カニ三昧と東京国際女子マラソン結果 2007年11月18日

2007-11-19 14:17:15 | 日記・エッセイ・コラム

加古川は晴れていたが播但道の福崎にかかる頃にはパラパラして来た、フレッシュ朝来で“もっちゃん家族”と合流しトイレ休憩をとった、雲はますますどんよりとして風交じりの本ぶりとなる、豊岡市街の混雑を避けるためいつもの但馬空港越えする近道を通り抜け紅葉もやっとちらほらする国道178号線山陰街道を日本海沿岸の町・香住を目指してなおも北上して行く・・・沿道の温度計表示は8℃であった・・・

佐津の交差点を過ぎると右下に激しく岩礁に砕け散る荒波が押し寄せていた、峠を降りると寒々した柴山の海岸があった・・・カニの宿“ひさや”のあたりを通り過ぎそしていつも買い物をする海英水産のある柴山漁港を通り過ぎて一気に海岸線をアップダウンして香住の朝市に直行する、テレビにも顔を見せた柴山名物男・海英水産の旦那が誰かに店を売り払い商売から身を引いたらしい、海英水産の老舗の名前は残して店舗は香住朝市センターに移転したらしい、ドアを押さえていないと全開してしまいそうな強い風が吹いていた・・・観光客で賑わう屋内海産物市場のなかをスナップを撮りながら巡り‘うにつくだに’と‘かに味噌汁の素’を買った・・・

再び柴山に戻り“ひさや”の暖房の効いたスッカリ膳の用意がされた奥座敷に我々一同は家族ごとにかたまりお絞りを手にしてそこに落ち着いた、魚の刺身とカニ味噌とリキュールで始まりやがて焼きガニが土鍋てんこもりで運ばれてきた、嫁の親族は誰も飲めないが婿達はそこそこのめる、小生と姪の婿は2号徳利に2本ずつ岡山の姪婿は瓶ビール大を1本空けた、談笑もそこそこに次々運ばれて来るカニ料理を・・・カニの刺身→湯でガニ→カニしゃぶしゃぶ→カニすき→カニ雑炊・・・黙々と片っ端からたいらげていった・・・お盆に盛られたコーヒーセットとみかんで最後を締めた・・・あ~~食った食った、満足満足☆☆(*^。^*)ジュルリ

帰る頃には気温は更に下がり6℃になっていた、帰りは飲んでない長男が運転し、よく混む養父・和田山の町を迂回して養父温泉の手前の信号を右折して彼がボードの帰りによく使う信号のない山間の道をフレッシュ朝来ICまであッと言う間に行きついた、そこから播但道に乗り8時ごろ帰宅した・・・不思議なことに福崎を過ぎるとアスファルトは全然濡れてはいなかった姪は布団を思いっきり干して来たと心配していたが、その心配は無用だった・・・ラジオでは今日近畿地方に2週間遅れの風速16mの“こがらし”1号が吹き荒れたとか・・・

車中NHKラジオのニュースで今日の東京国際女子マラソンの結果を流していた、やはり野口みずきは強かった、まず30キロ付近で渋井陽子(10000m30′48″の日本記録保持者)を振り切り、追いすがるサリナ・コスゲイ(ケニア)を37キロ付近で引き離した、35~40キロまで続くあの帰りの心臓破りの坂道(高低差25m)も16′56″で軽々カバーした!!☆☆あの高低差200m強のアテネの激過酷コースを金メダルで制覇した彼女には通じはしない!!☆☆

他を寄せ付けない脅威の走りで山口衛里(当時天満屋所属現在は同チームのコーチとして活躍)が1999年に記録した大会新2°22′12″を破り2°21′37″の大会新記録で優勝し北京5輪への2枚目の切符を確実なものにした☆☆☆さすが野口みずきだぁ☆☆☆残りは後1枚・・・大阪でキューちゃんが返り咲くのか、名古屋で他の新星が出てくるのか・・・

日本人2位に今年も39キロで落ちてきた渋井をかわした尾崎が4位で帰ってきている、5位に大南ツインズの姉・大南博美(トヨタ車体)が入り、6位に天満屋の新星25歳・挽地(ひきち)美香が・・・渋井はまたまた後半失速して7位に終わったのこと・・・録画テープは休みの水曜日にでもゆっくり観ることにしましょう・・・

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秋季カニグルメツアー明日に迫る 2007年11月17日

2007-11-17 20:06:26 | 日記・エッセイ・コラム

今月6日日本海沿岸では味覚の王様・ズワイガニ(山陰では松葉蟹、丹後では間人(たいざ)蟹、北陸では越前蟹、秋田ではタラバ蟹と地方によって呼び名が違う)の漁が解禁され3月20日まで各漁港は活気に沸く、加古川から我が家と家内側親族そして岡山から義姉娘の家族が生野クリスタル道の駅で合流する恒例かにの宿“ひさや”での香住町柴山漁港に水揚げされたばかりの身ぷりぷり新鮮蟹フルコースを堪能できる“かにグルメツアー”の日がいよいよ明日に迫ったヽ(^。^)ノわ~~い

残念ながら義兄夫婦は11月2日から始まっている加古川まちかどミュージアム創造事業に参加している(自宅通りに面するカ゛レージをギャラリーに開放して彼が海外旅行で撮ってきた写真や買ってきた絵画・ポスターを展示している)ためこの度はいけないが娘家族と義姉と我が家のメンバー3名(次男は会社のかにすき観光旅行が重なり不参加)が我がセレナに同乗して行く、午後近くの真新しいセルフスティション・ジョモ(JOMO)でガソリン満タンにし自動洗車機に通して撥水洗車してきた、このところ原油高騰に拍車がかかりレギュラーリットル150円を超える話も出ているが、まだレギュラー147円だった・・・

今年の春3月頃まではまだレギュラー129円、ハイオク140円位だった、その頃ニューヨーク原油取引市場では1バレルが66ドルだったのが今や95ドルを超えたとのこと!!まさしく天井知らずの様相を濃くしてきたのか・・・どなんかせないかん、OPEC(石油輸出国機構)加盟の産油各国がバランスの崩れた石油需給の見極め生産量を増やすことで治まるものか・・・投資ファンドなどの投機目的とする原油先物取引による一時的な高騰ですむものなのか・・・株安円高ドル安など世界的経済的動向の不透明性から来ているものなのか・・・長引く一連の原油高騰の要因が早く明らかになってもらいたい(~_~;)

いつしか枯渇するだろう石油・石炭・天然ガスなどの化石エネルギーに変わる水力発電エネルギー以外、太陽光熱エネルギーや風力エネルギー、海洋エネルギー(波力・潮力・温度差発電)、水素エネルギー、廃棄物燃焼熱エネルギー、そして今話題のバイオマス・エネルギー(穀物・植物からのエコエネルギー)などの代替エネルギー源の開発・普及が急がれる・・・

明日開催される2007東京国際女子マラソンのテレビ中継は生で観れないが録画して帰ってきてからゆっくり観ることになる、2004年アテネ5輪で金メダルに輝き、翌年2005年9月25日のベルリンマラソンで2°19′12″の日本記録(ポーラ・ラドクリフ2°15′25″、キャサリン・ヌデレバ2°18′47″に次ぐ歴代3位)を樹立して以来左足アキレス腱の故障から桧舞台から退き調整をしていた我がシスメックス所属の野口みずきが2年ぶりに戻ってくる、脚の張りもスッカリ取れなかなか調子もよさそうだ・・・

土佐礼子が大阪世界陸上で3つ内の1つ獲得しているが、残りの2つの北京5輪代表の席を賭けて野口みずきは優勝候補間違いなしと小生は診ている、この3年ほど低迷している渋井陽子(三井住友海上)の健闘も期待したい・・・昨年の同大会で39キロ付近で高橋尚子をかわして2位に入った尾崎朱美(当時は資生堂現在セカンドウィンドAC所属)の走りにも注目したい(*^。^*)

9時過ぎ風呂から上がり夕食のテーブルに着き、なにげなくNHKにチャンネルを合わせると、すでに始まっているドラム・海峡“釜山港の別れ”に吸い込まれて行った、そこには小生自身の幼い4歳頃にタイムスリップしたような当時日本統治下にあったあの懐かしい朝鮮の山河とやっと辿り着いた釜山の港があった、日本の戦況が悪化し敗戦間近に迫り・・・排日運動が激化し・・・そしてついに大東亜戦争が終戦を迎え・・・本国に追われ引き揚げていく行く多くの日本人の群集の中・・・ある男女の悲恋物語が展開されていた(・_・)

小生は4歳の自分を戦時中・終戦・引き揚げの激動混乱期のその舞台に置いて、そのドラマを観ていた・・・今回は全3話の第1回目で、23日には第2話が24日には最終話が放送される・・・ウ~~~ん、楽しみだ(^^♪

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