Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

みちのくの爆走娘・福士佳代子がリオ内定! 2016年1月31日

2016-01-31 22:05:01 | 日記・エッセイ・コラム

今日は朝11時半に家を出て、ジョグして加古川総合文化ホールまで出掛けた、我等が加古川混声合唱団と地元中学生と高校生とによる合同コンサートが、いよいよ煮詰まって来た!今日から中学・高校生との合同練習が始まった、彼等とは3月6日本番のアンコール曲2曲“おにのおにぎり”と“群青”を共に歌う、合同練習で1時から2時半頃までセッションした、その後5時頃まで、我等の持ち歌、合唱混成組曲・旅シリーズ、“憧れ”、”信じる“、”春に“、花の街シリーズ、甲子園シリーズなど、熱のこもった練習が続いた!たっぷり合唱練習が出来て実に充実した一日だった!この後、通常練習の他に、2月7日と2月28日にも、総合文化ホールでの合同練習が組まれている!う~~ん、楽しみん・・・

今日は生中継は観れなかったが、ヤンマースタジアム長居をスタート・ゴールとする35回大阪国際女子マラソンが、リオ五輪代表選考会として開催された、ななな~~~んと!24キロから独走態勢に入り、そのまま外国選手を寄せ付けず、2位以下に6秒差も空けて優勝したは、ピークを過ぎたかに見えたあの青森北津軽出身“みちのく爆走娘” 福士佳代子33歳であった!タイムが何と、日本陸連が定めたリオ代表選考内定記録2°22′30″を上回り、自己ベストとなる2°22′17″ だった!福士佳代子は、2015北京世界陸上で日本人トップ2°29′48″で7位に入賞した伊藤舞に次いで、リオ五輪代表を確定したと言っていい!これで女子マラソン・リオ五輪代表のもうあと一枠は、3月13日の名古屋ウイメンズで決まるだろう!・・・

30日夜遅くキックオフされたAFCアジア・チャンピオンシップファイナルで、U-23五輪代表がまたドデカイことをやらかしてくれた!手倉森誠監督率いる日本U-23代表は神がかりに強い!この日の日替わりヒーローは、それまで無得点の浅野拓磨だった!我がサンフレッツェ広島の浅野拓磨だった!トレードマークの”ジャガーポーズ”が炸裂した!この日、前半20分、韓国にに先制され、後半開始早々にも1点追加され0-2でリードされていた日本だったが、後半ピッチに入った浅野が66分に1点返して日本に流れを呼んだ!68分には、ヘディングで矢島慎也(ファジアーノ岡山)が1点追加して2-2の同点にした!更に81分、中島翔哉(FC東京)から受けたパスを浅野は決勝点となるGoa~~~lを蹴り込んだ!☆そして日本は韓国を3-2で下してAFCアジア王者に君臨して、6大会連続10回目の五輪出場を決めた!ヽ(^。^)ノばんざ~~~い・・・

因みに、決勝トーナメント準決勝で韓国に敗れた開催国カタール(グループA1位)と、準々決勝でアラブ首長国連邦UAEを破ったイラク(グループC2位)との3位決定戦は延長戦にもつれ込み、土壇場でイラクが逆転して2-1でカタールを破りリオ五輪代表を決めたようだ!・・・それにしても日本競泳界には、池江璃花子(いけえ りかこ、小岩第四中、15歳、ルネサンス亀戸)と云う新しい大器となる頼もしい新星が現れたもんだ!今日も東京都選手権女子100mフリーで54分台を破る53″99の日本新記録を達成した!これで女子100mバタフライ日本記録57″56に次いで二冠となった、これからも益々伸びていくだろう、彼女の泳ぎに注目して行きたい!・・・ 

 

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日本U-23が6大会連続五輪出場を決める! 2016年1月27日

2016-01-27 17:11:25 | 日記・エッセイ・コラム

西地区23チームと東地区20チーム、計43チームがアジア1次予選リーグ戦(10組)を勝ち抜いた16チーム(15+開催国カタール)がカタールに集結した、今12日から始まったカタールのドーハで、リオ五輪最終予選を兼ねた“AFC(Asian Football Confederation、アジア・サッカー連盟)U-23 Championship Qatar 2016”が開催されている、アジアの16チームが4チームづつA組からD組に分かれて、リーグ戦を戦い、各組上位2チームづつ、計8チームが決勝トーナメントへ進出した!B組(日本、北朝鮮、サウジラビア、タイ)で3勝無敗で1位通過して日本は決勝トーナメントに進出した!・・・

1月22日、日本は既にA組2位のイランとの準々決勝戦に3-0で勝って準決勝ベスト4に進んでいた!そして日本は、昨夜26日遅く11時30分(現地時間26日午後12時45分)から始まったC組2位のイラクとの準決勝戦を戦った!この試合に勝てば、“リオ五輪アジア枠3”の一つを獲得できる!試合は両者相譲らぬ接戦となった!前半26分、鈴木武蔵から良いクロスがゴール前へ通った!それを久保裕也が押し込んで日本が1点先取した!だが、43分、1-1に追いつかれた日本は、後半も苦戦した、1-1のままロスタイムに入った、1993年10月28日の“ドーハの悲劇”が頭をよぎる!・・・

神風は日本に吹いた!93分、浅野がゴール右に持ち込んだボールが南野へ渡った、それを南野がシュートした!それがGKに弾かれた、それをペナルティサークル辺りに居た原川力(川崎フロンターレ)が拾った!少し左へ振って左脚でシュ~~ト!鋭い低い弾道が、ネットほぼ中央に突き刺さった!Goa~~~l!これが決勝点となり、日本が2-1でイラクを破り、リオ五輪出場権を獲得した!これで日本は6大会連続五輪出場となった!フルメンバーのWカップでは、まだまだ先は遠いが、ここらあたりで、U-23日本サッカーの真価を世界にビシッと見せ付ける時ではないかい?因みに、日本とC組1位の韓国とのAFC・U-23アジアカップ決勝戦は、日本時間30日夜11時45分にキックオフされる!日本よ、有終の美を飾ってリオへ臨もう!ファイトいっぱ~~~つ!・・・

今日は2か月毎の医療センター詣での日だった、10時に採血室に入り採血を済まし、PSAの結果が出るまで90分、何時もの様にアンギオ室前で筋トレ・ストレッチを済ました、11時45分頃、診察室に入り今日のPSA結果を主治医から聴いた、前回は0.973から0.902まで下がっていたが、何と、今回も0.853ng/mlまで下がっていた!これで前回に続き連続して下がって、確実にPSA値が安定してきた!次回から3か月毎の検査と成り、1か月伸びて4月27日(水)の予約となった!・・・

今日ビアンモールに降りて行くと、日替わりランチの値段が620円から650円へ上がっていた!今日のAランチが“蒸し鶏のゴマダレソース”で、Bランチが“さわらの明太子焼き”であった、小生はBを選んだ、さわらの上に明太子がまぶされ、チーズが薄っすら乗せられて焼かれていた!『築地に揚げられた生きの良い“さわら”と、博多から卸されたツヤツヤの明太子のドッキングや!』と妄想を膨らまして食べると、650円など安いものだと自分で納得して頂いた、うめえのなんのって、ありゃ~~しねえ!(*^_^*)じゅるり・・・

  

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寒波の中の広島・男子都道府県対抗駅伝! 2016年1月24日

2016-01-24 14:12:03 | 日記・エッセイ・コラム

昨日の天気予報によると日本列島は、何と!沖縄近くまで、筋状の雲がビッシリ埋まる-12℃の寒気団にスッポリ包まれ、鹿児島辺りまで雪だるまのマークが付られていた!てっきり西日本の平地にも降雪があるのではと、小生、内心ワクワクしていた!今朝目覚め、外を眺めても積雪は無く晴れ渡っていた?むしろ先週の水曜日1月20日の朝の方が、加古川市内に、久しぶりの薄っすらと雪化粧をした雪景色が、観られて大寒らしかった、下の2枚の画像はその時の近所周辺のものである、しかし今朝の最低気温を診ると、今季一番の冷え込みとなる-4℃を記録していたのに!今日、雪降らんで何時降るねん?・・・

 

さて、今日、天皇盃第21回都道府県対抗男子駅伝(全長48km7区間)が開催される広島は如何だったのか?なぬ?NHKテレビ画面を観ても、スタート・ゴール地点である広島平和祈念公園でも雪はなかった?上空は薄日が差す曇り空乍ら、雪が降りそうな気配は全くなかった?だが、スタート時点12時30分になっても、気温は上がらず1.5℃と結構、冷え込んではいた!ランナー達が宮島街道を南下して行っても、なかなか雪は降り出さず、やっと降り出したのは宮島口・ロータリーに近づいた辺りから、ちらほら降り始めた、暫く、降っては解ける名残り雪が降り続いていた!・・・

レースが落ち着いたのは、3区以降だった、8位で受けた愛知の3区(8.5km)田中秀幸(25歳、トヨタ自動車)が2位で高校生区間4区(5.0km)の三輪軌道(18歳、愛知高)へ繋いだ!残り1キロでスパートした三輪も区間賞14′17″のタイムでトップをキープした、そのまま、高校生最長5区(8.5km)の青木祐人(18歳、愛知高)も、中学生6区(3km)の葛西潤(東港中)も、アンカー7区(13km)の山本修平(24歳、トヨタ自動車)もトップをキープしたまま愛知が2°20′13″のタイムで15年振り2回目の優勝テープを切った!☆愛知は昨年、フラフラになって倒れ、中継所に入った1区ランナーから2区へのタスキ渡しが不完全と見なされ、記録なしに終わったが、これで1月17日の女子に引き続き、愛知は男女アベック優勝を果たして、その屈辱を晴らした!・・・

高校生区間に、今回大会新2°01′18″で都大路高校駅伝で優勝した世羅高校のメンバー3人を揃えた広島が2°20′43″で準優勝した!3区に設楽啓太(コニカミノルタ)を、アンカーに服部翔太(Honda)を配した2連覇のかかる埼玉が3位2°20′59″でフィニッシュした!4位2°21′03″で静岡が、5位2°21′09″で長野が、6位2°21′17″で福島が、7位2°21′50″で群馬が、8位2°21′50″で同タイムの福岡が入賞を果たした!我が兵庫は、アンカーの中谷圭祐(なかたに けいすけ、21歳、上郡中、西脇工、駒大)が区間3位38′03″の走りで健闘したが、2°22′10″で9位に終わった、惜しい!・・結局、今日は毎秒5mほどの風は吹いていたものの、一日中晴れていて、ここ加古川には雪も何も降らずじまいだった!明日まで寒波が居座るらしいので、待望の雪が期待できるかも?・・・

今日は、もう一つの大きな勝負が在った、最期の立ち合いを終え、時間前の仕切りに入る前のルーティン・あの菊ちゃんイナバウアー(琴バウアー)をして、琴奨菊が左手に握りしめた大量の塩を高々と蒔き上げた!心を沈める様に、落ち着いて慎重に仕切りに入り、今場所不調の大関・豪栄道に対した!軍配が返った!はっけよい!立ち合い鋭く豪栄道を捕まえ、ガブリ寄った!必死にこらえようとする豪栄道を“突き落とし”で投げ飛ばした!あっ!勝った、勝った!大関・琴奨菊(ことしょうぎく、31歳、佐渡ヶ嶽部屋)和弘が14勝1敗で初優勝を果たした!・・・

2006年(平成18年)初場所優勝の栃東(現・年寄り14代玉ノ井親方)以来、モンゴルを始めとする外国人力士から10年振りに優勝賜杯を取り戻した!桟敷(さじき)では、幼き頃から、ガブリ寄りを教えてくれた亡き祖父・一男さんの遺影を握り締めた父・菊次一典さんが、目頭を押さえて泣いた!故郷、福岡・柳川の後援会会場が大歓声にどよめいた!トレーナー塩田宗廣氏によるウエイト筋肉トレーニングの貢献も大きかった!忘れてならないのは愛妻・祐未夫人の癒し効果だ!琴奨菊、本当におめでとう!国民栄誉賞もんだ!ヽ(^。^)ノばんざ~~~い・・・ 

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歴史的アンカー勝負で終幕した都道府県対抗女子駅伝! 2016年1月17日

2016-01-17 15:16:32 | 日記・エッセイ・コラム

昼食後、台所でのんびりと、12時30分に西京極をスタートした第34回皇后杯都道府県対抗女子駅伝を観ていた、何と!アンカー9区10kmに入って、白熱した首位争そいが展開されていったのだ!8区3km中学生区間から2位に大差をつけてリレーしたトップ京都の奥野有紀子(23歳、西京高、京産大、資生堂))に大きく差を空けられて、我が兵庫の竹地志帆(25歳、須磨友が丘高、佛教大、ヤマダ電機)が2位+1′13″で受けた!3位+1′16″で群馬の西原加純(26歳、宮津高、佛教大、ヤマダ電機)が受けた、直ぐ群馬が兵庫のすぐ後ろにピッタリ張り付いた、先輩と後輩との熾烈な2位争いとなった!次第にトップを行く京都のペースが落ち初め、2位争いする兵庫と群馬との差が縮まって行った!・・・

それを観戦していて、次第に興奮してきた小生、思わず、『(竹地)志帆!』、『(西原)加純!』、『(奥野)有紀子!』と叫びながら声援していた、隣の居間で違う番組を観て居た家内から何回も『うるさい!』の罵声を浴びせられていた!・・ところが、ところが!4位+1’37”差で受けた愛知・鈴木亜由子(24歳、豊橋・豊城中、時習館高、日本郵政グループ)がグングン飛ばして前を追った!前との差がどんどん縮まって行った、遂には、小生のテンションがマックスになり『亜由子!亜由子!じいちゃんが応援しとるぞ!』と個人声援一色に変わった!マックスの『うるさい!』が飛んできた、3位に落ちていた群馬をかわし、京都の前に出ていた2位の我が兵庫まで抜き去ってしまい、単独トップに躍り出た!『行け~~~!亜由子!』・・・

何時の間にやら、小生の手が、自然とペンとメモ帳を取ってしまっていた!3月6日の加古川混声合同コンサートに合唱人生懸ける!とブログから暫く離れる決意をしたばかりの小生だが、次第に小生の足は、階段を登り、書斎に入り、PCを立ち上げ、ブログ入力を始めてしまった!・・そのまま愛知の鈴木はトップで五条通に入り、西京極陸上競技場の取り付けロードからトラックへ入って行った、そして鈴木亜由子が区間2位31′20″のタイムで走り切った愛知が、駅伝史上に残るどんでん返しをやらかして、2位の兵庫に20秒差をつけて2°16′02″で初優勝を果たした!☆鈴木よ、素晴らしい感動をありがとう!・・・

愛知に惜しくも交わされてしまったが、竹地の粘り強い健闘もあって我が兵庫は2°16′22″で2位準優勝を果たした!3位には2°16′28″で群馬が入った、最期まで健闘したものの9区で不運なブレーキがあった京都が4位に甘んじた、5位には2°16′59″で千葉がフィニッシュした、6位には若い19歳の関根花観(はなみ、豊川高、日本郵政グループ)が区間賞31′18″で走り抜けた東京が2°17′25″でゴールした、7位2°17′39″で福岡が、8位2°17′で長崎が入賞を果たした!5区4.1075kmの高校生区間に妹の智美ムセンビ(16歳)を配したが、姉・望ムセンビ(18歳)の欠場が響いたか、連覇を狙っていた大坂は12位2°18′27″に終わった!ところで、ちいと日本郵政グループに有力選手が集まり過ぎなんでは?兎に角、近年の日本郵政グループの飛躍に目を見張るものが在る!・・・

 

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真田丸の謎その7“もう一つの真田丸!?” 2016年1月14日

2016-01-14 16:33:59 | 日記・エッセイ・コラム

今日14日から3月10日まで、8回に渡って総合福祉会館で開催される“朗読ボランティア入門講座(資料代500円)”を受けて来た、9時半から受付が始まった、15人ほどの参加であった、開講式・オリエンテーションのあと、視聴覚障害者福祉協会会長・山本博昭会長の“視覚障害者のための、ボランティアによる朗読テープ”についての話が在った、本人自身も視覚障害者で、朗読テープの大切さを痛切に感じて居られる山本氏が、このボランティア活動への期待を熱く語られた、11時前から、山田朗読研究所の坂田かほり講師による『発声の基本を学ぶ』の講義が始まった、“アエイウエオアオ”などの口の体操から始まり、早口言葉から、相手に分かりやすく伝える事を心掛け、反復発音練習が繰り返された、順番に指名され、各人の成果が発表された、小生の“東京特許許可局許可の特許許可書”はカミカミだった!(^^ゞ・・・

さて、本題に入ろう・・突如として現われたもう一つの真田丸だが、大坂城の5km南、元の真田丸から更に南側に位置する茶臼山(ちゃうすやま)古墳と、一心寺(天王寺区逢坂)や聖徳太子建立七大寺の一つ“四天王寺”の辺りに、真田の本陣として、もう一つの真田丸があったと、文献には書かれていた、また慶長20年(1615)5月の大坂夏の陣の合戦では、“天王寺口の戦い(茶臼山の戦い)の舞台にもなって居る、大正年間、そこには元々、住友家の本邸が在り、敷地内には広大な庭園“慶沢園(けいたくえん)”が広がって居る、住友本家が神戸に移転する際、そのまま大阪市に寄贈され、今では天王寺公園と名が改められ、その敷地内には豪華な造りの大阪市立美術館や天王寺動物園が建ち、大阪市民の憩いの場として愛されている!・・・

   

あゆみ姉御が、その天王寺公園に平服で訪れていた、古風な橋が池に架かり、その先には、うっそうと茂る丘陵になって居た、だが、信繁が本陣を置いてい当時の面影はもはや無かった、何故?無くなった筈の真田丸が、突如として現れたのか?その秘密が、丘の麓に建てられた石碑から読み取ることが出来る、その石碑には,『大坂の陣の史跡 “茶臼山” 冬の陣 徳川家康本陣跡/夏の陣 真田幸村本陣跡』と書かれていた、つまり、前回の戦いで、家康が本陣を置いたこの茶臼山を信繁がチャッカリ再利用していたのだった!・・・

     

あの真田丸の摂津絵図が伝えられていた広島藩・諸国古城之図の中に、もう一つ、この茶臼山の絵図“茶臼山御陣図”も残されていた、山の周囲にシッカリと濠を巡らせ、堅牢に整理されていた家康の本陣を利用し、これを改造することで、信繁は新たな要塞を誕生させていた!注目はこの西側の“丸馬出(まるうまだし)”と言われる陣地である!丸馬出は、敵に向かって、騎馬隊を出撃させるための出丸である、城郭考古学者の千田・奈良大学学長は、信繁が茶臼山を改修した折り、新たに、この馬出が付け加えられたものだと観ていた、千田学長は確信して言った『もし、最初、家康がこの丸馬出を造っていたものだとすれば、攻めるべき大坂城はこの北側ゆえ、この馬出は北側へ出て行く必要があったはず、それに反して、この丸馬出は、南に向かって攻め出す口が付いていた!ですから、この茶臼山の本陣に、わざわざ信繁が、南側に出撃できることを特に強めたと云う事は、まさに真田丸での戦いをもう一度ここで再現しようと狙っていた事を裏付けている!』と・・・

      

よって、新たに造られた丸馬出にこそ、信繁必勝の作戦が秘められていたと考えられる、信繁はこう言っただろう『さあ、来い、家康!また真田の戦ぶりを見せてくれるわ!』、信繁の最期の戦いが始まった!・・茶臼山は阿倍野海道など街道が集まる交通の要所だった、徳川の大軍が大坂城へ向かうためには、ここ茶臼山を通らねばならない!真田丸と同じく、茶臼山も一際(ひときわ)目立つ高台の砦であり、徳川軍の格好の攻撃目標となる!そこが信繁の狙いであった! 茶臼山本陣から徳川の大軍の先頭に、集中攻撃を降らして足止めをする!敵の意識が茶臼山に向けられたその間に、西に設けた丸馬出から騎馬隊が出撃する!手薄になった家康本陣の側面に斬り込んで、家康の命を狙う作戦だった!・・・

  

慶長20年(1615)5月7日早朝、徳川軍が大坂城に向かって動きだした、茶臼山本陣“第二の真田丸”を巡る攻防が始まろうとしていた、強力な射撃陣地と化した茶臼山が敵を待ち構える、『まだじゃ!』、西の丸馬出では、騎馬隊が今や遅しと、出撃の合図を待つ、『まだ撃つなよお!』と信繁が出撃合図のタイミングを計る、ところが、その時、早馬がきて申した「お味方の毛利勢が、越前・松代軍と戦さを始めまして御座ります!」、『何だと!?毛利よ、何してくれんねん!』、この時、茶臼山の東、四天王寺口に布陣していた豊臣軍が、焦って徳川軍に攻撃を開始してしまったのだ!何たることやサンタルチや!『何故だ!何故待てぬ!』信繁は悔やんだ、信繁の作戦は失敗に終わり、敢え無く地に落ちた!・・・

  

信繁達、真田軍が茶臼山に居続ける意味は、もはや無くなった!『ここでは勝てぬ!山を下りて、のるかそるか乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負に出るしかない!』と信繁は覚悟を決め、茶臼山の陣を棄てる決断をした!そして、戦場の混乱に乗じて、一気に徳川本陣目掛けて突撃し、イチかバチかの総攻撃に突き進んだ!『行け~~~!狙うものは、ただ一つ!真田左衛門佐信繁、参上つかまつった~~~!大御所の御心身、頂戴いた~~~す!』、真田軍は怒涛の勢いで家康本陣に迫った!記録書“浅野旧聞稿”によれば、猛攻に曝(さら)された家康公は、もはやこれまでと、二度までも切腹を覚悟したと云います!しかし、徳川軍主力を充分に茶臼山に誘(おび)き寄せていなかったこともあり、家康本陣の守りは直も堅いままであった!こうして信繁の運命を懸けた突撃も失敗に終わった!・・・

  

兵のほとんどを失った信繁は、茶臼山にほど近い安居神社まで押し戻された、信繁は傷つき、疲れ果て、境内にあった松ノ木の大木にもたれかかっていたと伝えられている、命を燃やし尽くした信繁を徳川方の兵が囲んだ、そして、真田信繁は享年49歳で刃の露となって消えた、茶臼山本陣と云う第2の真田丸を使った信繁の作戦は、実現することは叶わなかった!・・同じ日5月7日の夜、大坂城も炎に包まれ落城して行った!こうして豊臣家は滅亡して行った!・・・大坂の陣から400年の月日が流れた、信繁終焉(しゅうえん)のこの“安居神社”では、毎年5月5日に信繁を偲ぶ慰霊祭が行われている、この二つの真田丸での激闘は、今なお、この地で後世に語り継がれていくことだろう!・・・

    

スタッフは、城跡に福井県庁が建つ福井藩越前・福井城に来ていた、かつて、大坂の陣で真田軍と戦った越前藩だが、ここ福井市立郷土歴史博物館には、信繁のある遺品が収められていた、それは福井藩の武将・西尾仁左衛門宗次(むねつぐ)が安居神社で、信繁を討ち取った際に、持ち帰った信繁所要の“血付きの采配”であった! 真田丸の激戦で、徳川軍を震え上がらせたこの采配には、信繁のものだと思われる血痕が点々と付着して遺(のこ)されていた!例え可能性は僅かでも、最期まで信繁が勝利を諦めていなかったことを、この血付きの采配が物語っている様だった!・・・大坂城の南の谷越しに信繁が造り上げた要塞“真田丸” は、大都市・大阪の地中に“幻の城”となって、今も眠り続けている!何時か再興された真田丸を観たいものだ!・・・

  

ここから小生のお知らせがあります、小生、これから来る3月6日(午後2時開演)に本番を迎える“加古川混声合唱団合同コンサート”に向けて、時間を惜しんで練習に専念して行きたく存じます、小生、このコンサートに合唱人生を懸けております、3月10日までの朗読ボランティア入門講座のことも重なってしまい、まことに勝手ながら、3月6日過ぎまでブログ投稿をお休みさせて頂きたく願い奉ります、では、また、お逢いする日を楽しみして、謹んでお別れ致します!悪しからず、ごきげんよお~~~!(@^^)/~~~・・・

 

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