今や宮崎県知事として公務に宮崎県物産セールスマン活動にフル稼働し、引っ張りだこの各局テレビ出演に多忙な日々を乗り切っている、今朝も田原総一郎の“サンデープロジェクト”に生出演をし、神話と古代ロマンの宝庫“日向・高千穂”を観光の目玉として推し進めて行くと述べていた東国原英夫氏(49)の記事が今日の朝日新聞朝刊“おやじのせなか“と言うコーナーに取り上げられていた(*^。^*)
それによると、彼は複雑な幼少時代を送っている、彼のお母さんは都城市で不動産業を手広く手がけていた実の父親・西村英次氏の内縁の妻であったことで、英夫少年と姉さんは母親の姓・山之内を名乗っていたらしい(・_・)
その実父は英夫少年と姉さんを可愛がってくれたが、女性にはだらしなく、酒好きで酒癖が悪く、母親に暴力をよく振るっていたことで、英夫少年は実父のことを「お父さん」と呼ぶこと無いまま、お母さんは彼と姉さんを連れて実父のもとを離れていった・・・
英夫少年が小学校3年の頃、母親は実父とは正反対の酒も飲まない優しい生真面目な継父となるつむぎ職人の男性と結婚した、貧しくなったものの母親は幸せな生活を手にしたが、新しい父親には馴染めず、中学2年のとき芸人になるため大阪に家出を試みたものの門司駅で警察に保護されてしまった!!
その時母と共に10時間かけて門司まで迎えに来てくれたショックで落ち込んだ継父・東国原利夫氏の姿を見て以来、彼を「お父さん」と呼ぶようになった☆☆実父の西村英次さんは英夫少年が15歳の時他界したが、陰ながら英夫少年のことを見守ってくれていたような気がすると、実父をしのんでいる(*^_^*)
小生が“そのまんま東”時代初めて“生”英夫氏に会ったのは2000年(平成12年)の大晦日だった、
加古川市市制50周年記念事業の一環として「新世紀の訪れを共に祝い、共に体感しよう☆☆」の触れ込みで『2世紀マラソン&カウントダウン』が加古川河川敷き5キロ・マラソンコースで開催された☆☆その時のゲストランナーがそのまんま東こと現宮崎県知事であった、河川敷グラウンドに設けられた豪華なステージの壇上で立派なスピーチをのたまっていた☆☆
暗くて見難かったが、折り返してすれ違った英夫氏をちらった垣間見た☆順位的にも早かったはずだ☆彼のタイムは16分ぐらいではなかっただろうか・・・当時42歳ぐらいで油が乗ってスピードは相当ついていた・・・
マラソン終了して、21世紀初めての新年を迎えるカウントダウン花火が華々しく何発も寒空に舞った☆☆ステージでは沖縄からやってきた、ミュージック・グループ“4us”(黒人男性3人と日本人男性1人のバンドと女性ボーカル1人)と“沖縄アクターズ・インターナショナル”のダンスと歌の競演が繰り広げられた☆☆
この全ての模様は2000年12月31日午後11時~2001年1月1日午前1時頃まで、地元ケーブルテレビ“BAN-BANテレビ”とサンテレビ、そしてラジオ関西(AM神戸)で生中継された☆☆
その夜は物凄くしばれた!!ジャージの上にウォーマーを着こんで行ったが、それでもブルブル震えるほどの冷え込みだった!!いまだに忘れない!!