Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

花燃ゆ、第26話“夫の約束!~後編” 2015年6月29日

2015-06-29 15:56:59 | 日記・エッセイ・コラム

実家を出て久坂と所帯を持つにあたって、文は改まり三つ指ついて両親に挨拶した『嫁入りの時、チャンと言わんかったから、父上、今まで育てて頂き、ありがとうあんした!』、止めんか、こう云うのは!、『母上、ありがとうあんした!』、こちらこそ!、『わたしなら、大丈夫です、どねえ大変な時も、親として、母上はいつも、暖かく!わたくしはいつもこの家で、本当に安心でした!ぎょうさん笑うて、泣いて、幸せでした、こねな家をわたくしも作ります!久坂と久米次郎とで!今まで本当に、ありがとうあんした!』、文よ、少し感傷的になり過ぎてるのではねえけ?こっちがしんどうなるわ、滝が言った「貴女なら出来ます、幸せになりなさい!」・・・

数日後、文と久米次郎が新しい久坂家に引っ越ししていた、壊れていた久坂の茶碗の怪我が治っていた、もう痛いところは、のうなった!文と久米次郎は縁側で腰かけた、 『父上が帰ってきたら、勉強を教えてもらいましょ!父上は、な~~んでも知っとられる!寅次郎叔父さんも、お褒めやったんよ!あねえな優秀な若者は見た事ないと!純で真っ直ぐな心を持っとるって!』、文は久米次郎を抱きしめて言った『せわあない!父上は帰ってくるからね、必ず!そしたら、親子3人で暮らそう!』・・・

”一文字に三つ星”の毛利家の家紋が揺らいで居た、元治元(1864)年7月14日、毛利元徳は大軍を率いて、長州から京へと旅立った!その頃、京の御所では西郷吉之助らが呼ばれて、「薩摩はどないするつもりじゃ!」と迫られていた、長州が軍を持って、天使様への嘆願を迫るなんぞ、朝廷に対する不敬の至り!断じて許せもはん!我が薩摩、例え一藩でも、長州を討ち申す!・・・やがて御所の周りには2万の薩摩の兵が押し寄せてきた!長州の10倍だ!一橋慶喜から書状が届き、直ちに長州兵を退去せねば、征討令を発し長州を討つと迫った!長州は益々追い込まれていった!・・・

そして元治元年(1864)7月17日、長州軍の進退を決する最期の軍議が、京の南方郊外、八幡の男山(標高143m)に鎮座する石清水八幡宮で行われた、来島「これ以上不利になる前に、全軍を持って御所に進撃し、薩摩・会津を蹴散らし、天子様のお目通りを願うべし!」、久坂『成りませぬ!こちらから手を出せば、我等は、天子様に弓を引く朝敵となります!』、来島「お主がのらりくらりと、交渉を重ねるうちに、御所の守りが更に固うなってしまったではないか!もはや、待ってられん!」、久坂『今、御所に攻め入ったら、長州の復権など、叶うはずもありません!一度、大坂へ退き、元徳様と三条様のご到着をまちましょう!』・・・

来島「退くじゃと?おめおめと逃げ出して、お主は恥ずかしくないんか!」、『何のために戦うんです?会津、薩摩への私怨(しえん)を晴らすためか?己の面目のためか?我等が冤罪を解き、かつての勢力を取り返えさんとするのは、何のためか!?』、久坂は来島の胸倉を掴んで続けた、『危機に瀕するこの国を守るためじゃ!ただ、ひたすらに、この国を一つにするために動くべきです!』、来島も引かなかった「卑怯者目が!お前に戦さの何が分かる!?医者坊主目が!そねえに命が惜しければ、お前はここに残れ!」、来島は全隊士に向かって言った「皆の者!今こそ、我等を愚弄(ぐろう)するものを、討ち取るぞお~~~!進撃じゃ~~~!」、おおおおお~~~!、来島隊と福原隊は全員立ち上がり出て行った!・・・

目をつむり立ちすくむ久坂の耳に文の声が聞こえてきた『そこに、貴方は居りますか?』、ああ、おる!俺は死なん!・・・外では、えいえいお~~~!出陣の雄叫びが聞こえていた!お~~~!えいえいお~~~!お~~~!出撃じゃ~~~~!久坂はただ、目をつむるのみ!来島の強硬な押しに屈した!福原隊は久坂の決意を待っていた!久坂『皆の者!鷹司様は天子様への嘆願を取り次ぐと言われた!我等を阻むものがあろうと、必ず辿り着き!約束を果たして頂く!生きて鷹司邸に入り、生きて天子様に嘆願する!ただ真っ直ぐに!御所を目指す!』、三の鳥居の当たりで、勇烈美々たる出陣のほら貝が鳴らされた!長州と幕府が衝突する“禁門の変”の始まりだった!おおおおお~~~~!

7月18日夜半、長州勢は行軍を開始した!嵯峨に陣取った来島隊の軍勢!伏見に陣取った福原隊の陣営!山崎に陣取った久坂隊らが、時間差をつけ、三方から御所を攻める作戦だった!久坂隊は最後に出発した!嘆願のため、一路、鷹司邸を目指した!そして、会津藩が守る御所・蛤御門に最初に辿り着いたのは来島らの軍勢だった!何事だ~~~!、来島が最前列に出て名乗った「我等は、長州の汚名を濯ぐために参った!道を開けて頂きたい!」、会津藩隊長が剣を抜き言った「成らぬ!」、『ならば、押し通すまでじゃ!』来島も剣を抜いた、会津が発砲し宣戦布告した!両者、刀と槍で相乱れて戦闘状態になった! 押せ~~~!・・・その夜中、文が目覚めて、久坂の茶碗を手に取り、月光照らす縁に出て、久坂の武運を祈った!・・・ 

 

 

 

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花燃ゆ、第26話“夫の約束!~前編” 2015年6月28日

2015-06-28 19:46:30 | 日記・エッセイ・コラム

京、池田屋事件によって多くの尊王攘夷派の命が奪われた、吉田稔麿も会津藩士等に襲われ絶命した!そして怒りに燃えた来島又兵衛が、長州藩家老・福原越後と組んで、「同志達の仇(かたき)じゃ!会津藩士等の首を一人残らず、獲るべし!出立じゃ~~!」、おおおおお~~~!、600名の遊撃隊を組織して上洛して行った、しかし、あくまで朝廷に嘆願し、長藩の復権を取戻し、戦さを避けようとする久坂等と、来島らの間には溝が深まっていた!・・・

“先生を慕うてようやく野山獄!”と俳句のお師匠さん、高須久子に高杉が挑戦していた、そこに司獄・福川犀之助(さいのすけ)らの制しを振り切って、酔った周布がやって来て高杉に怒鳴り散らした!『わしはお前ら若者に賭けたんじゃ!久坂は無謀にも兵を挙げ、お前は牢の囚人と成り果てた!』、「出兵の事は聞きました!久坂が時を見極めたんならば、共に闘わねばなりません!すぐさま、どうか、私を獄から!」、『出すもんか!お前は3年、学問に励め!これしきの事に耐えられんことでは、藩のまつりごとは出来ん!』、「何を悠長な!すぐさま、貴方様が舵を取らねば、我が藩は!」、『わし等には、力を持たんわい!だが、お前だけは死なさん!』、「如何云うことです?」、『吉田稔麿が死んだぞ!』、稔麿が!・・・

文が雅と伴って、傘造りの内職をする稔麿の母・イクと妹のふさを吉田家に訪ねた、京で長州のお侍さんが何人も殺されたことは、伝わっていた!噂しよる人の中には、兄上が命を落とされたという人も!そんなん、まだ確かかどうか、分からんよね?、文は稔麿の形見を差し出して伝えた『京・会津藩預かりの新撰組云う人らが、長州や尊王攘夷の人達を襲撃したそうです、稔麿さんは、お仲間を守るため、駆けつけようとして、命を落とされたと、久坂から託(ことづか)って居ります!』文は深く手を着いた、『稔麿さんとの誓いは必ず果たします!と久坂は申しています!』・・・

入江九一の妹・雅が小さな包みのお金を差し出して言った「兄から預かりました、塾生の皆さんからです!」と頭を下げた、ふさは泣き崩れた、雅が駆け寄りふさの肩を抱いた、母イクが懐から長藩・奇兵隊の記章を取り出して口を開いた「あの子がこれを、武士になった証しじぁって、誇らしかったんじゃろね!いっつもゆうとった、武士になって、この国を救うと!何で!?何であの子が、殺されんと、いけんかった?」、ふさが言った「皆のためよね、長州を守るためよね?ご立派だったと思うてええよね?文!?」ふさの両手が文の両手に重なった!文には掛けてやる言葉が無かった・・・

萩の実家には、叔父の玉木文之進も姉の寿も全員集まっていた、そこへ心痛な思いの文が吉田家から戻って来た、「母上!」と久米次郎が迎えた、父・百合乃助が文に訊いた『久坂殿は今、どの辺りじゃろうか?雪辱の嘆願とはいえ、兵を持って京に行くことは、要らぬ誤解を受けんと良いが!』、梅太郎「久坂殿は今回の進軍の謂わば大将じゃ、もしなんか、間違いが起きたたなら?・・・」、亀「また、そねな心配ばかり、せわあない!」、梅「無いとはとても言えん!」・・・

寿が言った「万が一、戦さになるようなことがあったら?」、文之進「例え戦さになっても、久坂殿は負けやせん!」、文『戦さには成りません!』、何~!?、『旦那様がそう仰(おっしゃ)いました!稔麿様の事、どねえに悔しゅう思うて居ることか!それでも、決して戦さにはせんと、必ずご立派にお役目を果たされて、帰って来て下さいます!』、その夜、亀太郎が描いた寅次郎の姿を眺めながら、しゃべりかけた『寅兄、久坂が行きました、どうか、あの人をお守りください!』と手を合わせた・・・

久坂から長崎の伊之助と剛蔵(ごうぞう)のもとに書状が届いていて、公家や諸藩の力添えを仰いでいると、したためてあった、また薩摩が動きを見せたら、知らせて欲しい!」とも願い出ていた、剛蔵「じゃが、危ない賭けじゃ!武力をもって朝廷に嘆願を迫るとは!」、伊之助「布施様でも嘆願を止められんかった以上、嘆願が叶うよう、久坂の後ろ盾とならねば!」・・・嵯峨の天龍寺に陣取る来島隊と伏見に陣取る福原隊と共に、京の郊外、久坂隊が本陣とする天王山中腹の山崎・宝積寺(ほうしゃくじ)に集結していた、久坂は忙しく、山城国の淀藩主・稲葉家や鳥取藩主・池田公などへ支援の書面を送っていた!・・・

久坂が入って来て作戦計画を練っていた来島隊、福原隊司令部に言った『私はこれより鷹司様に、三田尻院で待機して居られる元徳(もとのり)様の入京を認めて頂き、天子様への嘆願のお取次ぎをお願いして参ります!』、来島「御所の近くに陣を構え直したらどうじゃ!」、久坂は怒って、策戦卓上を散らかして続けた『我々は戦さをしに来たのではありません!私が必ず嘆願の手筈を整えます!』、福原「全てお前の手腕に掛かっとる、頼んだむぞ!」、無駄だ!来島隊は奇声を発して出て行った!久坂と入江らは鷹司邸へ向かった!・・・

京下町のある置屋の下働きとなっていた辰路が長州のお侍さんたちが天王山に陣取ったとの噂を聞いていた、不穏でギシギシした下町では穏便な長州藩の人気は高かった、京・長州藩邸に桂小五郎が来て伝えた「久坂、喜べ!鷹司様から話を聞いても良いと云う書状が参った!天子様にも嘆願書を御出請頂けると!嘆願への道筋が整えば、元徳様の入京も許されるじゃろ!」、そこへ寺島が入って来て言った「鳥取六藩が連名で、長州支援の書状を朝廷へ送ってくれたと!」、事は全て久坂隊に傾き、久坂は朗報を鷹司へ知らせに出向こうとした時、桂が忠告しようとした、久坂『分かって居ります、もう一人で先走る様なことは致しません!』、如何した?お前らしゅうない!?『何のために戦うか?それを忘れとうないんです!』・・・

その頃、御所には、西郷吉之助が同席して、公卿(くぎょう)たちが集まり、元徳の入京許可と長州藩の嘆願を巡って、元関白・鷹司輔煕(すけまろ)と、長州の過激攘夷を忌み嫌う薩摩派・近衛忠煕らが話し合っていた、薩摩藩士・西郷が薩摩の考えを聞かれて答えた「あいにく、我が藩の兵は、薩摩に戻してしまいもんした、戦う兵も居らん今、どげんしたもんごあんそか?」、鷹司が、長州の言い分を聴居てやったら、戦さも避けられると勧めた!・・・待てよ、こんなに、のらりくらりとやっていたんじゃ、日が暮れる、もっと端折って行こう!・・・

公卿たちの会談を襖越しに聞いて居た久坂のもとに、桂のおなご、芸妓・幾松が案内されてきて、辰路の言付けを伝えた、その帰り、久坂が辰路を訪ねると、彼女の腹には久坂のヤヤが宿っていた!辰路は好きなお方の子を身ごもっているだけで、元気が出て、生かされていると伝えた、久坂が銭をそっと握らせて伝えた『京の町を戦さの炎で焼いたりせん!』、そうどすか、そりゃ安心や!『俺に何が出来る?』、辰路は久坂の手を腹に当て言った「久坂はん、生きらなあかんで、どないなことがあっても!何も望むものはないけど、あんたの子や、産まれたら名前ぐらい付けて貰わんと!この子が生まれるまで、生きててもらわな、困ります!」、そのまま久坂は去って行った、辰路はじっと切なく消えて行く久坂を見送っていた!・・・

萩では、久坂の帰るまでに引っ越しを終えて、久坂を迎えると約束した文が、屋根裏から久坂の私物を下ろしてきて、引っ越しの準備に取り掛かろうとしていた、今引っ越しせんでも、久坂殿が帰って来てからでええと家族は止めたが・・・その頃、天王山の本陣に来島隊が来て久坂に、元徳様の入京が遅いと急かせた!鷹司と他の公卿衆からの賛同を得ていると伝えた、「長州は攘夷を成し、街の困窮を救ってくれる!」と、町民からの米の陣中見舞いが届けられていた!肥後、越前、土佐も事が順調に進めば賛同するとの約束も寄せられていた!そこに、品川弥二郎が、長崎の伊之助から書状を久坂に届けた!・・・

そこには、長州への攘夷実行報復を決めたイギリス、フランス、アメリカ、オランダの四か国艦隊20隻が下関に向かっていたのだ!一月も経たぬうちに下関に到達する!伊之助は、何としても、戦さを避ける道を探れと勧めた!朝廷への嘆願が通らぬ折は、一旦、京から兵を引き揚げ、長州での戦いに備えることを考えよと伊之助は久坂等に頼んだ!長州が生きる道を互いに探すのだ!天王山の本陣に緊張が走った!朝廷の後ろ盾無きままに、戦さになれば、誰も長州の味方になる者は無くなる!来島が言った「一刻も早く参内(さんだい)し冤罪を晴らせねば!御所に兵を進めましょう!」、全ては一刻を争った!久坂は元徳様を一刻も早く上洛させ、兵力を8000に増強し、朝廷への嘆願を急がそうとした!この知らせは入江を通して萩に届けられた・・・

その頃、元徳様が、三田尻からの入京も許されたようだと!の知らせが萩の文ら家族にも知らされた!文は急いで、椋梨邸に美鶴様を訪ね、姉・寿から聞いていた、久坂家の新居となる紹介物件を、家主様へお取次ぎ頂けるよう、正式にお願いするために出かけた、すると、美鶴様から意外な答えが帰って来た!?「恥を知りなさい!こんな状況で、よくも、そんな、づうづうしい頼みを!長州が今にも滅びようとして居るこの時に、誰がその張本人たる久坂玄瑞に家など貸すものですか!?」、何故そのような?、「何も知らないのですか?やれやれ!」・・・

椋梨美鶴様はつづけた「久坂玄瑞は迫りくる異国の艦隊に恐れをなし、天子様への嘆願の道筋すらつけられず、入京のお許し無きままに、元徳様を京へ向かわせたんです!異国艦隊の報復も、京での長州藩排斥の政変も、全て久坂玄瑞が招いたこと!長州を絶体絶命の窮地に追い込んだだけでは飽き足らず、元徳様のお命まで危険に曝すとは、何たる愚行!悪いことは言いません、養子に貰ったお子は、寿さんにお返しなさい!久坂家の跡取りとあっては、一生汚名に苦しみます!」、文は言い返した『汚名では御座いません!』、何と?、『久坂の名を継ぐことは、汚名では決して御座いません!どなえな窮地に立とうと、あの人の心は何時だって、真っ直ぐに国を思うとります!わたくしは、夫・玄瑞を信じて居ります!』・・・

振り向いた美鶴は拳を振り上げて 、文に一撃かまそうとした!文がギロッと睨みつけた、その時、「騒がしいのう!」亭主の椋梨が現れ言った、「何でも御座いません、直ぐに返します!」、うん!・・・門を出た文は久坂の言葉を思い出していた、「俺は死なん!俺はお前と共に生きる!」・・・帰宅した文に家族が温かい言葉をかけた、梅兄が元徳様の上洛を、ぬか喜びしたと、文に謝った、滝が「さあ、ご飯に致しましょう、何です、お通夜の様な顔をして!」、文が伝えた「美鶴様には断われてしまわれましたので、松本市(いち)で聞いて、他で決めて参りました、久坂の家を!ここからは、ちいと離れているが遊びに来て下さい、せわあない!寅兄の事を考えると、落ち込むくらいなら、堂々とせんと!寅兄さんの様に、明日、家を出ます!姉上、久米次郎と暮らすことをお許しください!」文は寿に首(こうべ)を垂れた・・・

 

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早朝の“なでしこジャパンvsオーストラリア戦!” 2015年6月28日

2015-06-28 06:06:38 | 日記・エッセイ・コラム

今朝、6時少し前に目が覚めた、NHK・FMが中継していた、勿論、なでしことオーストラリアとのQuarterfinalだ、どうやら0-0で前半を折り返していた、澤がギブスを着けているとの事だ?やがて、イエローの上とグリンのパンツのオーストラリアとブルー一色のなでしこジャパンのイレブンたちがピッチに現れたとラジオから流れた、そして6時2分に後半がキックオフされた、小生もバジャマのまま飛び起きて、書斎のテレビの前に急いだ、今回も海堀がゴールポストを守っていた、やや、なでしこ優勢で20分を経過した、21分、苦しいキャプテン、デバンナを下げてクラマーを入れてきた!・・・

26分、大野に替わって、トラップの巧い岩渕(バイエルン・ミュンヘン)が入り日本一人目の交代をした、再三、なでしこはセットプレーに持ち込むが、なかなか、オーストラリアは崩れない、30分、オーストラリアは二人目の交代、ゴリーに代わりヘイマンを入れた、曲者カーンの疲れも目立ってきた、40分、大儀見にピンポイントのチャンスが生まれたが、惜しくも枠を右に外れた!43分頃だったろうか?宮間の左コーナーキックが弾かれ宇津木へ飛んだ、宇津木がミドルシュートを蹴り込んだ!あっ!ゴール前の混戦となった!あっ、岩清水梓のスライドして身を挺(てい)するパスが左ゴール前に居た岩渕に通った!それを岩渕真奈が 左隅に蹴り込んだ!Goa~~~l☆!やった~~~!ヽ(^。^)ノ・・・

44分、坂口に代わって、心配された澤がピッチに入った、ロスタイム3分が着いた、そして6時50分、試合終了のフォイッスルが鳴った!勝った!勝った!なでしこジャパンがオーストラリアに勝った!なでしこが、中3日の苦しい試合を物にしてオーストラリを1-0で倒し、ベスト4へ進出を果たした!これで、なでしこジャパンは、このあと8時半からバンクーバーで開始されるイングランド(F組2位)とカナダ(A組1位)との勝者と、7月2日、ここ同じエドモントン、コモンウエルス・スタジアムでセミ・ファイナルを戦うこととなった!良いぞ!なでしこ!2連覇に向かってGoGoGo~~~!・・・

あっ、カナダ(FIFAランク9位)が勝ったか!?いけねえ!違うところを見ていた!スイスとのQuarterfinal戦を見ていたのだ?小生の悪いところだ!小生の第二の故郷・カナダを直ぐ、ひいき目に見てしまうのが小生の悪い癖である!そうです、イングランド(FIFAランク6位)がカナダに2-1で勝っていた!よって、なでしこジャパンのSemifinalの相手が、イングランドと決まった!なでしこよ!小生の個人的な願いで恐縮だか、7月2日(木)エドモントン、コモンウェルス・スタジアムで、日本時間・朝8時キックオフのイングランド戦に勝って、カナダの仇を取ってくれ!連覇まで、あと二つだ ! ファイトいっぱ~~~!(*´▽`*)・・・

今、IAAF(International Association of Athletics Federations)世界陸上北京2015(8月22日~30日)の代表選考会 “99回 日本陸上選手権”が、デンガ・ビッグワン・スタジアム新潟で、一昨日から始まり今日まで開催されている、その2日目を昨日、テレビ観戦していたが、そんな事は如何でもよくなった!男子走り高跳びの戸邉(とべ)直人(23歳)が2m29を跳んで初優勝したとか、男子10000m決勝で鎧塚哲哉が28′18″53で優勝したとか、女子200m決勝で福島千里が23″23で5連覇したとか、男子200m決勝で藤光謙司が高瀬慧を抑えて20″23で5年振りに優勝したとか、それぞれが代表権内定を獲得したなどは、ちっちゃい、ちっちゃい、如何でも良くなった!今日の最終日も観ることは見るが・・・

最終3日目も新潟には冷たい雨が降り、トラックの アンツーカーは濡れていた、だが、今日も、なでしこジャパンの奮戦に負けないぐらいの北京世界陸上出場の内定を決める熱戦が繰り広げられた!女子400mH決勝では8連覇中のレジェンド久保倉里美を抑えて、吉良愛美(23歳、アットホーム)が57″92で初優勝を果たした!男子400mHでは松下祐樹(23歳、チームミズノ)が49″76で岸本鷹幸の5連覇を阻んだ!男子800m決勝では1′49″02の川元奨(22歳、スズキ浜松AC)が1′49″16の横田真人をかわして3連覇した!男子110mH決勝では高山崚野(明大)と古谷拓夢と同タイム13″81でフニッシュした!・・・

男子やり投げ決勝では新井涼平(24歳、スズキ浜松AC)が最後の6投目で84m13を投げ世界の貫録を魅せた!男子400m決勝では46″10の金丸祐三(27歳、大塚製薬)が写真判定の差で佐藤拳太郎に勝り健在ぶりを魅せた!女子5000m決勝ではラスト1周でスパートした尾西美咲(30歳、積水化学)が参加標準15′20″00を破り15′18″77ですがる若手を抑えて3連覇した!箱根の勇者が勢揃いした男子5000m決勝は、村山紘太(22歳、旭化成)が残り1周でスパートした大迫傑(24歳、Nike)をホームストレッチで余裕で抜き去って13′37″22で世界陸上出場内定を勝ち取った!それにしても、若手の台頭が凄い・・・

男子走り幅跳び決勝では菅井洋平(29歳、ミズノ)が7m88を跳び健在だった!女子100m決勝ではスタートと最初の伸びが強くなった女王・福島千里が他を寄せ着けず11″50で6連覇し、100/200m5連覇を果たした!男子100m決勝では高瀬慧(26歳、富士通)が10″28で、2位10″30のサニブラウン(城西高)を抑えて200mの屈辱を晴らして初優勝を果たした!・・・

 

 

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奇兵隊episode3“そして、若者達は立ち上がった!” 2015年6月26日

2015-06-26 14:16:42 | 日記・エッセイ・コラム

今日は珍しく、ここ加古川には、梅雨らしく、朝から止まずに、ずう~~っと1日中、本格的な雨が降っている、まあ、こんな日も無ければ空梅雨になってしまう、今日一日だろうけど、好きなだけ思いっきり降ってくれ!・・・

異国の艦隊には歯が立たない!と戦いの現実を、身を持って知らされ、成長した奇兵隊の若者達は、命がけで長州を守るため戦った!と庶民の支持を集めた手応えを掴んだ!ところが、長州藩は彼等に驚くべ命令『隊を解散せよ!』を下した!元治元(1864)年8月、江戸では外国軍に敗北を記した長州藩を、問題視する声が日増しに大きくなっていた!『外国との戦争は長州藩が、幕府の意向に逆らって始めた!これ以上、勝手な行動は許しておけない!』と幕府は長州藩を誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)し攻めたてた!そして長州藩を討つべく、幕府は大軍を差し向けた!・・・

迫る来る幕府軍はおよそ15万となった!追い詰められた長州藩の上層部は残酷な決定を下した!それは幕府に敵意が無いことを示すため、外国との戦いで、最前線に立った奇兵隊を解散させることを幕府に伝えた!?この解散令は奇兵隊を深刻な事態に陥れた!これまで藩が賄(まかな)ってきた食料や給料の支給がすべて打ち切られてしまったのだ!隊士たちは何日も空腹に耐えていた!ところが何と!庶民が立ち上がり奇兵隊に握り飯しや、食料を差出し「皆さんで食べてくださんせ!」と、支援してくれ始めたのだ!・・・

何で?、「貴方方は恐ろしい異国と戦こうて下さった!侍れいよりも、長州の誰よりも、貴方方が一番良う戦こうて下された!そうですよ!」、『じゃけど、我等、戦さには勝てんじゃっとのに?』、「存じて居ります、お仲間がようけい、亡くなったことも!わし等に出来ることは、これぐれえじゃ!」、隊士たちは思いがけない農民たちの暖かい思いやりを有難く頂いた!山口・下関にある“東行(とうぎょう)高杉晋作記念館”には、その時、奇兵隊士たちに芽生えたある思いが、元治元年10月に記された“諭示(ゆし)、七か条”から成る奇兵隊の規則に残されていた!・・・

そこには“農業の妨げをしたり、田畑を踏み荒したりしてはならない!庶民のものは、草一本たりとも、奪ったりしてはならない!犬、鶏、果物など奪い候などはもっての外で候!強き敵は百万であろうとも恐れず、弱き民は一人と言えども恐れ候こと!これを武道の本意と致し候こと!”など、自分たちは誰のために戦うのか、武士中心の世の中にあって、約半数が庶民出身である奇兵隊は、自分達が農民など庶民を守るための部隊であることを、はっきりと宣言されていた!、「当時、民は支配される対象にしか過ぎなかったが、これ程、民を重要視し大切にする気持ちが出ているのは非常に画期的な事である!」と三宅紹宜・広島大大学院幕末史教授が語った!・・・

『奇兵隊は民のもんでよ!藩の言うように解散せたら、一体誰が民を守るんか!?』、その時、隊士たちは大きな決断をした!それは、何と長州藩の実権を武力で奪う事だった!幕府の大軍に脅え、民を守ろうともしない藩は、自分たちが倒すしかない!と立ち上がった!、『俺らは弱き民のための奇兵隊士じゃ!俺らの手で、長州を取り戻すんじゃ!』、おおおおお~~~! 、元治2(1865)年1月、奇兵隊は長州藩に宣戦を布告し、下関から藩の本拠地、萩へに向けて進軍を開始した!その数、僅か300名だった!対する藩の勢力はおよそ3000だった!戦いが始まってほどなく、数で圧倒する敵軍は、奇兵隊の本陣近くまで迫った!・・・

多勢に無勢、大量の弾薬と食料が置かれた本陣が奪われたら、もはや戦闘を続けることは困難であった!どうする!如何に戦う、奇兵隊!?奇兵隊が編み出した散兵戦術(さんぺいせんじゅつ)があった!これを使うは今しかない!分散して戦う散兵戦術は、守りは手薄になるが、成功すれば 、敵に大きなダメージを与え、戦況を一変させることも出来る!神護寺に本陣を移し、隊士達は2,3名ごとに、石城山の山中に散って、敵の部隊を一斉に狙撃すると云う、イチかバチかの賭けに出た!『この一発で全てが決まる!』と、高台から銃を構え、放った!・・・

思いもよらない場所からの攻撃に、敵の部隊は大混乱を来たした!『突っ込め~~~~!』、隊士たちは浮足立った敵の陣地に突入した!そして奇兵隊は日没を前に、何と!藩の軍勢を打ち破ることに成功した!おおおおお~~~!奇兵隊の雄叫びが山中に響き渡っていた!・・・その後、奇兵隊を中心に政権の交代を果たした長州藩は、討幕への道を突き進んでいった!その新しい長州藩の主力となったのは、クーデターを経て藩の正式な軍隊となったは、言わずと知れた、奇兵隊の若者達だった!そして、慶応4(1868)年4月、江戸城は明け渡され、時代は明治へと移り変わって行った!・・・

明治2(1869)年11月、新国家の成立に伴って、奇兵隊は解散された!新兵衛や順造ら、その役目を終えた奇兵隊士等10名ほどが、山口・光にある第二奇兵隊の本営のあった普賢寺で、記念写真に納まり、6年5か月に及ぶ、若者たちの青春は終わりを告げようとしていた!新兵衛の剣の鞘には、“不肖、新兵衛は長藩の下に、歳19にして奇兵隊に入れり!”と書いてあった、『寅、聴いちょるか?俺らの歩みじゃ!もう、厄介もんじゃねえぞ!これ皆、我が身の栄光の力なり!我が終生の友へ!』、写真屋が言った「それじゃ、行きますね、ええ顔して遣わさんせよ、お侍れいさま!」、新兵衛は言った『否、俺らは侍じゃねえ!きへいてえじゃ!』・・・

奇兵隊の活躍から150年、東京・杉並区にある馬橋稲荷神社にて、今年、奇兵隊士たちの奮闘を示す貴重な遺品が箱に入って見つかった?箱の中から取り出されたのは、討幕の戦いに赴いた奇兵隊士が身に着けていた軍服だった!激戦の後を物語る血の跡や、撃たれた弾痕もあった!何と、奇兵隊士の軍服が見つかったのは、これが初めてのことだった!その軍服を見に来た隊士の子孫の元森仙(のりお)さんが言った「自分たちがやらねば、やる者がいない!と奮起して戦ったのだろう!」、その様な奇兵隊の志気が、今の時代に繋がって来たのではないだろうか!・・・

奇兵隊の故郷、山口・平川には今も歌い継がれている歌がある、“常備(国の正規軍)騒ぐな、山椒(さんしょう)が芽立つ!やがて4月にゃ、鯛(隊)が来る!”、『国の威光を傘に着て、いい気になって威張るんじゃない!何か間違ったことをすれば、必ずまた、民衆の中から、我々、奇兵隊が現れる!』、その心意気は、地元の勇士による紙芝居などの形に変え、語り継がれてきた!「胸に魂さえあれば、何時か世に出て活躍できる!何者かに成りたいと願い 、幕末の動乱を駆け抜けた、名も無き若者達!その思いは今も色あせることは無い!」・・・

 

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なでしこ、ベスト8を懸けてオランダと戦う! 2015年6月24日

2015-06-24 11:54:33 | 日記・エッセイ・コラム

午前中、ウエルネージでの加古川市健康課主催のヨガ教室を済ませて急いで帰宅すると、前半10分に、右インサイド・バックの有吉佐織が、大儀見のヘディングがゴール・バーに弾かれ、それを相手側がクリアしたこぼれ球を蹴り込んだ!ネット左隅へGoa~~~~l!決勝トーナメント初戦に挑むなでしこジャパン(C組1位)がオランダ(A組3位)に先制して前半が終わったばかりであった!よしっ!家内が買い物から帰って来て、昼食の用意が出来た様なので、中断して台所のテレビで観戦することにしよう、いいど!いいど!・・・

12時01分に後半がキックオフされた、今日は海堀がゴールポストを守っていた、21分、大野が下がり若い岩淵22歳がピッチに入った、あっ!川澄がスライドしてインターセプトしたボールが大儀見に渡った、大儀見が後ろ向きから宮間へヒールキックした、宮間から岩淵へ、それを岩淵がスルーして、それが絶好のパスとなり坂口に通った、32分、坂口夢穂の左脚がうなった!ボールはGKの頭上越えて左側のネットへ突き刺さった!Goa~~~~l!実に素晴らしいゴールが決まった☆!全スタンドから大歓声が起こった!なでしこが2点目を獲って2-0とオランダとのリードを広げた!34分、川澄に代わってレジェンド穂希が入った、12時46分、ロスタイム3分が着いた!・・・

ロスタイム残り1分、あっ~~~!なんじゃこりゃ~~~!ファンティファンの超スローの超イージー、ヘディングシュートを、ななな~~~んと名キーパー・海堀が!手元が狂ったのか?何を考えていたのか?海堀の右肩にチョコンと当ったボールが、コロ!コロ!コロ!とゴールネットの中へスッポリ吸い込まれて行った~~~!ア~~~!土壇場で、いらん1点を返され2-1となった!あゆみちゃん、あんな御ふざけ、二度とせんといてな!あんたらしゅうないわ!・・・

12時49分、試合終了のフォイッスルが鳴らされ、なでしこジャパンが2-1でオランダを下した!これで、なでしこジャパンは来年2016リオ五輪(8月5日~8月21日)出場権を勝ち獲った!このあとB.C.州の直ぐ東隣、アルバータ州州都・エドモントンへ移り、日本時間28日早朝5時キックオフで、E組1位のブラジルを破った、アジアの強者(つわもの)、FIFAランク10位でD組2位のオーストラリアとベスト4を懸けて準々決勝で対決することとなった!☆行け~~~~!なでしこジャパン!・・・ 

我が広島カープは昨夜、長野での阪神との8回戦で、5時間47分に及ぶ死のロードを味わった!黒田が7回表まで投げ3-3でマウンドを降りた、7回裏に安藤の暴投で4-3と広島がリードした、大瀬良に託した8回表、ゴメスの3ランで4-6と逆転された!その8回裏、新井のソロで5-6に迫った、そして9回裏、丸のタイムリーで良くぞ6-6の同点に追いついたものだ!6-6のまま、両チーム相譲らず、12回を終えて規定により引き分けとなった!何と、広島が6人、阪神が8人の投手を費やした激戦だった!・・・

今夜、富山での阪神9回戦は、1回表に1点先制された広島は、4回表に先発の野村が崩れて0-5とされ試合が決まった、満塁から今成に2点タイムリー2ベースを打たれ!ランナー2,3塁からピッチャー能見に2点タイムリー撃たれ!5回裏、梵の4号ソロで1点、8回裏、丸のタイムリーで1点、計2点を返したが2-7で広島は敗れた!このあと広島は26日から、ズムスタに中日を迎えて3連戦を戦う、願わくば、2勝は欲しいところだ!・・・

 

 

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