京、池田屋事件によって多くの尊王攘夷派の命が奪われた、吉田稔麿も会津藩士等に襲われ絶命した!そして怒りに燃えた来島又兵衛が、長州藩家老・福原越後と組んで、「同志達の仇(かたき)じゃ!会津藩士等の首を一人残らず、獲るべし!出立じゃ~~!」、おおおおお~~~!、600名の遊撃隊を組織して上洛して行った、しかし、あくまで朝廷に嘆願し、長藩の復権を取戻し、戦さを避けようとする久坂等と、来島らの間には溝が深まっていた!・・・
“先生を慕うてようやく野山獄!”と俳句のお師匠さん、高須久子に高杉が挑戦していた、そこに司獄・福川犀之助(さいのすけ)らの制しを振り切って、酔った周布がやって来て高杉に怒鳴り散らした!『わしはお前ら若者に賭けたんじゃ!久坂は無謀にも兵を挙げ、お前は牢の囚人と成り果てた!』、「出兵の事は聞きました!久坂が時を見極めたんならば、共に闘わねばなりません!すぐさま、どうか、私を獄から!」、『出すもんか!お前は3年、学問に励め!これしきの事に耐えられんことでは、藩のまつりごとは出来ん!』、「何を悠長な!すぐさま、貴方様が舵を取らねば、我が藩は!」、『わし等には、力を持たんわい!だが、お前だけは死なさん!』、「如何云うことです?」、『吉田稔麿が死んだぞ!』、稔麿が!・・・
文が雅と伴って、傘造りの内職をする稔麿の母・イクと妹のふさを吉田家に訪ねた、京で長州のお侍さんが何人も殺されたことは、伝わっていた!噂しよる人の中には、兄上が命を落とされたという人も!そんなん、まだ確かかどうか、分からんよね?、文は稔麿の形見を差し出して伝えた『京・会津藩預かりの新撰組云う人らが、長州や尊王攘夷の人達を襲撃したそうです、稔麿さんは、お仲間を守るため、駆けつけようとして、命を落とされたと、久坂から託(ことづか)って居ります!』文は深く手を着いた、『稔麿さんとの誓いは必ず果たします!と久坂は申しています!』・・・
入江九一の妹・雅が小さな包みのお金を差し出して言った「兄から預かりました、塾生の皆さんからです!」と頭を下げた、ふさは泣き崩れた、雅が駆け寄りふさの肩を抱いた、母イクが懐から長藩・奇兵隊の記章を取り出して口を開いた「あの子がこれを、武士になった証しじぁって、誇らしかったんじゃろね!いっつもゆうとった、武士になって、この国を救うと!何で!?何であの子が、殺されんと、いけんかった?」、ふさが言った「皆のためよね、長州を守るためよね?ご立派だったと思うてええよね?文!?」ふさの両手が文の両手に重なった!文には掛けてやる言葉が無かった・・・
萩の実家には、叔父の玉木文之進も姉の寿も全員集まっていた、そこへ心痛な思いの文が吉田家から戻って来た、「母上!」と久米次郎が迎えた、父・百合乃助が文に訊いた『久坂殿は今、どの辺りじゃろうか?雪辱の嘆願とはいえ、兵を持って京に行くことは、要らぬ誤解を受けんと良いが!』、梅太郎「久坂殿は今回の進軍の謂わば大将じゃ、もしなんか、間違いが起きたたなら?・・・」、亀「また、そねな心配ばかり、せわあない!」、梅「無いとはとても言えん!」・・・
寿が言った「万が一、戦さになるようなことがあったら?」、文之進「例え戦さになっても、久坂殿は負けやせん!」、文『戦さには成りません!』、何~!?、『旦那様がそう仰(おっしゃ)いました!稔麿様の事、どねえに悔しゅう思うて居ることか!それでも、決して戦さにはせんと、必ずご立派にお役目を果たされて、帰って来て下さいます!』、その夜、亀太郎が描いた寅次郎の姿を眺めながら、しゃべりかけた『寅兄、久坂が行きました、どうか、あの人をお守りください!』と手を合わせた・・・
久坂から長崎の伊之助と剛蔵(ごうぞう)のもとに書状が届いていて、公家や諸藩の力添えを仰いでいると、したためてあった、また薩摩が動きを見せたら、知らせて欲しい!」とも願い出ていた、剛蔵「じゃが、危ない賭けじゃ!武力をもって朝廷に嘆願を迫るとは!」、伊之助「布施様でも嘆願を止められんかった以上、嘆願が叶うよう、久坂の後ろ盾とならねば!」・・・嵯峨の天龍寺に陣取る来島隊と伏見に陣取る福原隊と共に、京の郊外、久坂隊が本陣とする天王山中腹の山崎・宝積寺(ほうしゃくじ)に集結していた、久坂は忙しく、山城国の淀藩主・稲葉家や鳥取藩主・池田公などへ支援の書面を送っていた!・・・
久坂が入って来て作戦計画を練っていた来島隊、福原隊司令部に言った『私はこれより鷹司様に、三田尻院で待機して居られる元徳(もとのり)様の入京を認めて頂き、天子様への嘆願のお取次ぎをお願いして参ります!』、来島「御所の近くに陣を構え直したらどうじゃ!」、久坂は怒って、策戦卓上を散らかして続けた『我々は戦さをしに来たのではありません!私が必ず嘆願の手筈を整えます!』、福原「全てお前の手腕に掛かっとる、頼んだむぞ!」、無駄だ!来島隊は奇声を発して出て行った!久坂と入江らは鷹司邸へ向かった!・・・
京下町のある置屋の下働きとなっていた辰路が長州のお侍さんたちが天王山に陣取ったとの噂を聞いていた、不穏でギシギシした下町では穏便な長州藩の人気は高かった、京・長州藩邸に桂小五郎が来て伝えた「久坂、喜べ!鷹司様から話を聞いても良いと云う書状が参った!天子様にも嘆願書を御出請頂けると!嘆願への道筋が整えば、元徳様の入京も許されるじゃろ!」、そこへ寺島が入って来て言った「鳥取六藩が連名で、長州支援の書状を朝廷へ送ってくれたと!」、事は全て久坂隊に傾き、久坂は朗報を鷹司へ知らせに出向こうとした時、桂が忠告しようとした、久坂『分かって居ります、もう一人で先走る様なことは致しません!』、如何した?お前らしゅうない!?『何のために戦うか?それを忘れとうないんです!』・・・
その頃、御所には、西郷吉之助が同席して、公卿(くぎょう)たちが集まり、元徳の入京許可と長州藩の嘆願を巡って、元関白・鷹司輔煕(すけまろ)と、長州の過激攘夷を忌み嫌う薩摩派・近衛忠煕らが話し合っていた、薩摩藩士・西郷が薩摩の考えを聞かれて答えた「あいにく、我が藩の兵は、薩摩に戻してしまいもんした、戦う兵も居らん今、どげんしたもんごあんそか?」、鷹司が、長州の言い分を聴居てやったら、戦さも避けられると勧めた!・・・待てよ、こんなに、のらりくらりとやっていたんじゃ、日が暮れる、もっと端折って行こう!・・・
公卿たちの会談を襖越しに聞いて居た久坂のもとに、桂のおなご、芸妓・幾松が案内されてきて、辰路の言付けを伝えた、その帰り、久坂が辰路を訪ねると、彼女の腹には久坂のヤヤが宿っていた!辰路は好きなお方の子を身ごもっているだけで、元気が出て、生かされていると伝えた、久坂が銭をそっと握らせて伝えた『京の町を戦さの炎で焼いたりせん!』、そうどすか、そりゃ安心や!『俺に何が出来る?』、辰路は久坂の手を腹に当て言った「久坂はん、生きらなあかんで、どないなことがあっても!何も望むものはないけど、あんたの子や、産まれたら名前ぐらい付けて貰わんと!この子が生まれるまで、生きててもらわな、困ります!」、そのまま久坂は去って行った、辰路はじっと切なく消えて行く久坂を見送っていた!・・・
萩では、久坂の帰るまでに引っ越しを終えて、久坂を迎えると約束した文が、屋根裏から久坂の私物を下ろしてきて、引っ越しの準備に取り掛かろうとしていた、今引っ越しせんでも、久坂殿が帰って来てからでええと家族は止めたが・・・その頃、天王山の本陣に来島隊が来て久坂に、元徳様の入京が遅いと急かせた!鷹司と他の公卿衆からの賛同を得ていると伝えた、「長州は攘夷を成し、街の困窮を救ってくれる!」と、町民からの米の陣中見舞いが届けられていた!肥後、越前、土佐も事が順調に進めば賛同するとの約束も寄せられていた!そこに、品川弥二郎が、長崎の伊之助から書状を久坂に届けた!・・・
そこには、長州への攘夷実行報復を決めたイギリス、フランス、アメリカ、オランダの四か国艦隊20隻が下関に向かっていたのだ!一月も経たぬうちに下関に到達する!伊之助は、何としても、戦さを避ける道を探れと勧めた!朝廷への嘆願が通らぬ折は、一旦、京から兵を引き揚げ、長州での戦いに備えることを考えよと伊之助は久坂等に頼んだ!長州が生きる道を互いに探すのだ!天王山の本陣に緊張が走った!朝廷の後ろ盾無きままに、戦さになれば、誰も長州の味方になる者は無くなる!来島が言った「一刻も早く参内(さんだい)し冤罪を晴らせねば!御所に兵を進めましょう!」、全ては一刻を争った!久坂は元徳様を一刻も早く上洛させ、兵力を8000に増強し、朝廷への嘆願を急がそうとした!この知らせは入江を通して萩に届けられた・・・
その頃、元徳様が、三田尻からの入京も許されたようだと!の知らせが萩の文ら家族にも知らされた!文は急いで、椋梨邸に美鶴様を訪ね、姉・寿から聞いていた、久坂家の新居となる紹介物件を、家主様へお取次ぎ頂けるよう、正式にお願いするために出かけた、すると、美鶴様から意外な答えが帰って来た!?「恥を知りなさい!こんな状況で、よくも、そんな、づうづうしい頼みを!長州が今にも滅びようとして居るこの時に、誰がその張本人たる久坂玄瑞に家など貸すものですか!?」、何故そのような?、「何も知らないのですか?やれやれ!」・・・
椋梨美鶴様はつづけた「久坂玄瑞は迫りくる異国の艦隊に恐れをなし、天子様への嘆願の道筋すらつけられず、入京のお許し無きままに、元徳様を京へ向かわせたんです!異国艦隊の報復も、京での長州藩排斥の政変も、全て久坂玄瑞が招いたこと!長州を絶体絶命の窮地に追い込んだだけでは飽き足らず、元徳様のお命まで危険に曝すとは、何たる愚行!悪いことは言いません、養子に貰ったお子は、寿さんにお返しなさい!久坂家の跡取りとあっては、一生汚名に苦しみます!」、文は言い返した『汚名では御座いません!』、何と?、『久坂の名を継ぐことは、汚名では決して御座いません!どなえな窮地に立とうと、あの人の心は何時だって、真っ直ぐに国を思うとります!わたくしは、夫・玄瑞を信じて居ります!』・・・
振り向いた美鶴は拳を振り上げて 、文に一撃かまそうとした!文がギロッと睨みつけた、その時、「騒がしいのう!」亭主の椋梨が現れ言った、「何でも御座いません、直ぐに返します!」、うん!・・・門を出た文は久坂の言葉を思い出していた、「俺は死なん!俺はお前と共に生きる!」・・・帰宅した文に家族が温かい言葉をかけた、梅兄が元徳様の上洛を、ぬか喜びしたと、文に謝った、滝が「さあ、ご飯に致しましょう、何です、お通夜の様な顔をして!」、文が伝えた「美鶴様には断われてしまわれましたので、松本市(いち)で聞いて、他で決めて参りました、久坂の家を!ここからは、ちいと離れているが遊びに来て下さい、せわあない!寅兄の事を考えると、落ち込むくらいなら、堂々とせんと!寅兄さんの様に、明日、家を出ます!姉上、久米次郎と暮らすことをお許しください!」文は寿に首(こうべ)を垂れた・・・