Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

マラソンが2時間3分台に入る 2008年9月29日

2008-09-29 18:03:55 | 日記・エッセイ・コラム

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アスクルエージェント 山崎文栄堂

今日は朝から冷た~~い雨が1日中降っていた、通勤ランができるくらいの小粒の雨であったが、ここ播磨の地も最高気温が17℃と低い11月上旬の気温であったらしい、明日も終日雨になるとの予報が出ている、こないだの台風13号と同じようなコースを辿って台風15号が台湾を襲い東シナ海を北上し南西諸島に向かっている、ここ播磨には台風はめったに来ない、何か来難い理由があるのか、うま~~く避けてくれる、今回も前回の様に逸れて行ってしまうだろう・・・

昨日午後2時より青少年女性センター301号室にて、第15回加古川シティオペラ二本立て公演プッチーニ作“ジャンニ・スキッキ”とマスカーニ作“カヴァレリア・ルスティカーナ”本番写真展示会があって小生も出席した、あの合唱団の懐かしい面々が集まって言葉を交し合った、小生がよく映っている写真とオペラ全容を反映させるような写真を選んで8枚注文してきた・・・

昨夜メールを整理していると、小生をブッタまげさせるビッグニュースが飛び込んできた、またまた笑顔が素敵なあのおっさんが、あっ失礼!、ごっついことをやってくれた☆☆164cmという小柄な35歳になるあのエチオピアのハイレ・ゲブレシラシエが28日開催された第35回ベルリンマラソンにて自分の持つ世界記録2°4′26″(2007年ベルリンマラソン)を塗り替えて、なんとな~~んと2時間4分を切る、スピードマラソンもここまできたか!!☆☆“2時間3分59秒”というとてつもない世界新記録を樹立したのである☆☆

もともと喘息持ちの彼は大気汚染がひどいとされる北京五輪のマラソンを避けて10000mだけに出場して6位に入賞している、後のコメントでマラソンにも出ればよかったと述べていた、もし出ていれば彼の圧勝に終わったに違いない、彼は元々5000/10000mのトラック・ランナーとして名声を欲しいままにして、1992年から2003年まで数々の世界の舞台で金メダリストとして世界を征して来た、2004年からマラソンも始めて、2005年より出場する世界のマラソン大会は2007年のロンドンマラソン以外は全て優勝で飾っている(勿論2006年の福岡国際マラソンでも)、11年間にも渡ってトラックレースの王者に君臨したものだけがスピードマラソンを征すること出来る事を彼は証明した・・・

次回の2012年のロンドン五輪では彼は39歳になっているが、またやってくれそうな予感がする、彼はエチオピアの国民的英雄として人民から慕われ、国家からは名誉ある“ハイレ(皇帝)”という称号を戴き、アディス・アベバ郊外に豪邸が与えられ王様のような悠悠自適な生活を送っているらしい、羨ましい~~~

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ゲリラ豪雨初体験 2008年9月26日

2008-09-26 22:16:18 | 日記・エッセイ・コラム

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今朝起きて7時頃台所に行くと外はまだ暗く雨が降っていた、Herbalifeの朝食を済まし玄関を出てみると雨が止んでいた☆シメタ!!直ぐサクラの散歩に出かけた、しかし400mも行かないうちに雷鳴が轟いた!!その瞬間、雷嫌いのサクラが反応し、とんぼ返りで一目散に家路に向かって走り出した、家に着くか着かないうちに大粒の雨が降り出した・・・

8時前土砂降りの中、リュックを背負い傘を差して800m離れたところにある宿泊施設“つつじの家中津ケアハウス”に走った、靴もジャージのズボンもびしょ濡れになった、Cravanの鍵を開け載り易いところに移動させ、トイレを借りて用をたした、付き添いの原さんと浜ノ宮工房“あいのパン”まで出勤する山本さんと岡田君を載せて出発した・・・

雨は益々激しさを増した、4人ほど山角デイケアセンターの利用者を乗せて次の利用者宅へ向かっているとき、原さんの携帯に施設長から電話が入り、大雨警報が出たのでどうしましょうとお伺かがいを立ててきた、車も流れ電車も流れているのでこのまま行きましょうと話はまとまった、坂道の側溝からにごり水が溢れ出し道路半部を覆っていた、Sattyの信号付近の一部が冠水してタイヤの半分ぐらい浸かりながらその場を通り過ぎた、小生テレビではこの様な風景をよく観ていたが、実際自分で体験してみて新鮮な感覚だった・・・

ラジオ関西を聞きながら1時間ほど経った頃、加古川に低く垂れこめていた黒雲も雷鳴もどこか東の方角へ去って行った、明石と大久保の間のレールが水に浸かり電車が不通になったらしい、間もなく警報地域が大阪へ広がっていった、やがて加古川上空の雨脚も弱まってきて、警報か解け西の空が明るくなった・・・

浜ノ宮工房に2人送り届け、利用者8人全員をピックアップしてから、加古川マラソンスタート・ゴール地点の直ぐ側(そば)にある“加古川市防災センター”に立ち寄ってトイレ休憩を取ってから山角デーケアセンターへ帰っていった、よくトイレ休憩を取るところは尾上神社の直ぐ近くにある尾上支所かこの防災センターに大体相場が決まっている、防災センターでは予約しておけば色んな防災・救急処置・地震・消火などの体験学習ができる・・・

10時過ぎ山角に帰着して午前の業務を終え、リュックを背負いジャージのズボンを脱ぎランニングパンツ姿で薄日の差す中走って帰った・・・午後の送迎業務のため走って2時35分ごろ山角に着きびしょ濡れのTシャツを着替えズボンはいてデイケアの建物の中に入ると、今日もあの女性リコーダー奏者(結婚しているんヤラしてないんやら微妙なところ)が来て利用者達に演奏を聴かせていた、小生彼女の隣に座り譜面を見ながら、彼女の奏でるリコーダーの伴奏で“となりのトトロ”を口ずさんでみた、その後音楽談議に花を少し咲かせた後午後の送迎に出かけて行った、彼女は気の向いたときにいつでもふら~~とやって来るらしい(^。^)・・・

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麻生丸船出する 2008年9月23日

2008-09-23 17:26:52 | 日記・エッセイ・コラム

ハタケシメジ

午前中義姉を誘って墓参りに出かけた、八幡JAふぁ~みんによって墓前に捧げる花を含め新鮮な野菜を買いこんだ、そこの売り場に、小生が9月の始めから利用者の送迎係としていっている、“つつじの家”浜ノ宮工房で焼れたクッキー類が数種陳列してあった、その内の一つ“おからクッキー”を味見に1袋買い求めた、近頃特に消費者の間に食を見直す意識が根づいてか、いつもふぁ~みんは買い物客で大混雑が続いている・・・

墓参りを終え帰り昼食に回転寿司・スシローに寄ってはまちのあら入り赤出汁とタップリ寿司11皿も食べて殿様気分に浸って帰宅した、6ch船越英一郎の火災捜査官・紅連次郎“完全密室無人出火のトリック!”のドラマテックな最後の結末を涙ぐみながら観ているまに等々力(とどろき)スタジアムで行われた3時からの4ch“セイコー・スーパー陸上カワサキ”をすっかり忘れてしまっていた、悔やんでみても後の祭であった・・・

洗濯物を片付けに2階にあがってきた家内が小生の書斎のドア越しに声を掛けてくれたらしいが気が付かなかった、家内の話ではあの朝原は北京五輪100×4の他のメンバー達、末続、塚原、高平を抑えて日本人トップの3位で最後の花道を飾ったらしい、よかったよかった☆☆どうやらウサイン・ホルトは走らずスターターをやったに過ぎなかったらしい・・・

このままブログを続けたいところだが早朝より四国阿南へサーフィンに出かけていた長男が5時過ぎ帰ってきて、我々に焼く肉をご馳走してくれるらしく、これから出かけることになった、では後ほど・・・

行きは小生が運転していった、長男が友人に紹介された焼肉店・・・なんと姫路よりまだ西の英賀保まで・・・1台も車が見当たらない、がらん~~とした駐車場に車を止めて少し離れた店まで行ってみると火曜日は定休日で閉店していた!!・・・日を改めて来る事にした、気を取り直して帰路に着く・・・

途中、高砂阿弥陀の明姫幹線沿いにある“尾道ラーメン”に寄って薄口醤油ラーメンとギョーザを長男がご馳走してくれた、このラーメン店には以前一度きたことがある、醤油で黒々した魚の出汁スープに豚の背油がタップリ入っているのが特徴である、普通スープ一滴たりとも残さない小生だがここのは塩辛くて飲み切れなかったが、今日の薄口は最後まで飲み干した、テーブル横の壁に貼ってあったポスターにセピア色の女性の顔写真を見つけよく観てみると、あの“放浪記”の作者、林芙美子であった、そうです彼女は生粋の広島尾道育ちの文豪だったのだ・・・

昨日5人候補が仲良く闘った総裁選の末、予想通り麻生太郎自民党幹事長(68歳)が他の与謝野、小池、石原、石破候補者を525(国会議員票386、地方票141)のうち351票を獲得して圧倒的な大差で新総裁に選ばれている、これから幹事長、政調会長、総務会長、選挙対策委員長、国会対策委員長などの党主要人事を選び、内閣を組閣して麻生丸が辞任表明した福田首相の残り任期、来年2009年9月30日まで責任政権与党として船出する事になる・・・

これまで小生は自民党を支持してきたが、個人的な発言になるが、「麻生政権よ、任期までシッカリ務めて日本の舵取りを取っていってもらいたい」と言いたいところであるが、今では10月26日頃に噂されている衆議院解散総選挙でもなんでも、さっさとやってもらって野党に敗北し政権を失い、政権を小沢一郎民主党に渡してもらいたい!!と心から切望する理由がある・・・

それは己の保身のみを考えた無責任な役人根性丸出しの福田康夫前首相が促し→太田誠一前農水大臣が動かし→農水省官僚の長である白須敏朗事務次官が命令を出して370社に及ぶ酒造メーカー、和菓子メーカー、米菓子メーカーなど何の落ち度もない末端流通先リストを浅はかにも公表して、それら中小企業の返品発注阻止などをともなう経営の社運をも脅かす風評被害をばら蒔くだけばら蒔いて、逃げる様にして辞めて行ったことに小生心から憤慨を覚えるからである・・・

彼らは代々受け継いだ老舗の暖簾を細々と地道に守ってきた、ある日突然農水省からの電話の問い合わせだけでリストに上げられている、中には汚染米とは全く関係のないお店も少なからずあった、汚染米を速くさばかんが為、悪徳業者とぐるになって闇取引を野放しにしてきた自民党政府と農水省にはこの風評被害の責任をはっきり取ってもらいたい、彼ら老舗店舗店主達はただ三笠フーズ→島田化学工業のルートなり(株)浅井→ノノガキ穀販のルートを通して汚染米/事故米・不正転売の犠牲になっただけであるのに・・・福田政権は引き際になって、けつを幕って最後っ屁をかます様に、あまりにも無責任過ぎる悪行をやらかし逃げる様にして去っていった、今国民は立ちあがって投票と云う形で政治参加をする義務を果たし自民党政権に審判を下すべき時が来たのでないだろうか・・・

ビジネスフラワー

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またもや食の安全を脅かす中国産メラミン含有乳加工製品 2008年9月21日

2008-09-21 21:11:17 | 日記・エッセイ・コラム

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昨年2007年3月アメリカで発覚した中国産有毒ペットフードによる10数匹の犬猫急死事件は小生の記憶に新しい、たんぱく質含有量を上げるため小麦グルテンに混ぜられたメラミンが急死した犬猫から検出された、直後FDA(米食品医薬品局)はそのペットフードをリコール対象にしたが、日本ではペットフードの安全を規制する法律がなくその後同じペットフードが日本市場に出まわって売られていたのである、なんたることだ!!・・・

中国国内でも今月9日に河北省にある国内最大手メーカー“三鹿集団”のメラミン汚染粉ミルクを食した乳幼児が5人結石を伴う急性腎不全で死亡したと報道された、メラミンに含まれるメラミン・シアヌル酸が尿中のアンモニアと反応して結石を創ったのである、そもそもメラミンは発癌物質ホルムアルデヒトと反応させて耐熱、耐水、強度に優れた工業用合成樹脂“メチロールメラミン”を生成するための原料である、あた恐ろしや(・_・)

今や患者が約6200人にのぼり今後増えるだろうとの可能性は否めない、中国当局は当初日本大使館に中国乳製品は日本には輸出してないととぼけていたが、そのメラミン汚染粉ミルク問題が何時の間にか“伊利”、“蒙牛”、“光明”などの大手牛乳メーカーの牛乳そのものにも10%に及ぶ割合でメラミンが検出されたと中国新聞社が報じるに至った・・・

中国の酪農家の間では増益を計って原乳を水で薄めメラミンを混入し、たんぱく質含有量を高めるという恐ろしい手法が横行しているとされている、この度中国公安当局は18人の酪農関係者を逮捕したらしいがほんの氷山の一角に過ぎないだろう、中国食製品に頼る日本には確実な安全自衛策はほとんどない、冷凍ギョーザにしろ全ての加工食品は抽出されたサンプルを残留農薬と細菌(メラミンは対象外)のモニタリング検査されるぐらいで業者の提出する書類審査で検疫所を通過してしまう、さすがこの度は厚生労働省・監視安全課も全国の検疫所に中国製牛乳と乳製品の輸入手続を保留する様に通達したらしい、当然のことである、未だにうやむやになっている冷凍ギョーザ事件で目覚めるべきでなかったのか・・・

中国青島にクリームパンダなどの乳菓子製品を製造する子会社を持つ丸大食品は19日メラニン汚染された牛乳の事実確認調査に踏み込み自社加工製品の中からメラミンを検出して、20日には自主的に全製品回収に踏み切っている、乳製品を伊利から買いつけている日清食品も事実調査を開始したと今日のニュースで伝えられていた・・・

農林水産省の消費・安全政策課によると幸いにも日本は中国からは年間僅か216トンぐらいの乳製品しか輸入せず、大半はオーストラリアやニュージーランドからの輸入で占めているらしい、しかし牛乳を原料とするアイスクリーム、乳飲料、外食用食材、菓子製品、冷凍食品などの加工食品に至っては1年間に87400トンにも及んでいる、さすがこの場に直面して農水省も急遽実態調査に乗り出し安全対策に踏み出したらしい・・・

ここでブループラネットに提案したい、政府、農水省に働きかけて国内酪農家を含め農業従事者・推奨支援援助政策を打ちたて食料の海外依存度を軽減していく様に働きかけては・・・もう誰かがやっているかもしれないが・・・

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全てが終わり北京パラリンピックが終幕 2008年9月18日

2008-09-19 00:59:40 | 日記・エッセイ・コラム

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昨日17日北京パラリンピック最終日、高校生のとき網膜の難病で視力を失ったがマラソンに出会い再び光を得た高橋勇市(43歳、2004年アテネバラリンピック2°44′24″の金メダリスト)が自己ベスト2°37′43″更新目指してマラソンに挑んだ、前半の伴走者・志田淳(NEC府中陸上部)氏から後半の川嶋伸次(42歳、旭化成黄金時代のエース、2000年シドニー五輪マラソン代表、現東洋大陸上部監督)氏にリードロープが引き継がれた・・・

前半のオーバーペースがたたったのか後半なかなか伸びない、川嶋は彼の欠点である身体の堅さを和らげるコーチをして力みの摂れたフォームは出来あがったはずだが細くくねくね続く堅い路面の北京のコースは厳しかったか、今回の大会から全盲と弱視との統合同時スタートが高橋に追い討ちを掛けた・・・トップから10分遅れの2°43′38″16位でゴールを切り彼の北京は終わった、しかし全盲者だけなら2位銀メダルに値したはずだ・・・

車椅子部門の終末は実にドラマチックな展開が待っていた、終始10人ほどの先頭集団前に出て仕掛けて来た副島正純(38歳、車椅子4)が鳥の巣に戻ってきたとき不運のアクシデントが起こった、直ぐ後を追うスイスのマルセルが後ろから接触した!!たまらず副嶋は横転してしまう!!不運にも副島の手からメダルの望みが逃げていった!!だが彼の代りに奮起した笹原広喜(34歳、車椅子4)が銀、上与那真和(37歳、車椅子2)も銀、伊藤智也と400/800m金銀ワンツーフィニッシュを飾った高田稔浩(43歳、車椅子2)が銅メダルに輝いた☆☆

その夜、全て競技で熱い闘いを終えた147ヶ国4000人のアスリートと2500人の役員が笑顔で閉会式に戻ってきた、9万人の観客で埋め尽くされた、12日間聖火が見守ってきた国家スタジアム“鳥の巣”に晴れやかな笑顔が輝いていた、豪快な花火で始まった北京パラリンピックのフィナーレを飾る2時間のショータイムを観劇するように・・・

自らバスケットボールの車椅子アスリートである、国際パラリンピック協会フィリップ・クレーバン会長と北京パラリンピック組織委員会リューキ会長が在席した、中国国歌のもとパラリンピックの大会旗の隣に中国国旗が掲揚されると、またもや花火があがった、ほとんどの選手達はスタンドから見守るなか147ヶ国の旗手と付き添いの選手らが入場してきて、やがて国旗はボランティアに手渡された・・・

“未来に願いを込めて!☆A Letter to the Future!☆”チャン・イーモ演出2時間に渡る豪華Spectacularが始まった☆☆今大会5個の金メダルに輝いた南アフリカの怪物、ナタリー・デュトワと5大会連続出場のパナマのゴメス(44歳)選手に功労賞としてメダルと花束が贈られた、突如天から紅葉(もみじ)の花びらが吹雪となって舞い降りてきた、充実感を味わいながら笑顔の選手たちが見上げる・・・

天使達がフィールドで舞い踊るとやがて封筒のマークが浮かびあがる、視覚障害者達が演じるピエロたちがフィールドに散らばめられた星を追う、一人の少女が手にした星を高く掲げる、未来に願いを込めて封筒に収める、水を表わす帽子をかぶった女性達が紅葉の葉っぱの上を水が流れる様に歩む、長椅子が並べられ、少女が椅子に坐り手にした手紙を読み始める、やがて男性の銅像が少女を取り巻き、水を頂いて手紙を手にして踊り出す、夢と希望の詰まった未来への手紙を投函していく・・・

少女の横に盲目のフルート奏者が現れ“収穫の調べ”を奏(かな)でる、すると収穫を待つ田園が広がる、二つの麦わら帽子を巧みに操り女性達が収穫を祝う、緑のマントをまとった女性達が現れ、麦藁帽子を高く放り投げそれらを巧くキャッチする、障害者と健常者が一つになったことを喜ぶ☆☆またもや花火の滝が天井から降り注ぐ・・・

雁(がん)をイメージする100人の郵便配達員が空中高く舞う、『障害者達の未来に幸多かれ!!☆☆』と夢と希望が綴られた手紙が各国の障害者アスリートたち宛に託され届けられるべく手紙がポストの中へ・・・フィールド真中に作られたサークルの中へ国際パラリンピック協会クレーバン会長と大会組織委員会リューキ会長が進む、まずリューキ会長が世界に感謝の挨拶を述べる『自己の限界を乗り越えて競技に全力を尽くしてくれた全アスリートたちに大きな敬意を表わしたい、この大会の聖火の架け橋が愛の架け橋になるように、友あり遠方から来たりていと嬉しかりき』・・・

クレーバン会長が北京に感謝を述べる『北京ありがとう、中国ありがとう、史上最高のパラリンピックだった、One World. One Dreamのスローガンが見事に実現された素晴らしいパラリンピックだった☆☆』と・・・そして閉会が告げられ、パラリンピック大会旗が下ろされ4年後開催地ロンドン、パラリンピック発祥の地ロンドンに手渡された・・・

北京オリンピックでもお馴染みのあの2階建てバスが現れステージとなり、ネルソン提督とダンサー達が喜びに乱舞して会場を盛り上げた後バスと共にやがてはけていった・・・一人の少女が手話で聖火に語りかけると、聖火がゆっくり静かに消えていった、夜空の湖光と赤く輝く月が全ての光景を見守っていた、フィールドにマスコットたちが北京パラリンピックの大成功を祝う様に走り回り狂喜した、またしても花火の祝砲が鳥の巣を彩った、小生も心から感謝したい、北京よありがとう、実に素晴らしい大会を反映する閉会式だった☆☆☆

ドロップシッピング<script type="text/javascript"></script>

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