Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

A組本番公演無事終了す 2008年8月31日

2008-08-31 10:54:35 | 日記・エッセイ・コラム

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昨日30日天気予報は雨であったが明け方に降っただけで曇り空が広がるまあまあのオペラ公演の日があけた、午後4時楽屋入り30分前に楽屋入りして合唱団みんな一丸になって40分ほどプログムへの折込み入れに汗を流した、加古川労音の連中も手伝いに来ていた・・・

ジャンニ・スキッキA組に引き続き7時20分カヴァレリアA組本番の幕が開けられた、序曲→オレンジ→アルフィオ凱旋→復活祭→ルチアとサントゥッツァ→サントゥッツァとトゥリッドゥ→ローラとサントゥツァとトゥリッドゥ→サントッツァとトゥリッドゥの二重唱→サントッツァとアフィリオの二重唱→間奏曲→合唱と祝杯→アルフィオが登場しトゥリッドゥとの間に不穏な空気が漂うフィナーレへと場面は展開されて行った・・・

アッ、もう11時前である、早昼食って12時B組本番楽屋入りに間に合うように出かけなければ、今日の北海道マラソンの録画予約もすでに完了している・・・

楽屋に入ると団員の一人が昨日のA組公演の記事がデカデカ出た地方新聞“神戸新聞”を持ち込んでいた、それを皆で回し読みして行った、オケピット分47席が減っているが1453席の収客の処を900人のお客さまが5年ぶりの加古川オペラ公演を満喫されたと・・・

今日オペラ公演最終日は朝から快晴だった、前売り入場券が完売したとあって立ち見もでているような満席のお客さまで劇場は熱気ムンムンであった、各場面場面のアリア、二重唱、三重唱、そして合唱曲が終わる度に劇場のあちこちから『ブラボー!☆ブラボー!☆』が揚がった・・・そしてアフィリオとの決闘でトゥリッドゥが亡くなった叫びの報せを聴き村人達は『あぁぁぁぁ~~~!!』と嘆くと、サントッツァが舞台に崩れ落ちた・・・左右からオペラカーテンがするするする~~と閉まり終演となった・・・

すばやく全員カーテンコール態勢(最前列に8人の子役達、次に2列の女性合唱団、そして2列男性合唱団と5人の助演)に移動して、またカーテンが開いた、我々が深く頭(こうべ)垂れてお辞儀した後カーテンは再度閉められ、ソリスト達が次々とカーテンの隙間から出てお客さまに深か深か頭を垂れた、指揮者の井村氏→演出家森氏が舞台に紹介されお客さまとオーケストラ、ソリスト、子役、合唱団、助演の全演奏者達に敬意を払った、またしても客席のいたるところからブラボ~~~☆☆が揚がった・・・

全て片付けが終わった後館内のレストラン“つつじ”で市長はじめ角界のお歴々が集まりノンアルコール打ち上げがあった、渡海紀三郎前文部科学大臣の顔もそこにあった、市長は本来は市が率先してやらなければならない地域オペラ文化向上であるが、そのために貢献する加古川シティオペラに厚い敬意と感謝の念を表明された、これからも後援を惜しまずしていきたいと約束された・・・今日は偶然14年前カルメン公演より副指揮者として加古川オペラのレベルアップに力注いで来られた井村誠貴氏の38回目の誕生日であった、色紙(しきし)に合唱団員全員は謝意を表した、挨拶の中に森健太郎氏は舞台袖で観ていて予想を超えるあまりの出来栄えに涙していたと自ら述べられた・・・

そのあと居酒屋“八犬伝”での二次会に移り改めて第15回オペラ公演成功を祝って冷た~~い瓶ビールで祝杯を挙げた、宴は延々11時半まで盛り上がった・・・帰宅して寝床に着いたのが1時であった、燃え尽き症候群に陥らなければ良いが・・・結果も知らないし北海道マラソンのビデオをまだ観れていない、後日ゆっくり観ることにしよう・・・

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仙台、福岡育ちのワンジルが金メダルに輝く☆ 2008年8月24日

2008-08-24 17:02:14 | 日記・エッセイ・コラム

五輪deブログ♪ あなたのオリンピック記事大募集★

銀座キャピタルホテル

今朝スタート時の北京は快晴で気温24℃湿度52%夏季マラソンにしてはまあまあのコンディションであるが、時間が経過するに従い気温はずずずずんず~んと上がっていくことだろう、こんな日には日射を遮断する、虫などから目を保護する、周りの視線を遮断してくれるサングラスが欠かせない、昨日レース直前沢木陸連専務理事と高野日本代表監督から左股関節の痛みが取れず欠場の発表があった大崎悟史(NTT西日本)はそこにはなかった・・・

これまで夏季五輪マラソンでは2時間9分台の記録しか出ていない、栄えあるスタートラインに立った世界の86名のランナー達が日本時間8時31分15秒予定より少し遅れて、天安門公園から過酷な長~い旅路へ飛び出して行った、直ぐ片側5車線の大通りに出て進むとやがて右折して天壇公園ヘ向かっていく、スタートして直ぐ集団は割れ、仙台育英を卒業して福岡のトヨタ自動車九州に所属するサムエル・ワンジルが引っ張るアフリカ勢20人ぐらいの集団が飛び出してぐいぐいスピードを上げていく、画面にはタイムの経過は出るが距離の表示されない・・・

天壇公園の中の5km地点を・・・早い!!14′52″で通過するサバイバル高速レースの展開となる、尾方剛と佐藤敦史の日本代表はすでにトップから10秒遅れとなり15′04″で5kmを通過する、第1集団は早くもアフリカ勢の12人ぐらいに絞られ霧状に噴射されるシャワー・アーケードをくぐって行く、トップ集団は天安門手前に戻り10km地点を29′25″、5~10kmを14′35″と更にスピードを上げ高速レースは続く・・・

尾方は1′01″遅れ33位で、佐藤が1′25″遅れの47位で10kmをカバーする、ペースが少し落ちつつき8人ぐらだったトップ集団が何時の間にか12人に増えていた、15km地点を44′36″、この5キロラップを15′10″で刻んで通過していく、尾方は1′55″遅れの27位、佐藤がづっと遅れて2′56″差55位で通過している、給水の後ワンジルが少しスパートすると堪らずスペインのマルチネスが振るい落とされていく、そしてエジプトから独立したエリトリアのアスメロンとケニア大阪世界陸上金メダリストのキベト、エチオピアのケベデが後に置かれていった・・・

トップ集団はケニア勢2人(ワンジル、レル)とエチオピア1人(メルガ)、エリトリア1人(キフレ)、モロッコ1人(ガリブ)の5人となる、20km地点を59′10″、ペースがまた上がり5キロラップ14′33″で通過する、今年4月ロンドンマラソンで2°5′30″を記録したモロッコのグムリがトップから30秒遅れでとなる、トップが中間地点を1°02′34で通過していく、尾方が28位で3分遅れとなる、佐藤は戦意を失いどこかへ消えてしまった、もう彼の後を追うまい・・・

中断してはやメシ食って、これから18時から始まるオペラ通し稽古に出かけなければならない、See you later.・・・

10時過ぎに帰宅すると北京五輪閉会式が行われていた、次回2012年ロンドン五輪の文化の象徴・2階建てバスが鳥の巣のフィールドに入ってきて、屋根と上部が開き早替わりして緑のステージとなった、そこに女性シンガーと男性ギターリストが出てきて演奏し始めた、風呂のラジオからも素晴らしいスペクタキュラー・ショーが繰り返される閉会式の模様が伝わってきた、入浴後小生の職場である“神戸屋”のレーズンパンを食いながら11時まで閉会式を観てから自分の部屋に戻った、眠い、早くこのブログを書き終えて寝る事にしよう・・・

5人のトップ集団が25km地点を1°13′58″この5キロラップ14′48″で通過していった、気温は27.6℃となり熱さとも戦う高速レースが続いた、尾方が4分24秒遅れの26位の1°18′22″5キロラップ16′11″で25kmを通過する、1位集団は木陰の多い北京大学校内へ入っていく、遅れていったケニアのキベトがレースを止めてしまった、エチオピアのキフレが前に出て5人のトップ集団に仕掛けるもワンジルがついていく・・・

30km地点を1°29′14″、この5キロラップ15′16″で刻んで5人の1位グループは北京大学から精華大学へ入っていく、キフレとレルの足取りが重たくなってペースが上がるらず徐々に下がっていき、優勝争いはメルガとワンジルとカリブの3人に絞られた、以前と2時間5分台の高速レースがつづく・・・

35km地点を1°44′37″、この5キロラップ15′23″とちょっとペースが落ちて2時間6分台のゴールタイムとなる、ここで美しい光景を目にした、スペシャルを取り損ねたワンジルにエチオピアのメルガが自分のスペシャルを手渡した、ワンジルは軽くてを挙げて会釈してそれを飲んだ、その直後ワンジルがスパートした、ガリブは着いていこうとしたがメルガが後に置かれていく、やがてその差が見る見る開き50mとなる、ケニア生まれ日本育ちワンジル(21歳)の金メダルが確実となった・・・

ワンジルは左へカーブを切ってオリンピック公園へ入っていく、カリブとの差が更に開き100mとなる、40km地点をワンジルは1°59′54″、5キロラップ15′17″で通過していく、2時間9分台のオリンピックレコードを塗り替える事は間違いない!☆やがてワンジルは両手を高く上げて気温29℃熱気ムンムンの国家体育場“鳥の巣”の中へ吸い込まれていく、トラックに現れると大きく左手を挙げてから手をを叩いて喜びを表した・・・

カリブもトラック入ってきた、ワンジルは第3コーナーからホームストレイトヘとラストスパートをかけ、ななな~~んと2°6′32″という素晴らしい夏季オリンピックレコードでゴールを切りケニアに今大会初の金メダルをもたらした☆☆続いてモロッコのカリブが2位銀メダル2°07′16″でゴールする☆実に夏マラソンの常識を覆(くつがえ)す、想像を絶するサバイバル高速レースであった、そしてしばらく経ってメルゲとケベデのエチオピアの2人がトラックの中に入ってくる、バックストレートでケベレがスパートしす~~~と4位となるメルゲを抜き3位銅メダル2°10′00でゴール☆☆5位にレル(ケニア)→6位にロスリン(スイス)が→7位にアスファウ(エチオピア)→8位にアスメロン(エリトリア)が続いた・・・

ワンジルがケニアの国旗を纏いウイニングランしている横に、後半粘って追い上げた尾方が現る現る♪フニッシュに向かい13位2°13′25″で北京五輪を終えた、佐藤は未だに現れず、間もなく午前11時のニュースに入る、トイレのラジオから最後尾76位で40kmを通過した佐藤が鳥の巣に近づいている旨を伝えていた、ニュースが終わり佐藤がトンネルをくぐり坂を登りトラックの中へ・・・1キロ4分ぐらいのペースでゴールへ向かっていく、場内から中国語で『シャーヨ!!シャーヨ!!(ガンバレ)』のエールが贈られた、やがて佐藤は76位2°41′08″のゴールを果たした、10人ものランナー達がリタイアしたことになる・・・

ワンジルはレース後のインタビューに流暢な日本語で『僕は日本で我慢する事を学んだ、応援してくれた多くの人達に感謝します』と、あんたは偉い!☆・・・

ハーブ<script type="text/javascript"></script>

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“炎の戦士”達はついに勝ち取った☆金メダルを☆ 2008年8月22日

2008-08-23 04:59:05 | 日記・エッセイ・コラム

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昨日21日日本全国民は北京五輪女子ソフトボール、アメリカとの決勝戦での日本女子ソフトボールチームの脅威の勝利に歓喜し感動の涙を流した・・・

3―1でリードして7回の裏2死ランナー一塁、2日間で3完投し412球を投げてきた上野由岐子はアメリカの2番の好バッター・ローに渾身の413球目を投げた、鋭いゴロが三塁手・広瀬めぐのグラブにスッポリおさまった、そして投球は少し2塁側に逸れたが1塁手・佐藤理恵は倒れこむ様にして身体を一杯に伸ばしてしっかり掴んだ!☆アウト!☆ゲームセット!☆

佐藤は歓喜の雄叫びを上げて掴んだボールを高々と頭上にほ~り投げた、9人の炎の戦士たちはベンチからのチームメイトも全員ピッチングサークルに駆け寄ってきて全員堅く抱き合った、加古川出身のキャッチー・乾絵美は上野を肩車して上野の激闘を褒め称えた、以外にも冷静を装っていた斎藤春香監督はしっかり男性コーチと握手した、そのとき炎の戦士達は一斉にNHKテレビとラジオ解説席に向かって感謝と喜びの手を振り続けた、そこにはシドニーとアテネ五輪で指揮をとり日本ソフトボール界を引っ張ってきた宇津木妙子元監督とラジオ担当のシドニー五輪で共に戦ってきた世界の遊撃手・安藤美佐子がいた・・・

言葉を詰まらせ『ヤッター!☆凄い☆☆おめでとう☆☆』二人とも泣いていた、両手を挙げて感激を表し選手たちに答えた、もう一人の日本ソフトボール界の貢献者・宇津木麗華もこみ上げる涙を流しながらテレビを観ていたに違いない、彼女は元中国代表の強打者として訪日し宇津木のプレーに感動して日本に残った、シドニー五輪での3連続本塁打はあまりにも有名過ぎる、1995年宇津木妙子が母親代わりとなり帰化して日本国籍を取得している、現役を退いてから上野が所属するルネサス高崎のヘッドコーチとして上野を育ててきた、この度も脳梗塞の父を案じてに会うためどれほど北京に帰りたかった事だろう・・・

しかし彼女は日本に留まり客観的な目でテレビ観戦しながら逐次上野に電話してアドバイスを献身的に送り続けた、どれだけ上野の計り知れない力となっただろうか・・・

今日自宅のテレビで宿敵・韓国との準決勝を観ていた、杉内の好投に答えて味方打線が貧打ながら2点を先取して有利にゲームを進めていった、4回と5回は憲伸がピシャリと0に抑えた、その後職場へ向かう車のラジオで聞いた、6回成瀬につないでGG佐藤のエラーで1点を入れられたものの2―1で7回藤川につないだ、藤川は簡単に2死を取ったところで職場に着いた、勝利を祈る気持ちで仕事に就いた・・・

仕事から帰宅して家内に結果を聞いてがっかりした、藤川が同点にされてから岩瀬にスイッチ???あんのじょう三度目もぼこぼこに打たれて大差2―6で負けたらしい、星野さん何故岩瀬だったの???ブルペンにはとっくにダルビッシュも上原も行っていたではないか、肩は充分出来ていたはずだ、岩瀬に賭けて彼を男にしたかったとすれば負ければ後がない準決勝戦でやるべきでない!!賭けるならチームの勝利に賭けてもらいたかった、星野さんあんたは冷静さを失って舞いあがってしまい采配を間違ったとしか思えない、不調の岩瀬を観抜くことは1回目で分かったはずだ、3度も同じ間違いをするとは星野さんらしくない、GG佐藤もあの1度目タイムリーエラーした時点で替えるべきだった・・・

アメリカがキューバに2―10で破れた、明日星野ジャパンはアメリカと再度銅メダルをかけて戦う事になったが小生観戦する興味が大分薄らいだ、星野さん明日はきっちり決めて欲しい・・・

今夜の男子マイルリレーに不調の金丸のピンチヒッターとして30分前に言い渡された為末大が出場した、彼の北京は終わっていたはずなのにこの大舞台で思いもよらない彼の勇姿を再度観られるなんて喜ばしい事なのか、彼は充分心の準備は出来ていなかっただろう、しかし彼は安孫子からバトンを受けて第2走者としてあの独特な野性的なホームで追いこみ堀籠にバトンパスでつないだ、アンカー成迫が2人抜き6位で終わった、為末は泣いていた北京の思い出を噛み締めるように、小生には大舞台での彼の存在だけでも絵になる、彼のいない400mなど、いや陸上は寂しいものである・・・

バトンパスといえば塚原→末続→高平→朝原と繋いだ男子400mリレー決勝の銅メダル38″15も感動ものだった、ここでもジャマイカ(カーター、フラーター、ボルト、パウエル)は世界新記録37″10を樹立して異次元的な強さを世界に見せ付けた、アメリカやイギリスやナイジェリアはバトンを落とし決勝には残れなかった、走力も大切だがバトンパスの技はリレーの重大なポイントとなる、日本のバトンパスは実に見事に磨かれている、この銅メダルは日本陸上トラック界において人見絹枝が1928年アムステルダム五輪女子800mで銀メダルに輝いて以来80年ぶりの快挙となるらしい・・・

明日23日土曜日も明後日24日の日曜日もオペラ“カヴァレリア・ルスティカーナ”の最終音練と最終A組通し稽古と最終B組通し稽古の週末となる、来週27日水曜日にはいよいよオーケストラ“ザ・カレッジ・オペラハウス”とのオケ合せのために阪急宝塚線の庄内まで出かける事になる、28日29日のゲネプロの2日間職場は休暇を取って準備万端である・・・

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北京五輪女子マラソン 2008年8月17日

2008-08-18 03:25:32 | 日記・エッセイ・コラム

親子カフェ

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昨日の男子100m決勝のウサイン・ボルトは凄かった、あのタイソン・ゲイはアサファ・パウエルと同組みの準決勝で4位に終わり姿を消した、100m決勝はボルトとパウエルのジャマイカ勢の一騎うちとなった、スタートして20mぐらいから196cmの長い脚がバネのように弾みウサイン・ボルト(22才)がぐいぐい前に出てカモシカが走るがごとく他を全く寄せ付けず、後半腕振りを止め両手を広げて流す様にしてゴールした☆☆

タイムはななな~~~んと、この5月ニューヨークでのリーボック・グランプリで樹立した彼自身の世界新9″72を塗り替える脅威の世界新記録9″69であった☆☆彼は黒い稲妻LIghtning Boltの異名を持ち100から200から400mまでをこなす末恐ろしいマルチスプリンターである、今後の彼の200/400mの走りにも注目していきたい・・・

今朝早々女子五輪マラソンの録画予約して氷丘南混声の音練のため氷丘公民館に出かけた、10分ほどの休憩の間、トイレに行く途中ロビーのテレビに思わず目をやった、そこには苦痛に顔をゆがめ歩き始めた土佐礼子の哀れな姿が映っていた、見てはいけないものを観てしまったような信じられない映像であった(・_・)

昨日の衣装チックで何時の間にかブレザーは本番衣装対象から外されていて、襟付き黒シャツを買う羽目になった、市民会館ホールでの通し稽古のあと寺家町商店街まで脚を伸ばし、メンズファッションプラザ“マエダ”で他の男性合唱団員のものより一味違う3990円の掘り出し物に目をつけて帰った・・・

今日の午後1時半から始まるセンタービルでの通し稽古へ行く前にマエダに立ち寄り昨日のフッショナブルな襟付き黒シャツを受け取り稽古場で加古川シティオペラの衣装スタッフに見せ衣装チェックを全てクリアした、今日の通し稽古で合唱曲全てを通してかなり正確に歌えている自分に気付き大きな自身になった、午前中の氷丘南混声の発声練習と鈴木憲夫作曲混声合唱組曲“ほほえみ”の中から‘ほほえみ’と‘めぐりあいの中に’2曲を歌いこんできているので声もよく出た・・・

5時過ぎ通し稽古から帰宅するとサッサッと風呂に入り夕食を済ませて、すでに結果の分かってしまった北京五輪女子マラソンのVTRを居間のデッキで観た・・・今日の北京は気温24℃湿度57%微風とコンデションとしてはそんなに悪くない、問題は装甲車も通る硬い石畳の路面が選手たちをいかに悩ませるかであった、現地時間8時30分ランナー達は一斉に横に広がって広い天安門広場をスタートしていった・・・

レースは1kmを3′54″というアップしているようなペースで進んでいった、3キロも11′13″で、北京大学内の両脇柏と松の樹が迫る狭い道にはいる、5キロ地点を18′24″で通過していく、アテネの銀メダリスト、リンダ・カスタ(米)が早くも脚を痛めてリタイアする、7km付近からぱらぱら雨が降ってきた、40人ほどの大集団が10kmを36′10″で通過して行く・・・

五輪でまだ無冠のポーラ・ラドクリフが集団の前に立ち15kmを53′52″を通過する、中村友梨香は集団の前に出ていたが、土佐礼子が16km付近から痛めている外反母指の影響が出てきたか集団から遅れ始めた、調子のよさそうなマーラ・山内の横で中村は健在のまま環状2号線に入る、19km付近土佐は苦痛で顔をゆがめ集団から1′07″遅れとなる、ルーマニアのC・トメスクが少し飛び出してトップ集団は20kmを1°11′27″で通過する・・・

土佐は後続のランナーに次から次と抜かれ見るも忍びない形相となり今にも止まりそうになる、土佐はこのマラソンに自分のマラソン人生の集大成にしようと望んでいたのに・・・トメスクは更にスピードアップしあまりにも急激なスパートで2位集団はあっという間に100mほど開いてしまった!!環状3号線に入りラドクリフやリディア・シモンが引っ張る2位集団はトメスクを追う、トメスクは快調に飛ばし25kmを後の集団に160m差をつけて1°28′16″で通過して逃げて行く・・・

ラドクリフと中村の勢いがなくなり集団から後方に置かれ始めた、集団とトメスクとの差が52秒差(250m)となりトメスクの独走態勢は更に強まった、2位集団はトメスクが通過してから1分15秒遅れ1°46′50″で30km地点を通過して行く、ヌデレバが何時の間にか2位集団に収まっていて集団の前に出て引っ張り始める、さすが女王である、左太もも疲労骨折の後遺症が徐々に深まりラドクリフの脚の蹴りが鈍ってきた、更に後方に置かれていった・・・

周春秀ともう一人中国ランナー張淑昌の二選手は8人の2位トップ集団で粘り精華大学を通過していく、2005年ヘルシンキ世界陸上でラドクリフが金メダルに輝いた時3位銅メダリストとなったトメスクの独走態勢はついに400m差となり35kmを2°01′55″で通過しゴールタイムが2時間27分台にまで上がる、中村がトップから遅れる事2′12″で35km地点を通過していく・・・

25km付近でリタイアした痛みと疲れで悲壮な涙顔の土佐が夫の敬三さんに抱えられ救急車に乗せられる映像が入る、ラドクリフが立ち止まりガードレールにつかまりながらストレッチをして少しびっこをひきながらまた走り出す、ヌデレバと中国の2選手とマーサ・コム(ケニア)がトメスクを追う、シモンとマーラ山内(イギリス)が後方に下がっていく、鳥の巣が目の前に大きく浮かびあがってくる、トメスクは40km地点を2°19′07で通過し鳥の巣の敷地に入っていく、41キロを過ぎあと1900mをのこす残すのみとなる・・・

金メダルは間違いなくトメスクに確定である、あとは銀と銅を誰が取るかである、トメスクが国営スタジアムのトラックに入ってきてあと300メートル・・・2°26′43″でゴール☆☆トラックには周とヌデレバが並ぶ様にして入ってきた、周がヌデレバの前に出て二人のバックストレートでのデッドヒートが展開された、キャサリン・ヌデレバが周をゴール前で交わし銀メダルを勝ち取った、周は3位銅メダリストとなった・・・

22歳2度目のマラソンの中村は13位2°30′19″でゴールし2012年ロンドンに向かけての挑戦が始まった、ラドクリフは23位2°32′38″で完走を果たした、コンスタンティナ・トメスク(38才)はよほど嬉しかったと見えてルーマニアの国旗を背負ってトラック外周を何回も何回もウイニングランしていた・・・

野口みずきが出場を断念した時そして補欠の天満屋の森下友が怪我治療中のため出場辞退した時補欠選手は複数人用意しておくべきであると小生は思ったと同時に、あんなにもう一度オリンピックに出たがっていたQちゃん高橋尚子に走らせてやりたかった、もったいない、尾崎好美も加納由理も小崎まりもいたではないか・・・

<ヘルシーワン/p>

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北京の陸上が始まった 2008年8月16日

2008-08-16 11:46:54 | 日記・エッセイ・コラム

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昨日職場に出かける車の中で女子ソフトボールのアメリカ戦を聞いていたが初回から先頭バッターと2番バッターに立て続けにホームランを打たれるなどして一挙に4点を入れられ一死も取れずじまいに先発が降板するなどボロボロだった、すでに3勝している日本チームとは思われぬ信じられない試合運びをやっていた、その後どうなったんだろう??昨晩仕事の帰りに家の近くにある行き付けのJomoセルフに廻ってgas up full (満タンにする)して帰った、前回より3円上がって178円になっていたものの“0と5”の付く日だったので1リットル175円だった・・・

家内は星野野球が好きで必ず北京五輪の野球放送は見逃さない、昨日余裕で6―1で台湾を下した星野ジャパンのオランダ戦が雨で待機し1時間遅れで始まるらしい、入浴後スコアをみて見るとジャパンは1回に4点入れ杉内も安定し格下のオランダをリードしていた、8回には新井のタイムリーやGG佐藤のソロホームランで駄目押し2点を見届けてから夕食後少し眠気も出てきたし、“なでしこジャパン”が気になっていたので寝室に上がり準々決勝の中国戦をゆっくり観た、さすがなでしこたちはきっちり仕事をやってくれていて・・・2―0で中国を破り4強へ駒を進めた☆☆

11時45分頃から始まったママさんランナー赤羽由紀子、上潮ムードの渋井陽子、かっとびおんな福士加代子が出場する女子10000m決勝に切り替えた、スタート直後からエチオピア勢が引っ張る1周70秒ペースの高速レースが展開されていった、1000mを3分ジャストぐらいで5000mをこれまた15分ジャストで通過した、1周75秒ぐらいの日本選手には早すぎる、全員顔をゆがめてアップアップとなっていった、早々渋井と赤羽はペースを落として後ろに下がって後半の追いこみに懸けた・・・福士だけは7位ぐらいで5000mぐらいまで付いていったが徐々に遅れていった、8000mぐらいまで観ていたが睡魔が襲いラジオに切り替え眠りに入った・・・

36歳朝原宜治は予選を3位で通過したものの準々決勝で敗退した、400mハードル予選で為末大は最後のハードルは3位で跳び越えたもののゴール前で抜かれ4位に終わりタイムでも拾われず予選敗退したニュースが流れていた、女子1万メートルの結果はエチオピアのディババが脅威の29′54″66で優勝したらしい、1993年に馬軍団の王軍霞(ぐんか)が樹立した世界記録29′31″78には僅か及ばなかったが、日本勢トップは11位の福士だった、渋井は17位、赤羽は20位に終わった・・・

今朝の新聞に顔をしかめグランドに崩れ脚を抱える為末の痛いげな写真が全てを物語っていた、20年間の陸上人生の中で2度の世界陸上(2001年エドモントン、2005年ヘルシンキ)で日本人初の銅メダル連続獲得の快挙で日本陸上の大将としての存在は絶賛に値する、長い間お疲れさんでした為末大大将どの!☆柔道の最後の砦として100kg超級、石井慧(さとし、21歳、国士舘大)の金メダルはたくましい力を観ているものに与えたに違いない・・・

サァ!これから早昼食べて市民会館での通し稽古2に向かう、本番衣装の最終チェックもある、衣装を忘れないようにしなければ、明日日曜日も氷丘南混声の練習の後午後センタービルで通し3がある・・・早朝から北京五輪女子マラソンがあるというのに・・・

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