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『この食事に逢えて健康ライフをゲッツ☆☆』
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小生のDS HPで~す: http://magical-fun.net/okanagsakebi/
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ここ加古川には昨日より再度寒気が訪れている、小生の一日はNHKラジオ6時のニュースを聴きながら寝床でのストレッチで始まる、昨夜用意していたランニングタイツ、足袋ソックス、さつきマラソン参加賞の長袖Tシャツに着替えその上からウィンドブレーカー羽織りながら部屋の温度に視線を送ると9℃と冷えている・・・
天気予報によると今朝の温度は+1、最高気温が11℃と低い、トイレを済ませ台所に降りバナナ、Herbalifeの食事と大きなおにぎりを3個頂いた、灰色の雲がところどころ垂れていたが朝日まぶしい晴れベースの寒空があった、サクラの散歩を済ませた後8時頃いつものようにウォーミングアップを兼ねて4キロほど離れたスタート・ゴール地点へジョグして行った・・・
マラソン会場に着くと8人ぐらいのチャーリーダーを引き連れた兵庫県警の音楽隊がきらびやかで勇壮な曲を奏でて士気を鼓舞していた、受付とゼッケン付けは後から自転車で来た家内に任せて、ズラッと並んだ特設トイレで用便し入念な柔軟体操で身体をほぐした、汗ばんだTシャツを脱ぎユニクロヒートテックの長袖に着替え、家内が用意してくれたゼッケン付きランニングユニホームに身を包み9時25分召集9時45分スタートの群集に紛れ込んだ・・・
9時40分陸連登録者がスタートして行ったあと、5分遅れで一般の部がコースに動き出した、スタートラインをまたぐまで20秒ほどかかった、小生の直ぐ後ろでランナー達と大きな声で談笑している女性ランナーがいた、間もなくその女性はコースを離れ一旦土手へ上がって行った、小生の近くに来たときその女性に視線を送ると渋井陽子であった、どうやら招待選手としてのお役目はランナー達とのふれあいのみのようである、あとスタートするファミリー、10kmと5kmコースのランナー達も彼女の陽気なキャラクターに触れ合えるようである・・・
最初の1キロの入りは7分台であった、ペースも少し落ち着き次の1キロは6分台でカバーした、そのまま最初の5キロのラップを33分弱でカバーした、思ったより身体は動いている、次の5キロラップも33分台だった、山角デーケアセンターの利用者の西川君もボランティアで立派に給水係をしていた、小生の完走を心配してくれていた彼に向かって「この分なら完走できるかも!」と思わず意気巻いてしまった・・・
15キロ地点までも34分台で1キロを6分台で刻んでいた、復路の30km地点手前で男性エリートランナー達に混ざって快走している大南ツインズ(トヨタ車体)とすれ違った、どちらが姉の博美さんか妹の敬美(たかみ)さんか分からないが片方が少し遅れてきた、20キロも辛うじて34分台をキープする、このままで行くと奇跡の5時間30分内の完走が実現するのでは・・・とふと頭をよぎった、しかしこの辺りから身体が徐々に重くなってきるのを感じ始めた、それまで気にならなかった加古川河川敷水面ロードに吹きつける冷たい風が身に沁みてきた・・・
ここで台所から連呼される家内の『食事!!』の内線コールに絶えかねて中断させていただく・・・先ほどまでWBC世界フライ級タイトルマッチ“内藤大助vs山口真吾”戦を10ラウンドまで観戦していたが双方相譲らぬものすごい打ち合いとなっている、どちらも勝たしてやりたいほどの好勝負の殴り合いとなっている、痛々しくて観ていられくなって上がってきてしまった・・・
さてマラソン紀行記に話を戻そう、1キロ7分台をキープするのが一杯一杯になってきた、いつしか“5時間ペースメイカー”のゼッケンを付け小生には貰えなかった真紅の“華”完走者タオルにも刷られていた意匠と同じジャージを着た二人組の若いお姉さん(何処かの実業団陸上部所属のようだ)がスイスイと軽やかに最後尾に着ける20名ほどの集団が出来ていた、その集団の中に着いて行くのがきつくなる・・・
やがて23.7km地点にある最初の関門(12時50分までに通過しなければならない)に差し掛かった、時刻を見るとまだ確か12時30分少し前であった、20分以上前の楽々関門通過である、しかし空(うつ)ろな目をし戦意をなくしたリタイアーしたエリートランナー達が毛布に包(くる)まって収容されているテントの中の3つほどのぬくぬくストーブに目が行ってしまった、その背後に2台の大型バスが目に留まった・・・
「このまま走り続けても時間内に完走出来ないのでは・・・」小生の弱気根性がこんなところに出てしまった、思わずテント前でエアーサロンパスをランナー達に手渡していた係員に小生のリタイアーを宣言してしまった、「どうぞこちらへ」の言葉でテントの中へ吸い込まれてしまった、どうやら小生が一般の部リタイア第1号らしい、奥のベッドには一人のランナーが力なく横たわっていた、直ちに小生のゼッケンははがされ、すご~~く熱いレモン汁を振舞われた、なんとも言えない初めて経験する屈辱感が小生の中に広がった・・・
次々テントの中へリタイアしたランナーが入ってきて先に入っていたリタイアランナー達はバスの中へ移動させられて行った、間もなく小生もバスの人となり真白き無地のリタイアタオルとポカリスエットを手渡された、まだ関門時間まで15分もある、バスの窓から必死に走り続けるランナー達がまぶしく映った、後悔の念が小生を襲った「タイムは今日よりもよかったものの、いつも重い身体でこの関門を通過しそこから粘り、大堰まで駆け上がり態勢を立て直して左岸へ渡ったところにある34.3km地点の関門からスパートして残り8キロをゴールまで数え切れないほどのランナー達を追い抜いて一気に突っ走って行ったではないか、それが小生のスタイルではなかったのか??」・・・
いくら悔やんでも後の祭である、考えて見れば9月の中ごろから往復12キロの道のりを通勤ランを始めた頃は1キロをカバーするのにも10分もかかっていたではないか、それが9分となり8分、7分、6分・・・意識して飛ばせば5分台でカバーしたこともあったではないか、今日も第一関門までキロ7分台をキープして来たではないか、大きな進歩を築いて来たではないか・・・少し前になるが65歳で引退を宣言するまでは1キロ5~6分台のペースは無意識でも楽~~に出して走っていたが・・・
ただこの大会に標準を合わすには余りにも走り込みが不足していた、フルマラソンはそんなに甘いものではなかった、もう忘れよう、明日が次回があるではないか、これ以上自分を悔やんだり責めたりするのは辞めよう、次の大会までに全行程平均キロ6分台のペースを守れる脚力を取戻してからシッカリ準備して再度挑戦しよう、鬼嫁がいくら『何が勇気ある決断や!!男なら最後まで走りきって完走せなあかん、何のために高い4000円もの参加費払ったのか分からん、このヘタレが!!マラソンなんか止めてしまったら!!』と罵(ののし)っても・・・
読者の皆さ~~ん、I heartily wish you a Merry Christmas and a New Year full of happiness☆☆