Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛、第48話“天下動乱!~前編” 2014年11月30日

2014-11-30 14:51:32 | 日記・エッセイ・コラム

今週も空いてる時間を有効活用して、日々、園芸三昧に没頭した!ごみ収集は週に2回、月曜日と木曜日だが、今週後半の間引き伐採剪定の進捗状況は、♪ 与作が木を切る、へいへいほ~~!へいへいほ~~!与作~~~!♪ これまで最高の成果を上げた!庭の日当たりも随分良くなりスッキリした!全体の3分の2は終わっただろう、あともう一息だ、ファイト!いっぱ~~~つ!・・・

  

当初、今日30日に予定されていた“はやぶさ2号本体”の打ち上げが、雷雨予報のため延期されていたが、いよいよ明日12月1日午後1時22分43秒に、種子島宇宙センターより、H2Aロケット26号に搭載されて、地球と火星の間にある“1999JU3”と云うC型小惑星(直径1km未満の小惑星、前回の糸川より一回り大きく直径が900m)へ向かって打ち上げられると、三菱重工とJAXA(宇宙航空研究開発機構)から発表された!はやぶさ2は地球の軌道を一周したあと、地球の重力に引っ張られながらハンマー投げの原理“地球スイングバイ”の航空技術を使いながら、JU3の軌道へ近づいていく、地球スイングバイのチャンスは地球とJU3が最接近するこの12月の時期しかない、これを逃すと2020年までない!・・・

一気にJU3の軌道へ乗り移った“はやぶさ2”は、JU3とランデブーを繰り返し、2015年12月にはその距離を1kmまで、速度差も毎秒1cmまで狭めてゆき、2018年夏の着陸に備える!はやぶさ2からは国産小型着陸探査機“マスコット(一度だけジャンプ移動が可)”1台と、欧州製“ミネルバ2(何度でもジャンプ移動が可)”3台が降ろされ探査し、それらを“はやぶさ2”が水など多くの有機物を含んだ“炭素質コンドライト隕石”の鉱物組成を採集する !着陸時に、“はやぶさ2”からは分離カメラがどび出し、その雄姿を捕える! “はやぶさ2”には高性能アンテナを2基も搭載されている!お椀型1基だった“初代はやぶさ”より4倍も多くのデーターを送信することが出来る!・・・

初代はやぶさは大気圏突入時に燃え尽きた、しかし、命尽きる前に、しっかりカプセルだけを放出し、オーストラリアの砂漠パラシュート投下させたが、今回、“はやぶさ2”が採取しカプセルに収納されたJU3の岩や砂は、本体から切り離されることなく乗せられたまま、“はやぶさ2”は秒速12kmでの大気圏突入にも耐え、高度10kmでパラシュートが開き、6年間、往復52億kmに及ぶアドベンチャー・ジャーニーを終え、無事オーストラリアの砂漠に帰還するらしいですぞ!・・・

損傷次第ではその再運用も可能らしい、その帰還は2020東京オリンピック・パラリンピックの開催年度の12月になるようである、う~~~ん、楽しみ~~~ん!“はやぶさ2”の無事なる帰還を祈念して今日2発目の、ファイトいっぱ~~~つ!(*´▽`*)・・・あっ!明日、種子島周辺で強い季節風が予報され、打ち上げが3日水曜日に再延期された!そう言えばここ加古川も夕方から本格的な雨が降り出している!止みそうもない!あ~~、明朝のゴミ出しが大変だ!・・・

さて、本題に入ろう・・・慶長5(1600)年7月、佐和山城で蟄居(ちっきょ)していた三成が、家康を討つため大坂城へ入った、一方、上杉討伐に向かう家康は江戸城に戻っていた、井伊直政「思惑通り、三成が罠にかかりました!」、家康『ようやく動いたか、勝負はこれからじゃ!』、家康は東から、三成は西から味方を募っていた、一方、中津城では多くの村人、町人等の徴兵志願者が押し掛け、如水と九郎右衛門は、武具を持たぬ者には武具を与え、禄を前払いし、新たに兵を雇い入れ、来る決戦に備え始めていた!・・・

如水『よいか!黒田に仕えたいと云う者は、必ずや、雇い入れる、この如水がそう言っていたと、村々に広めてくれ!』、へいっ!、禄を二度貰おうとする者を咎めることなく、如水は『二人分働け!』と励まし雇い入れた!ケチと言われた大殿とは思われませんな!?ここぞの時に銭を使う!そのための契約じゃ!と九郎右衛門は如水を讃えた!たちまち数千の志願兵に膨らむ勢いだった!如水『まだ足りんな、より多くの百姓や町人を鍛え、これぞと云う者は士分(しぶん、武士)に取り立てよ!この如水が立ったという噂を九州一円に広めるのじゃ!』・・・

大坂城に、家康を成敗する期が熟したのを見計らって戻った三成を、彼の帰りを待ちわびていた淀君と秀頼が迎えた、三成は言った『これで亡き太閤殿下の大恩に報いることが出来まする!』、淀「家康がこの大坂城に居る間は、毎日が苦痛であった、してお味方はいかほど集まる?」、三成『毛利、宇喜多、小早川、島津、小西にそれがし、10万は降りますまい!』、淀「あの憎たらしい古だぬきを速やかに討ち果たしておくれ!」、『必ずや!』、秀頼「三成、頼んだぞ!」、『ははっ!この石田三成、命に代えても豊臣の天下をお守り致しまする!』・・・

早速、三成は長束(ながつか)正家と増田長盛を呼んで事に取りかかった、告訴状“内府(内大臣)ちかひの條々 ”を豊臣政権五奉行の一人、近江国水口岡山城主・長束正家に渡し命じた、『これを奉行等諸将に送り、大坂に集まるよう促すのだ!亡き太閤殿下のご遺言を、家康が如何に踏みにじって来たか、数々の非(間違い)を訴える!大儀は我等にあることを世に示すのだ!』、長束「分かった、直ぐ手配しょう!」、三成は長盛に命じた『長盛殿、家康に従い、関東に下った大名たちの妻子を大坂城中に集めよ!』、長盛「人質か?そこまでせずとも、豊臣恩顧の大名は我等に組するのではないか?」、『福島、細川、黒田、奴らがこの三成憎さに結束して居る、くだらぬが、生ぬるい手では、切り崩すことが出来ぬ!』、「承知した!」・・・

如水が新たに雇い入れた兵は、如水が見守る中、厳しい鍛錬を受け、長政率いる黒田本隊5千4百を凌ぐ勢いで増え続けていた、九郎右衛門が 三成からの書状を持って現れた、『三成から?』、それに目を通した如水は一笑して言った『味方に着けば、恩賞は望みに任せるそうだ!』、「大殿にまで、かような書状を送り付けて来るとは必死の様!」、『九州の内、七か国を約束すれば、お味方するとでも書いとけ!』、「それだけで宜しいので?」、『ふん、光と栄は如何なった?何か知らせがあったか?』、「三成の手が及ぶ前に、無事お逃がしすると申しておりましたが、その後どうなったかはまだ!」、『善助と太兵衛をつけて居る、心配はあるまいが!』・・・

天満の黒田屋敷ではお福とお道が、光殿と長政の妻・栄の見張り役を務めていた、そこへ善助が現れた、お福「お方様!」、善助が二人が居る部屋に入り言った「お方様、たった今、お達しが出ました、大名の妻子は皆、大坂城に入るようにと!」、光『やはり出ましたか!』、善助「逃げぬようにと、奉行の手の者が諸大名の屋敷を取り囲んで居ります、ここへやって来るのも、間もなくかと!」、光『ひとまず、ここを出るしかありませんね!』、栄「ここを出ると言っても、行くあては?」、『手筈は整えて居る、善助!』、ははっ!、善助が太兵衛を呼び入れた、炭屋の格好をした太兵衛が、大きな炭俵を二つ担いで現れた、お福「何と言う姿か!」、太兵衛「はは、似合って居りましょうに!」・・・

太兵衛が光殿に念を押した「お方様、まこと宜しいので?」、『承知してして居るぞ!』、栄「何故、俵なぞ?」、『栄とわたくしが、この中に入るのじゃ!』、栄が目を白黒させて驚いた 、太兵衛「それがしが屋敷から御無事にお運び出し致します!」、栄「何処へ?」、「心配御座いませぬ!心当たりが在りますゆえ!」、善助「さあ、急がれませ!」、光と栄は、善助、太兵衛、お福、お道の助けを借りて、別々の俵に収まった、縄が結ばれ封がされた、 天秤棒が渡され、太兵衛がうお~~!唸り声を上げて担ぎ上げた、太兵衛「おなごと言え、なかなかの重さじゃえ!」、光『何か言いましたか?』、いいえ!、善助「太兵衛、くれぐれも気を付けるのじゃ!」、お任せあれ、お方様、参りますぞ!『頼みます!』、太兵衛はそろりそろり慎重に夜の屋敷を後にした・・・

天満中には奉行の手下どもが、怪しきものを捕らえんと、うろちょろして居った、そんな中、太兵衛はズッシリ重い俵を2個ぶら下げて、とある場所へ進んでいった、その場所とは、出入りの商人・納谷小左衛門(こざえもん)の蔵の中だった、小左衛門夫婦が挨拶した「汚きところ、申し訳ございませんが、ひとまず、ここに居れば、敵の手が直ぐ伸びて来ることはありますまい、このことを知るは、手前と女房のみ、しばしの御辛抱、お願いいたします!」、光『要らぬ苦労を掛け、済まぬ事です!』、「黒田様には、いつもお目をかけて頂いております、これしきの事、当たり前で御座います!」、「わしはこの近くにて、見張りに着きまする、小左衛門、何かあれば知らせよ、即座に駆け付ける故、では!」太兵衛は見張りのため出て行った・・・

二人の役人が黒田の屋敷に上がり込み、善助に詰問して居った「何故、奥方は未だ城に上がられんのか?」、善助『仕度に手間がかかっていますゆえ、申し訳御座らん!』、「奥方にお目通りいたしたい!」、『それは出来かねまする!』、何故で御座る?、『奥方を他人の目にさらすことなど、主の許し無く行えば、それがし、腹を斬らねばなりませぬ!』、確かめろ!とのお上の命である !『出来ぬ者は出来ぬ!』、誠は居られぬのではないか?、『何を申すか!』、あくまでも拒むのなら、屋敷を改めさしてもらう!、『力づくで来ると云うのなら、こちらにも覚悟がある!屋敷に立て籠もり、一戦交えるのみ!』、まままま~~、わし等も黒田を敵に回したくない!如何であろう、遠目から、奥方たちに気づかれぬよう、こっそり、拝見すると云うのは?・・・

善助はそれを呑んで、一芝居撃った、二人の役人らを梯子に登らせて塀越しに様子をうかがわせた、そこには光と栄に見立てて、厚化粧のお道と、お福が縫物をしていた、「長政殿の御正室は確か16と聞いたが、少々お年を召されているように見えるが?」、善助『はあ?無礼な!黒田家を愚弄する御積りか?』黒田の家臣等が身構えた、『もう良いであろう!奥方様が覗かれていると知れば、自害しかねぬ!左様なことに成れば、お主等にも腹を斬ってもらう!』、分かり申した、今日はこれで引き上げる!ただし、日限は後三日、それまでに、仕度をととのへ、お城に登られよ!それまで、このお屋敷はしかと、見張らせていただく!『はっ!御帰りじゃ!御見送りを!』、はっ!、寿命を縮める思いがしたお福もお道もだったが、見破られず善助らはその場を耐え忍んだ・・・

一方、出入り商人、小左衛門の蔵に匿(かくま)った光と栄は、不自由な生活を強いられていた、そこへ太兵衛が訪ねて来た「お方様!」、入りなさい!、はっ!、表の様子は?、「どこもかしこも、石田方の兵だらけで御座います!」、船は?、「待たせてありますが、港に近づくのが難しゅう御座います!」、表が何だか騒がしゅうなった、小左衛門が誰ぞやを案内してきた、善助だった、光『何の騒ぎじゃ?』、「細川忠興様の屋敷の方から、火の手が上がって居ります!」、正室にガラシャ を持ち、家康に味方して、肥後・細川家の基礎を作ったあの忠興である、善助「お方様、お命、お預かり致します!この騒ぎに乗じ、港へ向かいまする!」すぐさま、光と栄は衣装箱に入り、荷車に揺られて港へ向かった・・・

表一帯は煙に包まれていた、火の手から逃げ惑う人々でごった返していた、相変わらず街のあちこちには奉行の役人どもがたむろしていた 、案の定、役人に気づかれ荷車を改めるようにと呼び止められた、「何をこそこそ運んで居る?怪しい奴らじゃ!」、衣装箱の中の光と栄は息をひそめた、善助の声が聞こえた「舟の刻限が迫っていますゆえ、急いで居りました!」、役人が荷を改める!と手下に命令した、調べる、開けろ!、太兵衛が覚悟を決め身構えた、光が栄の口を抑える、この箱を開けろ!開けんか!太兵衛「急いで居ると云うておるわ!」、太兵衛はいきなり、荷車から一本の槍棒を取り外し、振り回した、槍の刃先が一人の役人の眉間に寸止めされた!・・・

一瞬の内に、舞台が中津城城内に転換された、既に光殿一行は無事、中津城へ戻っていた!如水が温かく迎えた『皆、良く無事に戻って来た!』、光『善助と太兵衛が機転を利かせてくれたお蔭で御座います!』、如水『善助、太兵衛、良くやった!これで、わしも長政も、後顧(こうこ)の憂いなく(残された者への気遣いなく)戦える!』、もったいなきお言葉!、当たり前のことをしたまで!、栄「お初にお目にかかります、栄で御座います」と栄が如水に深く頭を下げた、『わしが姑(しゅうと)の如水じゃ!』、栄がニタッと照れ笑いした、光『如何しました?』、「巷で言われている悪い噂のごとく、大変怖い方と思って居りました!」、如水『乳飲み子の生き血をすするとか云う、例のあれか?』、栄「はい!ですが、噂は噂に過ぎずと安堵いたしました!御父上はその様な事をなさる眼では御座いませぬ!」、善助「いいえ、分かりませぬぞ!」、えっ!?、あ~~あ、あっははは~~~!』、全員に笑いの渦が巻き起こった・・・つづく

 

 

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軍師官兵衛、第47話“如水謀る!~後編” 2014年11月24日

2014-11-24 13:26:52 | 日記・エッセイ・コラム

九郎右衛門を連れて如水は中津へ戻る途中、大老・毛利輝元の居城、広島城に立ち寄った、安国寺恵瓊(えけい)や、元春の三男・吉川(きっかわ)広家等、毛利の出方を探るためであった、如水『徳川と石田は、いずれ衝突するのは必定、この時、何方に着くかで、毛利の運命も決まりますぞ!その時、毛利は如何動かれる?』、知恵者・安国寺が答えた「果たして徳川に、豊臣の天下を守る気などあろうか?我が主(あるじ)は大老のおひとり、亡き太閤殿下のご遺言を守り、豊臣家をお支え致す!如水殿はどちらに着くのだ?長政殿は徳川と久しいようじゃが!」、如水『わしは隠居の身、どちらにも着かぬ!』、恵瓊「高見の見物か?豊臣の天下はお主とわしとで作ったようなものではないか!何としても守りたいとは思わぬか?」・・・

如水『ご当主たる輝元様!恵瓊殿と同じお考えで御座いますか?』、輝元「わしは、大老の職を全うするだけじゃ!」、『吉川様は?』、吉川「石田に着くなど、ありえぬ!」、恵瓊「はっははは~~~!広家様の石田嫌いは、重々承知して居ります、されど、この恵瓊の見通しは、今まで誤ったことは御座らん!信長公が志半(こころざしなか)ばで倒れ、秀吉様が天下を獲ると言い当てたのも、それがしですぞ、広家様もお分りのはずじゃ!」、・・・九郎右衛門の結論はこうじゃった「小早川隆景亡きあとは、毛利には意見をまとめる者が居りませんな!」、如水『輝元は人は良いが、煮え切らぬ!』、「いざ戦さとなれば、毛利はバラバラになる!」、『それも踏まえたうえで、策を立てるとしよう!』、如水は何の謀りの事を企てているのだろう?・・・

慶長5(1600)年を迎えた西ノ丸の家康等は、長政を招いて新春の祝いの席を上げていた、家康『昨年は黒田殿に随分助けられた!』、長政「めっそうもない!」、『わしにはお主が我が息子のように思えてならん!互いに人質として苦労した身じゃ!頼みにしておるぞ!』、「有難きお言葉、この長政、何処までも徳川様に着いて参ります!」、『うう~~ん、嬉しい限りじゃ、のう直政!』、その時、手が滑ったか、家康が盃を落とした 、『ああ~~、遺憾、飲み過ぎた!あまりに楽しくて、つい!わしは先に休ませてもらうが、お主はゆっくりとしていくが良い!ああ~~よいよい、そのまま、そのまま!』、家康は家臣に抱えられて去って行った、だが部屋を出るなり、お付の者を払い、険悪な顔になった、家康も何か企んでおったのか!?・・・

直政「あのように酔った姿など、めったにお見せに成らぬお方、よほど黒田様にお気をお許しに成られているのでしょう!」、直政が長政の席に進み、さあさあ!酌をした、直政「今の世を治められるのは、我が殿しか居りませぬ!」、長政『それがしも同じ思い!』、直政は改めて長政に向かい言った「お力を貸してくださいますか?」、『無論で御座います!』、「黒田と徳川がより深く結ばれれば、これ程、心強いことは御座らぬ!」、はい!、「我が殿には御年16の姫が居られます、黒田様とはお似合いと存じますが!」、『お戯れを、それがしには妻が居りまする!』、「それは承知して居りまする、されど、黒田家の行く末を考えるに、・・・」、長政には世継ぎがないことが頭によぎった・・・落日の夕日を浴びた黒田の屋敷の縁に、空虚な思いに打ちひしがれた糸が、一人ポツンと座っていた、そっと長政が近づき声をかけた『糸、話がある!』、二人は隣同士になって座って語り合った、梵鐘が悲しげに鳴った・・・ 

その5月、豊前・中津城では事態が動き始めた、一通の書状に目を通したあと、それを九郎右衛門に渡しながら如水は笑顔で言った『上杉に謀反の疑いあり!いよいよ始まったぞ!』、では、徳川は?、『上杉討伐に動くであろう!』、九郎右衛門「大殿のお考え通りになりましたな!」、『これで三成も動く!恐らく徳川はそれを承知の上で兵を出す!双方、潰しあえばよい!』、関ヶ原の戦いの引き金となる、家康による、会津の大名・上杉景勝討伐の始まりか?ことの発端は、豊臣五大老の一人、上杉景勝が、家老の直江兼続に命じて、阿賀川畔に神指城(こうざし じょう)を築城させ、軍事力強化を図ったらしい、これは秀吉の法令“傍輩(同じ主君の傘下にある仲間)のうち、その徒党を立つべからず!”に背くものだった!このことを家康がいち早く察知していた・・・

佐和山では慌ただしくなっていた、長盛「家康は、上杉討伐を決めたぞ!」、行長「これで大坂は、家康が動いて、がら空きになる!」、三成『すべて上杉との手筈通りだ!だが慌てるな!今は一人でも多く、味方を集めるのが先だ!』、行長「家康もせっせと見方を募っているだろうな!?」、長盛「如水の言う通りに動いているなあ!?」、三成『あの男の思い通りにはならん!』・・・西ノ丸に長政、正則、清正が押し掛け家康に訴えた、正則「内府様が大坂を離れられるのは危のう御座います!」、清正「上杉の討伐は我等にお任せくだされ!」、家康『否、上杉の無礼は捨て置けん!わし自ら行かねば、示しが付かん!』、長政は直政に問いただした「井伊殿、もしや内府様が三成の挙兵を誘っているのでは?」、直政「機は熟しました!」、長政「先日の縁談の件、お受けいたします!黒田は徳川様と命運を共に致します!」、これで内府・家康の許可のもと、長政と栄姫の婚約が成立した!しかし、これは秀吉の法令“諸大名の無許可での縁組の禁止”に背くものだった・・・ 

里元に帰って行く糸がお富と共に長政に別れの挨拶を述べた「長い間、お世話になりました!」、『糸、これまで良く仕えてくれましたね、そなたには要らぬ気遣いばかりさせて、申し訳なく思っています!』と光は頭を下げた、糸は大きく首を横に振った、お富「その優しさが糸様には辛かったので御座います!」、お富!、お富が続けた「いっそう、叱られたり罵(ののし)られたりした方が、どれぐらい気が楽であったことか!」、お富!、「では!」糸は長政と光に深く頭を下げて黒田の屋敷を後にしょうとして立ち上がった!その時、「母上~~!」と菊君が糸に駆け寄った、「お菊、しばらくお前と逢えませぬ、うん、父上とおばば様の言うことを、よ~~く、聞くのですよ!お菊、母を許しておくれ!」糸は菊を抱きしめた!・・・

豊前・中津城でこの知らせを聞いた九郎右衛門が言った「若殿も思い切ったことを!」、如水『乱世の習いとはいえ、酷な事じゃ!長政も辛かったであろう!あの朝鮮での戦さが、全てを狂わせた!糸には可哀そうなことをした!お菊にも!』、九郎右衛門「生き残るために、選ばれた道で御座いましょう!大殿が思われている以上に、若殿はシッカリなされて居るようで!」、『これで、黒田が徳川に着くと、ハッキリ世に示したことに成る!』如水は確信した・・・

嫁入り支度が出来上がった栄姫が養父・家康に別れの挨拶を述べにやって来た、家康の前に三つ指を着いて一礼した、家康『美しいぞ、栄!』、「ありがとうございます!徳川と黒田の懸け橋となる大役、しかと務めて参ります!」、『うん、頼んだぞ!』・・・慶長5年6月6日、長政は家康の養女・栄と祝言を挙げた!・・・そのあと、家康は本丸に秀頼君と淀殿を訪ねた、家康『上洛を拒むは、豊臣に逆心ある証し、この家康、豊臣家のため、必ずや逆賊・上杉を討ち果たして参ります!』、秀頼「出陣、大儀である!」、そこへ豊臣からの贈り物が、家臣によって三宝の乗せら、運ばれてきた、淀殿「米2万石、黄金2万両を遣わしましょう!陣中の足しになさるが良い!『ありがたく頂戴致します!無事の帰還を祈っています!』、はっはあああ~~~!、「秀頼、参ります!」、はい!・・・

光と栄、留守役の善助と太兵衛が見守る中、黒田の屋敷でも長政の出陣が整った、光『祝言から10日で出陣とは、何とも慌ただしいこと!』、善助「御留守の間の事は、お任せあれ、ご安心を!」、栄「御武運、お祈り申し上げます!」、長政『皆、留守を頼むぞ!』、ははっ!・・・その6月16日、家康率いる上杉討伐軍5万6千が東へ向けて出陣した!そしてその背後で、遂に三成軍が佐和山から発った!・・・

『いよいよ大悪人、家康を倒す時が来た!総大将は是非とも、大老・毛利輝元様にお願いしたい!ご出陣は間違い御座るまいな!』三成が恵瓊に告げた、恵瓊「毛利は拙僧に任せられよ!」、越前敦賀城主・大谷吉継も三成に加勢していた、三成『それがしが大坂へ行き、増田長盛と、長束正家、前田玄以(げんい、美濃出身、丹波亀山藩主)に奉行衆連盟の、“家康・弾劾(だんがい)状”を作らせる!』 、大谷吉継「味方はどれほど集まる?」、家臣が連判状を広げて連名を披露した、『宇喜多、小西、島津、長宗我部、小早川、西国の諸将は全てじゃ!』、恵瓊「黒田如水は?」、三成『如水など居ようが居まいがかまわぬ!家康が豊臣家を蔑(ないがし)ろにしているは明らか!大儀はこちらにある!数も我等が勝って居る!家康もこれまでじゃ!』・・・

その頃、家康は、扇谷・上杉氏の家臣・太田道灌(どうかん、1432~1486年)の居城、江戸城で陣を構え、瞑想にふけっていた、そこへ直政がやって来て告げた「三成が罠にかかりました!」、家康『ようやく動いたか!』、直政「思惑通りで御座います!」、家康『勝負はこれからじゃ!』、はっ!・・・善助と太兵衛が光と栄に伝えた「石田三成殿が大坂へ参られました、徳川討伐のためだと思われます!」、太兵衛「大坂に居る大名の妻子は全て、人質として城内に集められましょう!」、光『人質には成らぬ!殿や長政の脚を引っ張ることに成る!ましてや、栄は徳川の養女!断じて敵に渡しては成りませぬ!』、はは~~!光『栄、何も案ずることはない!この二人を信じるのです!』、善助「万事お任せあれ!」、はい!・・・

中津城では九郎右衛門が如水の元へ駆けこんで来た、如水『三成か?』、「はい!発ちました!」、『いよいよじゃなあ!九郎右衛門、兵を挙げるぞ!』、「はっ、しかし、中津には僅かの兵しか残って居りませぬが!」、何故か如水はしてやったりと不気味な笑みを浮かべていた!?・・・ 

今日午後1時07分に千葉県総合スポーツセンター発着でスタートした青木半治杯・国際千葉混合駅伝(6区間42.195km)は、ななな~~~んと!日本ナショナルチームは2°05′53″で、2位2°06′29″のケニアに圧勝し、5年ぶり3度目の優勝を果たした!☆1区5kmの村山謙太(21歳、駒大)が8位と出遅れたが、2区5kmの鈴木亜由子(23歳、日本郵政グループ)が区間賞15′21″で2位に上がり、3区10kmを双子の兄弟・村山紘太(こうた、城西大)、4区5kmを尾西美咲(29歳、積水化学)、5区10kmを大西港与(みなと、26歳、トヨタ自動車)が2位をキープした、最終6区7.195kmを萩原歩美(23歳、ユニクロ)が区間賞23′02″の走りで絞めてVゴールを切った!何と3位には2°07′16″の日本学生選抜が入った!(*^^)v・・・

 

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軍師官兵衛、第47話“如水謀(はか)る!~前編” 2014年11月23日

2014-11-23 19:51:16 | 日記・エッセイ・コラム

この処、播磨では最高気温が20℃と高く、松ヶ井の水公園での水汲みや、我が家の庭の間引き伐採に大汗かいたとか、神城(かみしろ)断層が動き長野北部の白馬村・小谷村周辺で最大震度6弱・M6.7の地震があり、家屋倒壊などの大きな被害があったとか、悪性リンパ腫のため83歳で亡くなった名優・高倉健さんを追悼する“あなたへ”が今夜テレビ朝日で放映されるとか、東京の順天堂大病院で治療を受けていた6歳未満の女の子の脳死判定が決まり臓器提供が確定したとか、水素ガス吸引緊急治療で脳神経などの脳障害が緩和されるとかには触れず、今夜は直球で軍師官兵衛に行こう・・・

家康に匿(かくま)われ命拾いした石田三成は、家康の忠告を聞き入れて所領の長浜・佐和山へ帰り隠居することとなった・・・慶長4(1599)年9月9日、家康は、五節句の一つで観菊の宴が催される“重陽の節句”の祝いを述べるため大坂城本丸に、淀君と秀頼君を訪れた、『秀頼君並びに淀のお方様には、息災の御様子、お喜び申し上げまする!』、秀頼「寸志、大儀である!」、家康『大坂は久しぶりで御座るが、相変わらず賑わっておりますな、これも豊臣繁栄の証し、いや、目出度い限り!』、淀「内府(内大臣・徳川)殿は何時まで大坂に?」、家康『もはや命を狙われる事も御座りませぬ故に、ゆっくりさせて頂こうと思って居ります!』、淀「のんびりされるがよい!」、『有難きお言葉!』・・・

家康の動向を覗っていた九郎右衛門が官兵衛に伝えた「徳川様は一向に伏見に戻る気配が在りませぬ、大坂に長逗留(ながとうりゅう)の構えで御座いましょう!」、善助「大坂城が欲しいのか?」、九郎右衛門「徳川様ならやってのけるであろう、あらゆる手を使って大坂城へ乗り込み、そのまま居座る積りなんだ!」、善助「それに逆らう者が出てくれば、むしろ徳川殿にとっては、好都合であると云うのか!」、太兵衛「戦さを起こす格好の口実となる!」、官兵衛『面白くなってきよったのう!』・・・

翌日、官兵衛は大坂城西ノ丸におねを訪ねた、『政所様、この西ノ丸を、徳川様に御譲り頂きとう存じます!』、マグダレナ「何を申されますか!?」、おね『如水殿、何をお考えか分かって居ります、わたくしもその積りで居りました!家康殿が同じ城に居ては、淀殿はさぞ嫌なんでしょうね!?』、官兵衛『要らぬ、いさかえを避けるため!』、おね『誠にそれだけですか?如水殿、貴方は最後まで殿下に仕えてくれました、されど、その殿下はもう居らぬ!・・・まあ、よい、菩提を弔うために、いずれ京に移りたいと思って居りました、丁度よい潮時です!遠慮はいりませぬ、思い通りになさるが良い!』、有難きお言葉!・・・

如水は次の手を打つため、九州の中津に戻ることを決めた、おねは大坂城を去り、それと入れ替わるように、家康等が西ノ丸に入った、家康にぞっこんの長政に言った『大坂は住み心地が良いのう!』、長政「大坂は天下の要、大老の筆頭で在らせられる徳川様がこの地で、諸大名から支持されることこそ一番かも!」、家康『うん!』、長政「幼い秀頼君では三成等の思いのままにされてしまいます、今、天下を太平に導くことが出来るのは、徳川様しか居られませぬ!」、長政が改めて家康に誓った「この黒田長政、何処まででも徳川様をお助けいたす所存!」、家康『よう言うてくれた、黒田殿!』、はっ!、『ところで如水殿は如何動かれるであろう?』、「父は隠居の身で御座います!」、うん・・・

その夜、天満の黒田屋敷に戻った 長政をお富が迎えた「お帰りなさいませ!」、『糸は如何した?』、「気分が優れぬと、先にお休みになられました!」、『そうか!』・・・その脚で長政は糸の寝間に見舞った、起き上がった糸に長政は言った『何時までもくよくよして居るのだ?世継ぎとなる男(おのこ)は、次に産めば良いではないか!』、「もう、無理で御座います、里にお戻しください!もう、無理でごさいます、もう・・・」、糸の熊の助を失った心痛は計り知れないものがあった、長政はただ糸の顔をただただ観るだけで、返す言葉が無かった・・・

日当たりの良い縁で官兵衛と九郎右衛門が地図を広げて、何やら作戦を立てていた、九郎右衛門「早船を大坂、備後の鞆、周防の上関の三か所に配し、順に乗り継いで行けば、3日ほどで知らせが豊前・中津に届きます、さすれば、京・大坂の景況を、いち早く大殿の御耳に入れることが出来まする!」、その策に感心して官兵衛が『やりよるのう、九郎右衛門!人を増やさなくでもよいか?』、「恐れながら、その手筈は整っております!」、『よし、全てお主に任せる!頼むぞ!』、はっ!・・・

官兵衛は畳の間に移って、自分の地図上で、一人で何やら策を練っていた、そこへ光がドッサリおやつの饅頭を運んできた、『光、万が一の時、大坂に残る大名の妻や子達は、人質とされるであろう、だが、その時が来ても慌てぬように、善助と太兵衛を残して置く、万事巧くやってくれよ!』、光『分かって居ります、ははは~~』、何じゃ?、『まるで童(わらべ)の様な眼をなさって居られたので、うふっ!殿がこの様に生き生きして居られるのを見るのは、久しぶりで御座います!』、官兵衛『お前は、この処、辛い戦さばかりであった!』、はい!、『太閤殿下がお亡くなりになり、何か吹っ切れたような気がする、人には仕えず、自分だけの考えで、動くのは初めての事じゃ!』、光『天下を御取りなさいますか?』、『はっははは~~~!それも良いのう!』、うっふふ~~!、二人は久しぶりのくつろぎの時を楽しんでおった・・・ 

黒田一成(かずしげ、有岡城幽閉の折、世話になった牢番・加藤重徳の次男、官兵衛が養子に取った)が長政に伝えた、「殿、先ほどより、大殿が御待ちで御座います!」、父上が?、官兵衛は中庭に出ていた、『長政、わしは中津へ戻る、大坂の事はお前に任せる!』、長政「何故、お戻りに?」、『いずれ、徳川と石田の間で戦さが起こる、ここに居ては、どちらかに着かねばならぬ!わしはどちらにも着かぬ!』、長政『父上は間違っておられます!天下のためにも、黒田家が生き残るためにも、徳川様に着くしかありませぬ!』・・・

官兵衛は長政に近づき言った『お前は徳川の天下を望んでおるのか?』、長政『父上は豊臣の天下が続くとお思いですか?太閤殿下亡き後、幼い秀頼君では、天下は一つに纏まりませぬ!かつて、父上がそのご器量を見込んで、秀吉様を天下人に押し上げたように、それがしも、徳川様を天下人に押し上げたいと思って居りまする!』、官兵衛は我が子の成長ぶりに感銘して言った『分かった!黒田の当主はお前だ、徳川を選ぶと云うのであれば、それで良い!』、『父上は如何する御積りで?』、『わしはわしの好きなようにやらせてもらう!』、官兵衛は中津へ帰って行った・・・

小高い山頂に建つ佐和山城に隠居した三成に、同じ近江国出の長盛が伝えた「今や家康は大坂城を我が物顔で歩いて居る、まるで、天下人の様な振舞いじゃ!淀のお方様は嘆いて居られたぞ!家康の好き勝手を許して居って良いのか!?」、三成『今まだ立つときではない、いずれ必ず立つ時が来る!それまで待つのだ!』、その時「申し上げます、黒田如水殿がお目通りを願って居ります!」タイミングよく官兵衛が三成を訪ねた、何だ?官兵衛はまだ中津に帰っていなかったのか?、『如水殿が?』、長盛「会わぬ方が良い!会えば、たぶらかされるぞ!」、『否、会おう!』三成は手の扇子を、ぱっちんこん!と鳴らした 、これが三成の癖のようだ・・・

善助をおともにして官兵衛が現れた、三成「これはこれは、如水殿が我が城にお運びになられるとは、如何ゆう風の吹き回しで御座る?」、官兵衛『わしも隠居の身、そろそろ中津へ帰ろうと思い、挨拶に伺った次第!』、三成「それは、わざわざ御叮嚀に!」、『良い城じゃのう、この城を落とすには、至難の業、感心致した!ひとつ覗(うかが)っても良いか?』、「何なりと!」、『如何にして徳川を討つ?』官兵衛は行き成り直球で来た、「うっふふふふ~~~!」出た~~、あの薄気味悪い笑いが、「何を御仰せか、その様な気は毛頭御座らぬ!そもそも、それがしに徳川様と張り合う力など御座いませぬ!」、『志(こころざし)を同じくするものが集まれば、別で御座ろう!例えば・・・』、善助が地図を三成の前に広げた・・・

『会津・上杉家、直江兼次、お主とは入魂(じっこん)の間柄であろう、わしがお主なら、陸奥の男を使い、上杉景勝に兵を興させる、さすれば、徳川殿は上杉討伐のために東へ向かい、大坂は空になる!その時、秀頼君を放置して、徳川討伐のために軍を興せば、挟み撃ちと相成る!これで、徳川殿も万事休すじゃ!』、三成「なるほど、それがしには、考えも及ばぬ策で御座るなあ!」、官兵衛『だが止めておかれるが良い、この策、大坂の徳川殿は既にお見通しで御座ろう!それ以上に、あの男は、事が起こるのを待っているご様子、亡き殿下でさえ、戦さでは勝てなかった、策を立てるのと、まことの戦さでは、まるで別ものじゃ、これは、わしから、お主への最後の忠告じゃ!』、にたっと笑い三成が「お言葉、肝に銘じましょう!仮にそのような折が来たら、豊臣家のため、是非、お味方頂きたい!」、『わしは隠居の身、失礼する!』、三成は扇子を投げつけ悔しがった「おのれ黒田如水め!」・・・つづく

 

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小久保・侍ジャパンが有終の美を飾った☆ 2014年11月21日

2014-11-21 14:06:04 | 日記・エッセイ・コラム

昨日20日だったろうか、安倍首相が10%消費増税を2017年4月まで1年半先延ばしと、衆院をアベノミクス解散し、12月2日公示で、12月14日投開票の解散衆院選を発表した!今日21日、先ほど午後1時10分、NHKラジオから、衆院本会議にて賛成多数で衆議院解散が決議されと流れた、菅(すが)官房長官から提出された天皇陛下署名入りの解散詔書が事務総長に渡った、その解散詔書を憲法7条により、伊吹衆院議長が読み上げ、1時14分に衆院解散が最終的に決まった!そのあと国会本会議が散会となって、衆院は事実上、選挙戦に突入した!・・・

2009年7月21日の麻生内閣解散総選挙では、小生、小泉政権のあと、自民党腐敗政権の変革を願って民主党を支持したが、2012年11月16日の解散選挙からは、鳩山民主党政権の失政以来、何も決められない民主党政権に失望した!全て反対するばかりで、己の意見を述べようとしない今の海江田民主党代表など最低だ!小生は、ここまで安倍2次政権に期待を懸けて自民党と維新の党を支持してきた、しかしアベノミクスを推進するがため国債をじゃぶじゃぶに発行し続け、それらを日銀が買占める金融緩和政策をとり、そのあとの借金となるツケを国民に税金として押し付けようとする安倍政権に失望した!また財政的余裕もないのに、集団的自衛権を推し進め、同盟国を守るため、支援せねばならぬ?そのために、戦争に巻き込まれた同盟国を救援するため戦争に参加せねばならぬ?そのために国民の血税を、軍事費に充当しょうとする安倍政権に失望した!・・・

日本にアメリカ軍基地など要らぬ!日本領土は自国の自衛隊で守ればいい!今回は、小生、維新の党1本で行きたい!2013年6月に成立した“小選挙区0増5減法案”が、今回の衆院選挙から山梨、福井、徳島、高知、佐賀の5県に採用され衆院総議席が475となるが、小生、願わくば、今度こそ、民主党55議席が、衆院475議席から全員消え!自民党が大幅に議席を失う衆院選になってほしいと願っている!デフレ脱却を何時まで叫び続けるのか?とっくに脱却しているではないか?これ以上円安になって不景気に追い込んでいって良いのか!?平気で日本の領海を根こそぎ侵す中国の赤サンゴ密猟者をいつまで野放しにしておく気か?・・・

海上保安庁の警備・巡視艇が足らないなら、尖閣諸島しかり!何故、自衛隊を出さん?これこそ正々堂々と行使できる個別的自衛権だろう?国際法で縛られているなら、何故それを出来るように改善しない!?日本の防衛省は甘い!日本の船が許可なくして外国の領海を犯せば、とっくに撃ち殺されている!いつも日本政府は外面が甘く、何も言えずに言いなりになる!今回の衆院選では難しいかもしれんが、早く過半数238議席を獲る新しい与党が現れんことを願っている!それまで、日本の乱世が暫く続くだろう!今の日本はスキだらけだ!もっと日本が自由に羽ばたける法整備が何故せぬ?国会議員達よ仕事をしてくれ!日本に早く太平の世が来るように・・・

11月12日、京セラドームでの第1戦から、小久保・侍ジャパンは、MLBオールスターズと5戦を戦って3勝2敗とリードしてきた、エキシビション・マッチながら昨日20日沖縄セルラー・スタジアム那覇で行われた最終6戦目を侍ジャパンが6-4で獲った!3-2のリードで迎えた8回の表、柳田悠岐(26歳、ソフトバンク)の2点タイムリーなどで3点を挙げて侍ジャパンが試合を決めた、この試合、4打数3安打1打点した今宮健太(23歳、ソフトバンク)と、5打数3安打、1打点した我等が広島の菊池涼太24歳が攻守に大活躍した!・・・

168cmと小柄ながら今シーズン、アメリカン・リーグ公式戦の首位打者を獲った俊足ホセ・アルトゥーベ(24歳、ベネズエラ出身、ア・リーグ西地区のヒューストン・アストロズ所属)の活躍が光っていたが、1アウト、ランナー1塁から、センターへ抜けんとする彼の打球を名手・菊池が好捕し、そのままグラブ・トスしてアウトに仕留めたセカンド菊池のプレーはMLBのド肝を抜いただろう!投げては、先発・武田翔太(21歳、ソフトバンク)が1回から3回、松葉貴大(24歳、オリックス)が4回から6回までの3回、西勇樹(23歳、オリックス)が7回、岩田稔(31歳、阪神)が8回を繋ぎ、西野勇士(23歳、ロッテ)が最後9回を1失点で締めた!侍ジャパンはMLBに2敗したものの、通算4勝2敗の圧勝で2014SUZUKI日米野球を終えた!・・・

一昨日19日、医療センターにおける、2か月に1回の血液検体検査では、前立腺がんのスクリーニング・マーカーとなるPSA(Prostate Specific Antigen、前立腺特異抗原)値は、前回の0.177から僅か上がって0.243ng/mlであった、1.000までに収まりれば一応、完治したことに成る故、まだまだ余裕がある、今日のビアン・モールの定食メニューはAランチが葱(ねぎ)塩だれ焼きチキンで、Bランチがカレイの煮付けだった、何時もなら和風ものを採るのだが、今日は洋風のサラダたっぷり添えられたAランチを頂いた、うめ~~~!(*^_^*)じゅるり・・・

  

 

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軍師官兵衛、第46話“家康動く!~後編” 2014年11月17日

2014-11-17 14:45:42 | 日記・エッセイ・コラム

大坂の前田屋敷に三成と五大老の一人、宇喜多(豊臣)秀家が利家を訪ねていた、三成『家康がこの機に乗じて、豊臣家の乗っ取りを計っているに違いありませぬ!』、利家「その様な事は断じて許せぬ!」、『ここは我等奉行衆と残る大老の皆様方と合力し、加賀大納言前田利家様を中心とした政(まつりごと)を!』、申し上げます!黒田如水さまと細川忠興様がお目通りを願っております!宇喜多「黒田?」、利家「通せ!」、はっ!・・・

二人が通され官兵衛が申した『前田様、お久しゅう御座います!』、利家「これはまた、珍しいお方だ!黒田殿は徳川殿に肩入れされて居られるはず?この年寄りに何用じゃ?」、ぶしつけに官兵衛が『前田様、貴方は天下人にはなれませぬ!ここで四大老が力を合わせ、伏見へ攻め込めば、あるいや、徳川様を討てるやもしれませぬ!徳川様を討てば、大老筆頭は前田様となり、されど、貴方の病は重く、もはや長くはない!それはご自分が一番お分りのはず!』、宇喜多「無礼な!」、秀家、良い!、官兵衛『天下の申したるお二人無くしては、間違いなく世は乱れます!和睦をなさるのが、天下万民のために御座います!何卒、ここはお引き頂きたい!』、利家は何も言えなかった・・・ 

官兵衛は大坂城・西ノ丸におねを訪ねていた、マグダレナ「さすがは如水さま、見事に戦さの種を摘み取られました!」、おね『大老方が改めて誓詞を交わし、徳川殿も、前田殿も鉾を収めたそうですね!』、官兵衛『しかし、これで済むとは思いません!』、おね『戦さのない世を造ろうと、殿下をお支えし、豊臣の家を命がけで守ってきました、されど、豊臣の天下は秀吉一代限りと、わたくしは思っています!』、マグダレナ「お方様!?」、おね『秀頼はまだ七つ、天下を治める力を備えるには、いささか時が足りませぬ!この日本国に、太平の世が続くなら、徳川殿でも前田殿でも、誰でも良い!最も相応しいき方が、天下人となれば良い!』、おねの胸の内は夕焼け空の様に晴れ晴れして居った!・・・

一仕事終えた官兵衛は天満の屋敷に戻って、3従士の傍(かたわ)らで一杯やっていた、九郎右衛門「此度は大殿のお力で収まったが、幾ら、争いを避けようとしても、いずれは、戦さが起こる!」、太兵衛「さような戦さなら寧(むし)ろ有難い!」、善助「太兵衛!」、「誰が泰平の世を造るのか?我が大殿こそが、天下人に最も相応しいでは御座らぬか?」、3人は縁に座る官兵衛に近寄り言った、善助「大殿!」、九郎右衛門「如何お考えで?」・・・『何故、お主ほどの男が天下を狙わん?』官兵衛は秀吉の言葉を静かに思い出していた!・・・

伏見城では家康等が漢方作りに励んでいた、忠勝「あともう少しで戦さだと云う時に、如水殿が余計なお節介(おせっかい)を!誠に惜しゅう御座いましたなあ!?」、康政「倅の長政殿は殿に春水して居るが!父親の方はなかなか厄介な御仁!」、忠勝「様子を覗っている大名も、安心して我等に着くことに成るのだか!」、家康『黒田を離しては成らんぞ!』、はっ!、そこへ直政が、信濃の国の武将、保科(ほしな)正直の娘・栄姫を案内してきた、栄「叔父上、お久しゅう御座いまする!」、家康『栄、おうきゅうなったのう!』、忠勝「このお美しい姫は?」、直政「殿の姪子の栄姫様で御座います!」、栄「叔父上をよく支えてくれて、有難く存じ上げます!お見知りおきを!」、「叔父上、頂戴した内掛けを着て参りました!」、モデルの様に栄が着ている内掛けを家康に見せた、家康も「よお似合うとる!」鼻高々だった、『栄、これからわしの事を、叔父上ではなく、父上と呼びなされ!』、えっ?、『そなたを養女にする!』、康政「さぞや良きご縁に恵まれることでしょう!」、4人とも鼻の下を長くのばしたままだった・・・

その頃、天満の黒田の屋敷では、糸が酌をして、長政と又兵衛が話しあって居た、長政『父上が間に入ったことで、戦さを避けることが出来たが、果たしてそれで良かったのか?三成を討つ好機を逃したような気がして成らん!』、又兵衛「大殿は軽挙妄道(軽はずみな行動)を慎(つつし)めと仰せに御座います!」、長政『それを何故、父上はお主に言うのだ?わしに直に言えばよいではないか!?』、又兵衛「殿は石田様が憎い余り、目が曇って居られる!」、長政『その様な事はない!』、二人は睨みあったままの時が虚しい、又兵衛は頭を下げて自分の部屋へ戻って行った・・・

その後、長政と糸が残された、お富も傍に居た、長政が盃を差し出した、慌てて糸が酌をした、菊の泣く声が聞こえてきた、長政『糸、お菊が泣いておるぞ!』、糸は知らぬ振りをしていた、『糸!あれが聞こえんのか?』、「聞きとう御座いませぬ!」、『何?』長政がいらだっていた、富も動かなかった、「あの子の泣き声を聞くたび、責められているようで!14年かかって女子一人産むのがやっととか、と陰口を言われているのが分かって居ります!」、『誰も、その様な事は言っておらん!』、「わたくしには分かります!熊の助殿の事・・・」、『よさぬか!誰も御前を責めてなどして居らん!』、「熊の助殿を最後に見たのも、このわたくしで御座います!わたくしが気付いて止めて居れば、死なずに済んだので御座います!」、『糸!』長政は糸の肩に両手を置いて止めさそうとした、「黒田の大事なおのこを死なせた上に、世継ぎを産むことも出来ない!何の値打ちもない女子で御座います!一層の事、離縁でも・・・」、長政は激怒した『いい加減にしろ!』、糸は何処かへ消えて行こうとした、お方様!お菊の泣き声だけが、何時までも鳴り響いていた ・・・

そこへ、「殿!一大事に御座います!」と叫んで 長政に告げた!慶長4年(1599)閏3月3日、三成が最も頼りにしていた前田利家が死去した!これにより、危うく保たれていた均衡がついに崩れた!その夜、長政等七将が、三成を討つために、加藤清正の屋敷に集まった!清正『三成の行方は分かったか!?』、細川忠興「宇喜多の屋敷に逃げ込んだようだ!」、正則「前田様が死んだ以上、遠慮はいらぬ!三成を討つのじゃ!」、おっおおおおお~~~!長政『ずっとこの時を待っていたぞ!我等を陥れようとしたこと、断じて許さぬ!即刻、首を刎(は)ねてやる!』、出陣じゃ~~~!おっおおおおお~~~!!・・・その頃、三成は宇喜多の屋敷から、秀家と行長等に見守られて籠に乗り込んだ、秀家「何処へ行くつもりだ?」、三成『虎穴に入らずんなば、虎児を得ず!』扉が締められ何処かへ姿を消した・・・

伏見城・本丸では家康陣営が話し合っていた、家康『三成がここへ逃げ込んで来たというのか!?』、直政「はい!、今,治部少丸に居ります! 」、忠勝「如何言う積りじゃ?」、康政「油断なりませぬ!」、家康は察した『ふふ、考えよったな!』、そこへ長政、清正、正則が乗り込んで来た、長政『石田三成を出して頂きたい!』、正則「数々の無礼!もはや許せませぬ!」、清正「徳川様~~~!」、治部少丸にかくまった三成が徳川三大老に言った『徳川殿はこのわしを引き渡したりせぬ!もしわしが殺されれば、引き渡した徳川は、豊臣家に弓放つ逆賊の一味!天下を狙う大悪人であることが、世に知れ渡ってしまうからのう!』・・・

本丸では、家康が『大名同士が争うことは、ご遺言で禁じられて居る!今日の処は引き取られよ!この家康が双方の言い分を聞いた上で、裁きを下す!』、正則「しかし!」、家康『これ以上、伏見の城下を騒がすというのなら、手前がお相手致す!』・・・治部少丸では三大老が三成に言いようにされていた、してやったり『いっひひひひひ~~~!』三成の悪魔に取りつかれた様な不気味な笑いが止まらなかった!直政等徳川重臣も黙りこくるしかなかった、長政、清正、正則の三将も如何することも出来ず、ただ、怒りに燃えたぎり悔しがった!・・・

昨夜、長政等が、徳川が預かる伏見城に押し掛け、“三成を渡せ!”と迫ったことを詫びを申しに、官兵衛が家康を訪ねた、官兵衛『本日はお詫びに伺いました、愚息・長政が押し掛けたようで、ご迷惑をおかけし申し訳も御座いませぬ!』、家康「お手を御揚げくだされ、如水殿、そもそも、この騒動は石田三成と小西行長が在りもせぬ罪を言い立てて、御子息たちを追い落とそうとしたことが始まりじゃ、長政殿の気持ちも分かる!」、官兵衛『若い者は血の気が多くてたまりませぬ!』、「全くじゃ、何かと云うと、力に頼る!ようやく大平の世が訪れたというに、こんなことでは、以前に逆戻りじゃ!」・・・

官兵衛『やはり、世はまた乱れましょうか?』、家康が官兵衛をじっと見つめてから、右目をこすって言った「お主は如何思う?」、『それは貴方次第!』、「それが答えか、わしには逆心など毛頭ない、ただ、秀頼君をお守りするのみ!」、『三成は如何する御積りか?』、「これ以上、騒ぎを大きくしたくはない!三成は、隠居させる!奉行職を免じたうえ、領国の佐和山へ蟄居(ちっきょ、公家・武士に科した外出を禁ずる刑)させればよかろう!」、『ふん、隠居だ?それでは火種は消えませんど!』、「では、首を獲れと申されるか?」、突然、官兵衛が 強きに出た『何が狙いじゃ?』、しばし両雄の睨み合いがつづいた・・・

その帰り、伏見城の回廊を歩きながら、つい先ほど家康が言ったことばを、官兵衛は思いで出していた、「黒田に伝わる教えだと、御子息、長政殿から聞いた、実に良い御教訓じゃ!石田殿の命にも、まだまだ使い道はある!違いますかな?」、この時、官兵衛は家康の本音を悟った! ・・・屋敷に帰るなり、官兵衛は黒田の三銃士にそのことを伝えた『徳川の狙いは天下を揺るがす大乱じゃ!』、大乱?、『生かされた三成は死にもの狂いで味方を集めるであろう!国中の大名が、どちらに着くのかが試(ため)される!』、善助「そうして三成に兵を挙げさせ、しかる後に、その敵を根こそぎ滅ぼし天下を獲る!」、『そうじゃ!それが徳川家康の天下獲りだ!』・・・

九郎右衛門「数えきれないほどの死人が出ますな!?」、太兵衛「大殿は如何なさるので?」、『三成には着かぬ!』、善助「では、徳川殿?」、官兵衛は縁に出て陽を浴びながら言った『播磨を思い出す!』、播磨?、『あの時もそうであった!織田に着くのか?毛利に着くのか?生き残る道を必死に探った!』、九郎右衛門「此度は、どの道を?」、『生き残ることは無論大事!しかし、わしは我が道を行く!』、力強く三銃士は立ち上がり官兵衛の元へ歩んだ、善助「天下を狙われましょうか?」、皆、心ひとつになり、笑みを交わし、互いを見つめあった、太兵衛「我等、何処へ成りとも、お伴つかまつる!」、九郎右衛門もしかり!黒田如水と家臣たちが、遂に最後の大勝負へと、舵を切った瞬間であった!・・・実に良い!これこそ真の黒田の絆である!小生、涙が溢れた!・・・

 

 

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