家族の健康から激安クローゼットまで、かしこく買い物ファミリー・ライフです。
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老体の小生もマラソンやるとき足を保護するため色々フィジカル・サポート用品を
愛用しています、5本指スポーツソックス、足袋式スポーツソックス、チタンテープ
などなどを・・・
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『この食事に逢えて健康ライフをゲッツ☆☆』
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小生、昨夜書斎に引きこもって21:00から始まった“中居正広のキンスマ”の映像に涙しながら釘付けになっていた、今まで森進一(61歳、本名:森内一寛)氏が小言一つ云わず弁解一つせず自分だけの胸にしまっていた真実が次から次と明かされて行った・・・
生まれ育った山梨での進一の幼少時代は極貧の生活を余儀なくされた、まともな食事も摂れない、教科書は買えない、給食費は払えない、母は2つも3つも仕事をこなして家庭を支えた・・・父親は母の着物を売り払ってまでバクチに溺(おぼ)れ、酒に溺れ、女に溺れ、あげくの果てには大屋の未亡人と出来て家庭にまで連れ込み始めた、母はそんな生活に耐えかねて進一と妹と弟を連れて山口の親戚の物置に暫らく身を寄せた、やがて鹿児島にある母の実家での生活が始まり幼い進一も牛乳配達と新聞配達をして母を助けた・・・
中学校を卒業した進一は集団就職を決意し大阪への列車に乗りこんだ、食堂での仕事に出かけた母は僅かな空き時間を見つけ仕事着のまま線路に走った、進一はまい掛けを振り続ける母の姿が見えなくなるまで手を振り続けた、大粒の涙が停まらない『かぁちゃん、かぁちゃん~~!!』と叫びながら・・・大阪で職を転々とするも給料は6万~7万円と低く自分で生活して行くのが一杯で家族に仕送りする余裕は出来なかった、母は手紙で『何事も直ぐ諦めず根気強く辛抱せんといかん!!』と進一を励ました、そして食堂での住み込みの仕事に就いたある日妹がバイトで貯めた2000円を送ってきた『何か美味しいものを食べて(*^。^*)』、思わず畳に崩れ泣き明かした・・・
『かぁちゃんと家族を少しでも楽にさせたい!!』やがて進一は上京して行った、そして好きな歌の道に進むことを誓いバンドマンの仕事に就いた、あるときフジテレビ系“リズム歌合戦”という勝ち抜き歌コンクールに応募したところ5週連続チャッンピオンを獲得してしまった☆☆そして育ての親・作曲家チャーリー石黒との出逢いへ繋がって行った、2オクターブの音域を持つユニークな音質が渡邊プロダクションの目にも留まり1966年恩師・猪俣公章作曲、吉川静夫作詞のビクターレコード“女のためいき”でデビューを果たして歌手として船出を切った、その後も“命かれても”“盛り場ブルース”のヒット曲にも恵まれ出世街道を歩んで行った・・・
レビュー3年目1968年には“花と蝶”で第19回NHK紅白歌合戦を出場を決めてしまった、1969年21歳の時“港町ブルース”でレコード大賞最優秀歌唱賞に輝き2回目の紅白のトリを務めるに至った、1971年川内康範作曲、猪俣公章作曲の名曲“おふくろさん”に運命的な出逢いがあった、鹿児島県薩摩川内に建てられた歌碑の前で川内康範は進一の父親代わりになってやると誓いを立てた、やがてこの“おふくろさん”に母を慕い母のために歌い続けきた進一の魂が宿って行った・・・
順風満帆に見えた進一の前に大きな落とし穴が待っていた、35年前1972年山口県の見ず知らずの熱狂的女性ファンから進一の子供を妊娠した、結婚してくれなければ自殺するとの電報が舞い込んだ、その虚言をマスコミが面白おかしく煽(あおり)立てた、その女性の根も葉もない作り話で告訴され進一は窮地に追い込まれ、母は失意のどん底に落とされ自らの命を絶って逝った、やっと手に入れた親子の幸せ、余りにも切ない残酷な永遠の親子の別れをスタジオ中が泣いた、半年後、その女性と別の男性との間に出来た子供の堕胎から出た妄想話と判明して山口地裁から全面無罪の判決が降り一件落着と相成った・・・
しかし愛する母を失った進一は益益苦境に追い込まれ情緒不安定のうつ状態に陥り、C型肝炎の病に犯され航海中の船からの自殺を考えるまでに落ち込みなかなか立ち上がれずにいた、そんな時1974年、森進一は吉田拓郎の“襟裳岬”に救われた、『日々の暮らしは嫌でもやって来るけど、静かに笑ってしまおう☆☆』の歌詞に心洗われ進一は蘇った☆☆がそれまで何年も猪俣氏も川内氏本人も誰もが認めてきた冒頭のフレーズが気に入らないと突如の封印のクレームをつけてきた川内康範氏、2006年の紅白以来封印された“おふくろさん騒動”も川内氏死去後、長男飯沼春樹弁護士を始めとする遺族との和解が昨年11月に成立した・・・
12月31日C型肝炎から完治し、名曲“おふくろさん”から晴れて解禁され森進一は第59回NHK紅白歌合戦のステージにスーツも蝶ネクタイも靴も純白に身を清めて立っていた、『歌の力、人の絆、人生の尊いものを胸に深く刻んだ1年でした。これからも一筋に心を込めて唄い続けたいと願っています。作詞:川内康範、作曲:猪俣公章“おふくろさん”をお聴きください』と自ら曲紹介をして、千の風となった母・尚子さん(47歳逝去)と川内康範氏に向かって万感の思いを込めて絶唱した☆☆
余り知られていなかった森進一氏の社会福祉活動“じゃがいもの会”、カンボジア地雷除去キャンペーン、活動の発起人、在日外国人を援助する“サポート21”の理事就任などの大いに賞賛に値する福祉・社会的貢献がこのキンスマで明らかになった☆☆
明日11日“都大路をさわやかに”をテーマにした第27回都道府県対抗女子駅伝が12時30分西京極運動公園陸上競技場スタートで開催される、加古川シティオペラ今年最初の練習があり生中継は見れないがHDD予約録画して出かけることになる・・・