Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

大阪国際女子マラソン、渋井が執念の復活V果たす☆ 2009年1月25日

2009-01-26 00:11:27 | 日記・エッセイ・コラム

酸素カプセル

ギムネマエキスカプセル

スタート前の長居は気温6.5℃、湿度75%、南西の風1.6mと冷え込んでいた・・・

シティオペラへ出かける前、昼食を摂りながら5キロ過ぎまで12時10分スタートした第28回大阪国際女子マラソンを観ていた、入りの1キロを3分21秒の落ち着いたペースでレースが滑りだした、2キロのラップも更に遅い確か3分35秒ぐらいだったと記憶している、3km地点も確か10分は軽くオーバーしていた、うぬ!!渋井がなかなか動かぬ!!落ち着き払っている!!これは勝負狙いに行くな、先頭集団の中に東京国際女子マラソンで優勝しベルリン代表をすでに勝ち取っている尾崎好美の姉の尾崎朱美(あけみ)を勘違いし何でまた大阪で走っているのか??不思議に思っていた??(^^ゞ

あのあと攻めのシモンが先頭に立ち渋井、赤羽、脇田、大南、原田、大平など有力選手達が織り成す15~16人ぐらいの大きなトップ集団が5km地点を確か17分25~26秒ぐらい、この後波乱の展開を予測する遅いペースで通過して行った・・・あっ!!もうそろそろ出かけなくてはいけない、このようにレースは意外な序曲の幕開けで始まったが脚本・台本のないこのドラマの結末はどのように進行して行くのだろうか、う~~ん楽しみ楽しみ、サッ!出かけよう・・・

    ******************************

底冷えの帰路を自転車走らせ帰宅し、ハイライトをも観ずに玉手箱を開けるようにして結果を紐解いた・・・やった!!渋井陽子(30歳、栃木・那須拓陽高校→三井住友海上、2002年に樹立した10000m日本記録30′48″89保持者)が2001年初マラソンを優勝でデビューを飾った思い出深い大阪で8年ぶりに再び優勝2°23′42″を勝ち取った、2004年のベルリンマラソン以来優勝(当時の日本最高タイム2°19′41″を記録する)から遠のいていた“復活のデビュー”を果たし、ベルリンでのマラソン代表の切符を手中にした☆☆ヽ(^。^)ノばんざ~~い

2位にはなんと初マラソン挑戦の赤羽有紀子が2°25′40″の好タイムでデビュー戦を飾った、さすが~~である、3位には小生が注目した原裕美子が2°26′57″で返り咲き今後の活躍が期待される、赤羽と同じマラソン初デビューの脇田茜は2°31′16″で9位に終わった、22歳とまだまだ若い、小生、マラソンランナー“Qちゃん二世”として彼女のこれからの活躍に大きな期待をかけたい・・・

明日でもHDDで録画した全幕の波乱の展開を観ることにしよう・・・(^^♪

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第14回都道府県対抗男子駅伝、予想通り長野が強かった 2009年1月18日

2009-01-19 01:27:21 | 日記・エッセイ・コラム

マンハッタンレコード 独占タイトル Exclusive Mya Paradice Remix / Shy Guy

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氷丘南混声の音練から12時45分頃帰りネプリーグ観ながら昼食を摂った、コーヒー持って2階に上がり書斎に落ち着き急いでTVを1chのに合わせた、3区(8.5km)1.1キロ附近を長野の佐藤悠基(東海大)と栃木の宇賀地強(駒大)がトップを競(せ)っていた、20mほど後方に3位グループの埼玉の金塚洋輔(大東大)、兵庫の森本直人(山梨学院)、宮崎の堀端宏行(旭化成)が続いて、その後に6位グループの福岡の三津谷裕(トヨタ自動車九州)と佐賀の前田和浩(九電工)が並走していた、注目の福島の柏原竜二(東洋大)は17位で受けて順位をグングン上げ9位あたりを走っていた・・・

4.5キロ過ぎトップグループに追いついていた福岡・三津谷が6km地点を過ぎ、兵庫が脱落した宮崎、長野、栃木、埼玉の2位グループに7秒差を付け独走態勢に入って行く、2位グループに福島の柏原が迫る、あと500m、福岡・三津谷は宮島口ロータリーを廻り区間賞23′49″で高校生区間4区(5km)の松山にタスキを渡す、2位に宮崎、3位で栃木が、4位長野が、5位埼玉が続く、兵庫はトップから30秒遅れ13位で西池に繋ぐ、区間2位23′56″の福島・柏原が6位までチームを押し上げタスキを渡す・・・

中国電力研修所の折り返しを廻り2位長野の平賀(佐久長聖)がトップ福岡に追いつき、松山と平賀のデッドヒートが第5中継所まで続くが僅か1秒差で福岡・松山が平賀を交わして1°07′38″で同じ高校生区間5区(8.5km)高校駅伝での長野優勝の立役者のエース村澤明伸(佐久長聖、5000mのベスト13′50″)に繋ぐ、3位福島、4位栃木、5位埼玉、6位千葉が続く、そして兵庫は7位で西脇工業のエース・志方にタスキが渡る、この5区の区間賞は長野の平賀翔太が14′28″で取った・・・

中継後直ぐ長野・村澤は福岡・高城を抜き去りグングン差を開け4km地点では40秒差とする、村澤は中間地点を1°19′40″で区間新のペースで通過し2位との差を200m以上45秒差とする、5キロ過ぎ7チームの3位クループが2位の福岡を吸い込み2位グループとなる、6キロ過ぎ2位グループから兵庫・志方が抜け出しトップの長野を追う、あと1200m福岡が3位グループ(千葉、宮城、埼玉)から遅れ始める・・・

長野・村澤はそのまま快調に飛ばしこれまでの区間新24′07″を大きく破り23′55″の区間新記録を達成して中学生区間6区(3km)に1°31′34″で上田に渡す、区間2位23′48″の兵庫・志方が1′10″差で繋ぐ、3位で埼玉が1′15″遅れで、4位で宮崎が、5位で千葉が、6位で
福岡が、7位で愛知が、8位で栃木が続いて行った・・・

最終ランナーの和歌山が第6中継所を通過する頃にはトップの長野・上田はあと400mにさしかかる、アンカー7区間(13km)長野ランナー・上野裕一郎(佐久長聖→中央大→ヱスビー食品)はガッツポーズでタスキを受け取る、2位1′17″差の埼玉と3位1′18″差の兵庫が並ぶようにして7区へ中継する、兵庫のチーム・エース北村聡(宝殿中→西脇工→日体大→日清食品)が首位の長野にどれくらいまで迫られるだろうか注目される、4位で福岡が、5位で千葉が、6位で宮崎が、7位で栃木が、8位で愛知が、そして9位で福島ふるさとランナー・佐藤敦之が飛び出して行き直ぐ7位グループに追いつく、21位でタスキを受けた秋田の松宮隆行が凄いスピードで前を追って行った、京都の池上が8′51″の6区区間賞を獲得している・・・

長野・上野は5km地点を14′19″で通過して、5.2kmのチェックポイントを1°56′00″位で
クリアする一人旅が続く、1′30″遅れで2位グループ争いの兵庫と宮崎が続く、15m程遅れて福岡・今井正人(順天堂大→トヨタ自動車九州)が追う、11位で大分の佐藤智之(旭化成)が2′50″遅れで前を追う、兵庫・北村と宮崎・佐々木(大東大→旭化成)の2位争いがなおも続く、そのあと今井が6秒差で追う、1′30″730m遅れの5位グループを佐藤敦之が引っ張る、あと3km、直ぐ向こうに原爆ドームが見える空鞘(そらさや)橋を1位を行く長野の上野が2°09′20″で通過して行く、1′41″差で兵庫と宮崎が通過する、10キロ過ぎ兵庫・北村が単独2位に上がりトップとの差760mで長野を追う・・・

あと1.3km、長野・上野は平和大通りに戻ったところで苦しそうに右脇腹を抑えトレードマークのサングラスを揚げて頭上にかけゴールを目指す、間もなく残り1km、4区の平賀が追いつき、5区の村澤が区間新を出すなどの健闘が効いたか2003年福岡が樹立した大会記録更新が見えてきた、ギアを切り替えて上野は切れの良いラストスパートに入って行く、そして☆2°18′43″☆の大会新記録の素晴らしいタイムを達成して、2年連続5度目の優勝に輝いた☆☆おめでとうさ~んヽ(^。^)ノ

兵庫の北村が1′20″遅れの2°20′03″で2位に入った、3位に宮崎が2°20′07″で続く、4位で2°20′15″の福岡・今井が入る、佐藤敦之が粘り2°20′46″で福島が5位でゴールする、6位で栃木が→7位で埼玉が→8位で千葉が入賞を果たした、このアンカー区間の区間賞を取ったのは12位でゴールした岡本直己(明治大→中国電力)の37′55″だった、区間2位は15位の秋田・松宮隆行(秋田・花輪高校→コニカミノルタ)が37°56″と健闘している、ランナーの皆さんお疲れさんで~~す(-_-)zzz

<コウベビューティー/p>

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中学生・久馬ツインズが京都を救う 2009年1月11日

2009-01-12 01:56:06 | 日記・エッセイ・コラム

ダイエット<script type="text/javascript"></script>

「サイパン旅行ナビ」でオプショナルツアーを予約!

ここ加古川にも昨日から雪混じりの冷たい雨が降り本格的な冬が訪れている、ストーブをつける前の室温が始めて6℃にまで下がりぐっと冷え込んだ・・・

今日13時30分から年末の20日以来3週間ぶりに加古川シティオペラ結成20周年記念コンサート“バレンタイン・プレゼント”の1回目立ち稽古がセンタービル3階であった、久しぶりの練習とあってこれまでの音練から荒立ちまでの経過を思い出しながら軌道に乗るまで暫らくかかった、ソリスト達もほとんど全員揃ってアンコール曲“Climb Ev'ry Mountain”(サウンド・オブ・ミュージック)を最後に合唱団ともに熱唱した・・・

昨日はスポーツショップ“神戸屋”で5本指スポーツソックスを買ったが、今日オペラ練習の帰りに“ファイテンショップ加古川店”に立ち寄って通勤ラン専用にしているランニングシューズに敷くAg(Aqua Silver)Microtitan Ball Print インソールと、足底に貼るチタンテープ(50mm×4.5m)それに50倍の威力を持つ‘X50 アクアチタン・Rakuwa Neck ダルビッシュ モデル(2940円)’買い求めると丸シールタイプ・パワーテープのサンプルを2冊サービスしてくれた、帰宅して肩こりがよく出る家内にあげてやった、アッ!マイクロチタン加工の5本指スポーツソックスを買い忘れている!!17日のオペラ練習の帰りにでも立ち寄ることにしよう、店長の話ではチームQは解散しているかもしれないが広告塔Qちゃんとファイテンとの契約アスリートとしての繋がりは5月まで続くらしい・・・

テレビでスポーツニュースのハイライトを観ると、どうやら岡山・興譲館の高校生の活躍で大きくリードされていた 京都チームが徐々に前を詰め8区(3km)中学生区間で久馬ツインズ(綾部中)の妹、萌が区間新記録のタイム9′41″で岡山に大差を付けてアンカー(10km)の小島一恵に繋(つな)ぎ、小島は2位岡山をぶっちぎって2°15′39″で優勝して5連覇を果たした様であった、ちなみにこのアンカー区間の区間賞を取ったのは12位でゴールした新谷仁美(興譲館→豊田自動織機)であった・・・

また区間28位と不調であったが後半粘った2区(4km)北京代表ランナー・早狩美紀(32歳)から4位でタスキを受けた3区(3km)ランナー久馬ツインズの姉、悠も区間賞9′21″の走りでトップを行く兵庫に7秒差にまで迫る2位で4区(4km)ランナーの小崎まり(ノーリツ、1月25日の大阪国際女子マラソン2009出場予定)に繋ぐ健闘を果たしている・・・

2位岡山は歴代県最高タイム2°17′03″で準優勝と健闘した、我が兵庫は1区で大ブレーキが起き32位と大きく出遅れたが、2区ランナーのエース・小林祐梨子が12′07″という区間新記録の走りで3位にまで押し上げその勢いでアンカー・加納由理(須磨学園→立命館大→資生堂→セカンドウインドAC)が3位2°17′42″のゴールを切っている、4位で熊本が→5位で福岡が→6位で埼玉が→7位で宮崎が→8位で長野が続き入賞を決めている、結婚・出産のあと世界を目指すことを決意して現役復帰した山田(旧姓:小鳥田、32歳、デオデオ)貴子が広島アンカーで15位でゴールしている、今後の活躍に注目して行きたい、赤羽有紀子(30歳、ホクレン)に継ぐ第一線ママさんランナー第2号の誕生である☆☆

明日体育の日に・・・ガ~~ン!!これって怖くな~~~い!!成人の日と間違えるなんて!!小生も焼きが回ったもんだ!?録画した今日の第27回47都道府県対抗女子駅伝の全NHK中継番組をゆっくり観ることにしよう、う~~ん楽しみ~~~・・・

ギムネマエキスカプセル

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“キンスマ2時間SP”で初めて明かされた森進一の真実 2009年1月10日

2009-01-10 23:27:31 | 日記・エッセイ・コラム

家族の健康から激安クローゼットまで、かしこく買い物ファミリー・ライフです。

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老体の小生もマラソンやるとき足を保護するため色々フィジカル・サポート用品を

愛用しています、5本指スポーツソックス、足袋式スポーツソックス、チタンテープ

などなどを・・・

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小生、昨夜書斎に引きこもって21:00から始まった“中居正広のキンスマ”の映像に涙しながら釘付けになっていた、今まで森進一(61歳、本名:森内一寛)氏が小言一つ云わず弁解一つせず自分だけの胸にしまっていた真実が次から次と明かされて行った・・・

生まれ育った山梨での進一の幼少時代は極貧の生活を余儀なくされた、まともな食事も摂れない、教科書は買えない、給食費は払えない、母は2つも3つも仕事をこなして家庭を支えた・・・父親は母の着物を売り払ってまでバクチに溺(おぼ)れ、酒に溺れ、女に溺れ、あげくの果てには大屋の未亡人と出来て家庭にまで連れ込み始めた、母はそんな生活に耐えかねて進一と妹と弟を連れて山口の親戚の物置に暫らく身を寄せた、やがて鹿児島にある母の実家での生活が始まり幼い進一も牛乳配達と新聞配達をして母を助けた・・・

中学校を卒業した進一は集団就職を決意し大阪への列車に乗りこんだ、食堂での仕事に出かけた母は僅かな空き時間を見つけ仕事着のまま線路に走った、進一はまい掛けを振り続ける母の姿が見えなくなるまで手を振り続けた、大粒の涙が停まらない『かぁちゃん、かぁちゃん~~!!』と叫びながら・・・大阪で職を転々とするも給料は6万~7万円と低く自分で生活して行くのが一杯で家族に仕送りする余裕は出来なかった、母は手紙で『何事も直ぐ諦めず根気強く辛抱せんといかん!!』と進一を励ました、そして食堂での住み込みの仕事に就いたある日妹がバイトで貯めた2000円を送ってきた『何か美味しいものを食べて(*^。^*)』、思わず畳に崩れ泣き明かした・・・

『かぁちゃんと家族を少しでも楽にさせたい!!』やがて進一は上京して行った、そして好きな歌の道に進むことを誓いバンドマンの仕事に就いた、あるときフジテレビ系“リズム歌合戦”という勝ち抜き歌コンクールに応募したところ5週連続チャッンピオンを獲得してしまった☆☆そして育ての親・作曲家チャーリー石黒との出逢いへ繋がって行った、2オクターブの音域を持つユニークな音質が渡邊プロダクションの目にも留まり1966年恩師・猪俣公章作曲、吉川静夫作詞のビクターレコード“女のためいき”でデビューを果たして歌手として船出を切った、その後も“命かれても”“盛り場ブルース”のヒット曲にも恵まれ出世街道を歩んで行った・・・

レビュー3年目1968年には“花と蝶”で第19回NHK紅白歌合戦を出場を決めてしまった、1969年21歳の時“港町ブルース”でレコード大賞最優秀歌唱賞に輝き2回目の紅白のトリを務めるに至った、1971年川内康範作曲、猪俣公章作曲の名曲“おふくろさん”に運命的な出逢いがあった、鹿児島県薩摩川内に建てられた歌碑の前で川内康範は進一の父親代わりになってやると誓いを立てた、やがてこの“おふくろさん”に母を慕い母のために歌い続けきた進一の魂が宿って行った・・・

順風満帆に見えた進一の前に大きな落とし穴が待っていた、35年前1972年山口県の見ず知らずの熱狂的女性ファンから進一の子供を妊娠した、結婚してくれなければ自殺するとの電報が舞い込んだ、その虚言をマスコミが面白おかしく煽(あおり)立てた、その女性の根も葉もない作り話で告訴され進一は窮地に追い込まれ、母は失意のどん底に落とされ自らの命を絶って逝った、やっと手に入れた親子の幸せ、余りにも切ない残酷な永遠の親子の別れをスタジオ中が泣いた、半年後、その女性と別の男性との間に出来た子供の堕胎から出た妄想話と判明して山口地裁から全面無罪の判決が降り一件落着と相成った・・・

しかし愛する母を失った進一は益益苦境に追い込まれ情緒不安定のうつ状態に陥り、C型肝炎の病に犯され航海中の船からの自殺を考えるまでに落ち込みなかなか立ち上がれずにいた、そんな時1974年、森進一は吉田拓郎の“襟裳岬”に救われた、『日々の暮らしは嫌でもやって来るけど、静かに笑ってしまおう☆☆』の歌詞に心洗われ進一は蘇った☆☆がそれまで何年も猪俣氏も川内氏本人も誰もが認めてきた冒頭のフレーズが気に入らないと突如の封印のクレームをつけてきた川内康範氏、2006年の紅白以来封印された“おふくろさん騒動”も川内氏死去後、長男飯沼春樹弁護士を始めとする遺族との和解が昨年11月に成立した・・・

12月31日C型肝炎から完治し、名曲“おふくろさん”から晴れて解禁され森進一は第59回NHK紅白歌合戦のステージにスーツも蝶ネクタイも靴も純白に身を清めて立っていた、『歌の力、人の絆、人生の尊いものを胸に深く刻んだ1年でした。これからも一筋に心を込めて唄い続けたいと願っています。作詞:川内康範、作曲:猪俣公章“おふくろさん”をお聴きください』と自ら曲紹介をして、千の風となった母・尚子さん(47歳逝去)と川内康範氏に向かって万感の思いを込めて絶唱した☆☆

余り知られていなかった森進一氏の社会福祉活動“じゃがいもの会”、カンボジア地雷除去キャンペーン、活動の発起人、在日外国人を援助する“サポート21”の理事就任などの大いに賞賛に値する福祉・社会的貢献がこのキンスマで明らかになった☆☆

明日11日“都大路をさわやかに”をテーマにした第27回都道府県対抗女子駅伝が12時30分西京極運動公園陸上競技場スタートで開催される、加古川シティオペラ今年最初の練習があり生中継は見れないがHDD予約録画して出かけることになる・・・

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四不像、野生への復活の奇跡 2009年1月5日

2009-01-05 13:46:52 | 日記・エッセイ・コラム

かに!カニ!蟹!<うまいカニの専門店> 浜海道オンライン

今朝NHKラジオ第1“朝いちばん”ワールドレポートのコーナーで中国特派員から、人間の勝手な乱獲により一度絶滅したと言われるある珍獣の話題が入っていた、その珍獣は“四不像(ふしぞう)”と呼ばれ、鹿のような角(つの)を持ち、蹄(ひずめ)が牛のようで、頭が馬のようで、細長いロバのような尻尾(しっぽ)を持つ一応シカ科の動物であるらしい、成長すれば大きいものは体長が2.2m、体高が1.2m、体重が200kgにもなり寿命が23年であるとか・・・

多くの四不像は古くから中国北部から中央部の沼沢地の湿地地帯に生息していた、明の時代(15~17世紀の200年間にも及ぶ)に書かれた小説“封神演義(ふうしんえんぎ)”には神獣として描写され崇められていた、しかし身勝手な人間による沼沢地の開拓と食用としての乱獲によりその野生の状態で生息する四不像は19世紀末までに全滅したとされる、その一部が清朝皇帝の狩場とされる南苑に飼育され生き残っていたが、洪水で流されたものもいるが、義和団と言うキリスト布教を忌み嫌う秘密結社を支持する清皇帝の第二夫人・西太后(せいたいごう)が日本と欧米列国に宣戦布告した“義和団の乱”の犠牲になって飼育・四不像も全滅したとされた・・・

産業革命後、欧米列国と日本は軍事力にものを言わせ市場と植民地を求めて中国に進出していた、その当時珍獣である多くの四不像がヨーロッパの動物園に連れていかれていた、幸いにもイギリスの大地主であるベドフォード公爵があるフランスの動物園で18頭の四不像を買い取り荘園で飼育・繁殖に成功した、その数は200頭にも及んでいたことが中国当局に明らかになった、1985年中国政府が譲り受けたそのうちの50頭が南苑に里帰りして来た、また長江(下流は揚子江)が流れる江蘇省(こうそしょう)には四不像のための特別保護区が設けられ中国に野生の四不像が蘇っている☆☆めでたしめでたしである☆☆

今では四不像はIUCN(International Union for Conservation of Nature and Natural Resources、国際自然保護連合)によって絶滅危惧種(CR=Critically Endangered)に指定分類されている、ベドフォード公爵が育てた四不像は世界各国の動物園にも引き取られていて鑑賞出来るようになっている、日本では多摩動物公園、秋田大森動物園、神戸王子動物園、熊本動植物園、広島安佐動物公園で四不像を観れるとのこと、小生一度、神戸王子動物園に出向き四不像を目の当たりにしたいものである、何頭ほどいるのだろうか??番(つがい)いでいるのだろうか??・・・

掃除<script type="text/javascript"></script>

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