Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

軍師官兵衛、第36話“試練の新天地!~後編” 2014年9月8日

2014-09-08 13:27:24 | 日記・エッセイ・コラム

昨夜遅く、寝る前に外に出てみると、手を伸ばせば届くような(明らかに言い過ぎ!)南の上空に満月前夜のデッカイおっ月さん“小望月(こもちづき)”或は“待宵月(まつよいづき)”が煌々と照り輝いて、雲が蒔き散りばめられた夜空を薄紺碧(こんぺき)に染めていた!今夜が中秋の名月の本番の夜だ、昨夜より更に美しい真ん丸の月を拝められることだろう!観なくっちゃ!写真も撮らなくっちゃ!ワカチコ!ワカチコ!(*^_^*)ブログ人にあった色付き絵文字がgooブログには無いのが寂しい~~!・・・

 

36話の後編を始めよう・・・それから程なくして、秀吉は九州の領土分配を行った、安芸の小早川隆景には筑前が、越中・新川から大阪に来た佐々成政には肥後が、宗麟の嫡男でキリスタンの大友義統 (よしむね)には勿論豊後が、そして豊前・城井谷の宇都宮鎮房(しげふさ)には、何と伊予への国替えが三成より告げられた!「国替え?殿下?」、「よろしく励め!」、「それでは話が違います!みどもとは本領安堵とのお約束!黒田官兵衛殿よりお聞きのはず!殿下、お待ちくだされ!」と秀吉に詰め寄ろうとしたが、「無礼であるぞ!」三成に制止され、秀吉は立ち去った!「この事は既に決まっていたこと、豊前6郡は黒田殿に与えられた!速やかに新たな領地に移られよ!」、メラメラと「黒田官兵衛!わしを謀(たばか)ったか!」宇都宮の怒りが込み上げてきた!・・・

遠く播磨を離れて、新たな黒田家が始まる豊前の居城、馬ヶ岳城に長政、又兵衛、小野小弁、黒田一成ら若手4人衆がやって来た、この馬ヶ岳の城は周辺の地侍を監視でき防御に長けた戦略的拠点であった!「播磨への思いは捨てよ、これからは、この豊前を播磨と劣らぬ良い国にするのだ!」、長政は新天地に来て張り切っておった、「張り切っておられますなあ、若!頼もしい限りで御座います!」と善助らが4人を迎えた、「お前たちも、しかと若をお守りするのじゃ!」と善助が一成と小弁に気合を懸けた、お任せ下さいませ!この命に代えましても!・・・

その頃、播磨・山崎城には太兵衛が豊前国替えの知らせと、実り多き馬ヶ岳周辺の地域情報を持ってきて、光殿、糸殿、そして侍女たちのお福、お道、おゆう、新規参入のお富らに熱く語っていた、そこには元気に成長する官兵衛の次男・熊の助と糸と長政の娘子・菊子が一緒に回廊を走りまわっていた、いよいよ播磨を引き上げるときが刻々とやって来た、殿下から賜った恩賞の地・豊前を光は早よう観たかった!・・・

 豊前・城井谷の大平城に官兵衛と九郎右衛門が出向き、『殿下の命で御座います、我が領土から速やかにお立ち退き頂きたい!』と宇都宮に強く迫った、「我が領土だと!?よくも左様なことを!この片割れ者目が!」宇都宮は声を荒げて怒りを爆発させた、一瞬その場に殺気が走った、「お主はこの城井谷の本領安堵を約束したではないか!?ぬけぬけとわしの前に来れたものよ!欲しければ力づくで獲られればよい!」、官兵衛も反撃した、『気持ちは重々承知しておる!住み慣れた地から離れることが、どれだけ辛いことかも、されど、これは天下を治める関白殿下の命で御座る!』、「この城井谷の山川草木の全てはわしの一部だ!ここから離れることは死に等しい!いくら殿下の命であっても!従えぬものは従えぬ!我等は断じてここを離れぬ!」、宇都宮は家臣達もろともに立ち去った、残された官兵衛には返す言葉がなかった!・・・

大平城を去る時、九郎右衛門が官兵衛に言った「この城は天然の要塞!もし攻める側に回れば厄介な戦さになりましょう!」、『戦さはせぬ!断じてしてはならぬ!』 ・・・小倉城で陣取る秀吉が「九州ではこのわしの意向を軽んじる者が多いそうじゃのう?」と佐々長政と官兵衛の前で呟いた、「誠にけしからぬことで御座いまする!」と戦さ上手ながら、これまで秀吉の命に何度も逆らってきた佐々長政が答えた、「お主をこれまで罰せず許してきたのはお主が無類の戦さ上手だからじゃ!肥後の地侍は頑固者揃い!逆らい者あらばお主の力で、しかと従わせるんじゃ!」、「お任せ下さい、この成政が容易く治めてご覧に入れましょう!」、「ははははあ~~!頼もしい言葉じゃ、決して忘れるなよ!」、ははあ~~!・・・

「官兵衛、宇都宮は未だ居座ってるそうじゃのう?」と秀吉が突いて来た、『今、宇都宮は意地になっておりますが、時をかけ、条理を尽くせば分かってくれましょう!』、「わしの命に従わぬ者は断じて許ささぬ!決して容赦はせぬ!よいな?」、『はっ!』、成政が口を挟んで来た「黒田殿、相手は所詮田舎侍!我等の力を見せ付けるので御座る!」とな・・・

大坂へ帰った秀吉は喜び勇んで茶々のもとへ、チャチャチャチャチャ~~~と急いだ!茶々の間を開くと、そこには、しおらしく三つ指を着いて秀吉を迎え入れる茶々が居た、「九州平定、おめでとうございます!」、『堅苦しい挨拶などよい!そなたに逢いとうて!逢いとうて!うずうずしておったんじゃ!』と秀吉は茶々に飛びかかろうとした、茶々は身をひるがえして言った「約束を果たして頂くのが先で御座います!」、『約束?』、「私は側室ではなく、もう一人の正室で御座いましょう?」、『そうじゃ!』、「それを公にして下さりませ!この茶々を我がものになさるのは、そのあとに御座います!」、『はははははあ~~~!さすが信長様の姪御じゃ!相分かった!直ぐ触れを出そう!祝言も盛大に挙げようではないか!』、近寄って茶々の手をさする秀吉の脳味噌の中が手に取るように分かった!茶々は、してやったりと笑みを浮かべた !・・・

そのあと、おねの間に行くと、「お前様!」、おねが不機嫌そうに秀吉の腕を捕まえ座らせた、『何じゃ?分かった!先に茶々に逢うたから、焼いておるんじゃのお?』、「そんなことでは御座いませぬ!何故バテレン追放令をお出しになったのでしょうか?」、『やれやれ、そのことか?』、「このお城にもキリスタンが大勢おります、皆、私に尽くしてくれています!その者達をどうする御積りか!?」、『それは官兵衛にも言われた、それゆえ、各々の信心は認めると言ってやった!』、されぞ?『バテレンどもは着け上がっておったんじゃ!このまま放って置いたら、一向一揆の二の舞じゃ!それ故、懲らしめてやったんじゃ!』、「官兵衛殿を豊前に遠ざけたのも、キリシタンゆえで御座いますか?」・・・

『そうではない!』、「それでは何故遠い九州へ?私には冷遇としか思いません!」、『考えがあっての事じゃ!』、「考え?」、『夢じゃ!』、「夢?天下統一がお前様の夢では?」、『それは間もなく叶う、そのあとじゃ!』、「そのあと?」、『いずれ分かる!』、秀吉はおねの両肩に手を置いて語った、『おね、わしは、まだまだ夢を見つづけれるぞ!わっははははは~~~!』、「えっ??」、おねは秀吉の顔をじ~~っと覗いて首を傾げた?・・・

播磨・山崎城がざわめき、いよいよ新天地、豊前への引っ越しが始まった、何故かお福が浮かれて、あれやこれや煩(うるさ)く指図をして陣頭指揮に余念がなかった、光はお福の張り切る姿を嬉しそうに眺めていた、一方、豊前・馬ヶ岳城では官兵衛が 家臣を集めて、善助に黒田家の定め(天正15年7月書)を読ませていた、一つ、主(あるじ)、親、夫に背くもの、罪に問う!一つ、殺し、盗み、強盗なすもの、または、それを企てる者、罪に問う!一つ、田を隠し、税を逃れる者、罪に問う!・・・

『以上が豊前6郡に出す布告だ!』、「それだけで御座いますか?」と又兵衛が訊いた、「短いから良いのだ!その方が分かりやすく、より領民に伝わる!」と善助が述べた、『早速明日より検地を始める!ただし、頭ごなしにやってはならない!山崎同様、領民には丁寧に説いて聞かせよ、よいな?』、長政が官兵衛に訊ねた「父上、宇都宮は如何なさる御つもりですか?」、『如何した、長政?』、「黒田の領地に今もって居座り続け、事あるごとに父上を片割れものだと触れ回っております!今こそ攻めるべきだと!」・・・

『今直ちに宇都宮を滅ぼして、この豊前の地侍や領民たちの心が掴めると思うか?』、「領民の心を掴むことも大切で御座いますが、殿下の命に公然として背くものをこのままにしては、示しが付きませぬ!」、殿!御決意を!と一成と小弁が賛同した、「控えよ!」と善助が制した、『黒田の若き力達よ!急ぐ良い時と、時を懸けたが良い時を見極めよ!長政、お前は山崎で何を学んだ?さあ!検地を始めよう!』、ははあ~~!・・・

山崎城では光殿が、「豊前への旅の仕度がおおむね出来ました!」と侍女頭のお福から連絡を受けた、『ご苦労でした!お福、考え直してくれぬか?』、「申し訳ありません!これからはお道とおゆうが私の代わりに、お方様のお側にお仕え致します、お方様、長い間、この様ながさつ者をお側において頂き、ありがとう御座いました!」、『生まれ育った播磨を遠く離れて九州へ行くなど、本当は怖くて仕方がない!その上、お福まで居ないとなると、私は何を支えにすれば!?』と光は本音を漏らした、「何を弱気な!お方様らしくありません!殿が居られるではありませぬか!若様も、熊の助様も!」、『お福でなければ駄目なこともあります!愚痴や泣き言を聴いてくれる相手が居なくなってしまう!お前は私の姉であり、母でもある!かけがえのない人なのですよ!』・・・

「私達からもお願いいたします!」と後ろのおゆうとお道からも深々と頭を下げられたお福であった、 「お方様と伴にどうか豊前へ!播磨には私が残ります!」、『何と、おゆうが?』、「夫は播磨に骨を埋めたいと申します、私もそれに従いたいと存じます、お方様、我がままをお許しください!お福様に代わって、お墓は私達が守り抜きます!ですから、お福様、どうか!」、そして、お道が申し出た「お福様、一緒に参りましょう!」、お福はおゆうの両手を握って言った「ありがとう!おゆうが残ってくれるのなら、安心ですね!」、光に振り向いてお福は言った「こうなったら、死ぬまでお伴致します!」、『お福!』光はこのどんでん返しを泣いて喜んだ!そして黒田軍とその家族は隊列を組んで一路豊前を目指した!・・・

その8月、山城の国・京都に秀吉が政庁兼邸宅として建てた聚楽第(じゅらくだい)の城に 、九州平定を祝うために家康一行が秀吉を訪ねた、徳川殿!徳川殿!とはしゃいで秀吉が家康を迎えた、『よお、お越し下さった!はははは~~~!』、「こりぁ殿下、おん自らのお出迎え、もったいのお御座います!」、『何を申す!わし等は兄弟ではないか!あっはははは~~~!さあこちらへ!』、まず秀吉は家康を利休のお茶でもてなした、「利休殿、何やら面白げな茶会を企てておるとか?」と家康が利休に訊ねた、「北野天満宮での茶会の事で御座いますな?」、『前代未聞の大茶会に成りまするぞ!』と秀吉がコメントした!・・・

 その通り、大坂城下の辻にはそのお触れの立札が立てられていた、“釜一つ、茶釜なければ、麦こがしでもかまわん、日の本はもとより、唐の国からも茶人が集まる!”と高札を掲げておると秀吉が鼻高々に言った!『わしもありったけの名物を持って参る!皆、度胆を抜かれようぞ!ははははは~~~!』、「この茶会が開かれれば、世が殿下によって無事治められたと云うことが、万人に示されましょう!」と利休も満足げだった、「もはや、乱世は終わったも同然!すべては殿下の御意向の在らしめるところに御座います!」と家康が讃えた、『うん、ははははは~~~!』秀吉は上機嫌に茶を飲み干した!・・・

 豊前・馬ヶ岳城に着いた黒田家の一行を、善助が城内の奥の間へ案内していた、父親・官兵衛と兄の長政を見付けた熊の助が走り寄った、「大きゅうなったのお!光、糸、皆、よお来た!」、黒田家一行は正座して並び『殿、長政、お久しゅう御座います!』と新天地でのあいさつを交わした、「変わりはないか?」、『はい!ありませぬ!』、「糸、長旅疲れたであろう?」、『誠に疲れました!』あっ!はははは~~~!、「まだお若いのに!」とお福も一声かけた、新米のしゃんとこべのお富が「お福殿が元気すぎるので御座います!」と一言付け加えた、『初めての九州!なかなか良い処では御座いませぬか!』、「ああ、これからは、ここが我等の国じゃ!今宵は土地の美味いものでも食べ、緩いで過ごすがいい!豊前は魚が美味いぞ!」・・・

『長政、久しぶりに糸に会って嬉しそうですね!』、否!「あ~~!照れておる!」と善助がちゃかした、「照れてなど居らぬわ!」、和やかな一家爛々の時だった、その時、襖の向こうの廊下に来ている九郎右衛門に善助が気が付いて出た、近寄りそっと尋ねた「宇都宮の動きは?」、「今のところ不穏の様子は無い!」、「なら良い!」、そのまま九郎右衛門は座敷に入り「お方様、糸殿、お久しぶりで御座います!」と挨拶を交わした?・・・

その九月、肥後で火の手が上がった!佐々成政の強引なやり方に地侍が反発し、一揆を起こしたのである!かかれ~~~!両陣営は真っ向から激突した!肥後各地に反乱は広がり、成政が追いつめられると、秀吉は一気鎮圧のため黒田軍と小早川軍を肥後・隈本城へ送り込んだ!佐々成政は「面目次第も御座らん!」と援軍に詫びた、『この熊本城だけでも保てば幸い!一揆の連中は決して一体では御座いませぬ!本領安堵を呼びかけ、応ずるものは許し、従わざる者は討つ!』と官兵衛が作戦を立てた、「一揆がこれ以上広がらなければよいが!」と隆景が案じた・・・

 その頃、城井谷の大平城では、甲冑を目の前にして宇都宮が一人何やら瞑想にふけっていた、突如立ち上がり何かを企てようとしていた!案の定、官兵衛等不在の馬ヶ岳城に不穏が起こった!一成と小弁が駆け込み長政と又兵衛に知らした「宇都宮鎮房!一揆に御座います!」、『なに!?』、「各地で地侍らが合力する動きが御座います!」、「早急に済まさねば大変なことに成りまする!」、『おのれ!』、そこで又兵衛が「慌てては成りませぬ!殿の御帰りを待つべきかと!」と場を鎮めようとした!『もたもたしておったら、肥後の佐々様の二の舞になる!明朝出陣じゃ!支度をせよ!』、はあっ!長政が血気に走った!又兵衛は長政を止めることが出来なかった!・・・

翌朝早く、出陣と相成った、甲冑に身を固めた長政が将兵たちに気合を懸けた『よいか!一揆の頭は宇都宮鎮房じゃ!鎮房を倒せさえすれば一揆はおさまる!』、お~~~!一揆ごときなど!ひとひねりじゃ~~!お~~~!やる気満々の小弁だった!又兵衛は後ろめたい思いで余り乗り気にはなれなかった、そこへ、この騒ぎを聞きつけた善助、太兵衛と九郎右衛門が急いで肥後から戻り、飛び込んで来た!「若~~!若~~!」、お~~い!待て!三人は長政の前に立ちふさがり、「若!お待ちくだされ!」、「この急変を聴き肥後から戻って参った!」、「早まってはなりませぬ!」、一刻の猶予もなりませぬ!そうじゃ~~!「黙れ!」、血気にはやった 若武者どもの胸倉掴んで、太兵衛が怒鳴り散らした!制止合戦が始まった!・・・

『静まれ~~!静まれ~~~!』そこへ官兵衛と肥後組隊が到着した!一斉に若武者隊がひざま付いた!『宇都宮鎮房へは出動せん!!』、バカ長政が黒田軍の大将・官兵衛に逆らって言った「何故です!手を打つのが遅くなれば宇都宮に勢いづかせるだけです!一度一揆を許せば・・・」、バカ息子に額を着けんばかりにして、官兵衛は鋭い眼光で 睨(にら)みつけた!『わしは落ち着けと言っておる!』、すると全体が静まり返った、官兵衛が大声で命令した『一揆は許さぬ!しかし城井谷は攻めるには難しい要塞!まずは宇都宮以外の地侍を一つ一つ潰していく!よいな!!』、はあっ~~!「慌ててはなりませぬ!まずは宇都宮を孤立させるのです!さすれば、必ずや、好機が訪れます!」善助が長政に説いて聞かせるように言った、「分かりました!」と観念した!?・・・

各地の地侍の 一揆を制圧していった長政部隊は宇都宮の居城・大平城を目の前にする城井谷の近くに陣を構えた、しかしバカ長政は『もはや周囲は全て潰した!今夜にも大平城を攻めたいところだ!』とイラつきは健在だった!それを又兵衛が咎(とが)めた「成りませぬ!」、『分かっておる!』とバカ長政がふてくされて水をがぶった!こりゃ~~馬鹿さ加減は重症だ!尚も煽った『しかし父上は慎重すぎると思わぬか?我等が志気が上がっている今こそ、宇都宮を攻める好機ではないのか!?』、又兵衛が割って入った「攻めるにしても、城井谷は攻めるに険しい要害!まずは本城を攻める前の付城を築き、時をかけて攻めるべきで御座います!」・・・

そこへ伝令が入った!「申し上げます!」、『良く戻った!如何であった?』、「城井谷の入り口は開いたままで御座います!兵は一人も居りません!」、『何?入り口が?』「若、各地の一揆が沈められたのを知り、兵を引いたのでは?攻める好機で御座います!」、「今なら落とせます!攻めましょう!」、「攻めるのは何時でしょう?」、「今でしょう!」 、「控えよ!成らぬ!行ってはならぬ!この様な時に冗談言ってる場合か!?」と又兵衛が一成の馬鹿と小弁たれを諌(いさ)めた!こりもせず、二人の馬鹿は尚も食って掛かって来た「何故ですか?この様な好機、又とありませぬ!」、「行ってはならぬ!まずは殿にお伺えをたてるべき!」、又してもバカ長政がほざいた『それまで待てぬ!』・・・

長政の馬鹿さ加減に呆れた又兵衛が言った「殿の命に背く御積りか!?」、『父上ならばこの様な好機逃しませぬ!』、小生ならこう言っただろう「騙されているとも知らず、行きたなら独りで行って死んで来い!わし行かん!ど勝手にさらせ!このど阿保が!」・・・『皆の者!出陣じゃ~~~!』、お~~~!!馬鹿どもは命を捨てに出て行った!・・・「殿~~!殿!」、『何事だ?』、馬ヶ岳の城に善助が駆け込んで来て官兵衛に伝えた「若が兵を率いて城井谷に向かわれたと!」、『如何(どう)して!?』光が目を真ん丸にして訊いた!善助は答えた「宇都宮が城井谷の守りを解いたと言うのですが!?」、『守りを解いた!?』、「兵を引いたと言うのですが!?」、『罠だ!』さすが官兵衛は一発で見透かした!『長政が危うい!』、次回”城井谷の悲劇”を乞うご期待!・・・

 

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