Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

紀香 & 智則 の披露宴☆祝☆ 2007年5月30日

2007-05-31 11:02:23 | 日記・エッセイ・コラム

今やジュリッペ(上野樹里)とともに加古川出身の有名人を代表するお笑いタレント・陣内智則と同じ兵庫県西宮出身のセレブ大女優・藤原紀香さんとの大披露宴が、神戸ホテル・オークラでの1大ページェントとして全従業員600人を配して今日執り行われた、特番を組んでこの披露宴の模様を報道陣100人を携え中継カメラ11台かまえて独占中継するのは・・・

朝からテレビは10チャン☆☆で決まり☆☆日本テレビ系10ChannelズームイSUPER→スッキリ!!→なるトモは!!特にこの“なるトモ!!”は陣内がなるみ姉さんとコンビを組んで司会をする関西の人気番組であるヽ(^。^)ノ

人気、収入、身長とも紀香さんに劣る“格差”を乗り越え、また去る2月17日生田神社での挙式10日前にはお互いの誤解から忍び寄っていた破局も乗り越えた!!日本中から祝福された終始感動感動の豪華招待客600人の大大披露宴だったことは生中継の通りだ、ハーバーランド周辺には1000人ものファンが押し寄せたらしい(*^_^*)

宴はタキシード姿の陣内一人の登場で始まった、披露宴には珍しいが、紀香さんお父さんのたっての願い出で披露宴会場に真っ赤なバージンロードが敷かれていた、その上を父にエスコートされた紀香さんがファッションデザイナー芦田ジュンの娘・芦田多恵デザインの素材ヘビーシルク、色クリームローズのウェデングドレス☆あかずきんちゃんのようなイメージを抱かせるフード付8メートルものベールをひらめかせながら一歩一歩噛み閉めるように智則さんのもとへ進んで行った・・・そして父の手を離れて智則さんの手に紀香さんが・・・渡された・・・

ディナーは10グラム2000円の神戸牛や淡路のたまねぎや明石の鯛など兵庫県下の特産物をアレンジした豪華なものだった☆☆加古川は“小松菜”で脇を固めた☆☆1人前がなんとなんと5万円也~~~

披露宴もたけなわとなり、ご両人のゲストが登場した、紀香さんの友人・郷ひろみがスクリーンの向こうに映し出され、前振りでお祝いの言葉を述べた、そしてサンバのリズムに乗せて特設ステージ狭ましと踊り廻り“お嫁サンバ”を熱唱した☆☆徳光も踊りながらズームイン!!していた☆☆

“郷ひろみ”は我がHerbalife2005年12月2日~4日まで神戸ワールド記念ホールで開催された“Herbalife Japan 2005 Spectacular”でもワンマンショーで花を添えてくれた☆☆

http://magical-fun.net/okanagsakebi/

http://members.at.infoseek.co.jp/puttim/kmnew/okanagaNewtaiken.htm

陣内のゲストは♪ちゃっちゃちゃら~ちゃ~~突然19時から始まった~~~!!21時まで~~~!!それを右から左に受け流す~~~!!♪のムーディー勝山が度胸よく堂々と宴を笑いのるつぼに包みこんだ☆☆(*^。^*)

実際はもっと早く始まっていたらしいがテレビ放映の都合で19時ピッタリ始まったようになっていたようだ(^^♪

ワークホームから帰宅すると宴はまだ進行中だった、急いで入浴を済ませ食卓に尽いて祝宴の模様を観ようとしたが、ほとんど終わりっていて、終了後引き出物を入った真紅の袋を携えた伸介を初めとする芸人達に囲まれ、西尾アナとバード羽鳥司会で庭に出ての会見模様が進行していた、そこでなんとなんとなんと伸介の音頭でまだ2人の結婚を信じていない視聴者のためにと・・・二人のブチュッ!!キスシーンがなんと8秒も続いた(・_・)

引き出物には‘しいたけ’ではなく三田市・丹波屋の“松茸”昆布やおフランス“バカラBaccarat”クリスタル、藤原家出身地紀州和歌山の南高梅ぼし、梅の枝で作られたお箸などが入って、計5万円也~~~とか・・・この時点でご祝儀金額を上回っていた芸人も多かったとか、総合司会者・徳光和雄氏が『ご祝儀が下回っている人は再度包みなおしてお出し下さい』と報告したとか・・・

そもそもこの2人の出遭いは昨年2006年の7月11日(火)同じ日本テレビ系で放送された“59番目のプロポーズ”で共演してからの馴れ初めだったらしい、この番組の中でも2人は物凄いキスシーンを演じている・・・ぶちゅぶちゅぶちゅ~~~~物凄く長いやつを・・・陣内は紀香さんに一目惚れ☆☆☆それ以来彼の一途(いちず)な愛が芽生えて行ったらしい『僕のようなものでよかったら付き合ってくれませんか!!』・・・

仕事の合間を見て3ヶ月ものピアノ弾き語りの猛特訓をかけた、彼の紀香さんへの思いをコブクロ『永遠(とわ)にともに』の曲に託してピアノ演奏も完璧で歌詞も間違わず歌い上げた時の関西視聴率がなんとなんと《《《49.2%》》》》》にうなぎのぼり~~~ちなみに関東視聴率は24.7%なり~~~誰もが彼の紀香さんへの愛の深さを感じたのでは・・・小生からもお願いします「どうか紀香さん、陣内を裏切らんといてなぁ~~~!!」

披露宴総費用全てひっくるめて驚くなかれ5億円!!也~~~!!『日本テレビの放映権でまかなえるんと違う~』とテレビに向かって鬼嫁がはっきりのたもうた・・・

“クラウンプラサ゛神戸”と云うところで2次会があったとか、そこには確か7連敗という長いトンネルを西武戦に勝利して抜け出し、その日のヒーローお立ち台で友人・陣内へのお祝いの言葉を述べた檜山を始め赤星や鳥谷達の阪神タイガースの面々が駆けつけたらしい・・・

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沖縄エイサー交流会 at 姫路文化センター 2007年5月27日

2007-05-28 03:55:34 | 日記・エッセイ・コラム

前回のエイサー練習日(5月18日)を見逃し、少し私用で5月20日(日)の加古川労音総会での盛り上げエイサー本番もすっぽかした・・・まあ営業じゃないし~~身内の盛り上げ役だけだったのだからいいじゃなかったの・・・なかなか連絡が取れなかった加古川事務局まっちゃんからの留守電メッセージ4件が充電切れの小生の携帯に入っていた、今日のエイサー交流会は午前の部が10時から12時まで午後の部が1時から3時まで姫路文化センターにてあるとのこと・・・

よく家の鬼嫁はボヤく『あんたに携帯して出たためしがない!!』と・・・それは言い過ぎだが、半分当たっている、小生は携帯電話を自分の部屋に置き忘れたり、携帯していてもかばんにしまいこんで気がつかないことがよくある、あまり携帯電話には愛着がなく、こちらから何処かに携帯電話することもあまりない、よっぽど緊急のとき以外は・・・

この日は15:00からのパイプオルガンの魔術師“グレゴリー・ダゴスティーノ”チャリティ オルガンコンサートを聴きに加古川カトリック教会にワークホームの中西職員と約束していたが、急遽彼の痴呆母親の介護のため実家に帰るとのこととあいなり、エイサー午後の部一本で参加することを決めた☆ががが~~~姫路文化センターってどこにあったっけ???

11時頃、加古川労音事務所に電話するとまっちゃんが出た!!なんでまだ加古川にいるの??彼女の話ですぐ分かった☆なん~~だ手柄山か~~、15年ほど前、労音大学参加のため一度いったことのある旧姫路中央体育館の辺りだな、姫路バイパスを中地で降り、手柄山陸上競技場手前の信号を右折し、スポーツと文化のメッカ“手柄山中央公園”の方へ登っていく、姫路中央体育館、姫路野球場、植物園などを抜けて、記憶を辿って左折して行く、

あった☆懐かしい山陽中学が右に、しかし左手にあるはずのあの山田洋次監督の講演を織り込んだ労音大学があった古びた体育館はなかった、そこには3階建ての立体駐車場がそびえていた!!その横の平地有料駐車場に車を留め播磨文化の殿堂“姫路市民文化センター”の建物内に入って行った、

入り口ホールの辺りで加古川エイサー隊の原田さんが配達弁当の到着を待っていた、エントランス横に掲示板に“沖縄芸能交流会-リハーサル室”が掲げてあった、メインホールでは金婚夫婦祝福式典があるらしく大勢の熟年男女でにぎわっていた、華麗な一族に出てくるような銀金の鯉が泳ぐ広~~~い池のある庭園を横目に奥へ奥へ進んで行き、リハーサル室入り口にたどり着いた☆☆

参加費1000円を払って中に入った、ワォ~~☆☆スゲ~~☆☆そこには観客席抜きの実物大のステージが広がっていた☆☆そこではまさしく原寸スケールのリハーサルが出来るものだった☆☆ステップスが4つありステージ下にはディレクター・スペースも広々とってあった☆☆音響設備も完璧であった☆☆凄~~い☆☆

舞台上には午前の部で使われた大太鼓・しめ太鼓・パーランクと大小ばちが整然と置かれていた、やがて三々五々昼食から帰ってきた踊り手達が戻ってきた、あちこちから太鼓の音が鳴り出した、沖縄から6名の若者達がこの交流会のために来ていた、金城豊氏をリーダーとする園田(そんだ)青年会門下“協同病院エイサー青年隊”の面々である、姫路労音エイサー隊リーダー“竹ちゃん”こと高校の英語教師・竹村氏の三線(さんしん)が鳴り出した、

姫路・宍粟・赤穂・西脇そして加古川の播磨労音と西播磨文化センターエイサー隊“シャチ”の参加者約100名ほど全員が舞台に揃った、金城氏の掛け声で各労音と沖縄青年隊の大太鼓が前列に出てその後ろに参加者達が縦横整列した、列を乱さないようにと注意があり、まず五曲目の“とうせんどーい”から入って行った、この曲はテンポが速く乗りやすくリズム感に溢れる曲だが他の4曲に比べれば少し難しいかな・・・を何回か繰り返した、

突如、金城氏がステージフロアにカラーテープ2本を50㎝ぐらい切ってバッテン印に貼り尽けた、『この印からはみ出さない様に意識して動いてください!!』、なるほどそう意識すれば列は乱れない☆それから一曲目“ちゅんじゅん”から“うみやから”、“いちゅびこぶし”、“かたみぶし”そして“とうしんどーい”の5曲と通した・・・スナップを利かすばちさばきや大鼓の位置や足の踏み込み具合などの細かい注意点があった・・・

小休憩はさんで何回か通しの練習を繰り返した、リーダー格の大太鼓だけの練習もあった、労音だけの練習もあった、西播磨だけの練習もあった、後で気付いたことだが、右端の集団が、しかも女性だけのグループが“エイサー手踊り”なる物をやっていたのだ!!小生この手踊りなるものを見るのは始めてである、実に良~~~い☆☆太鼓踊りと手踊りが合体すれば鬼に金棒である☆☆エイサー踊りが見栄えよく引き立ち華やぐ☆☆

手をぐぅ~~にしての男手踊りもあるらしい、小生もやってみた~~~い☆☆☆女性軍の手踊りだけの練習もあった☆☆小生もソデで真似て手の動きをやって見た☆☆指導は小生のタイプ“福原優子”さんであった、彼女のしなやかな無駄のない手踊りに見とれて沖縄女性の魅力に酔いしれた☆☆加古川エイサー隊もゆくゆくはこの手踊りを取り入れるべきである、今以上の営業のお呼びがかかること間違いない☆☆ヽ(^。^)ノ☆☆

早速彼女に話しかけてより詳しく手踊りのことをネタに色々沖縄のことを聞きまくった、沖縄ではエイサー踊りには手踊りはつきもののとのこと、旧盆各地で開催されるエイサー祭りの後、8月31日、9月1/2日にはコザ運動公園で沖縄全土を挙げての“沖縄全島エイサー祭り”夢の大Spectacularが繰り広げられるとのこと☆☆行ってみた~~~い☆☆☆

再三に渡り小生のFax 番号を失くしたまっちゃんには彼女のメモ帳に小生自らFax番号、携帯E-mail Addと彼女の希望で携帯番号も付け加えて明記しておいた、帰る間際シッカリ次のエイサー練習日も確認して会場をあとにした(^^ゞ

帰りホームセンター‘ナフコ’に立ち寄り、ガーデニングの国イギリス直輸入粒状ナメクジ駆除剤“Slug”とカメムシ/だんご虫/根きり虫などのこれまた粒状駆除剤“三明のデナポン”を買い求め庭一面に散布し終えた、やれやれ、これで梅雨前の殺虫剤散布第1弾を終えた、恐らく第2弾も、へたしたら、第3弾も必要になるかもかも・・・

この何年間はこまめに駆除剤まいてナメクジとだんご虫が激減していたが、今年はよく目だっていた、この際トドメを挿して置かないと・・・

今や我が家の庭にはサクラの好んで食する雑草がある一画に20本ぐらい群生している、ある日家内はそれを見てぼそっと呟いた『これセイタカアワダチソウと違うか・・・』ムムム~ひょっとするとあたっているかも・・・

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はしかの流行 2007年5月23日

2007-05-23 11:20:35 | 日記・エッセイ・コラム

今朝のNHKラジオでも取り上げていたが今南関東を中心として全国的にも飛び火して、横行している“麻疹(はしか)”も今5月がピークで6月に衰退して行って続いても7月までで、徐々に消滅していくでしょうとのこと、麻疹は空気感染だけでなく飛まつ・接触感染して行くウイルス感染症である、マスクなどしていても役立たずで簡単に感染してしまうそうだ(^0_0^)

この感染症は39℃の高熱をともない、咳・鼻汁・結膜充血・目やに・下痢の症状が出てから、頬に鮮紅色のコプリック斑点が出現する、ゴールデン・ウイーク前後から発生して夏先には去って行くらしい、今回は15歳以上の未ワクチン接種者や抗体価が低下し免疫力が弱い“成人”が多くかかっているのが特徴らしい、ハンカチ王子“祐ちゃん”や卓球の愛ちゃんのいる早大でも猛威を振るっているらしい(・_・)

小生の幼い頃は衛生環境が悪く色んなはやり病のるつぼの中で過ごしたようなものだ、結核とか日本脳炎とか天然痘とか・・・よく行列作って小・中学校で色んな予防注射や予防接種を教室に顔馴染みのお医者さんと看護婦さんが来てチクッとやってくれたが、どれがどの病気のものかあまり覚えていない、ツベルクリンとかBCGとかはんこ注射とか種痘とか色々あった、小生は麻疹にかかった記憶はないが、麻疹は誰でも一生に一度はかかる風邪に毛が生えたような通り病(やまい)のようなものではないのか・・・

2002年に大阪を中心に蔓延したらしいが、麻疹は今でも4年ぐらいの周期で流行を繰り返しているらしい、特に近年は1歳児の麻疹ワクチン接種率が50%と悪く麻疹感染患者のほとんどは予防接種未接種者らしい、こじらすと脳炎・中耳炎・肺炎・細気管支炎などの合併症があるので、やはりワクチン接種は必要かな・・・

諸外国では抗体価低下を予測して幼児期以降にも学童期にもう一度ブースター・ワクチンをブチュッと行くらしい・・・欧米か!!☆☆(^^ゞ

日本でも2006年4月以降2回目のワクチン接種を受けるよう予防接種法が改正されたらしい・・・ほんまかいな!!??

ちなみに今日本で入手できるワクチンが6万本とか・・・とにかく数が凄く限られているので、未接種者のみにしか行き渡らず、未接種者を優先して受けてもらうことになるらしい・・・

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母の日に寄せて 2007年5月20日

2007-05-20 19:42:56 | 日記・エッセイ・コラム

このところブログのネタなど周りにゴロゴロしているにもかかわらず、気付かぬままに、て云うか気付こうとせぬままに日々の流れに押し流されている無気力な自分がいるが、どうにもならない、性根がたらん!!鬼嫁に内緒で先日“ツール起業”佐伯 和氏の『ツールで稼ぐ片手間副業術』をdownload購入した(^^♪

ホームページ・ブログ・メルマガ・mixiすら一切使わないで稼ぐ方法!!日本語が理解出来て、クリックが出来て、一日3分PCに向き会える行動力があればいいとのこと!!これならPCに疎い小生にも出来るかも☆現在PDF(Portable Document Format)のテキストを少しずつ熟読最中であるが・・・甘い話ではあるが、やって見る価値は有りそうだ(^^ゞ

昨日はエイサー踊りの練習日だったが頭から飛んでいた!!ガ~~~ン!!それにしても労音事務所からのFaxの連絡が無い!!まっちゃん、またFaxナンバー失くしたな~~~???練習場所は後日連絡のはずだったのだ!!今日の総会で本番があるはずだか・・・今日は辞めとこ、タイミング外すと行く気を喪失するのは小生だけだろうか???27日に沖縄・園田会門下・協同病院エイサー青年隊の来姫(姫路に来ること)講習会には行くことにしょうっと・・・

先週土曜日ワークホーム食堂であの笑顔の岡本としよちゃん(32才)がやって来て「おっちゃん、明日わたしの誕生日やねん☆お母さんがケーキ買ってくれるねん☆ケーキ屋さんで買ったら高いから、スーパーで買ってくれるねん☆わたしの誕生日、『母の日』と同じやねん(^0_0^)」 秋川雅史ばりに声を張って、“Happy Birthday 、としよちゃん♪”を歌って上げると、照れくさそうに喜んでくれた☆☆

小生の母は1995年(平成7年)1月17日阪神淡路大震災の前日に85年の波乱万丈の生涯を終えて息を引き取った、小生の色あせていく記憶を辿れば、戦時中植民地時代、母は元山高等女学校を卒業後、看護士としてある病院に勤めていた、そこに入院して来た慶州北道の警察署・副署長の父と知り合ってらしい、小生の記憶にもハッキリ残るタイキュウの山の手にある警察豪邸官舎には下男下女がいて“お坊ちゃま”ともてはやされて、なに不自由の無い生活を送ったが・・・

戦況が不利になり、反日排斥運動が激しくなった、ある夜もあけやらぬ時起こされ、防空頭巾にスッポリ包まれ、校長をしていた伯父の教え子らに助けられて命からがら釜山港に停泊する引き揚げ船にたどり着いた、そこで見た空襲で半分沈没しかけた何隻かの巨大船舶の光景は忘れられない!!門司港を経て神戸港に上陸して目覚めると父の背中におんぶされて瓦礫(がれき)の山のなか、神戸駅に向かっていた・・・

着の身着のままで引き揚げてきた我等家族父・母・幼い弟と小生の波乱万丈の生活が始まった、母屋と父のすぐ上の伯父の家にしばらく身を寄せたあと、村の知り合いの空き家を借りた、父がその近くに土地を買い一戸建てを構えるまで、家族は暮らした、小生は20歳で家を出て神戸の白星社というクリーニング会社の寮住まいをしながら夜学を卒業した、そして・・・

新天地を目指して日本を脱出しアメリカに父・母・弟・日本で生まれた妹を捨てて狭くて窒息しそうな現実から逃避して行った、そしてカナダへ移民した・・・一度妹の結婚式で帰ったものの、もう二度と日本へ帰るものかカナダで骨を埋める覚悟は出来ていた、5年がたって市民権の申請も終わった頃、母危篤のような知らせが入った・・・

取り急ぎ帰郷すると母はピンピンしていた☆騙された!!ガ~~~ン!!

母はすぐ引き返そうとする小生に泣き付いた・・・それ以来カナダに帰ることはなかった・・・就職し結婚して、子供が2人授けられ日本の生活に馴染んで行った・・・

歳月が過ぎてゆき、父が交通事故がもとで入院している間に心臓発作を起こして、74歳で他界した!!母を一人っきりにしたまま1年が経った、その間徐々に“痴呆”という病魔が忍び寄っていた!!妹の家と我が家の間自分で電車に乗り継いで駅から歩いて行き来していたが、次第に迷子になるようになった・・・

そこから母の転落の人生が加速して行った、我が鬼嫁のいびりが激しくなり、家庭崩壊の危機を感じた、妹の離婚再婚が輪をかけた・・・仕方なく近くの白寿苑と幸生病院の入所生活を余儀なくされた・・・不運にも入所中に転倒し寝たっきりの日々か゛2ヶ月近く続いただろうか、その間脳血栓が広がり生きる気迫が薄らいでいった・・・

戦後何もない頃、母はよくお玉でカルメラ焼きを造ってくれた、ザラメ砂糖を水で溶かし火にかけ卵白を加えて膨らす簡単に出来るお菓子だ、母は作りだめしていてくれた、実に美味かった☆☆母が作る料理は何でも美味しかった☆運動会には重箱にいっぱい巻き寿司や手料理を積めて持ってきてくれた☆☆青いみかんも☆☆

なのになのに時に母には嫌味を言ったり、怒りを爆発してしまったこともある、あんなに温厚で朗らかで明るい母に・・・後悔ばかりが残る・・・なぜなぜ母が生存中に言えなかったのだろうか・・・『おかん、心配かけてすまん!!おかんが作ってくれるものは何でも美味い!!生んでくれて育ててくれて・・・ありがとう・・・ありがとう・・・ありがとう、おかん☆☆』

音楽好きでよく学校に迎えに来て、あちこちのラジオ歌謡番組予選会に連れて行ってくれて、ありがとう☆☆小生は予選で落ちていたが、おふくろはきちっと本番に残って歌っていたね☆☆水泳とスケートが得意で小生達と行きたがっていたが・・・もっともっと連れて行ってあげればよかった・・・すまん、おふくろ(ーー;)

今でも伊達政宗に仕える重臣の士族の家系を継ぐ末えいの母、仙台小町3姉妹と呼ばれたおふくろを誇りにしています・・・おふくろ、本当にありがとう☆☆☆

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サクラの健診日 2007年5月14日

2007-05-14 15:58:31 | 日記・エッセイ・コラム

月曜日のコ゛ミの日をターゲットにして、このところ日曜日には20年の歳月を経て今や大木に化した庭木の大木をバッサリバッサリもう二度と枝葉が生えて来るな!!ズンボラポンにしてやる!!と心の中で呟きながら剪定している自分がいる、お陰さまで太腿が2、3日パンパンになる(^^ゞ

散歩を済ませて9時半頃サクラは大好きなドライブに出かけた、行き先は狂犬病予防注射を兼ねて健康診断に年一回は必ず訪れる加古川町木村にある“はとの里動物病院”である、そこは以前加古川動物病院でインターンを勤めた生田耕太郎獣医と尼崎の動物病院の副院長だった晶子先生の夫婦で始めた病院である、他に若い美人獣医さんがインターンでがいる、皆さん大阪大学の獣医科を修めている(*^_^*)

小生のお目当ては2人のお子ちゃまの子育て真っ最中の若い頃の万田久子と木村綾乃を2で割った美人獣医さんである、月曜だと言うのにイツモノことながらよく混んでいた、家内が中で手続きしている間、サクラは必ず病院の近くの馴染みのコースを散歩する、散歩から帰ってきても大分待たされる(#^.^#)

待合室では大勢の犬達猫達が飼い主と順番を待つ、2つ有る診察室の中をふと見るとモルモットかフィレットが飼い主に支えられて手足を小刻みに動かして検診中であった、実に微笑ましい光景である、健診を終えて出てきた40台のお母さんに聞いてみるとまだ生後3ヶ月しか立っていなくて体重480グラムの赤ちゃんフィレット“ロッカー”ちゃんだった、サクラとも鼻をすり寄せてすぐ仲良しになった(^^♪

しかしフィレットの寿命は6年ぐらいで、日に日に成長のあとが伺えられると云うことである、ちゃんと名前を識別し、呼ばれれば飛んでくるとのこと、家にもう2匹大きいのがいるらしい、1年で二十歳位の大人に成長して体重は2キロになるらしい(・_・)

やがてサクラ呼ばれ健診台の上に・・・最近少し食べ過ぎ気味・・・体重が理想の10キロから12キロ近くになっていた!!やっぱり!!おけつの穴に体温計を突っ込まれて目を白黒させていた・・・予防注射を打って貰って、血を採られて“フィラリア検査とミニマム・スクリーン血液検査”の結果を待合室で待つ、今朝3度目の散歩から帰ってくると、綺麗なサクラの血液成分分布・写真がモニターに映し出されていた、血液さらさら☆☆健康値は異常な~~~し☆☆納得納得☆☆

小生の健康の源は『Herbalifeの食事』だぁ☆☆“栄養補給プログラム『プロティンミックス・フォーミュラー1シェイク(ストローベリー味)』”+“エネルギーアップし、よりアクティブな生活をつくる『PPP(パフォーマンス・プロティン・パウダー)』を毎日食べているサクラは10歳と云う熟年にもかかわらず、まだまだ生き生きハツラツとして☆☆毛のつやもよく年齢よりずっと若く見られる☆☆それになかなかのべっぴんである☆☆

DS用HP: http://magical-fun.net/okanagsakebi/

製品体験HP: http://members.at.infoseek.co.jp/puttim/kmnew/okanagaNewtaiken.htm

フィラリア、ダニ、ノミ、細菌・ウイルス感染予防など5つの効能を持つワンパックに収められた“システック”をもらって待合室を後にしよう立ち上がり診察室の中を見るとさっきまで話していたデッカ~~いオスのゴールデンの飼い主が診察台の上の愛犬と四苦八苦しているところだった(~_~;)

今日のサクラのための出費は24720円な~~~りヽ(^。^)ノ

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